第 6 章 都市貧困高齢者の社会運動への参加
1. 本論の論点の再確認
本論では、制度化が進む近年のブラジルの参加型行政という、社会運動にとって政治的 機会が増大した構造変化を考慮に入れ、「なぜ都市貧困層は社会運動に参加するのか」とい う問いを設定した。この問いは、日本と異なり多くの都市貧困層が積極的に社会運動へ参 加している現実を知るという、ブラジルでのフィールド調査における筆者の実体験から生 起したものであった。
この問いに対して、「参加型行政の普及や制度化という構造変化により、社会運動にと って政治的機会が増大し、以前は困難だった都市貧困層のエージェンシーが発揮されるよ うになり、それが都市貧困層の社会運動への参加を促すひとつの要因になった」とする仮 説を立てた。この仮説はひとつに、ブラジルにおける近年の社会構造の変化に依拠してい る。それは、ブラジルで「市民の憲法」とも称される新たな憲法が 1988 年に制定されて 以降、より多くの市民が関わる参加型の行政スタイルが施行され、社会運動を活用するか たちで制度化も進み、社会的に排除されている弱者にとって、集合行為を介した政治的機 会が以前より増大したという構造変化である。これに加え、参加者の主体性や内発的変化 の表出であるエージェンシーが、社会運動の理論研究において最近まで看過されてきた点、
および、そのエージェンシーが本論の対象である都市貧困層の場合、社会的に排除されて いる弱者であるが故に発揮が困難とされる点にも基づいている。つまり本論の仮説は、近 年の構造との相互作用において、最近研究されるようになったエージェンシーについて、
その発揮が困難な都市貧困層を対象に、社会運動への参加に影響がある、という考えに立 脚したものであった。
したがって本論の目的は、ブラジルで普及や制度化が進む参加型行政という社会構造と の相互作用的な関係性から、社会的に排除された弱者であるが故に発揮が困難とされる都 市貧困層の社会運動を介したエージェンシーを見出し、都市貧困層が社会運動へ参加する 要因として先行研究で看過されてきた点を明らかにすることであった。その際に本論では、
参加型住宅政策ムチランにおけるエンパワメント、都市貧困層の住宅運動に関するフィー ルド調査、都市貧困層の中でもより社会的に排除された弱者である貧困高齢者の社会運動 という、3 つの主な研究事例を取り上げた。そして、政治的機会構造論から捉えた参加型 行政という社会構造と、都市貧困層というアクターの社会運動を介した集合行為との間の 相互作用を社会学的視座から分析した。これらの分析結果を都市貧困層のエージェンシー との関連から以下に総括する。そして本終章の最後において、それらをもとに仮説を検証 し、本論の問いに対する結論を提示する。
2. 3つの調査研究の分析結果の総括
2.1. ムチランにおける都市貧困層のエージェンシー
主に 1990 年代からサンパウロ市で実施されるようになった貧困層向け住宅政策のムチ ランは、社会運動を活用した参加型の政策である。本論で制度論的アプローチにより詳説 した政策スキームなどから、都市貧困層にとってムチランは、社会運動を介して自身の住 宅を協働で建設するという、既存のものとは大きく異なる政策であることがわかった。政 治的機会構造論の視座から、ムチランは集合行為を行う都市貧困層にとって、住宅政策に 関する政治的な機会の増大をもたらす構造変化の一部として捉えることができる。
本論ではムチランとともに、住民組織を活用する政策という類似点からシンガポール・
プロジェクトを取り上げ、2つの住宅政策をFriedmannのエンパワメント・アプローチに より比較分析し、それぞれの都市貧困層のエンパワメント・メカニズムを提示した。そこ からは、「社会組織」や「社会ネットワーク」という資源、相乗的な様々な資源増大と螺旋 状的なパワー獲得プロセスにおける既存と新たな問題の「意識化」や「気づき」、それらに 基づく問題改善のための能力・意図・主体性、「政府」や「外部アクター」という外部者と の接点の有無や増減が、都市貧困層のエンパワメントの実現に重要であることが確認でき た。
社会運動のような「社会組織」は、様々な資源へのアクセスを容易にする「社会ネット ワーク」を広げるため、エンパワメントをめぐる相乗的かつ螺旋状的な発展プロセスの基 軸となる。そして「意識化」や「気づき」という内発的な変化が、「政府」や「外部アクタ ー」という外部者との接点が多く、様々な資源やパワーを獲得して行く過程で誘発され、
