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必修  選択  2

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して朝日町や八尾町など県内各地を調査し、とりわ け砺波平野の散居村の調査に継続的に取り組んだ。

それらの成果は、『日本村落の社会地理』(古今書 院・昭和63年)に多く取り入れられている。また、

氏は外書講読を殊の外重視し、欧米の著書・論文の 翻訳に努力を傾注したが、その成果の一端は『社会 地理学の探検』(大明堂・平成3年)に結実してい る。着任直後に公刊した『最近の地理学』(大明 堂・昭和60年、共編著)は、人文地理学の入門書と して広く読まれ、今日なお版を重ねている。なお、

氏は平成5(1993)年5月から9(1997)年5月ま での4年間、富山大学学生部長を務めた。

昭和63(1988)年4月、神前の後任として水内俊 雄(1956年生)が九州大学から赴任した。氏の専攻 分野は都市社会地理学であり、日本内外の都市の近 代化過程や都市問題などを主たる対象にし、斬新な 視角からの研究を果敢に推進している。大連やトル コの都市調査にも参画した。その成果の一端は『イ スラム都市の変容』(古今書院・平成6年、共編著)

に収録されている。氏は平成7(1995)年3月に大 阪市立大学に転出し、顕著な活躍を続けているが、

剛気で磊落な人柄が魅力であった。この間、教養部 の改組に伴って、平成5(1993)年4月、溝口常俊

(1948年生)が教養部から配置換えで移り、コース は一層充実した陣容になる。溝口の専門は歴史地理 学であり、近世農村を主な対象にするが、長年にわ たりバングラディシュの海外共同調査にも参画し多 くの成果を上げている。氏は平成8(1996)年、名 古屋大学に転出したが、温厚な人柄と抜群の運動神 経は比類ないものであった。

平成7(1995)年4月、水内の後任として丹波弘 一(1962年生)が着任する。氏の専門は都市社会地 理学であり、釜ヶ崎地区を対象として、斬新な視角 から貴重な成果を上げている。氏の関心はフェミニ ズムやマイノリティ研究にも及び、それらの研究成 果の一端は、共編著『空間から場所へ』(古今書 院・平成10年)に収録されている。

人文地理学コースの常勤教官の動向は上記のよう なものであるが、この間、富山大学内外から数多く の非常勤講師に来講していただいた。以下、その 方々を開講年度順に列記する(敬称略)。〈昭和53年 度〉実清隆・柿本典昭、〈昭和54年度〉二神弘・藤

井昭二・柿本典昭・船越昭雄・藤森勉・岡本・山口 恵一郎、〈昭和55年度〉実清隆・高橋正・中藤康 俊・浅井、〈昭和56年度〉成田孝三・藤井昭二・柿 本典昭・藤森勉・寺坂昭信、〈昭和57年度〉中川・

二神弘・中藤康俊・山田誠・守屋以智雄、〈昭和58 年度〉松田信・駒井正一・実清隆・鈴木富志郎、

〈昭和59年度〉中藤康俊・須原芙士夫・中村豊・藤 井昭二・中村泰三、〈昭和60年度〉坂本英夫・山野 正彦・小林武彦・溝口常俊・藤森勉、〈昭和61年度〉

木村辰男、冨田曉・藤井昭二、〈昭和62年度〉藤田 佳久・中村豊・溝口常俊・小島覚、〈昭和63年度〉

実清隆・山田正浩・杉浦芳夫・山形理、〈平成1年 度〉小口千明・溝口常俊・樋口忠成・久保幸夫、

〈平成2年度〉松原宏・初田亨・藤巻正巳、〈平成3 年度〉荒井良雄・酒井富夫・樋口忠成、〈平成4年 度〉山岸政雄・千葉立也・大村誠、〈平成5年度〉

山田晴通・土屋敦夫・海津正倫、〈平成6年度〉中 村豊・内田諭、〈平成7年度〉内田忠賢・広松悟、

〈平成8年度〉神谷浩夫・大城直樹・新見浩・堀信 行、〈平成9年度〉荒山正彦・渋谷鎮明・太田茂徳

〈平成10年度〉菅浩伸・長尾謙吉・太田茂徳、〈平成 11年度〉島津俊之・熊谷圭知・太田茂徳

コースでは創設以来、実地調査や巡検を重視し、

国内各地の巡検や実地調査を行ってきた。詳細は割 愛するが、巡検先としては、例えば中国地方(島 根・鳥取)、四国地方(香川・愛媛・高知)、九州地 方(沖縄・福岡・長崎・熊本)、東北地方(新潟・

秋田・青森・岩手)や関東地方(千葉・東京・栃木)

などに出かけてきた。1回ではあるが、台湾への巡 検も行われた。また、インテンシップな野外実習と して、当初は富山県内各地、例えば朝日町、砺波平 野(砺波市とその周辺町村)、八尾町大長谷、上市 町、富山市岩瀬などを共同調査し、また最近では毎 年、県外、例えば大阪市近辺、千葉県外房、青森市 近辺などを対象にした共同調査を試みている。これ らの実習として行われた調査を契機にして卒論を完 成させた者もいる。

