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第三章 中国の身辺小説における私小説的要素

第四節 張資平の身辺小説

一 張資平の小説に対する評価

本節では、張資平の身辺小説の考察に入る前に、まず、張資平およびその小説に対する 評価に関する先行研究を確認しておきたい。

張資平への評価については、彼の場合政治的な評価も含めて論評されることも多く、時 として偏った見解も述べられがちである。そのため筆者は、浪漫主義作家・沈従文の「郁 達夫張資平及其影響」233と現実主義作家・魯迅の「張資平氏的『小説学』」234、そして政 治的評価を排除し純然とした文学的考察が行われている『中国新文学史稿』235を取り上げ、

張資平の小説に対する文学的な評価を確認したい。

沈従文は「郁達夫張資平及其影響」において、以下のように述べる。

232 立松昇一「張資平の言説をめぐって―創造社同人の文学」(『拓殖大学語学研究』112、2006)82、83 頁参照。

233 沈従文「郁達夫張資平及其影響」〔初出:『新月』第3巻第1期、1930〕、鄺雪林ほか編『沈従文文集』

11巻に収録(花城出版社、1985。以下『沈従文文集』と省略)139-145頁。

234 魯迅「張資平氏的『小説学』」〔初出:『萌芽月刊』第1巻第4期、1930〕、人民文学出版社魯迅著作 編集室編『魯迅全集』第4巻『二心集』に収録(人民文学出版社、1981)230-232頁。

235 王瑶『中国新文学史稿』(開明書店、1951)

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張資平の小説は、噂話の材料のほかには何も得られない。……張資平の小説は、

男女間のことに不慣れな若者に対し、荒唐な罪を犯す機会を作り出した。……彼 は「大衆を理解し」、「大衆」を把握し、それに「大衆が何を要求している」か ということを、大衆文芸を提唱した郁達夫よりもよく理解しているようである。

……下品で低級趣味の標準を作り出した236

次に、魯迅の論述を確認したい。魯迅は「張資平氏的『小説学』」において、以下のよ うに述べる。

いま私は張資平全集と『小説学』の精華を次のように抽出し、……それはつまり

-△である237

最後に、『中国新文学史稿』の論述を取りあげたい。『中国新文学史稿』では、張資平 の小説について、以下のように書かれている。

恋愛小説を大量生産し有名になった張資平の作品は、青年に低俗趣味と性への挑 発を与えただけである。……張資平の初期の小説はまだ現実から一定の社会問題 を反映させているが、……作者はすぐ分岐点を迎えてしまい、次第に千篇一律で 定式化した大量の多角的恋愛小説を書くようになった238

以上に挙げた三者のコメントには共通したところがあり、それは張資平の小説に対する 中国国内の否定的な評価ということである。また、中国国内だけではなく、張資平の留学 先である日本でも、中国の張資平に対する評価の影響を受けたかもしれないが、高田昭二239

236 同注233、139、142頁。原文:「張資平的小説、除了説閑話的材料以外将毫無所得的。……它幫助了年

軽人在很不熟習的男女事情方面得到一個荒唐的犯罪的方便。……他「懂大衆」、把握「大衆」、且知道「大 衆要什麼」、比提倡大衆文芸的郁達夫似乎還高明。……造了一個卑下的低級的趣味標準。」

237 同注234、231頁。原文:「現在我将張資平全集和『小説学』的精華提煉在下面、……那就是-△。」

訳文は学習研究社『魯迅全集』編集室編『魯迅全集』第6巻竹内実・吉田富夫訳『二心集』(学習研究社、

1984)59頁より。

238 同注235、99頁。原文:「以写恋愛小説而著称且大量生産的張資平的作品、却只能給青年以庸俗趣味和 性的挑発。……在最初、張資平的小説里也還従現象上反映一些社会問題、……但作者很快就進入了歧路、

題材是千篇一律、方法是定型公式、大量的多角恋愛小説製造出来了。」

239 高田昭二、中国文学者。1927年岡山県生まれ。1950年第六高等学校文科卒、53年東京大学文学部中国

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や実藤遠240をはじめ、張資平に対して、以下のように同じく否定的な態度を取っているこ とが判明した。

