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1.高級音楽と低級音楽

アメリカへと移住したばかりの植民者がThe Bay Psalm Book(1640)をはじめとした出 版物によって統率的なアメリカの宗教的信条を構築する土台がつくられたことはすでに述 べた。吉見俊哉は『「声」の資本主義―電話・ラジオ・蓄音器の社会史』で、コミュニケー ション技術としての出版は、その出版物の普及と伴って、国土空間に均質的な拡がりを持 つ時間的同時性と言語的同質性の観念を構成したと記す(314)。出版物の普及は、国土を法 的に区分けしていき、領土内のそれぞれの土地空間を均等に平面化した。その意識にとも ない、音と場所の関係もまた地理的に平面化していく。同時にそれは国家に振り分けられ た土地にナショナル・アイデンティティの下地を平面上に流し込んでいく強力な仕掛けだ った。

  そもそも 18 世紀より以前は、音楽自体が意味を持つというよりは、音楽とともに在る 空間での行為に重点が置かれていた。『聴衆の誕生―ポスト・モダン時代の音楽文化』にお いて渡辺裕は、18 世紀頃までの音楽は、「人々が互いに相互の関係を取り結び、また維持 してゆくための社会的制度の一翼を担うものであった」(24)と述べている。すなわち、音 楽は他者との関係を築く社交の場の付随物としてあり、少なくともそれが人々の認識であ った。そしてそれはまた、教会や宮廷、居酒屋などの場所と固く結びついてもいたのであ る。ただし、空間的条件と相俟って、音楽がその場に集まる人たちの交流をつなぐ接着剤 的なもの、あるいは文化を感じさせ、アイデンティティを形成する手段となっていたこと は否定できない。交流の場所における音楽だったからこそ、音楽が人々と強固に結びつく 日常的な文化の音として構造化されていたことは十分に考えられる。

  吉見俊哉の『「声」の資本主義―電話・ラジオ・蓄音器の社会史』によると、音楽の捉え 方に大きな変容をもたらしたのは、18世紀後半からの楽譜出版の本格化だった。ただ、18 世紀半ばまでの楽譜といえば筆写出版が主流であり、それが宗教的文書や学術出版などの その他の出版物と同じように大衆に普及していたとは考えにくいと言う。18世紀末になっ

てようやく商業的な印刷楽譜が流通し、新聞や雑誌を媒体にした音楽ジャーナリズムの発 達によって印刷メディアは作曲家や演奏家、オーディエンスの関係を変えていったのであ る(103)。

安価でかつ難易度の低い編曲された楽譜などが大量に複製されることで、音楽は家庭で 手軽に楽しめるものとなっていく。19世紀に入って、貴族から中産階級へと音楽文化の担 い手が広がると、演奏会はヨーロッパを中心に頻繁に行われるようになり、音楽そのもの を聴きに行く聴衆を激増させた。中産階級の聴衆が増えたことで、パガニーニのような技 術を売りにした商業的音楽が誕生する。いわゆるポピュラーとクラシックといった二つの 音楽文化がこの時生まれたのである。

デイヴィット・クラーク(David Clarke)は“Musical Autonomy Revisited”のなかで、19 世紀初頭における音楽の捉え方に対する変化について理論家たちの独自のパラダイムの構 築に注目する。

Already among the Enlightenment philosophes we can detect a move away from previous understandings of instrumental music as mimetic – a emulating sounds in nature, or imitative of the human voice itself, or an analogue for rhetorical oratory – toward a view that such music may be its own justification. (Clarke 162)

理論家たちは、技巧的演奏を称賛するポピュラー音楽の見方を、音楽の真の価値を歪める 聴取の仕方だとして非難し、演奏ではなく音楽そのものの価値を知識人自らの言説によっ て正当化していった。音楽の価値とは、演奏によるサウンドではなく、楽譜出版の普及と も伴って、曲それ自身とその形式に重きをなすとされた。芸術的作品の形式を鑑賞するた めに、コンサート・ホールの空間は日常と切り離され、そういった聴取の仕方に逸脱する ものは低級だとみなし、倫理面の問題と重ね合わされたのである。すなわち、真の音楽を

聴くには、コンサート・ホールに行くしか術がなく、それ以外の場で演奏されるポピュラ ーで日常的な音楽は軽視されるようになった。高級、低級に分割されたことで音楽は、階 級的な差異を強化する装置となったのだ。

  渡辺は、そのような高級と低級の差異、自律的音楽の成立とその美的経験の確立には、

モーツァルトやベートーベン、バッハなどの音楽家を「巨匠」として神格化していったこ とと関係があるという(60)。19世紀における音楽家の伝記の数々は、ベートーベンやモー ツァルトが伝説的な生涯をすごした天才、神童であることを部分的に捏造して記録してい た。伝記の著者たちにとっての音楽家の解釈は、音楽的価値に対する著者の欲望や、崇拝 する理想的人物像の願望に大きく左右され、時代の欲求に応えた形となった。すなわち渡 辺が主張するように、「『意思の人』ベートーヴェンは女々しい行為をしてはならなかった し、『清純な』モーツァルトは下品な冗談など言ってはならなかった」(58)のである。9

