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復興期の東北地域の状況について 1 新中国の都市政策

第5章 復興期(1949-1952)及び第1次5カ年計画期(1953-1957)の中国東 北地域の都市再建について

第二節 復興期の東北地域の状況について 1 新中国の都市政策

初期の都市建設「消費都市から生産都市」への改造について

拙稿[2012]で既に述べているが、中国共産党解放軍は 1948 年 9 月 12 日から始まった

「遼瀋戦役」に勝利し、同年 11 月までに中国東北地域のほぼ全域を手中に収める275と、満 洲国時代はその首都であった長春、また日本人が多く住んでおり東北の大軍閥の張親子の 拠点でもあった瀋陽といった大都市及び、鞍山や撫順といった鉱工業都市を新中国建設の 拠点として接収及び管理を進めていった。

新中国の都市政策の出発点は、中華人民共和国成立宣言より前の 1949 年 3 月 5 日から 3 月 13 日にかけて河北省西柏坡村で開催された中国共産党第 7 期中央委員会における毛沢東 の報告、「只有将城市的生产恢复起来和发展起来了,将消费的城市变成生产的城市了,人民 政权才能巩固起来。276」である。

ここで新中国の都市建設は転換期を迎えた。つまり、今まで活動の中心は農村にあったが、

この中国共産党第 7 期中央委員会で今後は活動の中心を都市へ移すという戦略転換が決定

275『中国歴史図示集』170 頁。

276筆者訳:「都市での生産を回復し発展させ、消費的な都市を生産的な都市へ変えた時、

人民の政権は初めて強固なものになる。」

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されたのであった。中国共産党のこの政略転換を受け、1949 年 3 月 17 日付の『人民日報』

の社説「把消费城市变成生产城市277」では、「它们的存在和繁荣除尽量剥削工人外,则完全 依靠剥削乡村。-略-它们对于帝国主义,一般地也是被剥削者,而对于乡村(同样,对于城 市工人),则是剥削者。因此,造成了乡村和城市的敌对状态。278」と述べられている。これ は都市と農村の関係を今までの敵対関係から相互依存の関係に変えることが必要であり、

そうすることによって都市における生産を迅速に復興し、建設を進めていくべきであると 提起するものであった279

このように上記に述べた中国共産党第 7 期中央委員会での毛沢東の報告から始まる「都 市理論」に基づく形で、新中国の都市の建設が始められた。その準備段階として、行政機構 の整備280や法令の制定も着々と進められ281、都市と近郊の土地が国有化されていくことにな った。また工業については、1949 年に外国資本並びに国民政府の官僚資本系企業 2858 社を 接収して国営とし282、同時に近代的交通機関や銀行、対外貿易を国家の集中におさめ、国内 商業に対する国家統制を強化していった。

277筆者訳:「消費都市を生産都市へ変えよう」

278筆者訳:「旧中国における都市の存在と繁栄は労働者からの可能な限りの搾取を除け ば、即ち農村からの搾取に依存していた。─中略─それは帝国主義に対しては一般的に被 搾取者であるが、農村に対して(同様に都市労働者に対して)は搾取者である。それゆえ に都市と農村の敵対状態をつくりだしていた。」中国网 1949年档案揭密 把消费城市变为 生产城市(组图) (2015年12月22 日閲覧)http://www.china.com.cn/culture/txt/2009-03/25/content_17498236.htm

279 1949 年当時の中国における工業・農業生産高については岩村・野原[1973]196 頁

と小島・丸山[1986]203 頁に詳しい。

280 天児[2001]21 頁-24 頁。土地改革委員会、劉少奇主任。末端組織としては土地改 革工作隊があった。

281 1950 年8 月「城市房地産税(都市土地家屋税)」、1950 年11 月「城市郊区土地改革

条例(都市近郊土地改革条例)」、1953 年12 月「国家建設徴用土地弁法(国家建設徴用 土地収用法)」等。

282 岩村・野原[1973]198 頁。

107 人民日報 1949年3月17日

中国网 1949年档案揭密 把消费城市变为生产城市(组图) から引用

http://www.china.com.cn/culture/txt/2009-03/25/content_17498236.htm

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