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首都選定と都市計画案 1 首都選定、その要因

第2章 満洲国期の長春―国都建設計画について

第二節 首都選定と都市計画案 1 首都選定、その要因

新京の国都としての都市計画を述べる前に、何故長春が国都として選定されたのかを考 える必要がある。何故なら、当時の満洲の都市の中心は奉天165であり、満洲在住邦人は奉天 が首都になると考えていた人が圧倒的多数であったこと、また当時の長春は人口約 13 万人 という中規模都市であり、何らかの特別な理由でもない限り、首都に選定されたとは考えに くいからである。

以下に代表的な先行研究に見られる満洲国の首都選定をあげ、何故長春が首都になった のか再考したい。

①:『図説「満洲」都市物語』西澤泰彦 1996 年からみる首都選定の理由。

関東軍司令部の判断として

1、奉天が満洲国の首都としては国土の南に偏っている。

2、奉天には張学良政権の崩壊後も多数の有力者が存在している。

3、結局、長春が満洲のほぼ中心に位置し、既存の中国勢力も相対的に弱く、新たな首都建 設にふさわしい地であると判断。

4、また、この時既に長春では満鉄鉄道付属地、商埠地、長春城が一体となって一つの都市 を形成しつつあった166

②:『写説満洲』太平洋戦争研究会 2005 年からみる首都選定の理由。

本来ならば奉天が首都となるべきだった。なぜなら、そこはかつての清朝の都であり、清朝 最後の皇帝だった溥儀を元首に置く新国家・満洲国は表面上、幾分か清朝の復活を漂わせて いたからである。

1、奉天はかつて奉天軍閥・張作霖、その息子の張学良の根拠地であり、張親子に恩顧を 被った残党が多かった。だから面倒を避けて長春を首都にした。

165名称について、中華民国成立後は瀋陽と呼んでいたが、満洲事変直後に日本が元の呼び 名の奉天に戻した。

166関東軍司令部が満洲国政府に立案させた首都建設計画は、都市の一体化というものを無 視し、満鉄鉄道付属地のみを利用しながら、バロック的都市計画に中国の伝統的な都市計 画の手法をくみ合わせて、満洲国という国家を飾ろうとするものであった。

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③:『図説満洲帝国』太平洋戦争研究会 1996 年からみる首都選定の理由。

満洲の中心は奉天と決まっていた。奉天という呼称は清朝の発祥の地167に由来している。こ のように奉天は、清朝の廃帝・溥儀を元首とする満洲国の首都としては相応しくあったが、

あえてそこを避けた。

1、奉天には張作霖一族に世話になった者が多く、奉天を政治の中心にすると、彼ら残党に かき回される危険が多い。

2、『建国十周年記念 満洲建国側面史』の記述によると、満洲青年聯盟指導者で、満洲事 変以来、建国運動に挺身した金井章次168が長春案を言い出したのは臧式毅であるとしてお り、金井が臧式毅の意見を関東軍に取り次いで決定された。

3、新京は農産物集散地でもあり、特産の大豆は約 100 万石が集中し「豆の都」とも呼ばれ ていた。そのほか、雑穀約 50 万石をはじめ、豆粕、木材、畜産品等もあった。

④:『満洲国の首都計画』越澤明 2002 年からみる首都選定の理由。

1、旧勢力との関係。奉天、哈尔滨は長い間東三省政府、帝政ロシアの政治的拠点であり、

その影響力は無視できず、これを嫌った。

2、地理、交通的問題。上記の両都市とも地理的に南と北に偏っていた。また、古都吉林は 満鉄と東清鉄道から離れており、交通の便で不便であった。

3、地価の問題。長春はローカル都市である為地価が安く、用地買収を行い、都市計画を実 施するのに有利であった。また、奉天、哈尔滨は既成の大都市であるのに対し、長春で は新たに都市をつくり、首都建設を通して満洲国という新しい国家の成立を内外に宣 伝する政治的効果も配慮されたものと思われる。

⑤:『大満洲國建設録』駒井徳三 1933 年からみる首都選定の理由。

1、長春は満洲の中央である。

「長春が満洲のセンターに位する都市たることは、一見にして瞭かである。」

167清の太祖ヌルハチと太宗ホンタイジ二代の墓がある。

168 金井章次(1988年12月1日-1967年12月3日)日本の医師・官僚。長野県小県郡 神科村生まれ。旧上田藩士の金井家に養子入りし、旧制上田中学、第二高等学校、東京帝 国大学医学部卒業。1912年同郷の山極勝三郎の病理学研究室に入り、1914年に北里研究 所に移籍する。1920年ロンドン大学に留学、1922年に国際連盟事務局保健部に勤務。日 本人の海外における風土馴化を研究し、1924年帰国して慶應義塾大学教授となる。1930 年に南満洲鉄道の招きで満洲に渡り、満洲青年連盟理事長代理となる。1931年に満洲国が 成立すると奉天省治安維持会最高顧問を皮切りに、奉天省総務庁長、浜江省総務庁長、北 満特区総務所長、間島省長などを歴任。1937年に日中戦争が勃発すると蒙古聯合自治政府 の最高顧問となった。1940年には太平洋戦争の開戦問題で軍部と対立して帰国したが、常 に憲兵の監視下に置かれることとなり、1944年に故郷の上田に帰郷。戦後公職追放を経 て、『信濃毎日新聞』に蒙古聯合自治政府成立に関する連載を寄稿する。また上田紬の復 興・保存に尽力した。

