第二章 私小説の読解過程とその判断基準について
第一節 一人称私小説における形式的「現実依拠性」を示すテキスト信号の考察
三 小説の時間構造について-ともに歩む語り手における再検討
私小説の焦点人物の中の「時間構造」について、キルシュネライトは以下のように述べ る。
116 同注112、94、95頁。
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私小説に叙述されてゆく出来事の中心をなすのは、私小説の主体である。そして 彼の生活、ないしはその描かれた一断面が時間軸をなしており、作品に統一性を もたらす重要な要素となっている。そこから、語り手の時間上の立脚点を考慮に 入れる時、ともに歩む語り手の立場が私小説を特徴づけていることが分かる。…
…日本の読者や作家が好むのは、あたかもそこに描かれた出来事と並行して作品 が成立したような幻想、体験する主体と語る主体が同一であるように幻想する。
……こうした私小説の理想イメージは必然的に、私小説ジャンルの時間構造を決 定する。すなわち、私小説は作家の人生のなかの比較的短いエピソードに限定し、
そのエピソードの発端はあまり昔のことであってはならず、またその終着点はな るべく語りの現在のなかに、そして出版の時点にできるだけ近くならなければな らないのである。語りは時間順に、つまり体験した出来事の順に展開されてゆく117。
このように、キルシュネライトは私小説の時間構造を、「ともに歩む語り手」・「体験 した出来事の順に展開」すると主張する。しかし、キルシュネライトが述べたように、そ れは「私小説の理想イメージ」である。では、本研究で取り上げた『中村光夫選 私小説 名作選』に収録された小説の場合はどうであろうか。以下から、私小説の実例を以て分析 を行い、私小説の時間構造を改めて考察したい。まず、一人称私小説の考察を行いたい。
(一) 『虫のいろいろ』の時間構造について
本小説は全部で五節があり、それぞれの節の内容の間に、時間的関連性が存在せず、独 立した内容である。また、第二節から第五節までは、主人公の心境表現が主な内容である ため、時間の存在が明確ではないと思われる。これに対し、第一節だけは、時間が明記さ れている。その時間順は以下の通りである。
③晩春のある日の午後、一匹の蜘蛛を見つける→①一回目の蜘蛛事件を思い出す→②二回 目の蜘蛛事件を思い出す
このように、第一節では、主人公は目の前のことによって、昔の出来事を思い出したの
117 同注9、254、255頁。
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で、小説の時間も同じように、現在から主人公の過去に遡っていく。よって、本小説は時 間通りに書かれておらず、錯時法118の一種である後説法119によって、今の「私」が昔の「私」
を描き、出来事を回想し書いていることが明らかである。そのため、本小説の第一次物語 言説120は今の「私」のいる世界であり、第二次物語言説121は昔の「私」のいる世界である と言えよう。
このように、錯時法が使用される私小説には、書く「私」と書かれる「私」のほか、三 つ目の「私」が存在すると思われる。本小説では、それは書く「私」と、書かれる今の「私」
と昔の「私」である。よって、このような私小説では、書く「私」である作者は書かれる
「私」である主人公を描写する時に、書く「私」は書かれる今の「私」と書かれる昔の「私」
を同時に描いたのではないかと思われる。
また、本小説の後説法の振幅122の終わりの時間は第一次物語言説の始めの時間である③ の前なので、ジェラール・ジュネットはこのような後説法を、外的後説法123と呼称してお り、その機能は「たいてい……しかじかの「経歴」を読み手に知らせて第一次物語言説を 補足することに限られる」ものであると主張する124。本小説の後説法は、昔の「私」の身 に起こった出来事の紹介なので、ジェラール・ジュネットの言う情報補足機能を果たして いると思われる。
以上のように、本小説では、後説法による語り手の時間の再構成という芸術処理が検出 されたので、前掲のキルシュネライトの言う「体験した出来事の順に展開する」私小説の 時間構造が存在しないと考えられる。従って、読者はともに歩む語り手の存在によって、
本小説を私小説であると判断したのではないことが明らかである。次に、もう一篇の小説
『黒髪』の時間構造を分析したい。
