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帰国後の身辺小説シリーズ―初作『百事哀』と武漢期の身辺小説群を中心

第三章 中国の身辺小説における私小説的要素

第四節 張資平の身辺小説

四 帰国後の身辺小説シリーズ―初作『百事哀』と武漢期の身辺小説群を中心

第三部分では、張資平の帰国前である留学期小説の考察を行った。以下から、彼の帰国 後の身辺小説を取り上げ、その私小説的要素を確認しながら、彼の身辺小説の独自の特徴 も確認したい。

また、張資平の帰国後の創作について、概ね三つの時期に分けられる。①1922 年-1924

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年の故郷期。②1924年-1928年の武漢期。③1928年以降の上海期255。それぞれの時期の主 な小説作品のリストは以下の通りである。

① 1922年-1924年の故郷期の主な作品

『約檀河之水』(1920、11) 『她悵望着祖国的田野』(1921、4)

『沖撃期化石』(1922、1) 『一班冗員的生活』(1922、5)

『木馬』(1922、5) 『双曲線與漸近線』(1922、11)

『愛之焦点』(1922、11) 『一群鵝』(1923、6)

『回帰線上』(1923、6) 『性的屈服者』(1924、2)

『百事哀』(1924、3) 『梅嶺之春』(1924、8)など

② 1924年-1928年の武漢期の主な作品

『三七晩上』(1925、2) 『雪的除夕』(1925、2)

『性的等分線』(1925、4) 『小兄妹』(1925、5)

『二人』(1925、5) 『不平衡的偶力』(1925、6)

『約伯之涙』(1925、8) 『小教員的悲哀』(1925、8)

『寒流』(1925、11) 『蔻拉梭』(1926、1)

『植樹節』(1926、4) 『苔莉』(1926、7)

『My Better Half』(1926、11) 『氷河時代』(1927、7)

『兵荒』(1927、11)など

③ 1928年以降の上海期の主な作品

『寒夜』(1930、6) 『愛力圏外』(1930、8)

『上帝的児女們』(1931、4) 『天孫之女』(1932、5)など

前述のように、鄭伯奇は「帰国後、彼は真っ先に仕事を見つけたが、彼の負担が余りに も多く、生活に対する不満が生じることは免れなかった。彼の一連の身辺小説は、この時

255 同注243、83、84頁参照。

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期に作られた。」256と述べるが、「帰国後のこの時期」の具体的な時間については言及し ていなかった。しかし、上記のリストが示したように、張資平の故郷期の小説は留学生活 を描く小説と恋愛小説を中心としている。武漢期の小説『小兄妹』・『寒流』・『植樹節』・

『兵荒』などの一連の小説は、主に一人の大学講師の生活が描かれているため〔後述〕、

張資平の経歴が含まれる身辺小説である思われる。よって、本研究は主に武漢期の身辺小 説を研究対象としたい。また、彼の身辺小説の初作は、武漢に来る半年くらい前に完成し た『百事哀』であると思われる。そのため、張資平の身辺小説の全体像を確認するために、

まずは彼の身辺小説の初作である『百事哀』の考察を行わなければならない。以下、小説

『百事哀』に分析を加えたい。

(一) 『百事哀』257

① 小説『百事哀』のあらすじ

小学校教師である主人公 V は妻と結婚した後、貧しい生活をしながら、子供の誕生を迎 えた。しかし、仕事の関係で、妻と生まれたばかりの子供と別れ、単身赴任に赴いた。一 週間後、子供が病気になったという妻の手紙が届き、主人公は休みをもらい、心配しなが ら妻の実家に向かって行った。大金をかけて西洋医者に子供の病気を診てもらったが、治 らなかった。結局、中国民間に伝わる薬の処方を以て、子供の病気は治ったが、看病のせ いで主人公は仕事を失った。主人公はミャンマーの知り合いに頼んで、そこの学校の教員 という仕事を見つけたが、旅費が足りないため、諦めてしまった。結局主人公一家は絶望 的な局面に陥いり、小説は最後を終える。

② 事実情報の考察

本小説において、主人公に関する情報の紹介は、作者の経験とフィクションが混じってい ると思われる。以下から資料を引用し、分析を加えたい。

256 同注5、733頁。原文:「回国以後、他最先找到職業、但因為他的負担太重、也不免対生活発生詛咒。

他的一連的身辺小説、便是這個時期写出的。」

257 張資平『百事哀』〔初出不明、1924〕、同『雪的除夕』に収録(商務印書館、1933)20-56頁。

121 資料①

Vと俞瑾英は去年九月九日に結婚したばかりで、今年八月九日に彼らの血筋を受け 継ぐ赤ちゃん(Baby)が早くも生まれた258

資料①では、主人公の結婚時間と長男の出生時間が書かれている。この時間の事実性に ついて、少し検討を加えたい。

今までの先行研究では、張資平の結婚時間については、二説が存在している。一説は1922 年であり259、もう一説は1924年である260。しかし両説もその時間の根拠が書かれていない ので、どちらが正しいのか判断できない。そのため、筆者はここで、本小説の時間描写を 借りて、その謎を解きたい。

本小説の脱稿時期は1924年3月である。資料①では、「去年九月九日結婚」と「今年八 月九日長男生まれ」と書かれている。これは一見時間の虚構のように見えるが、「今年」

である1923年に執筆を始め、そして1924年3月までの間のことを書き上げ、小説を脱稿 した可能性もある。そのため、筆者は一つの仮説を提出したい。本来、小説は虚構の物語 であるので、その中に書かれた時間も現実に依拠していないと思われるが、身辺小説は主 人公の経歴が混入しているので、その時間も事実と一致している可能性が十分あると考え られる。

