設するについては学部内で「予想外に困難して」容 易に合意が得られず、「学校の内外に渦巻く錯雑な る潮流に翻弄され」、「いつ果てるともない討議の繰 り返し」の末、ようやく厳しい定員枠の中に6名の 教官定員を確保してとにもかくにも発足にこぎつけ たが、「いうなれば、生まれ落ちた赤子は全くの月 足らずのため、大先生や大先輩が心から愛情を以て 養い育てて下さった注1」ものであるという。並々 ならぬ難産の末に誕生したドイツ語教官の顔ぶれ は、西洋文学第1講座(西洋文学一般)に黒石源太 郎教授、西洋文学第4講座(ドイツ文学)に結城治 教授、平岡伴一助教授、岡崎初雄助教授、余川文彦 講師が所属し、また富山薬学専門学校から配属され た平田一郎助教授がここに加わった注2。こうして 第一歩を踏み出した独文専攻課程は、再び結城教授 の弁を借りれば「北陸の厳冬において、炭火がなく とも、なんのその、若い情熱を傾けてご専門を講義 された注3」幾多の若い教官によって着実に育まれ ていく。
昭和26(1951)年、黒石源太郎教授は佐賀大学に 転任した。同教授にはハンスレール著『独逸文学史』
(訳)の業績がある。昭和27(1952)年には坂上泰 助助教授が着任した。昭和28(1953)年、ゴットフ リート・ケラー(Gottfried Keller)を主な研究対象 としていた余川文彦講師が島根大学に転任し、猿田 悳講師が着任した。この年、これまでの西洋文学第 一〜第四講座の体制は、英文学第一・同第二、ドイ ツ文学第一・同第二の四講座に改められた。改正後 の顔ぶれは、第一講座が平岡伴一助教授、坂上泰助 助教授、猿田悳講師、第二講座が結城謙治教授、岡 崎初雄助教授、平田一郎助教授であった。
昭和29(1954)年、坂上泰助助教授は熊本大学に 転任している。同助教授の研究対象はヘルダーリン
(Holderlin)であった。同年に佐藤自郎助教授が着 任し、第一講座に所属する。昭和30(1955)年に初 めて、一般教育充実のための非常勤講師として松沢 芳郎(昭和31年から専任講師)、大谷重彦(昭和33 年から専任講師)が着任した注4。
昭和30(1955)年に初めて集中講義が行われた。
この年の集中講義の担当教官とテーマは塩谷饒「近 代独語の成立」、野島正城「シラー(Schiller)研究」、 大沢峯雄「教養小説」であった。以後、毎年3・4
名の教官により集中講義は途切れることなく行われ ることとなる。その後の講師の顔ぶれはドイツ文学 関係では伊藤武雄、成瀬無極、内山貞三郎、玉林憲 義、大野俊一、相良守峯、秋山六郎兵衛、佐藤通次、
菊池栄一、工藤好美(英文学)、田中健二、ドイツ 語学関連では倉石五郎、小島公一郎、福本喜之助、
真鍋良一、木村昭男、浜川祥枝である。(昭和47年 まで。)
昭和31(1956)年にはゲーテ(Goethe)を研究対 象としていた猿田悳講師が金沢大学に転任し、続い て翌昭和32(1957)に結城謙治教授もまた金沢大学 に転任した。同教授は文理学部発足時から8年間在 職 し た こ と に な る が 、 主 な 研 究 対 象 は ヘ ッ ベ ル
(Hebbel)で、『富山大学文理学部紀要』2・4・5 号、日本独文学会編『ドイツ文学』18号等にその業 績を発表している。
昭和34(1959)年、片山操助教授が着任し第一講 座に所属した。この年度より教官定員は1名増加し 7名となっている。
昭和35(1960)年3月、文理学部発足以来11年間 在職した平岡伴一教授が停年を迎えた。同教授はド イツ語学研究を主とする業績を富山大学文理学部紀 要3・5号、日本独文学会編『ドイツ文学』16号に 発表している。停年後も同教授はドイツ語史をテー マとしての集中講義を数回行っている。同年8月、
上 野 英 雄 助 手 が 着 任 し た 。 上 野 助 手 は ヘ ル ダ ー
(Herder)、ハーマン(Haman)研究を主とし、その 後富山大学教養部に移籍ののち、金沢大学に転任し ている。
