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.メディア文化とアイデンティティ 1.メディアと意味生産のプロセス

  平均すればわれわれは人生の活動における約 15 年分を、ただテレビを見ることに費や している。さらに新聞や雑誌、音楽、インターネットなどを含めると、メディアに触れて いる時間は人生の3分の1にものぼる(Saldar 8)。それだけではなく、人と話す内容から 仕事の仕方、モチベーション、娯楽やリラクゼーションに費やす時間に至るまでを考慮す ると、メディアの影響は日常の隅々にまで浸透している。つまり、自分自身とは何なのか ということは、大部分がメディアによって認識され、構築されていることになる。われわ れの存在は膨大なメディアの情報に媒介されながら、あらゆる行動へと契機づけられてい る。それゆえメディアは文化や政治、社会、経済、歴史、美学など、日常生活におけるす べてのものと関連させて考えられなければならない。メディアとは何かと問うことは、わ れわれの生き方を問うことなのである。

ではそもそもメディアをどのように理解すればよいのだろうか。ジアウディン・サルダ ー(Ziauddin Sardar)はIntroducing Media Studiesのなかでメディアについて次のように 言う。

The Media mediate. You might think news reporting is immediate, but it isn’t. It’s mediated. Like all human communication, it has to be put into a material formwords, gestures, songs, pictures, writing. The point of mediating things is to communicate across space and time with as many people as possible. (Saldar 6)

メディアとは媒体であり、人と人を繋ぐコミュニケーションであるわけだが、テレビやラ ジオ、絵などの媒体は、時間や空間を越えて消費者へと情報を伝達する。あくまで媒体と して、何かを直接的に誰かへ伝えるというのではなく、それは表象(represent)するのであ る。2 起こった出来事や事象は、共有され得るように編集され、ある程度意図されたコミ ュニティへと送られている。この過程には直接的(immediate)なものは何もなく、ある出 来事を伝えようとその出来事を解釈した時点で出来事の事実はすでに間接的なものとなる。

つまり、想定される受け手へと伝達されるために、送り手は情報を意図的に解釈する。音 楽番組は、たとえ生放送であっても、曲の一番宣伝になりそうな部分のみを見せるために 曲を編集し、ステージを装飾し、カメラワークを確認したうえで放送へと踏み切る。ここ ではある程度意図的に操作された音楽が、不特定多数の視聴者に届けられ、共有される。

このようにメディアは決して一方通行ではなく、人から人へのコミュニケーションとして 情報を伝達すると同時に、大勢の人々を結合させ、知識や経験を共有しあうコミュニティ を形成するのである。

だからメディアは人々の生き方や日常に影響を与える。Media Culture: Cultural Studies, Identity and Politics between the Modern and the Postmodernのダグラス・ケ ルナー(Douglas Kellner)によれば、日常生活の構造を構成するのはメディアであるという。

メディアは、何が良くて何が悪いと考えられるのか、あるいは何がポジティブでネガティ ブなのか、そして悪と正義がどういうものかを定義づける土台となる(Kellner 1)。メディ

アは共有される知識や常識を形づくり、人々の行動や選択 ―学校や職業、趣味、コミュニ ティといった― を左右し、日常を変えていく。メディアは集団のなかにいるわれわれの日 常そのものであり、文化である。

60 年代にメデ ィアが日 常生活を変える と説いた のはマーシャル ・マクル ーハン (Marshall McLuhan)であった。マクルーハンは『メディア論―人間の拡張の諸相』

(Understanding Media)において「いかなるメディアやテクノロジーのメッセージでも、

それは人間の社会に導入するスケールやペース、パターンの変化に他ならない」(McLuhan 8)と述べており、メディアそれ自身がわれわれの身体や感覚の拡張として、行動の尺度や 日常生活のパターンを変容させるという。3

桂英史は「情報学とメディア論―『メディア論講義』序説」でメディアはメッセージを 運ぶ容器であり、同時にメッセージを運んでいる器そのものがメッセージの意味内容を決 定してしまうこともあると述べている(68)。すなわちメッセージを伝達するそれぞれのメ ディアが、伝わる意味を決定してしまうというのである。音楽ひとつとってみても、伝達 される形式によって人々に作用する仕方は大きく異なる。同じ音楽だと思われていても、

それを表象するメディアによってメッセージの在り方、受信への作用はそれぞれ異なる。

たとえ同じ曲であっても、ラジオから流れる音と、ミュージックビデオ、ステージ上の生 演奏では、すべて受け手の持つ意味が変わるということである。メディアは単に情報や出 来事を発信者から受信者へと伝えるものではない。それぞれのメディアは身体の拡張とし て、それぞれ異なる形で人々の生活に作用するものである。