65 2、長春は政治的色彩が稀薄である。

「偶々我が長春は政治区画の上に於てこそ吉林省の一都邑であるが、政治の中心より 遠く離れ吉林省色の最も稀薄な地方である。」

3、長春は交通上の要衝である。

「南満洲鉄道の終点であり、東清鉄道の起点であり、吉長線を通じて近く完成される吉 會線に続き、裏朝鮮に出る鉄路の起点として頗る好都合である。」

これについては、航空路問題について、「日満両国が互に善隣国であり、その利害は緊密不 可分であり、飽くまで共存共栄の実を挙げて行かねばならぬは当然であり、両国の距離感覚 を出来得る限り短縮せしむる事こそ、両国の意思の疎通に遺憾なからしむる捷径である。さ て一日を以て日満両国を連結する航空路を求むるに、東京―長春を措いて他に適当なるも のがない。」と述べている。

4、長春は飲料水が豊富である。

「長春附近には地下水が非常に豊富であるのみならず、伊通河はその本流支流を以て 長春の東西を囲み、更に東方稍々距離を置いて飲馬河があり、伊通河と飲馬河との水源 を押へるときは、裕に三百萬の市民に給水し得ることが判明した。」

5、長春は地価が安い。

「国都建設を実際問題として討究する時、そのために必要とする莫大な資金を調達す る事が当面第一の問題である。(中略)併し、今国都建設の資金といつても、そのうち 最も重きを占むるものは土地買収費である。(中略)凡そ大満洲国の首都たるためには、

当然四五千萬坪の広大な地域を準備せねばならぬが、当時長春は不況のどん底に喘い でゐて、その地価は奉天などと比較して月鼈の相違があり、坪当たり約十四五銭内外で あった。」

⑥:中国のウェブサイト「何以是满州、何以是长春?」(2005年閲覧)・「腾讯新闻 南方周末 特刊 纪念抗战胜利 60 周年之政之地」(2015 年閲覧)現在の中国側から見る首都選定の理 由。

以下、関連記事部分を引用する。

“这恰是日本侵略者意图长期霸占东北的铁证。”吉林省社科院研究员王庆祥说169

只占中国人口百分之九的满洲,虽然气候寒冷,但它却是中国最有潜力的富饶地区,它 拥有大量的矿藏和煤炭资源。“9·18”事变前,它的经济发展远远超过了国内其他省份。

1933年日本还未完全占领时,满洲的工业占中国工业出口总值的14.3%,1913年到1930年,

169筆者による意訳:「これはまさに日本の侵略者が長期的に東北を占領しようとした証左 です。」と吉林省社会科学研究院研究員の王慶祥は言う。

66 它的农业生产上升70%170

日本侵略者需要将满洲变为自己的鲁尔171,长久霸占,“他们为此处心积虑经营了20多 年,做了大量的矿产资源调研、社会心理分析和局势利弊权衡。”现任《东北 14 年沦陷史》

丛书的副主编李茂杰说172

而选择论面积、人口、发展程度都远较沈阳和哈尔滨落后的长春作为伪满首都“新京”,

更是日本侵略者别有用心所在173

“从地理上看,长春处于东北中心,铁路交通便捷,易成为控制中枢;从政治上看,当 时沈阳一直为奉系军阀统治中心,而哈尔滨则被苏俄经营多年,惟独长春政治色彩稀薄,易于 培植势力;当然还有长春当时地价便宜,建设成本低。174

在王庆祥研究员看来,长春彼时正如一张空白的纸张,日本人一厢情愿地以为可以肆意规 划涂抹175

170筆者による意訳:満洲は中国の人口の9%しか占めず、気候も寒冷だったが、満洲は中国 でも最も潜在的エネルギーのある豊かな地区で、そこには大量の鉱物と石炭資源があった。

「9・18」事変の前、満洲の経済成長は国内のその他の省を大きく超えていた。日本がまだ 完全に占領していない1933年時で、満洲の工業は中国の工業輸出の総額の14.3%を占めて おり、1913年から1930年までの間に、満洲の農業生産は70%上昇した。

171鲁尔をどう訳すか、ルールと訳すのかルール地方と訳すのかで意味が変わってくるが筆 者はルール地方と訳した。百度百科 鲁尔工业区(2015 年 12 月 22 日閲覧)

http://wapbaike.baidu.com/view/504770.htm?adapt=1 に「鲁尔区的工业是德国发动两次

世界大战的物质基础。」(筆者訳:ルール地方の工業はドイツにとって2度の世界大戦の物 質的な基礎となった。)とあり「日本も満洲に自身のルール地方を作ろうとした」と考え ることができるのではないだろうか。

172筆者による意訳:日本の侵略者は満洲を自身のルール地方にして 、長期的に占領しよ うとした。「彼ら侵略者はこの目的の為に20年余りも悪事の為に知恵を練り、心を砕いて 経営しました。大量の鉱物資源の調査研究、社会心理分析を行い、情勢の利害損失を秤に かけました。」『東北14年陥落史』叢書の副主幹を現在担当している李茂杰は言う。

173筆者による意訳:そして面積、人口と発展の程度が瀋陽とハルビンよりはるかに遅れた 長春を偽満洲国の首都「新京」とするのには、そこには日本の侵略者の別の意図があって のことだった。

174筆者による意訳:「地理上から見ると、長春は東北の中心に位置しており、鉄道交通は 便利で、容易にコントロールの中枢に出来るものです。政治上から見ても、当時の瀋陽は ずっと奉系軍閥の統治の中心地であり、ハルビンはロシア・ソビエトによって長年経営さ れていました。ただ長春だけが政治的立場も希薄で、日本はその勢力を扶植することが容 易だったのです。それから言うまでもないことですが当時の長春の地価は安くて、低コス トで建設できたのです。」

175筆者による意訳:王慶祥研究員によれば、長春は当時まさに1枚の空白の用紙のような もので、日本人は自分勝手思いのままにプランを立てて色を塗りたくっていいと考えてい た。