「巨匠」の神格化と自律的音楽の成立は、それが音楽の正当な歴史として語られること で、その他の大衆的音楽や地方の音楽を差異化させ、性差別的、階級的イデオロギーを強 化していった。一方で音楽は文化と結びつき、アイデンティティを感じとる重要な役割を 果たしていたが、同時に高級音楽の価値制定によって、文化の階級的な差異化を強めると いう役割も担うようになった。西洋の文化にとって「巨匠」は、白人男性の権力を表す壮 大な物語のなかにあり、アメリカ音楽界における幻影的自己に他ならなかったのである。

ソナタやロンドなどの形式による音楽の美学的価値の制定、聴取の仕方による階級的差 異、白人男性の偉大な作曲家といった語られる知と権力は、階級や人種、民族などのマイ ノリティの抑圧へと加担した社会的イデオロギーと共謀関係にあった。

2.音楽の価値と人種、民族:アドルノの『ジャズについて』

新聞をはじめとした活字メディアが国民共同体を形づくり、均一な文化を人々の意識に 埋め込んだのだとすれば、1900年代前半のラジオ、レコードの登場は、活字メディアとは

全く異なる様相で均質な共同体や文化を更に強化したといえる。音や声が空間を自由に移 動するようになったことで、新たな形をとりながら国家的にも、地域的にも集団性の中で 人と人はつながっていく。

  コンサート・ホールに行かなければ聴くことのできなかった音楽は、レコードの登場に よって様々な場所で聴くことが可能になった。高級音楽に接していた人間にとって、複製 などあくまで偽物の音楽だという認識ではあったものの、境界を越えた音楽のコミュニケ ーションは社会に劇的な変化をもたらした。1920年頃の技術革新は、感覚的な想像の集団 を、さらに当時の人たちの精神に刻み込んでいったのである。

新移民が大量に押し寄せたこともあって、国民をひとつに統合する理想はさらに強く打 ち立てられていき、アメリカでの国民国家の均質化がナショナリズムを高めながら加速し ていった。また音が壁を越えて広がっていくことで高級音楽の劣化を恐れた人たちは、西 洋クラシックを核とした音楽教育の徹底と、高級音楽の価値をさらに美学的、理論的に語 らねばならなかった。言説実践内部で主体を構成し続けなければならないアメリカのマジ ョリティは、「丘の上の町」に生きる自己を追い続けた。なぜならアメリカは、建国の父祖 が築き上げた「神の国」、「丘の上の町」でなくてはならなかったからだ。

いわゆるジャズ・エイジといわれる 1900 年代前半のジャズ音楽の繁栄は、黒人にとっ てコミュニティの結束だけでなく、アメリカでの新たな経済的展望でもあった。しかし当 時、高級音楽的なイデオロギーの下では、ジャズの音楽的価値は全く評価されていなかっ た。ジャズへの批判は高級音楽的イデオロギーの維持のためだけではなく、人種的なイデ オロギーとも重なり合っていたと考えるのが妥当だろう。西洋クラシックを中心とした学 校教育制度や社会的言説によってイデオロギーは再生産されていき、階級や性、人種、民 族レベルの社会集団も同時に再生産される。“Music Education, Cultural Capital and Social Group Identity”でルーシー・グリーン(Lucy Green)が述べている処によれば、音楽 におけるこのようなイデオロギーは「社会集団間の文化的・経済的関係による広範囲な社 会的なレベルと、アイデンティティに関連する個人的なレベルの両面で生じる」(Green

267)。すなわち音楽において価値が二分されることは、階級や性、人種、民族的差異によ る経済的・文化的格差を広げ、アイデンティティの劣等性につながってしまうというわけ である。

テーオドール・アドルノの『楽興の時』のなかで語られている「ジャズについて」は、

1936年当時に高級音楽的な視点から分析されたジャズの姿をみてとることができる。ポピ ュラー音楽の評価に厳しいアドルノのジャズ批判は、大衆音楽にとりこまれるジャズの音 楽的評価という意味では鋭い洞察だったが、自律した芸術音楽というイデオロギー的視点 に留まっていた。その視点からみると、高級音楽がコンサート・ホールでしか経験できな い高貴なものなのに対して、ジャズはダンス・ホールや酒場、歓楽街の娼館などで演奏さ れる実用的なものにすぎない。アドルノにとってのジャズはダンス音楽であり、自律的な 形式を一切持っていなかった。ポピュラー音楽は形式を持たず、「日常生活の切れっ端のよ うなある偶然のことばが音楽の莢になり、そこから音楽が紡ぎ出されたような曲」(137) であり、ジャズの音色が人間の声に近づくほどそれ自身の音楽的特色を失っていくのだ。

なぜなら音楽としてふさわしいのは、商業主義に屈服せず、作品の主体性を見いだしなが ら、作品と日常生活に距離を保てるものなのである。アドルノは、ジャズで使われるサッ クスが実は古くから存在していたことや、和声法、旋律法がドビュッシーやラベルに代表 される印象主義からの借物であること、黒人のデューク・エリントンがドビュッシーとデ リアスを愛好していることなどをあげて、西洋的な視点の下でジャズのいくつかの断片を 借用にすぎないと主張する。しかしその一方で、アフリカ的な要素であるリズムに対して 次のようにアドルノは記す。

ジャズの草分け、たとえばラグタイムなどで、二グロの要素を問題にできる ような場合でも、問題の対象は、太古の原始的なものの発現などといったも のではなく、むしろ奴隷の音楽であるらしい。アフリカ奥地の土俗音楽にお いてさえ、一貫した拍を保ちながら用いられるシンコペーションは、もっぱ