第五章 コーパスおよび研究方法
5.1.1. Milleran (1694)
5.1.1.2 Milleran の文法書の目的
Milleranは、その著書の序文で文法書を書く目的として2つのことを主張している。この
2 つの目的とは、 (1)フランス語の良き発音を教えること(0 : 7)、(2)彼自身の綴り字の改革 を正当化すること(0 : 9)である。
まず、「フランス語の良き発音を教える」という第一の目的については、教える対象が複 数存在するようである。第一にその対象として挙げられるのが、外国人のフランス語学習 者である88。このため、Milleran は文法書において当時の知識人の共通語であるラテン語訳 を付けている(0 : 10)89。また、ラテン語を理解しない外国人のために、ドイツ語、オランダ 語、英語、イタリア語を話す人々にとって難しいと考えられる語の発音の方法を解説して
85 第二版を使用する理由は、先行研究であるCrevier (1994)の調査結果と照らし合わせるた めである。
86 Milleran (2 : 198)を参照。
87 Crevier (1994 : 4)を参照。(« Notons ici que, selon le Dictionnaire historique, géographique et biographique de Maine & Loire et de l’ancienne province d’Anjou (Cf. Schmitt (1984 : 401), Milleran serait né en 1655 et il serait décédé en 1699. »)
88 Milleran (0 : 5)を参照。(« non seulement parce que je la croi tres-utile aux Etrangers, mais parce que les François mêmes m’ont aussi paru la goûter. »)
89 Milleranは « La premiere, que j’y ai mis le Latin de tous les Exenples pour les faire mieux entendre aux Etrangers. » (0 :10)と述べている。
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いる90。複数の言語に通じていたMilleranは、諸外国語の発音にフランス語の発音の特徴の 手がかりがある場合には、外国語の発音の例を挙げることもある。
次に、Milleran が明言しているように、母語話者であるフランス人もその対象となる。
Milleranは特に、女性たちの発音の問題点を指摘しているが、これは女性たちは発音されな
い綴り字をしばしば読んでしまうために、読んでいるものを理解できない、というもので ある91。さらに、Milleran は「フランス語の良き発音」として、Milleran 自身の出身地ソミ ュール(Saumur)で話されるフランス語を高く評価していることがうかがわれる。Crevier (1993, 1994)はロワール河沿いの街トゥールで話されるフランス語が最も美しいフランス語 であるという神話を思わせる92ことを指摘している。
第二の目的である「綴り字の改革」について、Milleran は発音されない綴り字の削除や、
特定の綴り字を他の綴り字で置き換える試みを行っている。Crevier (1994 : 8-11)はMilleran の綴り字改革には以下のようなものがあることを指摘している。まず、発音されない母音 字および子音字の削除について指摘している。
綴り字が保存された形 Milleranの推奨する綴り字 綴り字pの削除
(2 : 88)
ptisane, psalete, pseaume tisane, salete, seome
綴り字sの削除 (2 : 130-131)
Conscience, abscés Concience, abcés
綴り字oeの単純化 (1 : 137)
Oeconome, oeconomie, boeuf, oeil
Econome, economie, beuf, eil
表5-1 : Milleranによる綴り字改革の一例
例えば、綴り字 p は « ptisane, psalete, pseaume »のような語においては発音されないの
で、 « tisane, salete, seome »と発音され、綴り字もこのように表記することが推奨されている。
また、綴り字sは «Conscience, abscés»においては余分であるため « Concience, abcés »という 綴りが提案されている。そして、綴り字oe において o は発音されないため、« Oeconome,
90 « La seconde, que j’y ai ajoûté la maniere de prononcer les mots les plus dificiles selon les Alemans, les Holandois, les Anglois et les Italiens, principalement en faveur de ceux qui ne parlent point Latin. (0 :10) »
91 « Ce defaut est ordinaire aux femes qui, outre la dificulté qu’elles ont à bien lire, prononcent le plû-souvent toutes les lettres qui se mangent, et c’est pour cela qu’elles n’entendent pas ce qu’elles lisent. (0 :9) »
92 Crevier (1994)はGueunir et al (1978 :167-173)を参照としている。これについては、Lodge
(1997 :223) は17世紀に貴族階級がロワール河沿いに領地を持っていたこと、そしてイギリ
ス人の文法家Palsgraveがセーヌ河とロワール河に位置する地域で話されるフランス語の慣 用に従うべきであると書き残していることを指摘している。
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oeconomie, boeuf, oeil »のような綴りを« Econome, economie, beuf, eil »に単純化することも推 奨されている。
次に、Milleranは1つの音に対して複数の綴り字を避けることを改革に取り入れようと試 みている93。そのような例として、綴り字phをfによって置換することが挙げられる。例え ば、« Dauphin, Phisolophie »という綴り字に対して、« Daufin, Filosofe »という綴り字を使う ようにという助言が観察される(2 : 94-95)。そして、Milleranはmmやnnに対して、重複す る綴り字を省略したm̃, ñという綴り字を使用している。« com̃e »のように、重複した2つの m が上に波線を伴ったm̃という形で記述されている。
文法書の第三の目的については、統辞法が挙げられる。文法書の中で、統辞法について 書かれた章は37ページあるが、実際には、Milleran は補助記号(例:アクセント、分音、
アポストロフ)と句読点について説明している(Crevier, 1994 : 7)。
5.1.1.3. 表記法の特徴
Milleranは綴り字の発音有無を示すために特別な表記法を用いている。つまり、発音され
ない綴り字は、立体で書かれた文章において、発音されない子音の綴り字はイタリック体 によって表記94される。これは、イタリック体で書かれ文章においても同様で、この場合に は発音されない子音の綴り字は立体によって表記される。
例えば、下記の例は立体で書かれた文章である。
例:com̃e la premiere chose qu’on doit aprendre absolument, est l’ortografe, je me suis apliqué avec toute l’exactitude possible à en....
