第三章 中国の身辺小説における私小説的要素
第三節 郭沫若の身辺小説
三 郭沫若の身辺小説における私小説的要素およびその独自性の考察
前述のように、郭沫若は『鼠災』の後、一連の身辺小説を創作した。まず、その一連の 身辺小説を指すものを具体的に確認したい。
これまでの研究では、例えば、江源は『鼠災』・『残春』・『未央』・『月蝕』・『聖 者』・『万引』・『漂流三部作』・『行路難』・『亭子間中』・『湖心亭』・『矛盾的統 一』・『後悔』を郭沫若の主な身辺小説にしたが、すべての身辺小説を示していない187。 そこで、筆者は鄭伯奇の「寄託小説」・「身辺小説」の二分法に従い、郭沫若の身辺小説 およびその基本情報を以下のようにまとめてみた。
創作
時間 人物構成
主人公
の身分 モチーフ
『他』(初出不明) 1920 主人公K、同級生N 学生 主人公の日常生活の一スケ ッチ
『鼠災』〔初出:『時事新報・
学灯』1月26日号、1920〕 1920
主人公方平甫、妻(牧師 の娘)
学生 主人公の苦しい日常生活
186 王文英・王尓齡・盧正言『郭沫若文学特論』(新疆人民出版社、1992)248頁。原文:「郭沫若……在 他小説創作途中、陸続訳出了日本現代小説15家的19篇作品、後来集結出版。其中就有「短篇小説之神」
的白樺派作家志賀直哉和私小説著名作家葛西善藏的小説共三篇。」
187 同注170、83頁参照。
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『残春』〔初出:『創造』季
刊第1巻第2期、1922〕 1922
主人公愛牟、妻暁芙、息 子二人、知り合いの白羊 君、賀君、看護婦S
学生 友人へのお見舞い
『未央』〔初出:『創造』季
刊第1巻第3期、1922〕 1922
主人公愛牟、妻、長男、
次男 不明 主人公の苦しい日常生活
『月蝕』〔初出:『創造週報』
17-18号、1923〕 1923
主人公K、妻、長男、次
男、宇多
不明 主人公の苦しい日常生活と 日本人宇多への思い出
『聖者』〔初出:『創造週報』
42号、1924〕 1924
主人公愛牟、妻、長男、
次男
雑誌編 集者
子供の怪我、主人公の苦しい 日常生活
『落葉』〔初出:『東方雑誌』
第22巻18-21号、1925〕 1924
語り手である「私」、主 人公洪武師、洪武師の恋
人菊子
不明 「私」の友人の恋話
『陽春別』〔初出:『孤軍』
第2巻第8期、1924〕 1924
主人公王凱雲、西洋人 A.H.
無職
主人公と西洋人の出会い、苦 しい日常生活への不満
『万引』〔初出:『学芸』第
6巻第7期、1925〕 1924 主人公松野、妻、子供 文学者 主人公の窃書事件
『葉羅提之墓』〔初出:『塔』
(商務出版社、1926)〕 1924 主人公葉羅提、兄嫁 学生 主人公と兄嫁の間の恋話
『喀爾美蘿姑娘』〔初出:『東
方雑誌』第22巻4号、1925〕 1924
主人公、妻、喀爾美蘿娘、
S婦人 学生 主人公と喀爾美蘿娘の 恋話
『漂流三部曲』〔『漂流三部 曲』は「岐路」・「煉獄」・
「十字架」三部によって構成 される。「岐路」初出:『創 造周報』第41号、1924。「煉 獄」初出:『創造周報』第44 号、1924。「十字架」初出:
『創造周報』第47号、1924。〕
1924
主人公愛牟、妻、長男、
次男
雑誌編 集者
主人公の苦しい日常生活
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『行路難』〔初出:『東方雑
誌』第22巻7-8号、1925〕 1924
主人公愛牟、妻暁英、長
男、次男 文学者 主人公の苦しい日常生活
『三詩人之死』〔初出:『晨
報副刊』3月4日・6日号、1925〕 1924
主人公、妻暁芙、子供三 人
不明 主人公のウサギを飼う話
『人力之上』〔初出:『晨報
副刊』4月27日・28日号、1925〕 1924
主人公愛牟、妻暁芙、友
人S一家 不明 主人公の友人Sの死
『曼陀羅華』〔初出:『創造
月刊』第1巻第4期、1926〕 1924
主人公、妻、友人哈君一
家 不明 主人公の友人哈君夫婦の喧 嘩話とその息子の死
『紅瓜』〔初出:『洪水』第 2巻第18期、1926〕
