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1.アメリカのナショナル・アイデンティティと音楽

では実際に音楽が人々をいかにつなぎ、共同体として意味を共有してきたのだろうか。

すでに述べたように、音を聞くという行為自体人々の生活の内にあり、それぞれの文化や アイデンティティに深く関係している。音楽がメディアとして人々にもたらすメッセージ 性に焦点を当ててみると、音を奏でる楽器や声、音響空間、歌詞、楽譜など、音楽自体が 様々な媒体を通して構造化されたシステムとして、重層的にわれわれに訴えかけてくる。

重要なことは、メディア・システムが日常の運動と相俟って、自己や他者、時間や空間と いった文化構成を変容させていくという点である。音楽というメディアは、人々が生きる 空間にただ存在しているだけでなく、あらゆる価値観や意味を日常のなかへと流し込んで いく。

たしかに音楽は、人種や民族といったものに縛られるものではないし、国境をも越えて いく。しかしながら、ある歴史や制度の文脈のなかでは、アイデンティティを生産する過 程で、支配的な層がその他の層に対して抑圧的な働きをすることも問題点としてあげてお かなくてはならない。つまり他の様々なメディア・テクストと相俟って、音楽もまたあら ゆる文化的差異を生産する役割を担うということである。

  ではそもそも音楽文化とはいかなるものなのだろうか。音楽もまた、地域に根づく音と して、地理的境界線によって分割されてきた。たとえどのような共通点があろうとも音楽 は音階とともに地理的、民族的に分け隔てられ、世界各地のワールド・ミュージックとし て分散している。おおまかなところでは、呂旋法や律旋法といった音階を使う日本の音楽 や、スコットランド民謡、スパニッシュの音階に基づくフラメンコ、さらにブルースなど があり、それらの上位に中世紀の古代ギリシャの旋法をもとにローマ教会が定めた種々の 教会旋法、そして 12 音階を基にしたクラシックがある。音階と地域がたとえ恣意的な関 係であったとしても、それらの音楽は様々な地域に根づく文化の音だといえる。だとすれ ば、数多くの文化や音楽が混在しているアメリカでは、どのようなかたちで音楽と文化の

関係をみてとることができるだろうか。

  アメリカの初期、巡礼父祖たちがマサチューセッツ州に到着した際の音の風景には、お そらく説教や賛美歌があげられる。『アメリカン・ルーツ・ミュージック―楽器と音楽の旅』

の奥和宏によれば、マサチューセッツを拠点にしていた入植者たちによって最初に出版さ れたのは、The Bay Psalm Book(1640)という聖書の詩篇をまとめたものだった(16)。この 時期にはよく、牧師がその歌集を読み上げ、会衆が同じ個所を繰り返すというライトニン グアウトと呼ばれる合唱スタイルで賛美歌が歌われていた。歌なのか説教なのか区別がつ かないほど日常的に歌われていたこの音楽は、紛れもなく植民者たちの文化であり、アイ デンティティの源であり、宗教的信条の確認である。

ではなぜ歌う必要があったのか。ウッディ・ガスリーの言葉をここであげておきたい。

文明がほかの何よりもまして、歌をうたうことによって拡げられるのは、す べての人が同じ会話に加わることができないばあいでも、あらゆる多くの人び とがある特殊の歌をうたうことができるからである。。。。会話が豊作とか凶作、

良い政治とか悪い政治、良い情報とか悪い情報、何かほかの良いこととか悪い ことについてであるとすれば、それを人びとのあいだに広める最上の方法は、

それをうたうことによってである。(qtd. 皆河: 3)

歌は説教と同様にまさにメディアとして民衆の参加を可能にし、社会的な意味を生産す る。だから結束力の高い共同体を組織するのに歌は必要不可欠だった。

さらに後の1730年頃にはじまる大覚醒は、「丘の上の町」の実現に向けた民衆の連帯を 生みだし、西部へと向かう原動力を高めた。この時には泊りがけで説教を聞いたり、聖歌 を歌ったりするキャンプ・ミーティングが行われるようになり、宗教信仰心はさらに強化 されていった。こうして説教や歌はアメリカをひとつの目的に結びつけ、ナショナル・ア イデンティティを形づくる要素となり、アメリカ文化の基盤を形成するメディアとなった。

