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第1章 開発途上国と開発

第 3 節 開発と政府の役割

これまで国際機関や先進諸国は開発途上国に対し、時代・事情に応じて様々な開発課 題の解決のための対策を講じてきた。しかし、その国が開発をなし得るためには、当事 国の政府自体が主体性を持って開発を進めていく体制を備え、適切な行政機能を有する ことが重要である。白鳥(1998)は、国家の開発における役割に対する考え方ついて、1950 年代から1990年代に至る国際機関の開発哲学の変化にあわせて整理を行った。

古典派や新古典派の経済理論では、市場メカニズムに任せた小さな政府が主張され、

政府が行うのはマクロ経済の安定的運営など民間部門の活動が自由に行われるようにす るための環境整備が中心で、それ以外の分野については民間部門に委ねるべきとした。

それに対して、1950年代から1960年代の開発政策において支配的であった構造主義 の時代には、多くの開発途上国において、経済成長を促すほどの市場は育っておらず、

資源や労働力、技術も不足していたため、開発への政府の介入と援助による資本、技術 が必要であると主張された。そのため、政府はマクロ経済の安定と公共サービスの提供 だけではなく、限られた資源を生産的投資に振り向ける上で積極的な役割を果たすべき であるとされた。また、BHNアプローチが主張されるようになった1960年代後半から は、成長の成果を広く国民に普及させるために、政府が、人間が生きるために必要な最 低限の基本的なニーズを満たす責任を有するとの考え方からも政府の役割を積極的に評 価するものであった。

しかし、政府主導による開発戦略に効果が多くないことや、政府の過剰な介入がレン ト・シーキング29や汚職の問題を引き起こしたことから、1970年代後半から1980年代

29 何らかの供給量固定的な無形資産に依存した報酬を求める行動のことで、ここでは、例えば輸入許 可、免許といった無形資産を得るために政治家、官僚などに対して賄賂などで働きかけを行うとい った行動を指す。国際開発ジャーナル社、『国際協力用語集第4版』、2014、296頁。

の世界銀行や IMF などの国際機関で支配的となった市場メカニズムに任せた自由競争 による構造調整アプローチは、短期的には国民、特に貧困層に負の影響を与えたことか ら、その影響を緩和するための社会的安全網が必要であり、そうした社会的弱者のため のサービス提供は主として政府の役割であるされた。さらに、1980年代に強く主張され るようになった持続可能な開発アプローチは、開発と環境の問題について重視するもの で、環境を損なわないような開発とそれによる経済成長を図るためのリーダーシップが 求められるようになった。

白鳥は経済開発について、新古典派が主張するように市場に任せておけば自然に実現 するものではなく、市場に任せておいたのでは解決できない調整の問題を「市場の失敗」

と呼び、その問題に対して補完することが政府の役割であるとした。

また、白鳥は世界銀行が発表した『世界開発報告1997 開発における国家の役割』に ついて、「激動する世界情勢の中で開発における国家(政府)の役割を見直そうとするも の」であると述べた(白鳥 1998)。同報告書は、過去の経験から政府主導の開発の失敗と 同時に、効果的な政府がない場合の開発の失敗について取り上げ、開発における政府の 役割は不可欠であると結論した。但し、能力の低い政府がすべてに介入しようとする場 合に「政府の失敗」が生じることとなり、政府の能力と政府の役割とを適合させること が必要であるとした。また、政府の能力と役割とを適合させるとともに、政府の能力を 高めることも必要とした。

白鳥は、同報告書が示した「能力が伴わないうちは政府の役割は極力制限し民間に任 せるべきである」という考え方について、開発の遅れている国ほど政府の能力が低いの は事実であり、こうした国ほど市場が未発達であり、市場を育成するための政府の役割 は大きいはずであると述べた。政府の能力は、静学的なものでなく、政府が各種の政策 を実施していく過程で育っていくという動学的なものとして批判した。こうした点を踏 まえて、白鳥は政府の役割は市場の発展段階に応じて異なると述べ、「市場経済が著しく 未発達な段階」では、市場経済を育成するための社会基盤整備や人材育成、制度づくり を政府が行わなければならないとした。

次に、「市場経済の成長期」には、市場メカニズムがよりよく機能するための経済活動 や産業支援を行うことが政府の役割とした。そして、「市場経済の定着期」には、市場経 済が発達し民間の力がついていく状態にあり、政府の介入は減少させていくべきとした。

その上で重要なことは、自国がどの段階にあるのかを識別して適切な政策を適切な順序 に従って立案・実施することであり、それは政府の役割であると述べた。

ここで、開発における政府の役割についてあらためて整理してみる。広い意味で政府 の役割を述べるならば、国民の安全と利益を守ることである。国民が安全に安心して生 活できる環境を創ることである。