図 5-2 : 表記法の一例
上記の例の場合には、absolumentの語末のt、estの語末のst、avecの語末のcがイタリッ ク体で表記され、これらの綴り字は発音されないと解釈できる。
ただし、この表記法はMilleranの綴り字改革の一部に組み込まれているわけではなく、文 法書を読む人々に「フランス語の発音を正しく学ぶ」ことを可能にするという考え方が適
93 Crevier (1994 : 10)を参照。
94 Milleran (1694 : 0 : 13)を参照。また、この方法をCrevier (1994)はexponctuationと呼んでい る。
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当である。発音しない子音字に何らかの印を付けるという手段は、既に Palsgrave (1530)、
Dubois (1531)、Saintliens (1580)によっても使用された手法である(Crevier, 1994 : 12)。
この表記法において、実際の発音が明らかではない点はいくつかある。
1) 鼻母音:語末が鼻母音で終わり、その後に母音もしくは無声のhではじまる語が続く場 合に、鼻母音が非鼻母音化した上で鼻子音[n]が母音とともに発音されるのか、それとも 鼻母音が保持されたままで鼻子音[n]が続くのか不明である95。よってMilleranの発音教 本におけるnのリエゾンについて調査することは不可能である。
2) [ʎ]の発音:[ʎ]は綴り字上では ll が用いられるため、[l]との区別が難しい場合がある。
Milleran自体はこの濡れたlと呼ばれる[ʎ]の発音の特徴について触れている。この[l]と
[ʎ]の区別については、以下で詳細に説明する。
3) 語末以外の発音:Crevier (1994 : 19) に従えば、語末では16703箇所がイタリック体で表 記された一方で、語中では 1014 箇所のみがイタリック表記であることから、Milleran は語末で発音されない子音字に最も注意を払っていたことが明らかである。語中のイタ リック表記には、例えば « quelque », « tenps »などの子音字と無音のe ([ə])がある。
5.1.1.4. 表記法におけるエラー
Crevier (1994 : 21)は、Milleranのテクストにおけるエラーには2つのタイプがあることを
指摘している。それらは、印刷上のエラーと表記法自体のエラーである。第一に、印刷上 のエラーは少数である。Milleranは印刷の後に2度読み直した(2 : 191)と述べている。一般 的に、語が重複しているもの(例:ne ne (1 : 114)や音節の重複(例:ordidinaire (0 : 9))、文字の 重複(例:ouuvert (2 : 39))、文字の脱落(例:mon e « monde »)などがこの第一のタイプに当て はまる96。第二のタイプは表記法自体のエラーであり、これがエラーの大部分を占めている。
例えば、発音が予想される綴り字がイタリック体で表記されている、もしくは発音が予想 されない綴り字がイタリックに変換されていないものである。例えば、接続詞 et の語末の 子音字 « t »は通常発音されないが、et という表記の変わりに、et という表記が使用されて いることがある。Crevier (1994 : 22)によれば、接続詞etの語末の子音字tは長く発音されず、
このようなエラーは1168例あるうちの27例のみであり、これは2,31%に過ぎない97。
5.1.1.5. Milleranが記述したフランス語における音韻体系
以下では、Milleranのフランス語における母音体系および子音体系について説明する。
95 Crevier (1994 : 16)を参照。
96 Crevier (1994 : 21)を参照。
97 Crevier (1994 : 42) は、語の出現回数において子音字の表記におけるエラーが3%もしくは
それ以下であれば、子音字は発音されないのが通常であると考えてもよいと指摘している。
126 5.1.1.5.1. 母音
Milleranの文法書における母音体系は以下のようなものである。この母音体系はVaudelin
のものと同様である。
i i: y y: ỹ u u:
e e: ø ø: o o: õ
ε ε: ɛ̃
a a: ã
Milleranは[a]と[a:]の2つの母音を区別していることが以下の説明から明白である。
« A Qui a toûjours le son naturel Latin, comme dans toutes les autres Langues, savoir long en quelques mots, et bref en d’autres [...] (1 : 55) »
「Aは全ての言語において、ラテン語本来の音を常に持つ。すなわち、いく つかの語では長く、他の語では短い。」
Milleranの提示した例にはミニマルペアが含まれる。例えば、chasse [ʃas](狩り)とchâsse [ʃa:s]
(聖遺物匣)や、glace [glas](氷)と classe[kla:s](階級)などが挙げられる。
次に、[e, ə, ε, ε:]に関して、Milleranは4つの発音に分類している(1 : 64)。
« il y a quatre sortes d’E.
