• 検索結果がありません。

中国共産党及び中華民国国民政府 255 の動き 1 中国共産党の動き

第4章 日本敗戦と国共内戦期の中国東北地域について(第3次国内革命戦争 1946-1949)

第四節 中国共産党及び中華民国国民政府 255 の動き 1 中国共産党の動き

100

第四節 中国共産党及び中華民国国民政府

255

の動き

101

て国民政府と妥協案を結んだこと262により、中共に非協力的にならざるを得なくなった。こ の時、ソ連は東北地域における中共の活動を制限した他、中共の東北局に対して瀋陽、長春 等、主要都市からの中共軍の撤兵を要求し、必要があれば武力行使をも辞さないという強い 態度で迫ったのであった。これに対して中共は「让开大路,占领两厢263」という新たな方針 を打ち出し、これまでの路線を変更することを余儀なくされた。ここにまたソ連に対する不 信感が中共指導部に芽生えたことを指摘しておきたい。

2 国民政府の動き

1940 年、国民政府は戦時下における政治、経済建設の基本計画を企画する部局として中 央設計局を設けて国防最高委員会264の元に置いた。

1943 年 11 月に開かれたカイロ会談によって満洲・台湾・澎湖諸島の中国帰属が認められ ると、これらの地域の戦後構想の企画立案を中央設計局の管理下に新たに設けられた2つ の委員会265において行うこととした。

国民政府は 1945 年 8 月 31 日、東北地域の接収に関し、「収復東北各省処理弁法要綱」

を公布した。全 6 条のこの要綱の要点は、

① 旧満洲を接収、管理する為、その中央派出機関として軍事委員長東北行営(後、国民政 府主席東北行営)を設置し、その下に政治、経済の両委員会を置くこと。

② 旧東北三省を分けて新たに九省(遼寧・安東・遼北・吉林・合江・黒竜江・嫩江・興安)

を設置すること。

➂長春に外交部東北特派員公署を設置すること。

であった266

同年 9 月 3 日、国民政府は東北行営主任兼同政治委員会主任委員に熊式輝を、同経済委 員会主任兼長春鉄路公司代表に張公権を、また外交部東北特派員に蒋経国を任命した。熊式 輝・張公権・蒋経国らの国民政府側代表は 10 月 12 日にようやく長春に入り、翌 13 日より

262本章の民国政府の動きを参照。1945年11月19日、ソ連軍は彭真と林彪に通知した上 で長春の鉄道沿線と長春市内を国民党軍に譲り、一時鉄道沿線から地方へと撤退した。こ れに従って共産党軍は同年の11月26日に錦州から撤退し、国民党軍に接収された。

263论文网 从“独占东北”方针的提出到“让开大路,占领两厢”的战略转变(2015 年 12 月 22 日閲覧)http://www.xzbu.com/1/view-287974.htm 和讯 读书 15 1945 年 12 月,毛泽 东致东北局工作的指示后,才将其概括为“让开大路,占领两厢”的方针吗(2015 年 12 月 22 日閲覧)http://data.book.hexun.com/chapter-795-4-15.shtml 大都市を放棄して、広 い農村部と中小都市部に戦力の中心を置くというもの。

264蒋介石を中心とする戦時独裁体制の統括機関であった。

265満洲に関する東北調査委員会と台湾に関する台湾調査委員会を指す。

266 満洲国建国以前は遼寧、吉林、黒竜江の三省が設置されていたが、満洲国ではこれら を細分化した省級行政区画を設置しており、国民政府は満洲国の行政区画を基礎にして省 の再編を行い、満洲地区を九省二院轄市に再編することに決定した。しかし、これらの地 区は共産党勢力の支配下に置かれており、実際に行政機構が設置されたのは一部地域、ま たは設置されても短命なものであったといえる。

102 東北接収に関する中ソ交渉が開始された。

この交渉に先立つ同年 8 月にモスクワにおいて行われた王正廷外交部長とモロトフ外相 による会談で合意が見られた中ソ友好同盟条約267の内、当面の中ソ交渉に関するものとして は以下の 3 点にまとめられる。

① 日本軍と戦う為に満洲に進駐するソ連軍は、終戦後三カ月以内に撤退すること。

② 日露戦争当時にロシアが所有した在満鉄道については、日ソ両国の共同経営の元に置き、

中ソ合弁の中国長春鉄路公司を設立すること。

➂旅順はソ連の海軍基地とし、大連は自由港とすること。ただし、両地の行政権は中国に属 するものとする。

そして同年 10 月 13 日に行われた第一次中ソ代表者会議268において、国民政府側は先ず 以下の 4 点についてソ連側の協力を求めた。

① 東北政権樹立と各省及び市の行政機構接収に対するソ連側の協力。

② 日本及び満洲国が東北に保有していた工業機構及び設備の接収に対するソ連側の協力。

③ 国民党政府軍進駐の為の海路輸送に対するソ連側の協力。特に大連港の利用。

④ ソ連軍撤退以前の治安維持の為、少数部隊を長春、瀋陽へと空輸することに対する許可 と協力。

この国民政府側からの四つの要求に対するソ連側の回答は、②の国民政府軍の大連港を 利用した上陸についてはこれを拒否269し、経済接収事務に関しては今後の協議如何によると したものであった。そして軍事問題並びに経済問題に関してはそれぞれが責任担当者を選 んで個別に協議を行うことが決定270された。以上のように、国民政府は中国東北地域の日本 敗戦後、東北地域の接収において意欲的に動いていたのであった。

267 調印8月14日、批准8月25日、発行2月3日。

268 熊・マリノフスキー代表。

269 鄭[2005]参照。アメリカに対する警戒心によるものと考えられる。1945 年10 月中 旬、国民党軍第十三軍がアメリカの軍艦で大連、栄口まで送られ、東北上陸を図ったが、

ソ連軍に阻止され泰皇島等に上陸した。

270 軍事問題は東北行営副参謀長董彦平中将とソ連軍総司令部副参謀長パブロフスキー中 将が、経済問題は東北行営経済委員会主任委員長張公権とソ連軍総司令部経済顧問スラド コフスキー大佐があたる。また中長鉄路問題については、中国側は張公権を、ソ連側はカ ルギン中将を代表として交渉にあたることとなった。

103