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1.ラップ・ミュージックとメディア・テクノロジー

  メディア・テクノロジーの発展について考えずに、現在の音楽を捉えることはできない。

音楽もまた、テクノロジーを生み出していく実践のなかにあるからだ。音楽に限って言え ば、マイクは大衆に向かって囁くように語りかけることを可能にしたし、レコードや CD は消費の仕方を変え、シンセサイザーやDTMに至っては音楽実践の場を拡張させた。ポ ール・サベージ(Paul Theberge)は“’Plugged in’: Technology and popular music”で次のよ うに言う。

Technology is also an environment in which we experience and think about music; it is set of practices in which we engage in making and listening to musical songs; and it is an element in the discourses that we use in sharing and evaluating our experiences, defining, in the process, what music is and can be. (Theberge 3)

メディア・テクノロジーは音楽とは何かをも決定づける。テクノロジーの使用はそれ自体、

音楽の実践であり、音楽的経験や考えを構築する材料となる。

そしてテクノロジーの異なる使用法は、それぞれの音楽実践として差異が出る。すなわ ち音楽ジャンルは音楽を表現するための技術、テクノロジーの使い方によって分かれてい く。テクノロジーの変容は、音楽実践を同時に変容させるのである。

ワシントン大行進でのキング牧師の演説は、ジャズの即興に大きな影響を与えたし、マ イクでの語りがいかに自己の主張を伝達するかをラッパーたちに教えたかもしれない。

1960年代以降の公民権運動を含む一連の運動には、キングへの同一化を通した音楽実践は もちろんだが、あらゆるテクノロジーやメディア変容が内包されていた。

ジャズの項でも記したが、ギタリストのチャーリー・クリスチャンは、エレクトリック ギターによってジャズギターの音を電子化し、楽器隊の主役となった。さらにギター・ア ンプの進化がブルースを暗く泥臭い音へと変化させていき、ロックの下地をつくっていっ た。マイルス・デイビスやハービー・ハンコックのほかにも、例えばスティービー・ワン ダーがシンセサイザーを導入することで、ポップ・ミュージックそのものを変えていくこ とになった。テクノロジーはいつも黒人の音楽を生産してきた土台であり、表現の可能性 や音楽そのものの意味を拡大させてきた。なかでもラップ・ミュージックは、アイデンテ ィティをめぐる政治的、社会的実践として、音楽的要素におけるテクノロジーを最大限に 生かそうとする。

  ドラムマシーンやデジタル・サンプラーといった機材はラップ・ミュージックにおいて 欠かせないものとなっているが、そもそもドラムマシーンやサンプラーは金銭と労力を削 るための、あるいは欠けているものの埋め合わせとして使われていたものだった。17 1980 年代から使用されるようになったサンプリング機能を持つ機器は、生の楽器音はもちろん だが、レコードの音源や、街や道路の雑音に至るまで、簡単に録音することが可能であっ た。そのため楽典や音楽理論の知識を持っていない者が、ヒップホップの文脈のなかでサ ンプリングした音を重ねたり、繰り返したりすることで音楽として成立させることができ たのである。つまり機材さえあれば、楽譜だけでなく、音楽理論、楽器の演奏すら必要で はなかった。

ヘブディジがパンクやレゲエなどの文化を普遍的ではない不連続的な実践として示して いたように、ラップ・ミュージックは意味を示す記号が根本的に不安定であること、常に 変容していく文化を単に歴史のなかというよりも現在の生活から抽出したスタイルとして 機能することを強調する。サンプリング技術の独自の使用法やリズムやベースラインの印 象的な反復は、黒人霊歌の特徴を再生産するとともにラップの方向性に大いに寄与した。

一方でサンプラーによる採取音は現行著作権法や音楽財産のあり方にも疑問を投げかけ た。黒人に結びつけられるジャズのギターやベース、ソウルのメロディのサンプリングは

歌詞や楽曲のテクストを解体し、再構築することで黒人の集合的な記憶を現前させ、ジェ イムズ・ブラウンやジャズ・ベーシストのロン・カーターといった有名アーティストに同 一化していくプロセスを生み出す。ローズ・トリーシャ(Tricia Rose)はBlack Noise: Rap Music and Black Culture in Contemporary Americaのなかでラップについて次のように 記す。

Rap’s poetic force, its rearticulation of African-American oral practices, and its narrative strategies are central to rap…. Rap music blurs the distinction between literate and oral modes of communication by altering and yet sustaining important aspects of African-American folk orality while embedding oral practices in the technology that produce it; and in rap, oral logic informs its technological practices. (Rose 85)

