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7 ロシア言語文化コース

単位、その他の科目は2単位)

語学文学科に所属する本コースの学生は、卒業に 必要な専門科目78単位のうち、上記の主要授業科目 50単位のほかに、学科共通の必修科目として「言語 学概論」2単位「文学概論」2単位、関連科目とし て他の語学文学コースの「文学講読」2単位「文学 史」4単位を修得することが義務づけられていた。

これは、専門的知識や技能を深めるとともに、人文 科学の幅広い教養を身につけることが必要である、

という新人文学部の教育理念に基づくものであっ た。この理念は現在も失われていないが、具体的な 履修方法は上記のように規則で義務づけるという形 から、次第に学生の自由意思に委ねるような形に変 わっていく。

さて、本コースの学生は2年次後期から上記の専 門課目を履修するのだが、当時はその前提となる教 養課程のロシア語の教育環境が整っていなかった。

学生が2年次前期まで在籍する教養部にはロシア語 専任教官はおらず、ロシア語も自由選択科目として 2単位しか開講されていなかったのである。したが って、学生のほとんどは専攻コースに進んでからロ シア語の初級文法を学ぶという状態だった。

また、専攻コースの授業にしても、非常勤講師に よる授業は、地域にロシア語の専門家がいないため に、すべて(会話さえ)集中講義という形をとらざ るをえなかった。それでも地域でロシア語・ロシア 文学を専門に学べる大学はめずらしいとあって、本 コースへの希望者は毎年一定数を下らず、教員・学 生ともに少人数の、厳しいながらも一面家庭的とも いえる親密な人間関係の中で、コース発展のために 努力した。藤井と矢沢はやがて教養部のロシア語の 授業(昭和58年度から4単位)も担当し、学部の教 育に連動させた。上に掲げたコース発足時の授業科 目や単位も、こうした実情に合わせて漸次修正して いった。一方、学生たちはラジオやテレビのロシア 語講座や短波放送を聴いたり、富山港に停泊中のロ シア船に出向いて生きたロシア語にふれたりするこ とで、授業の不足を補った。

第1期生が巣立つ昭和56(1981)年3月にコース 誌『CAMOBAP』が創刊された。発刊の言葉に「ロ シアの家庭ではサモワールが楽しい団らんの雰囲気 を醸し出す演出家となっているように、我が露文が

機関誌『サモワール』を媒介として心を通いあわせ発 展することを願って名付けた」とある。卒論ノート、

短編の翻訳、随想、詩などを掲載し、コースの知的団 らんの場としての役割を担いながら、『CAMOBAP』

はほぼ毎年度末に発行されるようになる。恒例の学 部球技大会には学生、教官が一丸となって参加し、

スキー合宿、夏山登山、卓球大会などスポーツを通 しての親睦もコースの伝統となった。

研究と教育、多彩な非常勤講師

コース発足当時、ロシア語の図書は大学附属図書 館と旧日本海経済研究所に多少所蔵されているに過 ぎなかった。しかし、その後学部内の協力もあり、

ロシア語・ロシア文学関係の基本図書を計画的に収 集することができた。各種辞典、百科事典、『トル ストイ90巻全集』『文化遺産』をはじめ、刊行中の ドストエフスキイ、トゥルゲーネフ、チェーホフ、

ゴーリキイなどの全集を購入、ほぼ10年間で語学関 係の基本図書、主なロシア作家の全集、著作集など を揃えることができた。新聞雑誌類は『文学新聞』

『外国のロシア語』『ノーヴィ・ミール』『ロシア文 学』『文学の諸問題』『ズナーミャ』『演劇』『現代演 劇』などを購入した。

すでに述べたように、藤井はロシア社会・思想史 を研究分野とし、19世紀ロシアの文化思想とロシ ア・マルクス主義について研究を行ってきた。すな わち、ベリンスキイ、チェルヌイシェフスキイ、ド ブロリューボフ、ピーサレフなど体制変革を志向し た思想家たちについて、彼らが体制変革という課題 とのかかわりで文化(主に文学や知的活動)のあり 方をどのように位置づけていたかを歴史的に追求し た。また、スターリン体制成立以前のロシアのマル クス主義者たち、とりわけレーニン、トロツキイ、

ルナチャルスキイ、ヴォロンスキイなど初期ソヴィ エト政権を担ったマルクス主義者たちについて、そ の社会主義的自由の理念と展望を探った。さらにソ ヴィエトにおけるペレストロイカから国家崩壊にい たる激動の時期には、つねにその動向に注目し、そ の運動の担い手であるゴルバチョフやエリツィンの 発言を、上記マルクス主義者たちの理念と比較、対 照することによって検証した。

