(1)三農問題の抜本的な解決には体制を超 えた改革も必要
今回、中国政府が打ち出した「社会主義新 農村建設」というスローガンは、三農問題を 乗り越えた先に見える農村の理想像を農民に 思い描かせることで、政治・社会の安定を促 したいとの意図がある。
新農村建設は、6つの基本政策から構成さ れている。具体的には、①近代的農業の発展 を加速する、②あらゆる手段を使って農民収 入を増加する、③農村のインフラ建設を強化 する、④農村の生態環境保護を強化する、⑤ 農村の社会事業を大きく発展させる、⑥農村 の文化建設を強化する、というものである。
このうち、最も重要で緊急な課題は、「農民 収入の増加」である。これに関して、中央政府 は92年以降、税費改革や3減免3補填政策を 通じた思い切った減税政策を通じて、農民負 担の大幅な軽減を図ってきている(注)3(図表3)。
農民負担は一連の改革によって大幅に軽減 されたが、政府は今後5年間、一段と積極的 に構造改革を実施し、所得の底上げを図る方 針である。具体的には、①農業の法人経営を 強力に推進する、②農村部の第2次、第3次 産業の発展と小都市建設を加速する、③戸籍 制度の改革や職業訓練、出稼ぎ労働者の身分 保障などを通じて、農村余剰労働力の他産業 への移動を促進する、④貧困農村地域への支 援を拡大する、などである。
(注) 3.三農問題と一連の政策措置の詳細については、「中国経済の中期展望」『信金中金月報』(06年5月)を参照されたい。
特に、農業の法人経営化は、零細農家中心 で生産性が低い中国農業にとって、長年の課 題となってきた。法人による大規模な農業経 営を実現させるためには、農民の請負農地の 権利を明確に保証し、農民が農業法人へ譲渡 する際に合理的な対価を得られる仕組みを整 えなければならない。これは、農地を工業用 地へ転用する場合でも同様である。
しかし、この数年、中央政府が実施した減 税政策で財政難に陥った地方政府は、公共の 利益という名目で、農民からわずかな補償で 土地を徴用し、高値で不動産開発業者などへ 売却する行為をエスカレートさせている。こ うした行為は、農村の失業者を増大させてい るばかりでなく、社会不安を増幅させている。
農業部の尹成傑次官によれば、「開発に伴 う農地の強制収用により、毎年100万人以上
の農民が耕地を失っている」という。また、
一部報道によれば、土地問題を主な原因とす る農民の暴動を含む住民の集団抗議行動は、
04年が7万4,000件、05年が8万7,000件に達し た、とされる。
今後、中国政府は耕地の保護や利用認可を 厳格に行うと同時に、土地を失った農民への 補償や就職先の確保、生活保護などの対策も 強化する方針を示しているが、これらの措置 だけでは問題の根本的な解決を図ることはで きない。
最終的には、農民の土地に所有権を認め、
彼らの権利を法律によって明確に保護する必 要があろう。農地の有償譲渡を可能にすれば、
農民がそれを元手に新しい事業を起こすこと や、都市部へ新たな職業を求めることが容易 になる。
図表3 建国以来の農業政策の変遷
時期 農業をめぐる政策・情勢の変化
1950〜52 1950年の『土地改革法』に基づき、中国政府は地主から土地、農具を没収し、小作農に分配した結果、
小作農を中心とした土地所有制が確立した。
1955〜57 政府は農業の零細経営による低生産性を改善するために農業生産協力組合運動を展開。当初、生産協 力組合は農民の土地や農具などを有償で使用して規模拡大による生産性向上を目指したが、次第に土 地の借受けは無償で行われるようになり、最終的には土地は公有とされ、農民の土地所有権は消滅した。
1958〜78 生産協力組合を基礎として、一段と公有制を強化した「人民公社」が誕生した。政府は農民に対して 無償による公共工事などを強制し、農民の生産意欲が大きく減退、農業生産に深刻な打撃を及ぼした。
1979〜84 改革開放政策がスタートし、農村では「農業生産請負責任制」が全国展開された。土地の公有制は維 持されたが、農民に経営権を付与して生産の自由裁量を認め、上納部分を除いた余剰農産物の市場売 却を容認したことで農業の生産性が飛躍的に向上した。
1985〜99
三農問題が次第に顕在化。この背景には、①食糧生産が拡大して需給が大幅に緩和した結果、農産物 価格が下落した、②農村の腐敗幹部による「乱収費(農民からの違法な費用の徴収)」が深刻化した、