不明 主人公、妻暁芙、子供三 人
文学者 主人公の苦しい日常生活
『亭子間中』〔初出:『現代
評論』第1巻第8期、1925〕 1925
主人公愛牟、妻、長男、
次男 文学者 主人公の苦しい日常生活
『湖心亭』〔初出:『学芸』
第7巻第1期、1925〕 1925
主人公愛牟、妻、長男、
次男
不明 主人公の苦しい日常生活
『矛盾的統一』〔初出:『洪 水周年増刊』12月1日号、
1926〕
1926
主人公、妻、主人公の友 人T、Gとその妻
不明 主人公の苦しい日常生活
『後悔』〔初出:『創造月刊』
第1巻第6期、1927〕 1926
主人公愛牟、妻、長男、
次男、三男
文学者 主人公の苦しい日常生活
郭沫若の身辺小説に関して、これまでの研究の中では、一つの問題点が残っている。そ れは小説『他』に関する問題である。中村みどりは小説『鼠災』を郭沫若の身辺小説の初 作であると主張するが、武継平は『他』を郭沫若の身辺小説の初作であると指摘する188。 小説『他』は、作者と思われる主人公 K の生活の一場面が書かれている。鄭伯奇の説によ れば、身辺小説では、作者の身辺的なものが書かれているので、筆者も武継平と同じよう
188 同注181、254-257頁参照。
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に、『他』を郭沫若の身辺小説の初作として扱いたい。
上記の表から分かるように、郭沫若の身辺小説は、人物構成・主人公の身分などにおい て、各小説の間が繋がっていることが多い。このように、郭沫若の身辺小説は、それぞれ が独立しているのではなく、強い関連性があることが窺える。この点は私小説と同じであ ると思われる。私小説では、小説の「私」がすべて作者を指すため、各小説に密接な関係 が存在する。
ただし、前掲武継平が述べたように、郭沫若の身辺小説の一部では、作者の心境が実際 の経歴によって反映するのではなく、作者が作り出した虚構事件、言い換えれば、自己経 歴と異なる物語によって現わされている。例えば、『落葉』と『葉羅提之墓』がその例で ある。『落葉』では、作者は虚構人物である「洪武師」とその恋人「菊子」を通し、自分 と佐藤富子のことを書いたと思われる。また、『葉羅提之墓』では、作者は自分の子供時 代の経歴を素材にして、虚構人物「葉羅提」を作り出し、自分の子供時代の経歴を描いた。
鄭伯奇はこのような身辺小説を「第三人称で比較的に客観的で、……しかし抒情の色彩は 依然として濃いのである」と評論する189。このように、鄭伯奇によれば、身辺小説を決め る基準が作者の経歴をありのままに書くことではなく、作者の真の感情、すなわち真実の 心境が込めているかどうかと思われる。このように、鄭伯奇の言う創造社の身辺小説とは、
〈作者の身辺的なものを書き入れ、自己の心境を反映する小説〉であろう。
以下から、上記の表で取り上げた身辺小説を通し、先行研究を参照しながら、郭沫若の 身辺小説の独自性および私小説との関連性についての考察に入りたい。また、考察に当た って、鄭伯奇の説に従い、郭沫若の身辺小説を第三人称で書いた客観的な小説とそれ以外 の小説、二種類に分け、考察を行う。
筆者の考察によると、郭沫若の身辺小説では、「第三人称で書いた客観的な」小説につ いて、鄭伯奇が述べた『落葉』・『万引』・『葉羅提之墓』のほかに、『陽春別』がある と思われる。以下から、まず上記の四篇の「第三人称で書いた客観的な」身辺小説に私小 説の内容と形式的「現実依拠性」を示すテキスト信号が存在するかを検証し、私小説との 関連性および身辺小説の独自性を分析したい。
189 同注5、731頁。原文:「第三人称比較客観化、……但依然是抒情的色彩很濃厚。」
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(一) 『落葉』・『陽春別』・『万引』・『葉羅提之墓』の考察
① 小説のあらすじ
『落葉』では、「私」は主人公洪武師を見舞いに来た時、洪武師に頼まれ、彼の恋人菊 子からの四十一封の手紙を翻訳した。小説の主な内容は四十一封の手紙の翻訳である。
『陽春別』では、主人公王凱雲と西洋人 A.H.の出会いおよび主人公における苦しい生活 への不満が書かれている。