ラップは過去の記憶と経験をテクノロジーの実践によって新たな声として再生産した。

しかしそれは 60 年代の公民権運動の機運とはまた別の、独特な環境と場によって徐々に 形成されてきたものである。

サウスブロンクスの文化

ラップ・ミュージックは 70 年代のニューヨーク、サウスブロンクスを中心にヒップホ ップ文化の内部で形成されてきた。ヒップホップの特徴としてよくあげられるのが、ラッ プ・ミュージック、ダンス、街の壁などに描かれる落書きとしてのグラフティ、DJ であ るが、サウスブロンクスという場所によってそれらが融合され、文化として認識されるよ うになった。

1930年以降、都市計画家のロバート・モーゼスによって開始されたニューヨークの都市 改革の計画は、公園や住宅地の建設を大々的に行い、周囲の景観や日常を著しく変えてい

った(Quindlen)。都市の計画はメディア・テクノロジーの展開を意味し、場所性を決定的 に変容させる。ブロンクス高速横断道路の建設が始まったのは 1959 年のことである。こ の住宅地を貫く高速道路建設が、サウスブロンクスを腐敗へと向かわせ、結果的にいくつ ものコミュニティを破壊した。もともと労働者階級の集まるコミュニティがあり、下層か ら中流階級のアイルランド系やユダヤ系を中心に、イタリア系やドイツ系のコミュニティ まで強制的に移住をさせられてしまう。18

その後、ヨーロッパ移民が姿を消したサウスブロンクスには、多くの黒人やヒスパニッ ク系の人々が移り住みはじめた。彼らは、荒れ果てた環境的資源のなかでの生活を余儀な くされたのである。19 この時期のめまぐるしい人々の移動と移民構成の変化は、サウスブ ロンクスという場のイメージを含め、生活環境を著しく悪化させていった。やがて人種間 の抗争がはじまり、ギャング同士の衝突や窃盗や略奪行為といった犯罪の上昇がサウスブ ロンクスを無法な地帯へと変化させていった。そして1977年のニューヨーク大停電のThe

New York Timesをはじめとした報道が、サウスブロンクスを象徴的な場所にさせる。ほ

とんどの略奪行為が貧困地域に集中し、1965 年に起きた停電に比べても状況はひどく、

1977年夏にあらわになった絶望と挫折感は、公民権運動の高まりから人種的に最も混乱し た60年代よりもはるかに大きなものであった(Rose 33)。1989年36日のThe Nation によれば、サウスブロンクスは1960年から70年代後半にかけて人口が著しく減少し、ア メリカで最も貧しい地域のひとつになったのである(Vergara)。The Timesでボブ・スタン レー(Bob Stanley)は次のように記している。

The Bronx had been a stable, attractive area of middle and working-class homes until 1959 when an expressway was built through the centre of it, destroying communities and leaving the South Bronx – already the poorest area – as an isolated ghetto. By the mid-Seventies urban blight was all over the Bronx –it was dangerous to walk the streets even in daylight. Gangs

such as the Black Spades and the Savage Nomads fought turf wars. Yet within a culture that had an estimated 300 gangs with 20,000 members there was a chance to turn a negative into a positive. (Stanley 2)

サウスブロンクスは、貧困の問題とギャングの抗争の多発によって、他の地域とは明らか に異なる荒廃した場所となってしまった。このような問題は人種の意識と直接結びついて もいた。公民権を獲得した黒人たちは、少なくとも 60 年代以前に比べれば、社会に進出 し、自らの希望する仕事や家庭といった場をつくることが可能になっていた。しかしアメ リカにおいて社会や政治、経済を中心的に担っているのはなおも白人であり、白人権力で あった。アファーマティブアクションも差別に対するいかなる言説もいわば上から与えら れたものであり、仕事もまた白人から与えられた恩恵だった。つまり社会への進出と黒人 の地位向上の狭間で、黒人たちは新たな二重の意識へと悩まされることになり、60年代の 人種問題とは質が変化したといえるだろう。

変革として語られる公民権運動の後、法的な人種差別から解放され、社会が劇的に変容 していく混乱の最中で「ポスト・ソウル」時代の若者は誕生した。20 アメリカン・ドリー ムという理想と、社会的、経済的に厳しい現実とのギャップに直面しながら育ったこの世 代は、市民権の獲得などといった明確な目的がないまま、アメリカ社会に深く根ざした人 種問題と闘わなくてはならなかった。「ポスト・ソウル」世代は苦慮しながらも黒人の文化 実践を変容させていくのだが、その拠点となったのが荒廃したサウスブロンクスだった。

少し視点を変えれば、1977年頃の「無法地帯」とメディアが表象するサウスブロンクスは、

実はメディア・テクノロジーの新しい実践と多くの人種的差異によって育まれる文化実践 を構成する場であった。hip hop americaにおいてネルソン・ジョージ(Nelson George)は サウスブロンクスという場がむしろ文化的な活気に満ちていたと記している。

Yet, in 1976, the real Bronx was far from a cultural wasteland. Behind the