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ユ946年

ドキュメント内 雑誌用語の変遷 (ページ 166-169)

1956年

1966年

1976年

ふろう ふったろう ふるまい ふらなかったろう ふろう

ふったろう ふるまい ふらなかったろう ふろう

ふったろう ふるまい ふらなかったろう ふろう

ふったろう ふるまい ふらなかったろう ふろう

ふったろう ふるまい ふらなかったろう ふろう

ふったろう ふるまい ふらなかったろう ふろう

ふったろう ふるまい ふらなかったろう ふろう

ふったろう ふるまい ふらなかったろう

地の文

      1 2隔3需2一2一412一7一3榊9一1一4一2一2一2需8︸ユー −﹁−一一﹁一ドi﹁三岬﹁甲ぱ一1

         地の文 ふるだろう      3 ふっただろう     } ふらないだろう    一 ふらなかっただろう  一 ふるだろう      5 ふっただろう     1 ふらないだろう    3 ふらなかっただろう  一 ふるだろう     ユ3 ふっただろう     1 ふらないだろう    2 ふらなかっただろう  2 ふるだろう      18 ふっただろう     3 ふらないだろう    3 ふらなかっただろう  一 ふるだろう      13 ふっただろう     1 ふらないだろう    3 ふらなかっただろう  一 ふるだろう     13 ふっただろう     2 ふらないだろう    1 ふらなかっただろう  一 ふるだろう     6 ふっただろう     一 ふらないだろう    3 ふらなかっただろう  一 ふるだろう      5 ふっただろう     1 ふらないだろう    一 ふらなかっただろう  一

1一一︸ ﹁一一1静一 悼︸1一皿憎滞榊3︻一柵3榊1一2

      .

166第5章文  

 うえの表にみるように,過去形の表現は例がすくないので,ほとんど,なにも,いうことがで きない。否定の現在形「ふるまい 一 ふらないだろう」も,数はすくないが,どちらも,大体,

毎年すこしずつあって,勢力関係はかわっていないようである。肯定の現在形「ふろう 一 ふ るだろう」は,もっとも注意をひくところだが,年による変動がかなりおおきい。地の文だけを まとめてみよう。

1906年 1916年 1926年 1936年 1946年 1956年 1966年 1976年

ふろう

2( O)

2( O)

4( 2)

7( O)

9( 4)

4( 3)

12( 7)

8( 2)

ふるだろう  3( 3)

 5( 2)

 13 (12)

 18(13)

 13(13)

 13 (11)

 6( 6)

 5( 4)

fふるだろう」の比率  O.600

 0.714  0.765  0.720  0.591  0.765  0.333  0.385

 戦前の部分については,ほかの口語化とおなじような変化をしめしている。ところが,戦後は 逆に「ふるだろう」の比率がさがって,最近の1966・1976両年は,最低の線におちこむ。これは,

ほかの口語化と,まったくちがった推移である。もし,これが標本の抽出にともなう誤差や,か ぞえまちがいでないとすれば,「ふろう」という形は,現代の口語文,すくなくとも総合雑誌の ような文体のなかで,安定した位置をしめている,ということになる。なお,注意すべきことは,

この形式がつぎの例にみるような,ある慣用的ないいまわし,もっと具体的にいえば,動作・変 化動詞や意志的な状態動詞でなく,形式化したものについて,おおくみられる,ということであ

る。

 ○第二期の指導者として将来の軍を握る有力候補といえよう。(1976−11154)

 うえの表のカッコのなかの数字は,「あろう」「いえよう」「できよう」などについたものを除 外して,動作・変化動詞などのばあいだけを集計したものである。

/「一しめる」とヂーせる」/

 ここでは,おきかえられる例だけをとりあげる。「失望させる」は「失望せしめる」と対立す るから対象にするが,ヂ誓いをさせる」f相手にさせるjなどは,トせしめる」の形がないの で,問題にしない。

 ○団結権なくしては,労働者を資本家と対等ならしめることが出来ないからである。〈1946−

  104)

 ○実は,この党の現実の在り方そのものが,現段階においてはこの覚の立場を國家的・購民的   のものたらしめてみるものがあるからである。(1946−7 68)

などは,いいかえると,「対等にする」「国民的のものにして」あたりが自然で,このままでは

「一せる」にしにくいが,f対等にならせる」「国民的のものであらせて」といえないこともない ので,ここにふくめた。

        「一しめる」    f一せる」    地の文における         地の文 会話   地の文 会話   「一せる」の比率

 !906年    6       1       0.143

      L文語的表現から口語的表現へ167

 1916年    

17  −     9  1      0,346

 1926年    13  −    7  2     0.350  1936年     

8  −     6  −      0.429

 1946年    

15  −     14  −      9,483

 1956年  3−  261  0.897

 1966{罫     3  −     11  −      0.785  1976勾三     3  −     21  3      0.875

 「一しめる」は,戦前からどんどんへりつづけ,戦後の1956年以後は,とくに大はばに「一せ る」にかわった。

/「一ごとき(〈)」と「一ような(に)」/

 ここでは,r一ようだ(である)」に対応する形式,つまりr一ごとし」や

 ○全体としての基督教国,世界的教会,又たは統…せられたる人類の概念を有せざりしが如く   である。(1926−10公論19)

など,述語の形は,とりあげない。

 「一ごとく」には

 ○少くともラヂオ,キネマと並んで,文学の流行は疫病のごとくに全国の青年子女に感染して   みる。(1926−3 公論 55>

のような「一ごとくに」の形もふくめる。

 「一ように」でも,

  みき  はだ     ねんかんふうう  たほか   をとろ   しめ     たい  むしば      

 ○幹の肌は二十年問風雨と戦った衰へを示して一体に蝕んだやうになって居るが,(1906一丑   72>

のような比ゆや例示のばあいは,「一ごとく」に対立するからとりあげるが,

 ○然るに近来,ウヰルヒヨー氏の細胞病理説が鐵てから,今日総ての学者は,皆この説を取る   やうになった,(1906−5 122)

 ○琵琶法師がその弓の代りに琵琶の擬で弾くやうにしたものが}1 ち三味線である(1906−12   48)

 ○彼女に最後の言葉を放たせないやうに努めた。(1926−5 創作69>

 ○すぐに大使館にくるようにいわれた。(1976−1 190)

など,内容や携的をあらわすもので,「一ごとく」に訳せないものは,とりあげない。

        r一ごとき」    ジーような」   地の文における         地の文 会話   地の文 会話   「ような刊の比率  19064君     6  −     5  −      0.455  1916ゴτ三     7  −    31  1      0.816  1926.年     10  −     26  1      0.722

 1936年     

8  −     31  1      0.795  1946脅三     9  −     i1  −      0.550  1956有三     1  −     24  1      0.960  19664三     一  一     ll  3      1.000  1976撫三     2  −     30  8      0。938

168第5章 文

1906年 1916年 1926年 1936年 1946年 1956年 1966年 1976年

f一ごとく」

地の文 会話

rOQ︶94∩◎−

1

「一ように」

地の文 会話 12   − 20   − 24 一一 13   − 9   −

ドキュメント内 雑誌用語の変遷 (ページ 166-169)