昭和36(1961)年には佐藤自郎助教授が名古屋大 学に転任した。佐藤自郎助教授の研究対象はグリル パルツァー(Grillparzer)で、『富山大学文理学部紀 要』4・7・9・10・11号にその業績がある。9月 に松井巖助手が着任した。
昭和37(1962)年、4月に文理学部は蓮町の旧富 山高等校舎より現在の五福へ移転した。この年9月 に松沢芳郎講師が信州大学に転任し、10月に奥貫晴 弘講師が着任している。松沢芳郎講師の研究対象は クライスト(Kleist)で、在任中の多くの業績が
『富山大学文理学部紀要』(6〜11号)に残されてい るが、その後信州大学教授となり、同大を停年退官 後、福井工大教授として勤務する傍ら、非常勤講師
として本学教養教育のドイツ語を平成6(1994)年 から平成10(1998)年まで担当した。
昭和38(1963)年、従来「講座」と称したものを
「学科目」と改め、ドイツ語学・ドイツ文学の2学 科目となった。ドイツ語学は、片山操助教授、奥貫 晴弘講師、松井巖助手、ドイツ文学は岡崎初雄教授、
平田一郎助教授、大谷重彦講師、上野英雄講師であ った。なお、この年には日本独文学会秋季研究発表 会が、富山大学を会場として開催された。10月19日 から21日の3日間にわたり、300余名の会員を迎え て好評裡に終えた。
昭和40(1965)年、片山操助教授が城西大学へ転 任した。同助教授には『英独比較ドイツ文法ノート』、
『英独比較文章論ノート』などの著書がある。また 松井巖講師は静岡大学へ転任した。同氏の研究分野 は中世ドイツ文学である。10月には上村直巳講師が 着任している。昭和41(1966)年には山本篤司助教 授が着任した。
昭和42(1967)年4月、文理学部の改組が行われ 教養部が設置されたのに伴い、平田一郎、大谷重彦、
奥貫晴弘、上野英雄、山本篤司、上村直巳が教養部 に移籍し、その専任となった。文理学部にはドイツ 語学(教官定員1名)、ドイツ文学(同)の2講座が 認められたが、ドイツ語学講座所属教官は未定、ド イツ文学講座には岡崎初雄教授一名のみが所属とい うことになった。しかしながら、教養部に所属した 教官はこれ以降、全員が文理学部に非常勤講師とし て出講することとなり、講義、卒業論文指導なども 担当していくこととしたので、移籍以前と変わらぬ 状況を維持し、その体制は平成5(1993)年3月の 教養部廃止まで続く。従って改組等による影響は、
ドイツ文学研究室としては最小限にとどまったとい えよう。なお、教養部においてはその後、平田一郎 教授が昭和45(1970)年に病没した。同教授の主な 研究分野はカロッサ(Carossa)であった。また上 野英雄助教授は昭和47(1972)年に金沢大学へ、山 本篤司助教授は昭和48(1973)年に愛媛大学へ、上 村直巳助教授もまた同年に熊本大学に転任した。ま た教養部に移籍した大谷重彦教授は平成元(1989) 年から教養部長の職につき、大学設置基準の大綱化 を受けての教養部廃止問題の処理に力を尽くし、教 養部廃止と同時に停年を迎えている。同教授はトー
マス・マン(Thomas Mann)をその研究対象とした
注5。
昭和43(1968)年4月には中川英世助手がドイツ 文学講座に着任するが、翌昭和44(1969)年3月に は国立富山工業高等専門学校へ転任する。このころ、
大学紛争の混乱期となり、授業が行われない状況が 長期にわたって続いたが、ようやく紛争が終息に向 かいつつあった昭和45(1970)年5月、ドイツ人教 師 、D r .ヴ ォ ル フ ガ ン グ ・ ヴ ィ ル ム ヘ ル ム
(Wolfgang Wilhelm)がドイツ人教師として着任し た。富山のみならず、北陸では最初のドイツ人講師 であった。
昭和46(1971)年、吉田清教授がドイツ語学講座 に着任する。昭和47(1972)年5月、ヴィルヘルム 離任、後任としてDr. エーバーハルト・シャイフェ レ(Eberhard Scheiffele)が着任した注6。