問題を改善しようとする能力・意図・主体性がそれらをもとに高まり、更なる発展を促す。
ムチランの場合、それらが政策スキームに制度的に組み込まれているため、都市貧困層の 住居獲得という第一の目的達成に加え、社会運動を通じた参加者の主体性や内発的な変化 を促進する可能性が高い。このようにムチランが、個人の利益および主体性や内発的な変 化を実現させる可能性が高い点が、都市貧困層の社会運動に参加するモチベーションを高 めていると考えられる。ムチランの分析結果は、参加型政策における社会運動の関与の制 度化が、都市貧困層の社会運動への参加にとって重要であることを示している。
以上、エンパワメント・アプローチにより分析したムチランに関して、参加型住宅政策 という構造の一部と、都市貧困層というアクターによる社会運動との間に相互作用的な関 係性を見出すことができた。そして、この相互作用において都市貧困層は能力・意図・主 体性をともなった行為により、自身の住居獲得という利益を実現することができた。した がって本事例は、都市貧困層のエージェンシーの発揮の一形態だと捉えることができる。
2.2. フィールド調査、都市貧困層のエージェンシー
本論の2つ目の主な調査研究は、都市貧困層の住宅運動に関するフィールド調査に関す るものである。それらは、ムチランの政策実施時に結成される住民組織に対するアンケー ト調査、社会運動リーダーへのインタビュー調査、社会運動団体を対象とした参与観察の 3つに大別される。本項では第5章でまとめたこれらの調査結果から、都市貧困層のエー ジェンシーの発揮について論じる。
はじめのムチラン住民組織へのアンケート調査では、住民組織の住民が実際に社会経済 的な都市の貧困層であり、参加者の多くがムチランにより満足度の高い居住環境を獲得し ていることがわかった。ムチラン経験者は事前に社会運動へ積極的に参加した人々であり、
現在も社会運動などを通じて同様の境遇にある都市貧困層と関わりを多く持つ傾向が強い。
そのため、ムチラン住民組織の住民が満足する住居を獲得した経験や情報は、住居獲得と いう同様の目的を持つ都市貧困層にも、相互作用的かつ継続的な集合行為、または、個人 の能力・意図・主体性をともなった行為により共有される可能性が高い。このことは、更 なる都市貧困層が住宅運動に参加することを促す一要因になっていると考えられる。
また都市貧困層は、実利的な観点から社会運動に関わっている場合が多く、その様態は ムチランとの関わりの度合いで差異がある。住民組織の住民はムチランの対象者に選ばれ るべく、以前は社会運動の活動に積極的に参加した人たちである。しかし、住居獲得とい う個人的な目的が達成された後は、参加の度合いが低下したり、自身の生活と関連した未 解決な問題をめぐる活動に参加が限られたりするなど、社会運動への参加が消極的になる 場合が多い。このような傾向は、プロジェクトにおける協働作業という主体性をともなっ た行為の度合いが低いほど顕著なため、ムチランの実施プロセスで共有されることで高ま る連帯感や自信、すなわち内発的は変化が影響を与えていると考えられる。
次の社会運動リーダーへのインタビュー調査において、社会運動のリーダーたちは、自 身の住居獲得という目的が達成された後も、社会運動に積極的に参加していることがわか った。その理由には、社会的公正や貧困削減をめぐるリーダーたち個人の信条が挙げられ る。この個人的な信条が、社会運動が政党と共有する政治的理念と合致または類似する場 合、リーダーの社会運動への参加や関わりはより深いものになると考えられる。都市貧困 層の中には社会運動のリーダーたちのように、社会運動に関わることで信条や理念をめぐ る「意識化」や「気づき」といった内発的な変化が生起し、個人だけでなく都市貧困層全 体の状況改善を実現すべく社会運動に参加し、自己の能力・意図・主体性をともなった行 為を継続・発展させる人もいる。
また、社会運動リーダーと政党の関係には、社会運動団体と政党という組織間の公式な ものではなく、リーダー個人と政党という個人的なレベルで雇用を中心とした経済的な関 係が存在することがわかった。また、その形態は様々であるとともに、リーダーが政党と の関係を模索する様子を見て取ることができた。社会運動リーダーの政党による生計確保 などの政治経済的な関係は、前述の個人的な信条を含め、固定的ではなく可変的なため、
政府と社会運動などの協働を特徴とする参加型行政の様態に影響を与えると考えられる。