矢沢の研究分野は19世紀ロシア文学であり、その

中でもチェーホフを主な研究対象としているが、こ れまでの研究の軌跡を大別すれば 1.チェーホフ 作品研究:チェーホフの作品世界を、言葉、文体、

構造、モチーフなど主として創作方法の分析を手が かりにして捉える。2.日本におけるチェーホフの 受容。3.ロシアにおけるチェーホフ劇:チェーホ フ劇演出の規範として名高いネミローヴィチ=ダン チェンコの『三人姉妹』演出をはじめ、トフストノー ゴフ、エーフロス、リュビーモフらのチェーホフ劇 演出の理念と方法を探る。4.ロシア演劇史の研 究:とくに18世紀末から19世紀はじめにかけて広ま った農奴劇場に関する研究。5.チェーホフ関係の 文献その他の翻訳。

藤井と矢沢の主な研究成果については『富山大学 人文学部の現状』(1994)および『富山大学研究者 総覧』(1999)に掲載されているので、参照された い。

教育面においては、藤井と矢沢は各々の研究分野 を中心に据えながらも、可能なかぎり語学・文学の 広い範囲にわたってコースの授業を担当したが、さ らに多彩な内容を提供するために、第一線で活躍し ている各地の研究者たちに出講を委嘱した。以下に これまで出講を委嘱した学外講師の氏名と講義題目

(出講複数回の場合は主な題目)を示す。

1978年度 原卓也「ロシア文学史」中村喜和「ロシ ア古代・中世文学」今井義夫「19世紀ロ シア思想史」

1979 中条直樹「ロシア語史概説」高山旭「19 世紀ロシア文学」宮沢俊一「ロシア演劇 文化の歴史」

1980 江川卓「20世紀ロシア文学」金子幸彦

「18世紀ロシア文学(カラムジーンを中心 に)」中条直樹「現代ロシア語の統辞論」

森本良男「ソ連の政治、経済体制と国民 生活」林甲之助「初歩ロシア語作文」

1981 藤沼貴「19世紀ロシア文学(トルストイ を中心に)」上島武「ソヴィエト事情」

中条直樹

1982 小平武「20世紀初期詩文学」中条直樹 林甲之助 今井義夫

1983 佐藤清郎「19世紀ロシア文学」沓掛良彦

「プーシキンと西欧文学」中条直樹

1984 大塚明「ロシア文学と音楽」森本良男

「10月革命後の政治、経済、文化」中条 直樹 中村喜和

1985 佐々木照央「〈余計者〉知識人と弱者」

岩浅武久「現代ソヴィエト文学」中条直 樹 左近毅

1986 中条直樹 佐々木照央

1987 中村健之介「ドストエフスキイ」中条直 樹 森本良男

1988 水野忠夫「ロシア世紀末の文化」外川継 男「近代ロシアの文化と社会」中条直樹 1989 中条直樹 岩浅武久

1990 藤沼貴「18世紀ロシア文学概説」中条直樹 1991 坂本博「19世紀ロシア社会思想史」中条

直樹

1992 左近毅「日露文化交渉史」中条直樹 坂 本博

1993 中村健之介「ドストエフスキイとロシア 文化」中条直樹 中村喜和

1994 中条直樹 坂本博 藤沼貴

1995 V.カザケーヴィチ「現代ロシアの文化 と文学」中条直樹 坂本博

1996 宮沢俊一「ロシア現代演劇・映画」中条 直樹 坂本博

1997 中条直樹 坂本博 水野忠夫 ロシア人講師(会話・作文)

今井イリーナ(1981−84)M・マグルドゥーモワ

(85−89)A・シゴルツォフ(89−91)A・イェ ファーノフ(作文、91)A・グラドチェンコフ

(92)ペ・チュン・ジャ(作文、92)Ⅰ・コチェ トコーワ(93−95)O.ボンダレンコ(95)O.ト カチェンコ(96)

こうして振り返って見ると、今更ながら講師陣の 多彩さに驚かされる。そして、言語・文学・芸術・

思想などロシア文化の各分野を代表するこれら講師 の方々の協力なしにコースの専門教育が不可能であ ったことを痛感するのである。とりわけコース発足 の翌年から現在まで20年間出講を委嘱している中条 直樹名古屋大学教授には、語学関係が手薄の本コー スはどれほど恩恵をこうむっていることか。会話の 授業については、ほぼ10年間東京在住のロシア人に 年4回の集中講義をお願いしたが、平成4(1992)

