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3-1 シナリオ通りにいかなかったストーリー

金湖蓮

セミナーの二日目、幸存者の証言を聞いた後のワークで、劇を創りました。

私たちのグループは中国人 2 人と日本人との 4 人でした。与えられた時間が短 かったことや、中国人学生の遠慮もあり、私たちが主導でストーリーを考えま した。練習する時間がほとんどないまま演じてみると、演技が変わっていまし

た。日本人と中国人の 2 人が旅の道中、おばあさんと出会います。しんどくて 歩けないおばあさんを 2 人が摩って介抱し回復して一緒に旅をするという内容 でしたが、おばあさんが足を摩る日本人の手を払いのけ、背中を摩るとまた払 いのけるのです。クライマックスでは宇宙人が現れ希望ある未来へと導くとこ ろでも、おばあさんは元気にならなかったし行きたがらないし、日本人に支え られているのを拒んでいるように見えました。劇の感想を話し合う時間がなく 不安を抱えたままその日が終わりました。私たちが望むようにストーリーを 創ったこと、希望に向かうということを簡単に言ってしまったこと、考えれば 気になることだらけでした。翌日 4 人で話してみたら、幸存者の証言を聞いた 直後だったので、おばあさんの思いが演技にでてしまった。手を払いのけたの もおばあさんの気持ちを感じて自然にそうなった。苦しかったけど最後に希望 の明日がみえてほっとしたと演技を通して感じたことを語ってくれました。私 たちだけで考えすぎずに直接聞いて、話し合えたことを喜び合いました。

HWHセミナーには、大きな期待がありました。このセミナーを自分の問題 と重ね合わせていました。中学生の時に、あるTVのドキュメンタリー番組を 観ました。それは、第二次世界大戦時のナチスドイツ側の子孫達と、迫害され たユダヤ人の子孫達が同じ部屋で一つの輪になり、お互いの苦しみや悲しみを 話し、抱き合っているのです。衝撃でした。私は在日コリアンと日本人とを重 ねて観ていました。私たちにもこんな日が来るのかも知れないと希望を感じま した。そんな記憶が、このセミナーに引き寄せてくれました。

在日コリアンである私は、日本人にも中国人にも属さない自分の立ち位置に 不安定さを感じていました。セミナー中、日本人も苦しんでいることをあらゆ る場面で感じその心に触れました。その反面、被害にあった側の苦しみは現在 も続いているのだから同じように苦しんでと、私の中の加害性が現れます。そ んなことを言ってはいけないという自分、もう誰も悲しい思いをしてほしくな いという自分もいて、三者が私の中に存在します。同じ戦争で日本人も傷つい た犠牲者だったということが悲しかった。「何をみても私は加害者側で、申し 訳ないという罪悪感しか出てこない」と言っていた日本人の言葉に、加害国に 残された悲しすぎる深い傷があると感じました。いっそのこと日本人が傷つい てなかったら、私の傷や悲しみを吐き出し、ありったけの怒りをぶちまけ、ネ

ガティブに生きてきた息苦しさを味わってほしいと当事者だったら言っていた かも知れません。言いたいことを吐き出さないと前には進んでいけないのです。

参加者みんなの物語をもっと知りたかったし、日本人も親や周囲からどんな影 響を受けてきたのかを聴けなかったのが残念でした。

在日の友達が、背伸びして知ったかぶりした反日感情に、どこか違和感を感 じながらも、そういうものなのだと思っていました。私自身も日本人をよく知 りもせず反日感情がからだに沁みついていきました。家族から体得すること、

学校教育、日本社会、どれも噛み合ってないように見え、嘘でも真実でも総て のものが私の中でしっくりきませんでした。私の友人の多くは日本人です。民 族学校に通っていた時は日本人との交流はなく、日本人は共に暮らす対象では ありませんでした。社会にでて、私の中の噛み合っていなかったものを噛み合 わせるために、たくさん学びました。そして日本人と一緒に創り上げる場所を みつけては飛び込んでいきました。共に歩み尊重しあえるということを、未来 ある子ども達に示したかったのです。

セミナーに参加できて、たくさんの出会いがあって、感謝しています。文化 は違っても、その文化をもつ人たちが自分たちの言葉で語っていけば、戦争の 傷を癒し合えると思いました。7 日間、みなさんと、アートワークやシェアリ ング、食事に買い物と、合宿のように楽しく参加できたことは、何より安心し てセミナーに参加できたことにつながりました。