『万引』では、主人公松野の窃書事件が書かれている。
『葉羅提之墓』では、主人公葉羅提と兄嫁の間の恋話が描かれている。
② 『落葉』・『陽春別』・『万引』・『葉羅提之墓』におけるフィクションの使用につ いて
ⅰ 『落葉』では、「私」の友人洪武師とその恋人の物語が小説の主な内容であり、作者 郭沫若本人とは無関係であるように見えるが、小説の中の洪武師とその恋人の情報を詳細 に検討してみると、洪武師は郭沫若であり、その恋人菊子は当時郭沫若の恋人佐藤富子で ある可能性が高い。例えば、中裕史は「郭沫若におけるキリスト教の受容:小説『落葉』
からみえるもの」において、「洪武師の経歴は、郭沫若のそれと重なり合う」と指摘する190。 よって、筆者は郭沫若の経歴を調査し、洪武師の経歴と比較することで、以下のことを 明らかにした。
小説では、洪武師は「私」の大学と高校の同級生であり、専門は同じく医学である。そ れに菊子〔東京のある病院の看護婦〕との出会いは、東京で友人Cの看病をした時である。
これらの経歴がすべて作者と一致する。郭沫若はかつて東京で友人陳龍骥を看病した時に、
佐藤富子と出会い、その後恋人になった191。
このほか、洪武師は旧式婚約制度の被害者であり、兄があり、官費月三十三元をもらっ た留学生である。菊子はキリスト教徒であり、家族を捨て一人で上京し、洪武師の支援で 女子医学校に入学した。これらもすべて郭沫若と佐藤富子の情況と一致する。
190 中裕史「郭沫若におけるキリスト教の受容:小説『落葉』からみえるもの」(『中国文学報』78、2009)
78、122頁参照。
191 同注165、48頁参照。
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また、小説の中で、菊子からの手紙は1916年9月から12月までである。郭沫若は1916 年7月に佐藤富子と出会い、8月彼女と別れた後、「毎週いつも三四通の手紙を書いていた」
192、12月に富子と同居し始めたため、手紙を書く時期もほぼ一致する。
上記の論述から分かるように、郭沫若は自身の経歴を架空の人物によって表現している ので、その経歴である物語内容自体が事実であるが、小説である物語言説に書き換える時 に、フィクションを使用し、本小説を作り出したことが判明した。よって、本小説のフィ クションの使用は物語内容〔ストーリー自体、小説の原型〕ではなく、物語言説〔小説そ のもの〕における使用であることが明らかになった。
ここで、筆者は一つの仮説を提出したい。それは、身辺小説はフィクションの使用が可 能であるが、その使用は物語内容を虚構するのではなく、物語言説に変換する段階だけに 限定される。この仮設を証明するために、次に、『陽春別』の考察に入りたい。
ⅱ 『陽春別』では、十年間日本に留学した主人公は帰国後、就職できなかった。日本に 戻らなければならない情況に陥って、ある日〔1924年6月10日〕長崎までの船の切符を買 う時に、偶然一人の西洋人と出会い、自分の不遇を西洋人に話したという内容が書かれて いる。
また、郭沫若の実際の経歴を見ると、彼は1924年4月に、主人公と同じように船で日本 に行った。よって、本小説も『落葉』と同じように、小説の物語内容は郭沫若自身の経歴 である。
さらに、物語言説、つまり小説自体を見ると、『陽春別』は『落葉』と同じように、フ ィクションの使用が検出された。例えば、小説では、主人公王凱雲は三等の切符を買って、
西洋人と一緒に日本に行ったが、『郭沫若年譜』の記録によると、郭沫若は友人黄恢権と 同行し、特等の切符を黄恢権からもらって、日本に行ったという193。
上記の通り、小説『陽春別』は『落葉』と同じように、フィクションの使用が存在し、
その使用は物語内容を虚構するのではなく、物語言説に変換する段階にあることが判明し た。次に、小説『万引』と『葉羅提之墓』におけるフィクションの使用を検討してみたい。
ⅲ 筆者の調査による限り、小説『万引』で書いてある主人公の窃書事件は郭沫若実際の
192 同注165。原文:「毎週総有三四封信往来。」
193 同注165、148、149頁参照。