1936年 1946年 1956年 1966年 1976年
現在 19 24 78 70 38 71 87 83
「だ」系 過去
o o 5 3 4 14 16 12
過去の比率 o.oo o.oo O.06 0.04 0.10 0.16 0.16 0ユ3
現在 83 134 114 157 157 136 142 100
「である」系 過去
9 21 30 30 39 30 13 25
過去の比率 o.le O.ltt O.21 0.16 0.20 0.18 0.08 0.20
(表4)断定形ど推量形の比較 「だ」系
1906年 1916年 1926年 1936年 1946年 1956年 1966年 1976年
断定 16 22 78 67 40 65 82 83
推量 3 2 5 6 2 20 21 12
推量の比率 O.16 0.08 0.06 0.08 0.05 0.24 e.20 0.13
「である」系 断定 推量
81 ll
145 10 129 15 167 20 166 30 145 21
148 7 118 7
三口の比率
0.玉2 0.06 0ユ0 0ユ1 0.15 0ユ3 0.05 0.06
表3と表4によれば,もともと現在および断定,つまり無標の語形にかたよっていた「だ」の 用法が,あたらしい資料では,有標の過去および推量にもひろがってきたのではないか,と考え られる。「である」については,ほとんど一定の傾向をみとめがたいが,1966一一76年に推量の比 率がさがっていることは,つぎ¢)表5の結果とくらべると,気になるところである。
(表5)終止法と接続法の比較 「だ」系 1906・年
1916年 1926年 1936年 1946年 1956年 1966年 1976年
終止 12 18 62 61 33 64 78 74
接続 7 6 21 12 9 21 25 21
接続の比率 O.37 0.25 0.25 0.16 0.21 0.25 0.24 0.22
終止 75 137 120 168 169 138 145
王20
「である」系 接続 17 18 24 19 27 28 10 5
接続の比率 O.18 0.i2 0.17
0. .Le
O.14 0.!7 0.06 0.04
172第5章文 法
表5からは,「だ」についてよりも,Fであるjについて,変化のきざしらしいものがうかがえ る。すなわち,「である」はドだ」にくらべて,一貫して接続法の比率がひくかったのだが,と くに最近(1966−76)の2年分では,それがひくい。ここでは,「である」について,有標の分野 がせまくなっているのである。
わずか8年のうちの2−3年分の変化では,厳密な意味で傾向をうんぬんするわけにはいかな い。しかし,ここでは,以上の数字にもとづいて,やや大胆な推定をのべておくことにする。そ れは,地の文で「だ」が量的にふえるとともに,質的にも,無標の語形・用法へのかたよりがき えて有標の方に範囲をひろげ,ぎゃくに「である」は無標の方にかたよりつつあるのではない か,ということである。語形・用法に制限があることは,特殊な文体であることを意味する。
「だ」体は,その三三がとけて,「である」体とならぶ標準的な文体にむかおうとしているのでは ないか。記聞では,昭和の半世紀のあいだにヂである」がへって「だ」がふえているという。
(野元菊雄「話しことばに近づく新聞文章」誓ことばの昭和難】) ながい騒でみれば,雑誌でも岡じ ことがおこるかもしれない。
2. 文のながさ
文のながさの研究としては,文学作晶についてのものが,かなりある。また,新聞について も,ながさの変遷をしらべたものがある。しかし,雑誌を対象として,文のながさがどうかわっ たかをしらべたものは,ないようである。ここでは,単語(文節)のかずで文のながさをはかる こととし,つぎのような基準をもうけた。
〈対象〉 かきことばの散文にかぎることとし,つぎのようなものは,範囲外とした。
1.表・E次・著者名・標題など,ふつうの意味での文になっていないもの。
2.座談会・対談の記録,戯曲など,もっぱら,はなしことばをうつした形のもの。
ただし,小説のなかにでてくる会話文は舛象とする。
3. 韻文(詩・俳句など)。
ただし,ある1文のなかに引絹されたものは,その文のなかにふくめて,かぞえる。したが って
0本誌前号
煤掃いて楼に上れば川ひろき を取消す(1906−1 94)
は8語からなる1文である。
なお,これは,ほかの項懲についてもいえることだが,時代燐の比較をするとき,気をつけな ければいけないこととして,ふるい文章の再録の問題がある。現代語の文章のなかに,一回分だ け,ふるい二三が引用されるだけではなく,まるまる一つの文章が再録されていることもある。
たとえば,1976年2月号には,〈「中央公論」誌上にみる明治短編傑作選〉という特集があっ て,漱石・鴎外をはじめ,IO人の作家の作品がならんでいる。これにたいして,おなじ号で現代 の作品は4つである。その結果,この号だけについていえば,創作のうち,サンプリングにあた
2.文のながさ 173 つた場所は,明治のものが5箇所,現代のものが5箇所である。また,丁年9月号にも,〈大正 短編傑作選〉という特集があり,この号では,大正のもの5箇所,現代のもの2箇所ということ
になる。1976年全体では,ほかにふるいものの再録がないから,匿1年の窮蝋三全体のなかでの,ふ るいものの比率は,10/17から10/47にさがる。また,全文の再録でなくても,引用の部分がサ ンプリングにあたれば,そこだけ,ふるい文章(ときには,吉代のもの〉がまじるわけである、,
