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エンパワメント

ドキュメント内 都市貧困層の社会運動への参加 (ページ 69-79)

第 4 章 都市貧困層のエンパワメント

4.1. エンパワメント

日本語で「力(パワー)づけ」や「力の獲得」を意味するエンパワメントは、途上国地 域の貧困や開発援助に関する研究や実践において、1990年代頃から用いられるようになっ た分析手法および概念である。エンパワメントをめぐっては教育学や心理学から政治学や 社会学まで扱う分野が多岐にわたり、エンパワメントが具体的に何を意味し、どのように 実現されるかは、それぞれの分野によって異なる。ただしエンパワメントでは、識字教育 により貧困層が自身の置かれている政治社会的に抑圧された状況を認識し、その状況を変 えるべく覚醒する「意識化(conscientização)」52が重視される[Freire 1970]。このような

51 フリードマン[1995]では「力の剥奪モデル」と日本語に訳されているが、Friedmann[1992]

では「The (dis) empowerment model」として提示されていることから、本論では

「disempowerment」の通例の訳である「反エンパワメント」をそのままモデルの名称として 用いる。

52 Freire[1970]の日本語版の序章において訳者は、フレイレの実践と理論の最重要概念である

「意識化」は、学習によって自らと他者、あるいは現実世界との関係性を認識し意味化する力 を獲得しながら、自らと他者あるいは現実世界との関係を変革し人間化しようとする自己解放 と同時に相互開放の実践、というダイナミックな意味があると説明している[フレイレ 1979:1]。

考え方は、世界的に著名なブラジルの教育者フレイレの思想を基盤としている。対象やそ れを取り巻く環境に関するパワーや資源の様態を分析するとともに、それらが人々の主体 的または内発的な発展や成長へ与える影響に着眼するエンパワメントは、様々な社会的弱 者をめぐる運動や活動で広く導入されるようになった[久木田・渡辺編1998, 佐藤編2005]。

このようなエンパワメントは、都市貧困層が社会運動に参加する際のエージェンシーに注 目する本論にとって、有用な分析手法および概念だといえる。

このエンパワメントをめぐる多様な議論の中から本論では、主に政治学をベースにラテ ンアメリカを中心に調査研究を行った Friedmann の「(反)エンパワメント・モデル」を 援用する。Friedmannは、エンパワメントという概念を中心に置いたオルタナティブな開 発の必要性を唱え、同モデルを集団的自己エンパワメントのモデルとして提示した [Friedmann 1992]。本章で取り上げるムチランとシンガポール・プロジェクトは、両者と も都市貧困層の住民組織を活用するが、前者が既存の社会運動に依拠した政策である一方、

後者は政府側が組織化を試みるトップ・ダウン型の政策である。エンパワメントは対象者 の主体性など本論で定義するエージェンシーにも着目することに加え、Friedmannのモデ ルは後述するように社会組織や生活空間を重視する。そのため、都市貧困層の住民組織を 活用する 2 つの参加型政策を分析する際、エンパワメントは有効な分析手法だといえる。

また、Friedmann のエンパワメントがラテンアメリカを地域的なベースとしている点も、

ブラジルを事例とする本研究への援用に示唆的だといえよう。

4.1.1. Friedmannのエンパワメント

本章では、Friedmannの(反)エンパワメント・モデルを2つの住宅政策の分析に援用 する前に、Friedmannが考えるエンパワメント53、および、そのエンパワメントが基礎を 成すとする「オルタナティブな開発」[フリードマン1995:27]について説明する。

オルタナティブな開発に関して Friedmann は、市民社会が関わる解放を目指す政治行 動の一部であり[フリードマン 1995:26]、世帯とその成員が社会的、政治的、心理的パワ ーを獲得することを追及するものだと論じている。そして、開発途上地域の貧しく排除さ れた大多数の人々が、自らの置かれている貧困状態から抜け出すためにはトリックル・ダ ウン型とは大きく異なる開発が必要であり、それがオルタナティブな開発だと主張する[フ