以上、コースの沿革史を教官中心に叙述してきた が、コース創設以来、教室の主人はあくまでも学生 であるとのモットーで運営されていた点では強調さ れてよいだろう。昭和56年(1981)年3月、7名の 第1期生が教室を巣立って以来、平成11(1999)年

3月の第19期生まで、186名が卒業した。内4名が 外国人留学生(中国1、台湾2、マレイシア1名)

である。専攻課程と大学院修士課程の修了者は13名

で、内3名が他学部・大学からの入学生であったの で、実質189名が当コースを巣立っていったことに なる。この他、学業途中で自ら命を絶った2名を含

1977年、富山大学文理学部の改組によって理学部 と人文学部が生まれ、人文学部人文学科に人文地理 学コースが設置されることになり、それまで神奈川 大学外国語学部で一般教育の人文地理学と地誌学を 担当していた私が、その初代教官として1978年4月 に赴任することになった。第1期の学生は教養課程 にあって、78年度の後期から学部に入ってくること になっており、前期は未だ学生が居なかったので全 く講義のない教官も居たが、私は文理学部文学科の 3・4回生を対象とする「人文地理学」を1コマ持 つことになった。

教官は勤務地に居住することになっているが、公 務員宿舎には入れそうにないので、建築中のマンシ ョンを購入することになったが未だ入れないので、

形式的に友人の教育学部の藤森勉助教授のお宅に寄 寓することにして、神奈川大学在勤当時住んでいた 鎌倉から毎週1往復することにした。教授会は水曜 に開かれ、講義は木曜午前に組んでもらったので、

水曜に出て1泊し講義をすませて返るのが通常であ るが、教授会のある時は火曜から出ることもあった。

未だ上越新幹線は開通していなかった時で、信越 線・上越線経由の特急を利用することが多かったが、

東海道新幹線米原経由をとることもあり、時間に余 裕があるときは中央線・大糸線や高山線を通ったこ ともある。夏休みも終わりに近い9月初めに奥井町 にできたマンションに入居した。

後期になって人文学部の第1期生として、人文地 理学コースは文理学部史学専攻からの転科生1人を 含めて8人の専攻生を迎えた。当初担当教官は私一 人だったので、講義は学内の教育学部の藤森・実、

教養部の藤井・二神、金沢大学教養部の柿本の諸氏 に交替で応援して頂いたが、経済学部に中藤氏が赴 任してこられてからは講師陣に加わってもらった。

当時比較文化コースには担当教官が居なかったので、

その演習も私が担当した。半年の準備期間はあった が、以前からあったコースと違って新たに創設され たコースではあり、教室の備品や図書の整備なども あって、かなり忙しい思いをした。

地方大学の教官は何らかの意味で地域社会への奉

仕が強いられるが、私も赴任と同時にその前年から 始まっていた高樹文庫所蔵の資料を対象とする歴史 資料緊急調査に調査員として1年間、また1978年度 から始まった富山県歴史の道調査には主任調査員と して3年間関わることになった。共に県教育委員会 文化課の仕事であったが、これらの調査が富山県と いう地域を理解する手助けになったのは事実であり、

また仲間の調査員を通じて広い人脈を得ることがで きたのも、富山の人達の云う「旅の人」に過ぎない 私にとっては有り難いことであった。

1979年3月には最初の見学旅行として、長崎(2 泊)― 平戸 ― 佐賀と廻って佐賀で解散した。長崎で は今は廃山になってしまった高島炭鉱を見学したが、

当時も見学者は殆ど無かったのだろうか、大いに歓 迎されて帰りにウイスキーを土産にもらったりした。

10月初めに敦賀で4泊して、近江・越前国境の交通 路の調査をした。高樹文庫所蔵資料に同地の運河計 画の地図などがあり、それらのコピーを基にその跡 を辿ろうというものである。格別の成果はなかった が、平清盛が琵琶湖・日本海の運河開削を計画して 掘始めたが巨岩に打ち当たったので堀止めたという 伝説がある深坂峠下の堀止地蔵で、森(現在、角橋)

昭代さんが蜂に刺されるというハプニングがあった。

80年度から、神前進一さんが助手として来てくれ ることになったので、ようやく人文地理学コースも 軌道に乗ることになった(ただ残念なことは、春休 み中に本永和宏君が自殺したことである。文理学部 文学科史学専攻から1年遅れで転科した学生である が、以前から地理学に関心があり、地理学関係の本 もかなり備えていて、これらに御両親からの御寄付 を加えた書籍が教室に寄贈されている。)

最初の卒業生が出た81年には、いわゆる56豪雪が あり、卒論提出日の1月16日も大雪で、卒論の仕上 げに県外の自宅に帰っていた学生が、15日車で戻っ てくる途中敦賀で足止めになったと電話してきた。

幸いに高速道路が逸早く開通したので間に合ったが、

他のコースの学生で郊外の自宅を朝早く出て、正午 の提出時間に間に合わなかったということがあった。

コ ー ス の 新 設 の こ ろ

― 新制大学の発足時に触れて―

元教授

木 下     良