昭和48(1973)年、岡崎初雄教授が退官した。同 教授についての詳細は後述する。同年、後任として 提山淑郎教授が着任する。
昭和52(1977)年、文理学部が理学部と人文学部 に分けられることとなったのに伴い、ドイツ文学専 攻は、人文学部語学文学科ドイツ語ドイツ文学コー スと称することになった。この年10月、北村純一助 教授(現教授)が着任した。
平成5(1993)年3月、吉田清教授が停年により 退官する。吉田教授の主な研究分野はトラークル
(T r a k l) で あ る が 、 シ ラ ー 、 シ ュ タ ー ド ラ ー
(Stadler)に関する論攷もある。同年4月、教養部 が廃止された。これに伴って学科改組が行われ、ド イツ語ドイツ文学コースは言語文化学科ヨーロッパ 言語文化講座ドイツ言語文化コースとなった。この とき教養部から奥貫晴弘教授、山本孝一教授、別本 明夫助教授(現教授)、成田節助教授、宮内伸子助 教授、またあわせて、この年3月教養部で採用され た佐藤朋之助教授の6名の教官が人文学部に移籍し た。なお同じく教養部にいた瀧澤弘教授はこのとき 教育学部に移籍している。教養部廃止で慌ただしい 中、平成5(1993)年10月、富山大学の独文として は2度目の日本独文学会秋季研究発表会を開催し た。この時は500余名の会員が参加して盛会であっ た。
平成6(1994)年、成田節助教授は大阪市立大学
に転任した。成田助教授の研究分野は、ドイツ語学 で、ドイツ語構文論のための基礎的研究、特に動詞 の結合価を中心に格および前置詞の用法を実証的に 明らかにしようとしている。後任として、中村靖子 講師(現助教授)が着任した。
平成9(1997)年、提山淑郎教授が停年退官した。
同教授の研究分野はドイツ演劇で、特にシラー、ホー フマンスタール(Hofmannsthal)、さらにはルネサ ンス期のドイツ演劇が対象であった。また翌平成10
(1998)年には奥貫晴弘教授が停年を迎えて退官し た。同教授の研究分野はドイツ近・現代文学で、特 に小説、エッセイ等の散文形式に対する関心を軸に し て 、 ホ フ マ ン (E . T h . A . H o f f m a n n)、 カ フ カ
(Kafka)、ムジール(Musil)等を主な考察対象とし ていた。
平成11(1999)年、佐藤朋之助教授が上智大学に 転任し、その後任として黒田廉助教授が着任、現在 に至っている。佐藤朋之助教授はノヴァーリス研究 をその出発点とし、1800年前後のドイツ文学界の動 向を知識社会学的な立場から研究している。
現在(平成11年)のスタッフは山本孝一、北村純 一、別本明夫、宮内伸子、中村靖子、黒田廉の6名 である。各教官の研究分野を簡単に列挙すると、山 本教授はドイツ現代文学、特にヘッセ(Hesse)に ついて、北村教授はピュルガー(Burger)以降のク ンスト・バラーデの歴史的展開について、別本教授 は 詩 的 リ ア リ ズ ム の 文 学 、 特 に シ ュ テ ィ フ タ ー
(Stifter)、シュトルム(Storm)について、宮内助教 授は文学作品の意味論的、あるいは語用論的な分析 について、中村助教授はリルケ(Rilke)の詩作品 に関して、黒田助教授はドイツ語の複合動詞につい て、特に分離・非分離前綴りの機能についての研究 を主としている。
さて、ここで、以上の50年にわたる沿革史のほぼ 前半分を占める24年間を文理学部に在籍した岡崎初 雄教授についてやや詳しく触れておきたい。
岡崎初雄は戦前の京都大学に学び、成瀬清(無極)
教授に指導を受け、その後、昭和33(1958)年に成 瀬教授が逝去するまで公私にわたり師弟関係は変わ ることなく続いた。その主な研究分野はゲーテであ った。昭和31(1956)年には文部省内地研究員とし て慶應義塾大学において相良峯教授の指導を受け、