1. Le masculin clos ou Latin qui s’appelle ainsi, parce qu’il est marqué de l’accent aigu.
2. Le feminin, ou le François parce qu’il est sans accent.
3. Le neutre ou ouvert, parce qu’il se prononce ouvertement.
4. S’appelle plus ouvert, parce qu’il a presque le même son du Latin, et afin qu’il se conoisse mieux, on le marque aussi de l’accent aigu, et rarement du Circonflexe (1 : 64) ».
「4種類のEがある。
1. アクサンテギュが付けられることから、閉じられた男性形、もしくはラ テン語のEとも呼ばれる。
2. アクセントが付かないため、女性形、もしくはフランス語の E と呼ばれ る。
3. (開口度が)広い発音のため、中性もしくは広いEである。
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4. ラテン語とほとんど同じ音を持つため、(開口度が)広いEと呼ぶ。また、
わかりやすいように、アクサンテギュや稀にシルコンフレックスを付け る。」
まず、1番目のEは[e]に相当し、名詞、形容詞の語末においてアクサンテギュが付いた形 で表れる。これに加えて、女性形の[e:] (-ée)があることが明記されている。
2番目のE は[ə]に相当する。フランス語に特有な音として記述する理由として、1番目の Eがラテン語と同じものであるのに対して、2番目のEはアクセントがなく、軽く柔らかな 音である、とMilleranは主張している98。例えばこのタイプのEは語中と語末の両方で、イ タリックで表示されている例があるため、17 世紀末において既に[ə]の発音は義務的ではな かったということが伺える99。
3番目のEは[ε]に相当する だろう。この[ε]の音について、Milleranは以下のような説明を 加えている。
« Le premier n’est ni bref ni long, mais ouvert, et il se prononce presque com̃e la diftongue, ai. ou ay. (1 : 86) »
「一つ目は、短くも長くもなく、しかし開音である。そして、この音は二 重母音のaiまたはayとほぼ同じように発音される」
4 番目のEは[ε:]に相当すると考えられる 。Milleran が記述したフランス語において、長 母音[ε:]は短母音[ε]と対立しているようである。このEに関しては、アクサンテギュや稀に シルコンフレックスを付けるというような説明があるが、先述の[e]の音にもアクサンテギ ュが付くという説明があったことから、矛盾しているような印象があるだろう。さて、
Milleranは別記でアクセント記号について以下のように解説している。
« Le premier l’aigu ʹ qui se fait à la gauche, se prononce com̃e e Latin.
Le second le grave ˋ, qui se fait à droit ne change rien du tout de la prononciation.
Le troisieme le-circonflexe ^ [...], c’est-à-dire com̃e un v renversé de cete maniere, fait prononcer la sylabe sur la quelle il se met, plus longue que les autres. »
Milleran (1694 : 1 : 17)
98 « e. feminin qui s’appelle aussi François, parce qu’il est aussi particulier à nôtre Langue que l’e masc. l’est à la Latine, ne se marque d’aucun accent et se prononce si briévement, et d’un son si mol, »
99 Crevier (1994 : 36)は以下のように述べている。« il est prononcé facultativement entre deux consonnes, ainsi qu’un finale. Soulignons que [ə] final sera toujours entre parenthèses dans les transcriptions phonétiques, pour illustrer qu’il est faultatf dans la prononciation. »