年からは近隣に人を得、通年講義に切り替えること ができた。平成3(1991)〜4(1992)年には本学 に研修中のロシア人研究者に作文の授業を委嘱した。

状況の変化

昭和60(1985)年、教養部のロシア語はそれまで の自由選択科目(4単位)から必修選択科目(8単 位)に「昇格」した。ソヴィエトでペレストロイカ が進むこのころから、それまで常時10名前後であっ た教養部のロシア語履修者は急に増え始め、ソヴィ エトが崩壊する平成3(1991)年には70名を超すほ どになり、2クラス編成となった。もっとも、この 激増傾向は数年で激減傾向に転じてしまったが。

昭和61(1986)年に富山大学大学院人文科学研究 科(修士課程)が設置され、「ロシア語・ロシア文 学」が西洋文化専攻の1研究分野となる。

平成5(1993)年、教養部廃止に伴う大幅な学部 改組で、本コースは「ロシア言語文化コース」(ヨー ロッパ言語文化講座)に名称を変更、藤井は新設さ れた国際文化学科に「日ロ文化関係論ゼミナール」

の担当者として移籍した。

平成8(1996)年、本学部とイルクーツク外国語 教育大学(現言語総合大学)英語学部との間で学術 交流協定が結ばれ、毎年相互に学生を派遣するよう になった。これは、後述するように、本コースと同 学部日本語学科との数年にわたる学生交流の実績が 基盤になっている。この協定による派遣留学生は留 学期間が在学期間に含まれ、留学先で履修した授業 科目の単位が一定程度本学の単位に換算されるため、

一般学生と同様4年間で卒業できるようになった。

同年10月、長年の念願であったロシア語の「外国 人教師」の定員がつき、N.ロゴーズナヤが着任し た。ロゴーズナヤはイルクーツク大学国際学部で長 年外国人留学生を対象とするロシア語の教育・研究 に従事してきた。その主な研究成果は『富山大学研 究者総覧』(1999)に掲載されている。

平成9(1997)年、大学院人文科学研究科の改組 により、研究分野「ロシア語・ロシア文学」は「ロ シア言語文化」(地域文化研究専攻)に名称を変更 した。

平成10(1998)年、ヨーロッパ言語文化講座の停 年退官教授(ドイツ言語文化担当)の後任として、

武田昭文(ロシア言語文化担当)が着任した。この 人事により、本コースでは5年ぶりに複数教官によ る指導体制が復活できた。武田の研究分野は20世紀 ロシア文学であるが、具体的には 1.フレーブニ コフ研究:フレーブニコフの作品を通して、現代の

「芸術の思想」を考える。2.ロシア・アヴァンギャ ルド研究:ロシア文化における理性と狂気の芸術止 場の問題をフレーブニコフとマレーヴィチの超意味 芸術論からあとづける。3.ロシア現代文学論:20 世紀のロシア文学を、物語論、比喩論、ドラマトゥ ルギー論等の視点から論じる。以上の研究の成果は

『富山大学研究者総覧』(1999)に掲載されている。

その他コースにかかわる特記事項

平成9(1997)年9月に日本ロシア文学会第47回 総会・研究会が本学で開催され、コース教官、院生、

学生、卒業生が事務局裏方として協力した。

平成9(1997)年から毎年コース主催の「富山ロ シア語コンクール」を実施している。コースの学生 のほか県内のロシア語学校の生徒など、毎年十数名 の参加がある。優勝者は、ローゴズナヤの前任校で あるイルクーツク大学の夏期ロシア語研修会に派遣 される。

卒業論文、日露学生交流、卒業生の進路

学生は専門的知識と技能を身に付け、最後にその 成果を「卒業論文」(学部改組以後は「卒業研究」)

の形でまとめていく。コース発足から現在(平成11 年4月)までのコース卒業生は104名であるが、提 出された論文をテーマ別に分類すれば以下のように なる。

語学  8

文学  49 チェーホフ(7)、ドストエフスキイ

(6)、トルストイ(5)、プーシキン、

ゴーゴリ、トゥルゲーネフ(以上4)、

パステルナーク(3)、ブルガーコフ、

マヤコフスキイ(以上2)、レールモン トフ、ゴルチャローフ、チュッチェフ、

アンドレーエフ、ブーニン、エセーニ ン、アフマートワ、ツヴェターエワ、

ソルジェニーツィン、アレイヒム 児童文学2 ノーソフ、チュコフスキイ