53 フリードマン[1995]では、「power」を主に「力」という日本語に訳している。しかし、「power」

は「権力」などの意味も含む、より広義の概念である一方、日本語の「力」は物理的な意味合 いが強いと考えられる。したがって、本論では原語の意味をより正確に表現するため、「パワ ー」というカタカナ表記を用いる。また、Friedmann [1992]は社会的パワーの「基盤(base)」

という用語を用いているが、「資源(resource)」という用語で説明している箇所もあることか ら(Friedmann [1992:67] Each form of power is based on certain resources that can be accessed by a collective actor.)、本論では混乱を避けるために、より理解しやすいと思われる

「資源」という用語を用いる。

リードマン1995:1]。またオルタナティブな開発は、「民衆の利害を守る政治を第一に」す るとして政治の重要性を強調するとともに、「最初は特定の地域に基盤をもつが、その長期 的な目標は国や国際的なレベルでの政治活動によって社会全体を変革」するとして、ミク ロからマクロな領域への拡大が可能だと述べる[フリードマン1995:71-74]。

つまり開発途上地域の貧困削減には、従来のような最大限の経済成長を目指す主流派の 経済開発アプローチだけでなく、1960年代に萌芽し、1970年代から重視されるようにな った「人間としての基本的ニーズ(Basic Human Needs)」など、社会開発を重視するア プローチも必要だと主張している。ただし Friedmann は、オルタナティブな開発がそれ までの主流派開発アプローチを代替すべきだとは考えておらず、「反主流派モデルは真に弁 証法的な仕方で主流派のなかに入り込む必要」[フリードマン1995:243]があると認識して いる。また、「国家の協力なしには貧困は改善されず、地域において民衆がパワーを獲得す る活動を行うには強力な国家(strong state)が必要である」[Friedmann 1992:7]として、

国家の存在や役割自体を否定してはいない。

Friedmann は貧困を、「社会的パワーの主要資源へのアクセス機会が相対的に剥奪され

た世帯経済」[フリードマン1995:139]と定義し、オルタナティブな開発の達成には、市民 社会の核である「世帯」が剥奪されている社会的パワーを獲得し、最終的にそれを政治的 パワーに転換することが必要だと説く。その理由として、西洋社会では過去200年以上の 間、パワーは生活空間を構成する4つの社会行動の領域(表 4.1.1.)の中の国家と企業経 済に蓄積され、多くの場合、市民社会と政治コミュニティのパワーを奪う形で進んできた との見解を示す[フリードマン1995:70]。

Friedmannは、オルタナティブな開発の主体に位置付ける世帯を、新古典派経済学が消

費の単位と考えてきたものと異なり、本質的に生産的かつ活動的であり、市民社会の最も 基本的な単位として捉える。このような世帯は、「社会的パワー」、「政治的パワー」、「心理 的パワー」の 3つのパワーを行使するとされる。「社会的パワー」とは、後述する 8 つの 資源へアクセスするパワーであり、その増大は世帯が富を生み出す資源へのアクセスの強 化を意味する。「政治的パワー」とは、選挙の際に投票するパワーだけでなく、世帯の個々 の成員が自身の将来に影響を及ぼす様々な決定過程に参加するパワーでもあり、個人的な 意見の表明や集合的な行為の実践という主体性にもとづくパワーを意味する。そして「心 理的パワー」とは、個人が自己や自身が属する社会集団に対して潜在力を感じるパワーで あり、心理パワーの増大は、世帯の社会的パワーや政治的パワーを相乗的に強めるとされ る[フリードマン1995:72-74]。

表4.1.1. オルタナティブな開発における4つの社会行動の領域 社会行動

の領域 パワー形態 具体的なパワー 核

市民社会 社会的パワー 8つの資源を獲得するパワー 個人と世帯と市民的協会 国家 国家権力 法律を作るパワー

暴力を合法的に行使するパワー 行政府と司法 企業経済 経済的パワー

資金源へアクセスするパワー 資本を移動させるパワー 雇用または解雇するパワー

企業と金融機関(法人)