そのため、本小説に書かれた時間に従えば、長男の生まれは1923年8月9日であり、主 人公の結婚が1922年9月9日であろう。このように、本小説の時間を根拠にすると、1924 年説が不可能になる。次に、資料②の考察に入りたい。

資料②

去年の夏休みにVはM市の教会中学校を卒業したばかりであり、教会の宣教師-

258 同注257、21、22頁。原文:「V和俞瑾英是在去年九月九日才結婚的、今年的八月九日由他們両分体構

成的小宝貝(Baby)就出生了。」

259 立松昇一は「1922年、……夏、熊淑琴と結婚」と指摘する(「張資平の言説をめぐって―創造社同人 の文学」『拓殖大学語学研究』112、2006、83頁)。

260 譚元亨・劉克定は「1924年張資平和熊淑琴結婚(1924年に張資平は熊淑琴と結婚した)」と指摘する

(『此日是帰年:張資平詮稿』汕頭大学出版社、2009、85頁)。

122

アメリカ人-に隣のC県の県立高等小学校に推薦され、英語教師になった261

この部分について、張資平の経歴を確認してみると、彼は確かに故郷の広東省梅県〔M 市〕の教会学校・広益学校の卒業生であるが262、卒業後就職せず、学業を続けていた。ま た、張資平は1922年に日本留学を終了後、故郷に帰り、その後広益学校の教師になった263。 このように、主人公Vの経歴は一見作者と異なるが、M市=梅県、教会中学校=広益学校 のように、Vの身の上には、作者張資平の影が潜んでいると考えられる。また、資料②のほ か、小説の中で、主人公V の妻の家族は、V との結婚に反対した。その理由の一つは、小 説の中に書いてある「V は両親がいない」である。このように、主人公 V の両親の情報が 書かれてあり、これもまた作者張資平の情報と一致している。立松昇一の考察によると、

張資平の母は彼が生まれて一ヶ月もしないうちに自殺し、また彼の父も彼が日本に留学し ている間に、つまり彼の結婚前に死んでいたことが明らかにされている264

以上の考察によると、張資平は彼の身辺小説の初作である本小説において、自分の経験 という内容的「現実依拠性」を示すテキスト信号にフィクションを加えて、主人公 V を作 り出したと言えよう。また、そのフィクションの使用が、すべて物語言説の段階にあり、

物語内容におけるフィクションの使用は検出されていない。この点は郭沫若の身辺小説と 一致する。次に、本小説の主人公の心境の考察に入りたい。

③ 心境およびその独自性の考察

筆者の統計によると、本小説において、主人公の心境を描写する箇所は十四箇所である。

その中で、直接話法が六例であり、間接話法が七例であり、三人称私小説のように、自由 間接話法の使用が一例だけである。以下から、資料を引用し、本小説の主人公の心境描写 の分析に入りたい。まず、自由間接話法の分析から始めたい。

261 同注257、22頁。原文:「去年暑徦V才従M市的教会中学畢了業出来、教会的宣教師-美国人-就推

薦他到鄰県的C県県立高等小学去當英文教師去了。」

262 同注243、48頁参照。

263 同注232、83頁参照。

264 同注232、81、83頁参照。

123 資料①

看護婦は瑾英のそばに座っていた。汗に濡れた瑾英の手が看護婦の手をきつく握 っていた。彼女の症状はさらにひどくなった。しかし彼女は時おり V を見つめる と、彼女の顔には一種の寂しそうな微笑みが現われてきた。これは何という苦し みだろう。どうして女は子供を産まなければならないのか。どうして女は出産の 苦痛を味わわなければならないのか。女性が新しい命をこの世にもたらそうとす る時、どうしてこのように、自分の命をかけた苦痛を味わわなければならないの か。この命の誕生に共同責任を持つ男性は女性がこんなにつらい目にあっている のを見て、少しでも苦痛を感じることがあるのか。Vは瑾英を見て、彼女の苦痛が すべて自分のせいだと思うと、涙が落ちそうになったが、看護婦がそばで見てい たので、すぐに涙を耐えた265

資料①において、下線部は、語り手が出産前の主人公の妻への同情のように見えるが、

その次の段落では、主人公の心境が書かれている。妻の苦痛に対して、主人公はその苦痛 を分かち合えず自分は「すこしでも苦痛を感じることがあるのか」と感じ、瑾英の苦痛は

「すべて自分のせいだ」と思っていた。そのため、下線部は語り手の言葉でありながら、

主人公の声も聞こえてくる。よって、ここでは、自由間接話法が使用されていると思われ る。次に、本小説における直接話法と間接話法の分析に入りたい。

資料②

Vはピカピカの手術器具を見ると、一種の暗黒の恐怖に襲われるのを感じた。「も しかしたら……もしかしたら……万が一……万が一……」このように思うと、Vは 一層自分の罪悪を感じた。両親の関係で命を得た赤ちゃん、この世の光を急いで 浴びようとしていた赤ちゃんは、今日無事に母体から分離できるか。万が一のこ

265 同注257、31頁。原文:「看護婦坐在瑾英的身辺。瑾英的汗湿了的手緊握着看護婦的手。她的苦悶的呻

吟更厲害了。但瑾英有時還望着V、她的臉上浮泛出一種悲寂的微笑。這是何等的一種苦罪!何以女人就非 分娩不可?何以女人定要受臨盆這種痛苦?女人想創造一個新生命送到這世間来、要嘗這樣的、以自己的生 命為孤注的痛苦麼?対于此生命的創造応負共同的責任的男人看着女人這般的受罪、何曾感着一点児的痛 苦?V望着瑾英、覚得瑾英的受苦全是自己一身的罪過、幾乎掉下淚来、因為看護婦監督着、又趕快把眼淚 忍住了。」