メディアがメッセージであるというマクルーハンの主張は、メディア=媒体というその 特性からして、複合的な媒介を通じてわれわれを別の生活の場へと移行させるということ である。だとすれば、鉄道や電話、貨幣などのメディアが、利便性を向上させ、人や物の 流通を可能にしたというよりも、メディアのメッセージによって人々の日常空間―市場や 生活の構造―を一変させたというべきである。すなわちメディアのメッセージは、解体や 再生産を含む社会の変容を意味しているのである。このことは、メディアがもたらす事象

について、ひとつのメディアだけで説明することが困難なことを示唆している。例えばテ レビが社会にもたらす変化は、テレビの特性のみで判断できるものではないし、楽器や声 から発せられるメロディや台詞は、音の言語として複合的にわれわれに作用する。われわ れはつねに複数の異なるメディアのメッセージを受け取っているのである。映画にしても 音楽にしても、それ自体が多元重層的なメディア・システムとして捉えることができるだ ろう。

  また一方でメディアは、人々の共同の参加を要請する。『メディア論―人間の拡張の諸相』

のなかでマクルーハンは、貨幣がいかに人々の共同参加によって意味を持つかを説明する (McLuhan 144)。人々の貨幣を交換するという共同の参加がなければ、貨幣の価値は見出 すことができない。人々が貨幣を使用することで、物品を商品として貨幣から切り離し、

貨幣という機能そのものを生産し、新しい労働のシステムを生みながら、社会の形態を変 容させていく。

人々の参加については他のメディアでも同様に考えることができる。あらゆるメディア のメッセージは、われわれの身体を拡張させ、われわれの共通の行動に影響を与える。そ のためメディアは人々を経済的、政治的な行動に参加、実践させる。そしてその実践に準 じて共同体が形成されたり、新たな規制や制度が生まれたりするのだ。

蓄音器やレコード、ラジオが生産され、聴覚によって情報を仕入れる時代になったこと で、音の役割、つまり音楽や声の役割は飛躍的に重要となった。このとき人々は、音で富 を蓄積させ、新たな部類の仕事や技能を発生させた。このようにラジオやレコードなどの 普及もまた、人々の共同の参加と相俟って、日常生活を生きる感覚や方法を変えていく。

しかしここで強調しておきたいのは、人々の実践によって複数のメディアが互いに交錯し あい、更なる技術形式を生むということである。小説がドラマ化され、映画が小説となり、

写真と融合するだけでなく電子的に動く絵画が登場したり、DJ がレコードを再利用した りといったようなメディア同士の相互作用は、メディアの「新たな比率」を生み出す。こ のことを踏まえてマクルーハンは言う。

It is the poets and painters who react instantly to a new medium like radio or TV. Radio and gramophone and tape recorder gave us back the poet’s voice as an important dimension of the poetic experience. Words became a kind of painting with light, again. But TV, with its deep-participation mode, caused young poets suddenly to present their poems in cafes, in public parks, anywhere. After TV, they suddenly felt the need for personal contact with their public. (McLuhan 58)

音響メディアが詩と結合し、視覚メディアが詩人をパフォーマンスへと導いたのはごく自 然のように思えるが、それは詩人と受け手の実践があったからこそである。この人々の実 践への参加は複数のメディアを融合させ、さらに別の場へと実践を拡大させていく。メデ ィアは人々の実践によって別のメディアと相互に作用するのである。

携帯電話で読まれるケータイ小説は、新たな形の小説の枠組みだけでなく、その世界に 縁のなかったライター、小説家を生み出したし、また初音ミクのような VOCALOID は、

インターネットサイトで無数の作曲家たちによって次々と色付けされながら、音楽業界そ のものを拡大させた。携帯端末でどこでも気軽に書けて読める物語。著作権のないボーカ ルの声。これらはいずれも人々の参加を要請する。このようなハイブリッドなメディアの 作用は、そもそもメディアに備わっている特性だといえる。つまりメディアの相互作用は 身体の拡張に伴って、人々の行動の内側にすでに内包されているわけである。そしてメデ ィアの交差によって生み出されるのは、政治や経済を含む新しい社会の形である。

吉見俊哉は『メディア時代の文化社会学』において、新しい技術が最初から新しい社会 を生み出していく運動に内包されていることを指摘する。蓄音器にしろ、電信や電話にし ろ、新しいメディアの登場を可能にしたのは、そうした「発明」を、その運動過程の一部 に組み込んでいた近代社会の文化構成そのものであった(吉見 6-7)。