言いかえれば、当時の植民者にとって音楽や説教は、アメリカという「神の国」と自分た ちを結びつける重要なメディアだったのである。

そもそもナショナル・アイデンティティとは、国家の枠組みにおいて共通の文化という ものを想定し、共同体の理想とそれに対する欲望によって結びつけられた国民の共通意識 である。アメリカの共通意識は、建国神話の物語によって築かれた強固な土台を持ってい るとされ、それは常に理想や欲望を内包している。アングロ・サクソンを中心に構築され た自由や平等という高邁な理想は、アメリカの信条として文化的、宗教的多様性を統合し てきた。Who Are We?: The Challenges to America’ National Identityの著者であるサミ ュエル・ハンチントンによれば、アメリカの信条は神抜きのプロテスタンティズムであり、

「教会の魂をもった国」の世俗的な信条である。確かに神に導かれし国という認識は、市 民宗教とよばれるアメリカ独自の宗教を形成し、文化的、宗教的な違いがあっても、人々 をつなぎとめることが可能な状況を作りだした。

堀内一史は『分裂するアメリカ社会―その宗教と国民的統合をめぐって』のなかで、「ア メリカの国家理念は、政治的秩序に関する究極的な実在の表現であり、それは神によって 与えられ何人も侵すことのできない個人の権利、すなわち自由、生命、平等、幸福の追求 として、アメリカの市民宗教の聖典としての『独立宣言』に明言されている」(27)という。

この認識こそがアメリカの信条のもと形成されたナショナル・アイデンティティなのであ る。

一方でそのような宗教的信条は、アメリカンドリームという理想と相俟って、独特な自 由というイデオロギーをつくりあげていった。自由の国であれという神による命題が、人々 を統合するレトリックとして機能し、その自由を得るために、人々から外れた他者たちを 抑圧していくことにつながった。

  ではそこで想定され、語られてきた人々とはいったい誰なのか。ポピュラーな、あるい は平均的な人々というのは、その空間の政治的、社会的、経済的、文化的諸条件によって 定義づけられる。リチャード・ミドルトン(Richard Middleton)は“Locating the people:

Music and the Popular”においてピエール・ブルデューやホールの言をあげながら「一般 大衆」なるものは存在しないと述べている(Middleton 253)。ポピュラーなるものは言説に よって左右される想像的な一種の表象にすぎない。建国の父祖たちが念頭においていたの は紛れもなく白人男性を中心としたアングロ・サクソン文化である。その文化と反映しあ ったアメリカの宗教的信条は、様々なものに媒介されながら、意識的、無意識的にアメリ カの国民と直接結びついていた。

今でもなお国歌として歌われ続ける“The Star-Spangled Banner”は、戦争を乗り越えて 統合された自由の国というナショナル・アイデンティティを国民に再確認させ続けている し、“God Bless America”や “America the Beautiful”もまた、アメリカの信条を国民の精 神に植えつけ、神と自由のイデオロギーを強化する。これらの詩とメロディーは、独立か ら語られてきた「明白な天命」という理想を映す鏡として人々の意識へと流れ込む。メデ ィアと接するこういった連続的な瞬間が、国民共同体の形成に大きな役割を担ってきた。

様々な楽曲に収められた宗教的信条は、アメリカ・ナショナリズムの基礎となり、様々 な環境的資源と相俟ってアメリカを国家として統合していくプロジェクトの一部、すなわ ち「明白な天命」に導かれる「神の国」を形成するアメリカの物語となっていた。

1776年の独立宣言以降は、「多から一」という標語が国璽デザイン選定委員会によって 選ばれ、アメリカのナショナリズムが急速に高まりをみせていく時代であるが、アメリカ のメディア文化もまたその時代の原動力であった。

1782年に Letters from an American Farmer and Sketches of Eighteenth-Century

America でクレヴクールが、新しい人種に溶け合っていく目に見えない人種のるつぼを

記したとき、様々な背景を持った多くの移民によって構成されていた場は、特別なひとつ の国家へと変容していった。

ノア・ウェブスター(Noah Webster)の The American Spelling Bookが出版されたのは 1783年。続いて1789年にウェブスターは “Dissertations on the English Language” の 中でイギリスではなくアメリカ自身の言語システムをつくるべきだと強調した(Webster