第3章 生活空間の観光化とルーラリティ再編
第4節 集落景観の変化
1.建築景観の商業化
農村生活空間は村民たちの生活と休暇の場であり、伝統的に商業が発達することはなか った。一方、農村は閉鎖的な空間であり、村民が互いをよく知っている。それゆえ都市の 商業宠伝に重要である看板が、かつての農村集落には存在しなかった。
前衛村において、1999 年に農家楽が始まった当時、村民委員会が全ての農家楽を集中管 理し、観光者も村から宿泊先を指定されていた。こうしたシステムの下、農家楽経営者の 間には競争がなく、それゆえ経営者個人には宠伝の意識もなく、看板を設置することはな かった。
2007 年に農家楽の個人経営が急増してから、競争が徐々に激しくなり、一部の農家楽経 営者が観光者に積極的にアピールするために看板を設置した。最初に設置されたものは非 常に簡易なものであり、紙で作った農家楽の名称が書かれたポスターを道路向きの窓口に 貼っただけであった。
また、前衛村の農家楽経営が発達して観光者が急増してから、都市部にある広告会社が 商機を掴み、前衛村の大規模な農家楽経営者に交渉を開始した。その結果結ばれた契約は 農家楽が一定の酒類または飲料水を購入すれば、無料で看板を作って提供するというもの だった。これによって前衛村には約 20 軒の農家楽が看板を設置し、2 年間ごとに新しい看 板を更新することが可能となった。設置された看板は都市部で流行しているものと全く同 じで、建築景観の商業化と都市化が強く反映されている(写真 3-9)。
2.道路景観の変化
道路は生活空間の重要な構成部分であり、その景観も地域の発展に伴って変化しつつあ る。前衛村が設立された当初、村落の单を流れる河川に沿った未舗装の道路が整備され、
道路の両側にはメタセコイアが街路樹として植えられた(下は自然に草が生えていた)。こ のように道路の景観は「河川―メタセコイア―道路」と構成されていた(写真 3-10)。街 路樹としてのメタセコイアは、降雤量の多い中国单方地域では成長しやすく、よくみられ る。前衛村においては干潟から埋め立てられた当初、土壌はアルカリ性が強く、他の樹木 の栽培には適しなかったため、その土壌への適正と景観の良さに配慮してメタセコイアが 街路樹として利用された。また街路樹の機能を果たすほかに、河岸の侵食や土壌の流失を
写真 3-9 現代的な農家楽の看板
(2015 年 3 月 筆者撮影)
写真 3-10 観光化以前の道路の景観
(2015 年 3 月 筆者撮影)
防ぐ機能、そして生活用の薪を提供する機能も重要視されていた。1980 年代に入ると、村 内の工業発展のために道路は舗装されたが、道路両側の街路樹景観は変わらなかった。こ の路面の変化は地域発展の需要に応じてできたものと理解できる。
農村観光が発達してから、修景のために都市部の街路樹景観が模倣された。メタセコイ アは伐採され、上海市内でよく見られる街路樹に植え替えられた。その中、一番多いのは 上海市内の街路樹の 40%を占めるクスノキであり(楊・厳、2013)、他に春に花が観賞でき るハクモクレン(上海の市の花)も植えられた。クスノキの下には低木も植えられ、立体 的な植物景観の階層区分ができた。このように、村の管理層は観光のため、都市部にある 自然景観を借用して農村部に応用した。しかし、この景観の美しさは、農村からのまなざ しから考える結果である。結局、道路景観は「川―メタセコイア―クスノキ(下に低木)
道路―クスノキ(下に低木)―住宅」に変化し、従来重要視してきた街路樹の環境適応能 力と生活機能(薪の提供)より、景観の美化機能が優先されるようになった。
一方、自然景観が変化した他に、人工的で都市的な要素も流入した。観光者の夜間移動 の安全性と利便性を考慮して、街路灯が設置された。これには前衛村の生態村の名称に応 じて、ソーラーランプが利用されている。灯柱には観光宠伝の看板が掛けられ、下には衛 生管理のためのごみ箱も設置された(写真 3-11)。
この 2 枚の写真(写真 3-10、11)は同じ道路で、前衛村と隣の村の堺から双方に撮った ものである。写真 3-9 は隣の村の道路景観で、前衛村に観光化以前の景観と同じものであ る。写真 3-10 は前衛村現在の道路景観である。
伝統的な農村である前衛村には道路が尐なく、村民たちも村の地理を熟知しているため、
農村の道路には名称がなく、道路標識もなかった。1999 年に農村観光展開期に突入し、来 訪者が増加する中で村の観光施設が多く設置されたことを背景に、来訪者の各施設へのア クセスを向上させるために、道路に名称を付け、さらに道路や観光施設の標識が設置され るようになった(写真 3-12)。
このように、ルーラリティは道路景観の要素において、生活空間の観光化の発達に伴う 変化がみられた。道路は舗装され、道路の自然景観に都市的な要素が導入されたことで、
新しい農村景観が現れている。人工物としては、都市的な要素である街路照明やゴミ箱、
道路標識も設置された。
写真 3-11 現在の道路景観
(2015 年 3 月 筆者撮影)
写真 3-12 前衛村の路標
(2015 年 3 月 筆者撮影)
3.公共空間の再構築
伝統的には、農村の公共生活空間は寺や祠堂、井戸周辺などであり、これらは村民たち が集まって交流する場である(張、2012)。前衛村は新しい村であるため、このような公共 空間が存在しておらず、实質的な公共空間は行政機能を果たす村民委員会の建物、穀物を 脱穀する場所、レジャー広場の村民生産・生活用空間であった。
1999 年に農家楽経営が始まってから、管理上の便宜を図って、村民委員会の役所が住宅 地から外れた村の入り口付近に新たに設置された。元の建築物は宿泊施設として利用され た。同時に、観光者の増加により、新しい村民委員会の近隣に観光サービスセンターと駐 車場が設置された。
農業生産、とくに穀物生産の停滞に伴い、伝統的な穀物を脱穀する場所の利用がなくな った。その敷地は 2004 年に外部の投資者に賃貸され、香林麗舎という宿泊施設が設置され た。
経済が向上し、村民の日常生活を豊かにするため 1993 年に造られた村民用レジャー広場 は、1999 年には農村観光の発展により、観光者のために提供されるようになった。この敷 地には上海の旅行会社によって、2011 年に野外研修基地、翌 2012 年にテニス場という観光 者専用の施設が整備された。
このように伝統的な村民の生産・生活用の公共空間が観光者向けの公共空間に拡大した ほかに、村民が利用していた公共空間も農村観光の発展に伴って観光施設が集積する観光 空間に変化した。