政治コミュ

ニティ 政治的パワー

投票するパワー

デモやロビー活動を行うパワー 決定過程に参加するパワー

社会運動と政治組織

(出所)Friedmann[1992:27, 67]をもとに筆者作成。

では、Friedmann が考える「エンパワメント」とは、どのような概念なのであろうか。

Friedmannは「エンパワメント」という用語を原著のタイトルに用いているが、同著の中

でエンパワメントに関する具体的な定義づけを行っていない。ただしエンパワメントには、

社会的、政治的、心理的という3つの形態があると述べ、「エンパワメント・アプローチ」

について次のように説明している。世帯は、社会的パワーの資源(後述)を相互的、螺旋 状的に築いていくなかで社会的パワーを獲得し、そのプロセスを通して政治的パワーが生 まれてくる。そして個人レベルにおいて、この螺旋状に進むプロセスのあらゆる局面で心 理的エンパワメントが可能となる[フリードマン1995:4-5]。またFriedmannは、「世帯や 地域の利益が地方や国さらには国際政治をも含むマクロのレベルで訴えられ、守られ、認 められるようにならなければならない」[フリードマン1995:74-75]と述べており、エンパ ワメントが世帯のレベルだけでなくマクロなレベルへも広がっていくと捉えられているこ とがわかる。

このエンパワメント・アプローチの説明と貧困の定義から Friedmann の考えをまとめ ると、エンパワメントとは「剥奪されているパワーを獲得していくプロセス」だと捉える ことができよう。本論では Friedmann の(反)エンパワメント・モデルを援用した分析 や考察を行うことから、エンパワメントを上述した Friedmann と同様の意味で理解する こととする。

4.1.2. Friedmannの(反)エンパワメント・モデル

ここでは、Friedmannが提唱する(反)エンパワメント・モデル(図4.1.2.)について

説明する。このモデルには「(反)エンパワメント(The〔Dis〕Empowerment Model)」 というタイトルが付されているが、これは同モデルが貧困状態の計測や比較を試みる際、

世帯が資源へのアクセスをどれくらい達成できているかという点とともに、それらがどれ くらい不足しているかという「反(Dis)エンパワメント」状態も把握できるからだとさ れる。また Friedmann は同モデルにより、自己を取り巻く集団に関する貧困が如何にし て克服され、真の開発が推進されるかを理解できると論じている[フリードマン 1995:119]。

すなわち Friedmann は(反)エンパワメント・モデルを、エンパワメントのプロセスの

分析を可能にするモデルとして提示している。

まず、同モデルにおける社会的パワーについて、Friedmannが設定する8つの資源を以 下にまとめる。

①「防御可能な生活空間」

安全な生活空間は貧困層の生存において1番高い価値を持つ社会的パワーであり、世帯 経済の「なわばり」(territory)的な資源。広い意味で「家庭」を超えた生命維持活動が行 われる空間。

②「生存に費やす時間以外の余剰時間」

2 番目に高い価値を持つ社会的パワーで、日々の生存の確保に必要な時間以外の時間。

具体的には、通勤時間、基本的な消費財(食糧や水など)や公共サービスへのアクセスの しやすさ、性別による分業など。余剰時間が少ないほど世帯の持つ選択肢は制限される。

③「知識と技能」

人的資源開発のための投資を意味し、長期的なスパンにおいて世帯が経済的上昇を達成 するために必要。

④「適正な情報」

世帯の生存のために有用か否かを判断するための情報であり、具体的には生活面の改善 方法、雇用機会や政治動向に関する情報。「知識や技能」を自己開発の資源として有用にす るもの。

⑤「社会組織」

世帯メンバーが所属するフォーマルおよびインフォーマルな組織であり、具体的には、

協会、スポーツクラブ、ボランティア団体、組合など。有用な情報の入手や集団行動のた めの手段となり、世帯と社会をつなぐもの。

⑥「社会ネットワーク」

家族や友人間の水平的ネットワーク、および社会的ヒエラルヒーの中の垂直的ネットワ ーク。加入する社会組織が増えるにつれ増加する。

⑦「労働と生計を立てるための手段」

世帯の生産のための手段。具体的には、健康であること、生産財(水、土地、自転車、

ミシンなど)、台所用品やトイレなどの家庭内の設備。

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