3-2  与剧本渐行渐远的剧情

金湖莲

在讲座的第二天,听了幸存者的证言后,创作了剧本。我们小组是由 2 个中 国人和 2 个日本人组成的。时间有限,加上中国学生的客套,就由我们领衔构思 了剧情。在没有充足时间练习的情况下试演了一下,结果发现演出走了样。演出 的内容是 1 个日本人和 1 个中国人在旅途中,与一位老奶奶相遇,2 个人服侍累

得走不动的老奶奶帮她恢复,并和她一起踏上旅途。但老奶奶甩开了帮她按摩腿 部的日本人的手,日本人想帮她按摩背部又遭拒绝。就连高潮处外星人出现,要 带领他们去充满希望的未来时,老奶奶也提不起精神不愿前往,似乎颇为抗拒日 本人所给予的帮助。于是这一天就在没有剧情交流,满怀不安的气氛中结束了。

到底如何创造出我们所期望的剧本,是否过于简单地表现了迎接希望这一部分,

仔细想来有着诸多的问题。第二天我们 4 个人交流下来,觉得老奶奶是因为刚听 完幸存者的证言,所以将情绪带到了演出中。甩手这一幕就自然而然地反映了老 人家的情绪。对此我们不假思索地去问了老奶奶,她告诉我们其实起初自己很痛 苦,但最后看到了充满希望的明天最终有所释怀,她通过演出切身地感受到了这 一切。最终我们和老奶奶谈到了一起,欣喜之情不溢于言表。

对 HWH 活动我非常期待。这个活动让我能结合自己的问题去思考。大学时代 我看过一个纪录片。讲的是第二次世界大战是纳粹德国的后代们和被害方犹太人 子孙在同一个屋子里,拧成一股绳,互相倾吐悲伤,互相拥抱鼓励的故事。看后 极为震惊。当时我是和同为在日的韩国人以及日本人一同看完的。我们顿时感受 到了或许有一天我们之间的这一天也会到来的希望。这次的活动不禁让我回想起 来这段回忆。

我作为在日韩国人,既不是中国人也不是日本人,这样的尴尬处境让我有点 不安。在活动中我时时能感受到日本心中的苦闷,心为之动容。而另一方面,我 觉得被害方至今仍持续着痛苦,日本人也该一起尝尝看这种痛苦,我有着这样的 加害心理。“不行,不能这样想,我们应该一起携手共创未来”,我的身体里还存 在这样的我。我身体里存在着三个我。同一个战争中,日本人也有许多牺牲者,

就这点看他们也是可悲的。“无论如何我都是加害方,我的心理充满了无限的罪 恶感”从一位日本人口中说出这段话里,我能感受到作为加害国一方留存在内心 深处的所受的伤害。假使日本人没受到一点伤害,我想当事人一定会把所有的苦 都说出来,倾吐一切愤恨,让加害方也尝尝暗无天日的生活的绝望。不说清楚想 说的话就不能向前生活。还想再了解多点参加者的故事,作为日本人从家人和朋 友当中又受到了怎样的影响,没能了解更多,实在遗憾。

在日本的朋友们大家装的好像很了解反日感情,虽然觉得哪里有点不对劲儿,

但想想觉得也就这么一回事了。我也是,虽然不太了解日本人,但反日情绪却深

入骨髓。从家人那里了解的一些事,对于学校教育,日本社会,看起来都不能习惯,

所有的事情都难以适应。

我的朋友中许多是日本人。还在上民族学校的时候,基本和日本人没什么交 流。不会想到和他们一起生活。出了社会后,为了让自己更快适应起来我学习了 很多。随后找到了和日本人的相处之道,之后就一切游刃有余了。相互尊重,共 同进步,希望能给拥有无限未来可能的孩子们一点启发。

参加这次活动,和许多人相识,我心存感谢。虽然文化有差异,但拥有各自 文化的人们用母语来叙述的话,战争带来的伤害就一定能消除,愈合。7 天里和 大家一起外出活动,分享心情,出门购物,吃饭,如同合宿般的生活非常开心。

这些都使我能更安心的参加好这次活动提供了帮助。