③94年の分税制導入後、地方政府の財政収入が減少したため、農民への課税が強化された、④農村行 政組織が次第に肥大化してしまった、などがある。
2000〜01 安徽省で「税費改革」のテスト作業を実施
2002〜03 全国規模で「税費改革」を展開。農民の負担は農業税(あるいは農業特産税)と農業付加税に集約され、
それ以外の費用徴収などは非合法なものであることが明確となり、農民が不当な費用徴収を容易に拒 否できるようにした。
2004〜06
「3減免3補填」政策を実行。3減免とは①農業税の段階的廃止、②04年以降のタバコ以外の農業特産税 の撤廃、③05年以降の牧業税の免除、3補填とは①食糧直接補助金、②一部地域の農民に対する優良 品種作付け補助金、③農機具購入補助金、の導入である。06年以降、専業農家の税費負担は原則的に ゼロとなった。
(備考)農業部資料などより作成
中国政府は、すでに土地所有権の必要性に 気付いているが、社会主義というイデオロギ ーの壁を乗り越えることができないでいる。
ただ、憲法に規定されている「三つの代表思 想」(注)4に照らし合わせれば、「最も広範な人 民の根本利益」を実現するために土地所有権 を確立することは決してイデオロギーに矛盾 するものではない。
同時に、農民を土地に縛り付けてきた戸籍 制度(注)5を改革し、農村の労働移動を自由化 して都市化率を高めることも重要である。農 民を土地から開放するだけでなく、自由な移 動を認めなければ、都市と農村の所得格差の
問題は最終的に解決できない。
04年現在、農民の純収入のうち、非農業 収入が占める比率は52.4%に達している。こ の背景には、90年代半ば以降の戸籍制度の 漸進的な緩和によって、農村からの出稼ぎ労 働者が急増していることがある。農業部の調 査によれば、年間の出稼ぎ労働者は97年の 4,461万人から04年には1億1,823万人へ拡大 し、その7割が賃金水準の高い東部沿海地域 へ集中している(図表4)。
しかし、戸籍などの制約から、農村からの 出稼ぎ労働者は、雇用機会が厳しく制限され、
低賃金、長時間労働という劣悪な労働環境を
(注) 4.①先進的生産力の発展要求、②先進的文化の前進方向、③中国の最も広範な人民の根本利益、の3つを代表するのが中国 共産党であるとする思想。2000年2月、江沢民総書記(当時)が広東省を視察した際に提唱され、2004年3月の第10期全人 代第2回会議における憲法改正で、三つの代表思想はマルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論と並ぶ憲法上の存 在となった。
5.1958年1月に採択された『中華人民共和国戸口登記条例』は、都市戸籍と農村戸籍の分離を定めており、農村戸籍者の都 市への移動が厳しく制限されている。
図表4 中国の出稼ぎ労働者の実態
<出稼ぎ労働者数>
03年 04年
人数 人口に対する 比率
うち、家族帯
同者数 人数 人口に対する
比率
うち、家族帯 同者数
(出身地) (万人) (%) (万人) (万人) (%) (万人)
全国 11,390 23.2 2,430 11,823 23.8 2,470
東部 3,811 19.5 775 3,934 19.8 746
中部 4,523 26.4 1,022 4,728 27.2 1,047
西部 3,056 24.8 632 3,161 25.4 677
<受入れ先> 03年 04年
受入れ地域(%) 受入れ地域(%)
(出身地) 東部 中部 西部 東部 中部 西部
全国 68.0 14.7 17.1 70.0 14.2 15.6
東部 96.3 2.4 0.9 96.6 2.1 0.8
中部 64.0 33.9 1.8 65.2 32.8 1.8
西部 37.0 2.9 60.0 41.0 2.9 55.8
<年齢構成> 04年 平均年齢 16〜20歳 21〜25歳 26〜30歳 31〜40歳 41歳以上
(歳) (%) (%) (%) (%) (%)
28.6 18.3 27.1 15.9 23.2 15.5
<就業業種> 04年 鉱工業 建設 交通・運輸 卸小売 宿泊・飲食 サービス
(受入れ地域) (%) (%) (%) (%) (%) (%)
全国 32.1 22.9 3.4 4.6 6.7 10.4