高田昭二は張資平について、以下のように評価する。

張資平は創造社同人中でも小説のうまい作家であるが、今日中国での作家として の評価はきわめて低い。それは彼が後年お金のために愛欲小説を多作し(張資本 と渾名された)たことと、政治的に親国府、親日の立場にあったこととによるも のである241

また、実藤遠は以下のように述べる。

同じ創造社の同人でも、張資平は頽廃的な、消極的なロマンチシズムの代表者で あった。「中国の菊池寛」といわれ、人間の欲情を強調して、三角恋愛・四角恋 愛から十二角恋愛までの恋愛小説を書きなぐり、「張資平変じて張資本」となる とまでいわれ、当時の中国のモダン青年男女を魅力した才人であった。しかし、

張資平は抗日戦争中に日本に協力して漢奸になってしまった242

上記のように、日本では、中国と同じように、張資平に対して、否定的な評価が多く存 在する。

以上に挙げた中国と日本の張資平の小説に対する評価-取り分け低い評価について分析 を試みると、その評価の根拠として言及されているのは彼の恋愛小説だけであり、その一 部の評価を起点として張資平の著作全てを否定的に評価していることが読み取れる。その 原因は、張資平は恋愛小説の創作活動をメインとしたため、張資平の主要な作品群を用い て、彼に対し否定的な評価が行われたと思われる。

文学科卒、岡山大学法文学部助教授、1974年愛媛大学法文学部助教授、教授、91年定年退官、名誉教授、

大東文化大学教授、97年定年。代表作は『魯迅とその生涯』、『中国近代文学論争史』などである。

240 実藤遠(1929 -2016)、日本の中国研究者、超常現象研究家。東京生まれ。父は実藤恵秀、弟にさねとう あきら。1951年早稲田大学政治経済学部卒業。早稲田実業高等学校で地理の教師を務める。はじめは日本 と中国との関係史を研究したが、1974年の超能力ブームに触発されて、超常現象の研究をはじめる。日本 サイ科学理事長、国際新科学会会長、国際新科学研究所所長。天然自然研究会歴任、チョウ常識教室を主 宰。代表作は『中国新文学発展史』、『中国近代文学史』などである。

241 高田昭二『中国近代文学論争史』(風間書房、1990)135頁。

242 実藤遠『中国近代文学史』上(淡路書房新社、1960)138、139頁。

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ただ、近年になって、張資平の恋愛小説に肯定的な評価を行う研究も現れてきた。その 代表が譚元亨・劉克定の『此日是帰年:張資平詮稿』である。譚元亨・劉克定は張資平の 小説を以下のように、「反封建」・「恋愛自由」を以て、その小説を評価した。

張資平の小説はただ「恋愛の三角関係に集中している」だけではなく、その時期、

彼は自然主義の表現手法を以て中国の女性の封建的な礼節と道徳に反対し、婚姻 と恋愛の自由を求める現実を再現していた243

また、張資平はこれまで恋愛小説家と見なされがちであったが、恋愛小説だけを創作し たわけではない。例えば譚元亨・劉克定『此日是帰年:張資平詮稿』の論述によると、張 資平は恋愛小説のほかに、留学生活を描く『約檀河之水』と、戦争と関連する『天孫之女』・

『紅海棠』・『無霊魂的人們』・『歓喜坨與馬桶』などのような小説を創作したことがあ るという244

そして、鄭伯奇も「資平の初期作品は大体のところ当時の東方に留学した学生の生活を 描いている」と述べていることから245、筆者は張資平の初期留学生活を描く作品について 統計してみると、『約檀河之水』のほかに、『写給誰的信』〔1921、9〕・『冲積期化石』

〔1922、1〕・『一班冗員的生活』〔1922、5〕・『木馬』〔1922、5〕・『一群鵝』〔1923、

6)などがあることが判明した。

以上に挙げた譚元亨・劉克定の論述と鄭伯奇の評論、および筆者の調査分析を照合する と、張資平は恋愛小説だけを創作したわけではなく、それ以外の小説も数多く書いている ことが明らかになった。しかし、前文に挙げた日中両国においての張資平への評価の中で、

これらの小説に言及されることはほとんどない。そのため筆者は、従来看過されていた張 資平の小説も含めて網羅的に検討を行い、彼の小説の評価を見直したい。