〈標本とする文の範囲〉 今回,語い講査の標本としてとったもののなかに,文頭があるもの を,対象とする。したがって,語い調査の範囲とは,かならずしも…致しない。たとえば,ある ページの5−10行めが語い調査の標本としてとられていたとして,もし,第1の文が4行めから はじまって10行めのおわりちかくまでつづき,第2の文はユ0行めのおわりちかくから16行めまで だったとすれば,ここでは,第2の文だけをしらべて,第1の文は対象外,ということになる。
つまり,このばあい,結果的に,語い調査の範闘の大都分が文の調査からはずれ,逆に,大部分 が語い調査の舛象になっていない文のながさをしらべることになるわけである。また,おなじ例 で,もし1つのながい文が4行めから11行めまでつづいていたとすれば,この範囲からは,文の ながさの調査のための標本は,まったくとられないことになる。
<1つの文とする基準>
1.とくに,ふるいところでは,句読点がぜんぜんついていなかったり,ついていても,全部 テンだったり,マルとテンのつかいわけに規期性がなかったりすることがおおいので,すべて基 準にせず,ことば縢体から糊析して,文のきれめを認定した。以下に,例をあげる。
○社会帥な姿態をつくる上に容貌や人枳の重要なことは前にのべたが,それについで,いやと きにはそれ以上に重要なのは,麟人の名前である,姓名である。(1936−4 125)
この例では,「名前である」のあとが,テンでくぎられているが,文法的には,むしろここで きれるものとみて,2つの文とした。
○この歌を朗吟すると,私はいつも上田野冊の訳した1期炊の名詩。
山の彼方の空遠く 宰ひ住むと人の需ふ。
われ人と比め行きて 涙さしぐみ帰り来ぬ。
を聯想する。G936−5 241)
この例では,「名詩」のあとにマルがあるにもかかわらず,当然,ヂ聯想する」までを1文とす べきである。この詩は,/つの文のなかにふくまれているために,ギこの歌を朗吟すると……を 聯想する」という文の一部として,ながさをかぞえる対象にしたが,もし,「名詩」できれて,
独立の韻文であるならば,調査の対象外になる。(なお,文章の筆者は,雪月朔太郎である。)
2.会話の文も,「と」でくくられているかぎり,その文の一部にした。
○「何処へでも,好きな所へ行っておしまひ! 明日になっても,未だこの家に罎ちや,いけ ないよ! チェルトコフを放り出したやうに,あの女も放り出してやるんだ」と,夫入は,
174第5章文 法
私に怒鳴りました。(1936−6414)
これは,全体で1つの文である。もし,「と」がなければ,会話が3文,地の文が1文,とい うことになるQ
3。 「曰く」で引用したものの処置には,こまった。原則としては,やはり1文中での引用だ とおもうが,ときには,半ページほども,その引用がつづくばあいがある。ここでは,まったく 便宜的に,「曰く(Hへらく)……と」でかこんであるときには,全体で1文とし,「と」がない
ときには「曰く佃へらく)」のあとできれるものとした。言語上の根拠があるわけではなく,た またま,今圓の資料のなかで,ひじょうにながいものが,後者のようなかたちのものだけだった からである。
4.文法的にみて,文のきれめの認定には,それほどこまらないのだが,文語文の「あり」
「ず」のように,連用形と終止形とがおなじものについては,まようことがある。
○何処に行くとしても労働あり,百物は労働の旋渦の中に捉へられつ・あり,あらゆる人は人 間と自然とに対敵せる,一の神秘的魔力の意志に服従しつ・あり,機械 冷酷にして見る 可らず,測る可らざる機械の中に,人間は唯だ一一の意味なき螺旋として働きつ・あるに過ぎ ざるなり (1906−1041>
この文では,3つの「あり」を終止形,「見る可らず」を連用形とかんがえた。
5.文中にカッコなどではさみこまれた文句は,その文の語数にかぞえるが,文のおわりにつ けたされたものは,別の文とする。
○ときに「作品の説明を聞く必要は全くない。五項匿を受け入れるか,入れないかの返事を聞 きたい」(木村光一氏の文章より)という態度にまでなる。(1976−5 391)
という文のカッコのなかは,ここでは文の途中にあるから,その文の語数のなかにかぞえる。も し,この注記が文末にあって,〈……という態度にまでなる(木村光一氏の文章より)。〉という かたちだったら,まえの文にあわせてかぞえることはしない。そして,そのばあい,この注記 は,文のかたちをとっていないものとみて,ここでの対象から,はずすことになる。
以下に,きわめてながい文の例をあげておく。
○交戦団体の承誌を行ふに依りて承認国たる第三国の負ふに至る中立義務中には自から何れの 交戦者を援助することをも避くるの避止の義務の外に……仲略〉……容忍の義務を存する のである。(1936−IO 32立作太郎「スペイン内乱を続る國際法問題」111語〉
○経営者側についていえば,さきの「赤い学生の就職おことわり」声明もそうであるが,五二 年十月,日本経営者団体連盟(日経連〉は……(中略)……とのべて,今日おこっている「大 学設量基準」改定,大学管理鋼度改革の基本路線を示した。(1966−3 398伊ケ崎暁生徽 後大学事件史」 114語)
これらは,途中にながい法律:や声明の引用をはさみ,そのためにながくなったものである。引 用をふくまず,自分の文章だけでもっともながかったのは,つぎの例である。
○しかるに,その後,明治二十七年日本帝国主義の中国侵略に当り香港にペスト発生,日本政 府は狼狽して東大より青由胤通,罠問より北里を同地に派遣したが,青由はその病毒に感染