東部 38.9 18.3 3.2 4.1 5.9 10.2
中部 18.4 30.1 4.0 5.7 9.5 11.9
西部 14.6 37.0 3.7 5.4 7.4 10.0
<家計収支> 04年 東部での労働(元) 西部での労働(元)
(出身地) 平均月収 生活費 貯蓄額 平均月収 生活費 貯蓄額
東部 892 311 580 1,337 427 910
中部 698 282 416 717 235 482
西部 723 322 401 688 248 440
(備考)国家統計局『2004年農民外出務工的数量、結構及特点』(2005年6月)より作成
強いられ、都市部における貧困層を形成して いる。また、都市に戸籍がないため、個人所 得税を納めても、子供の義務教育など公共サ ービスが受けられない。三農問題に加えて、
こうした「農民工問題」が深刻化しており、
最近では「四農問題」とも称されている。
都市戸籍と農村戸籍を分離した現在の戸籍 制度は、農業を経済の基礎とし、重化学工業 化を目指した建国初期の中国ではそれなりの 役割を果たしたが、現在の中国経済にとって は持続的発展を制約する大きな要因となって おり、農村戸籍者は「二等公民」という社会 差別を生み出す元凶となっている。
こうした背景もあり、中国政府は90年代 半ば以降、戸籍制度の緩和を進めてきている
(図表5)。規制緩和の内容は、都市に合法的 な職業と住居を持っていること、などの条件 付きで都市戸籍を認めるというものである。
さらに、01年以降、広東、重慶、山東など
の一部地域では、都市と農村の区別を撤廃し、
実際の居住地で「居住民戸籍」を登録する制 度を採用しはじめている。
第11次5か年計画では、地方にいくつかの 小都市を建設し、農村労働力を再配置する戦 略が示されている。また、農民工問題につい ては、最低賃金制度の厳格な運用、農民工を 対象とする社会保障制度の充実、農民工の子 女に対する平等な義務教育機会の提供、が謳 われている。
(3)農村消費市場の新興による内需拡大の 可能性
このほか、「近代的農業の発展」に関して は、①各地の特性に適合した農業分布を実現 し、牧畜業、漁業の発展を促す、②品種改良 や先進的な生産技術の普及を進め、農業生産 の伸びに対する技術革新の寄与率を5割以上 とする、③資源節約型農業を目指し、農業灌
図表5 戸籍制度改革の変遷
時期 条例等 内容
1958.01 『中華人民共和国戸口
登記条例』 都市戸籍と農村戸籍に分離し、農村から都市への移動を厳しく制限 1994 『農村労働力跨省流動
就業管理暫行規定』 省外から農村戸籍者を雇用する場合は労働行政部門の監督を受け、出稼ぎの農村 戸籍者は出稼ぎ労働者就業登録カードが必要
1997.07 「小城鎮戸籍管理制度 改革試点方案」
農村戸籍者であっても、小都市に固定した住所があり、満2年以上居住し、かつ 次の条件を満たす者は都市常住戸籍を申請できる。①小都市で就労する者、ある いは第2、3次産業で起業する者。②小都市の企業、団体、その他の機関に招聘 された管理者、専門技術者。③小都市で職場の分配によらない市場価格の住宅を 購入した者、もしくは合法的に自ら建設した住宅を持つ者。
1998.08
「関於解決当前戸口管 理工作中幾個突出問 題的意見」
①新生児が父母のどちらの戸籍に入籍するかは基本的に自由選択できる。②夫婦 別戸籍の場合、配偶者の所在都市に一定期間居住していれば、本人の意思でその 都市の戸籍を取得できる。③都市戸籍を有する高齢者(男性60歳以上、女性55 歳以上)が同じ戸籍所在地に居住していない子女を呼び寄せる場合、その子女は 親の居住都市の戸籍を取得できる。④都市に投資する者に対して都市戸籍を開放 する。⑤合法的な住居と職を有した者に対して都市戸籍を開放する。
2001.03 「関於推進小城鎮戸籍 管理制度的改革意見」
同一行政区域内にある小都市への移住規制を緩和。固定した住所、安定した職業 または収入源を有していれば、小都市での都市常住戸籍を申請できる。
2001.12 広東省の戸籍改革 原則的に実際の居住地によって戸籍を登録する。
2003.09 重慶市の戸籍改革 戸籍の区別を撤廃し、実際の居住地で「居住民戸籍」を登録する。
2004.10 山東省の戸籍改革 戸籍の区別を撤廃し、実際の居住地で「居住民戸籍」を登録する。
(備考)中国公安部、労働社会保障部資料などより作成