それは犯罪や紛争に巻き込まれることがない、健康で長生きができるよう食糧の確保 や保健・衛生の設備やサービスが利用できることである。食糧を得るため、その他のサ

ービスを受けるために、一定の収入が得られなければならず、そのためには経済開発が 必要であろう。経済が発展するためには、道路や電気、水道といった社会基盤も整備さ れなければならない。また、よりよい収入を得る、または職を得るために教育や訓練が 必要とされるだろう。さらに国民が自らの利益を確保できる権利を有し、そこには財産 権や所有権といった法制度も必要である。こうした環境を創るために政府は、国家の開 発計画を策定し、実施しなければならない。そのために必要な予算(または、歳入と歳 出)の確保と管理を適切におこなわなければならない。また、法制度を整備し、確保し た予算を適切に執行し、社会基盤整備を行わなければならない。しかし、財政が脆弱な 国家においては、国際機関や諸外国との外交関係を維持する必要もある。こうしたこと は、民間企業で代替できるものも含まれるが、原則として政府が行うべき役割である。

白鳥が述べたように、多くの開発途上国では政府機能が脆弱であるかもしれないが、

それ故に政府の役割は大きいということである。Lwin らは経済成長の諸条件として以 下 9つの条件を提示した。

1. 地理的、気候的条件

2. 天然資源(国土、水、鉱物、海、川、山、森林、降雨、日照時間、野生生物)

3. 人的資源(健康、教育、熟練労働力)

4. 政治的安定

5. 平和な民族・宗教環境

6. 社会的・物的インフラストラクチャー 7. 市場志向の政治・経済環境

8. 経済的・政治的な民主主義と自由 9. 開発管理能力とその効果

1980 年代から 1990 年代の新興工業経済地域(Newly Industrialization Economies:

NIEs)の経験から上記9条件のうち4. 政治的安定、7. 市場志向の政治・経済環境、9.開

発管理能力とその効果が特に重要な要素であると述べている。それら3つの条件は、政 府の役割 であり、 高い経済成長と持続可能な開発が、ODA や外国直接投資(Foreign Direct Investment: FDI)の効果的な利用を通じて実現されたと述べた(Lwin, Kinoshita, Mori 2016)。

低開発の状態とは、国民が生活する上で必要な基盤、例えば道路や水道、電気、およ び学校、病院といった社会的基盤が十分整備されていないことである。それらの社会基 盤を整備するためには資金が必要であるが、十分な資金がないのである。そのため、そ うした資金を国際機関や外国からの援助に頼ることになる。しかし、そうした資金の管 理や、資金の利用について適切な管理と運営を行うに必要な人材が不足している。民間 部門が成熟した社会においては、民間部門がその役割を代替する可能性もあるだろうが、

開発途上国では、その可能性も低いだろう。これらの点からも、開発途上国が持続可能 な開発を進めるために負う役割は重要である。

まとめ

開発途上国は、慢性的な低所得および国の経済や社会の開発の程度が低く、国民が安 全かつ安心して生活するための基礎的な条件である社会基盤や制度が十分整備されてい ないために教育や保健衛生に多くの問題があり、貧困に苦しむ人々が存在する国である。

それらの問題を解決する取り組みが開発であり、そのためには持続性のある経済発展の ための適切な開発戦略と政策が必要条件となる。

第2次世界大戦以後、経済発展のための開発アプローチとして工業化による開発とそ のための先進国による開発援助が行われてきたが、生産と所得の向上優先型の経済発展 だけでは不十分であることから、それを補完するための開発の考え方、または、人間 1 人ひとりの開発に焦点を当てたアプローチが広まってきた。そして、現在MDGsやSDGs といった明確な開発目標を設定し、あらゆる場所のすべての人々が開発の恩恵を得られ る、誰も取り残されない開発という考え方に進展した。誰も取り残されない開発のため に、政府の役割は重要であり、公的部門と民間部門とが調和し、自立的な開発活動に取 り組むには困難を抱えている開発途上国にとって、国際機関や外国ドナーとの関係維持、

調整といった点でも政府の役割は強調される。

本論文は、開発途上国の開発を主題とした研究であり、第1章では開発途上国および 開発の概念や定義、さらに戦後の開発途上国の開発を進める上で用いられてきた開発ア プローチの変遷を辿ることにより、その時代や情勢によって開発の考え方がより広範に なってきたことを確認した。また、開発途上国は低開発であるが故に開発を進める上で 政府の役割が重要であることを確認した。

本章で確認したように、国際社会は開発途上国の開発問題を解決するために苦心し続 けてきた。様々な開発政策の実践と結果からアプローチ方法を変化させてきたが、それ により国の開発が必ず達成されるとは言い難く、全ての国に完全に対応し得る唯一の開 発アプローチ、万能薬などないことは明らかであり、国の開発に対して真に必要なのは、

その国の社会・経済・文化などを踏まえ、それらに適応したアプローチを生み出し、か つそれを実行し、国の開発の有用性を信じる人材によって構成される政府の存在である と言えよう。もちろん、多くの開発途上国の政府は自らも開発に向けた努力を行ってい るが、それぞれが様々な課題を抱えており、未だ開発が成功したとは言えない国が残存 しているのが現実である。

本論文は、多くの開発途上国の中からラオス人民共和国(以下ラオス)に焦点をあて、

その開発問題を研究する。ラオスはアジアにおける後発開発途上国の1つであり、不利 な地理的、歴史的、社会的な背景の下で数多くの課題を抱え、低開発状態に甘んじてい る国である。上述したように、国際社会における開発アプローチに対する考え方が広範