118 同注77、30頁。原文:「錯時法は……物語内容の順序と物語言説のそれとの様々な形式の不整合。」
119 同注77、35頁。原文:「後説法とは、物語内容の現時点に対して先行する出来事をあとになってから
喚起する一切の語りの操作。」
120 同注77、47頁。原文:「第一次物語言説は、ある錯時法を錯時法として定義することがそれとの関連
で可能となるような時間的水準に位置する物語言説。」
121 同注120。原文:「あらゆる錯時法はそれが挿入されている──というか接ぎ木されている──物語言
説に対し、時間的に第二次の物語言説を構成する。」
122 同注77、46頁。原文:「振幅とは、錯時法の物語内容の持続の長さ。」
123 同注77、48頁。原文:「外的後説法とは、振幅の全域が第一次物語言説の外側にはみ出すもの。」
124 同注123。
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(二) 『黒髪』の時間構造について
本小説の書き順は、以下の通りである。
①四年前、女を知る→⑧四年後の今年の夏、八月一ヶ月は山の中で過ごす→⑦今年夏の初 め、山に着く→⑨九月下旬、山を降りて大阪に行く→②去年の一月、女に会いに行くこと を思い出す→③去年の一月のある夜、東京から出発し、翌日女のいる京都に着く→④京都 に着いたら、女に会いに行く。翌日東京に帰る→⑤今年晩春、一ヶ月かかって旅行→⑥女 の家に一ヶ月〔五月から六月まで〕住んでいる時の生活情況
以上のように、作者は小説の冒頭で、①によって、本小説において主人公と女主人公の 付き合いの思い出を書くことを表明した。このように、作者は主人公が女主人公を知った 四年後の現在から小説を書き始め、その後主人公と女主人公の四年間の付き合いを回想し ながら書いている。よって、本小説では、後説法が使用されていることが明らかである。
また、本小説の後説法も、前掲の『虫のいろいろ』と同じように、主人公の回想によって 情報を補足し、一種の記憶を蘇えらせる手法であると思われる。
また、後説法のほかに、先説法を使用する小説も検出された。前述のように、作者は後 説法を以て、情報補足などの機能を果たしたので、先説法も、作者はなんらかの意図によ って使用したと考えられる。以下から、小説の中に存在する先説法を取り上げ、その機能 を分析し、作者の意図を探りたい。
① 『ブロンズの首』における先説法の考察
『ブロンズの首』の冒頭において、「私の病室……に、私のブロンズの首がある。……
製作者は、もと新制作協会の会員であった故久保孝雄君である」125のように、主人公は現 在から昔に遡り、かつて彫刻家久保孝雄が「私」のブロンズの首を作った事を回想してい るということが表明されている。よって、後説法の使用は明らかである。また、ブロンズ の首を作った事の経緯はほとんど時間順によって書かれているが、一箇所先説法の使用が 存在する。以下から、その該当部分を取り上げ、先説法の使用による作者の意図を探りた
125 上林暁『ブロンズの首』、『私小説名作選』上211頁。
50 い。
資料①
しかし、久保君の、からだがグニャグニャするところを見ると、これ以上飲むの は危険だと思った。……彼を伴って駅まで連れて行った。国分寺駅まで〔久保孝 雄の家の近く〕の切符を買ってやって、彼が空席に倒れるように坐って、手を振 っているのを見送って別れた。あとで聞くと、その電車は八王子行きだったので、
八王子まで乗り越したということであった。それから、四、五日して、私は塑像 を久保君の家に届けた126。
資料①は、久保孝雄が主人公の塑像を作り上げた後、主人公を誘い、酒場で酒を飲んで いる場面である。下線部は、主人公が久保君と別れた後のことであるため、物語の現時点 より先のことを補足し書かれていると思われる。そのため、ここは補完的先説法127が使用 され、読者に情報を補足していることが判明した。
② 『家の中』における先説法の考察
『家の中』では、先説法の使用が一箇所あると思われる。以下は、その該当部分を挙げ、
先説法の使用における作者の意図に分析を加えたい。
資料①
ある朝の食事のとき、私は妻やこどもの食膳に加わった。そんなことはめったに なかったから、妻は喜びをかくさずにいそいそしていたが、そのおだやかさの中 には却って苛酷な危機がひそんでいる128。
資料①は、主人公がある朝、妻と子供たちと一緒に朝食を食べている場面である。下線
126 同注125、219頁。
127 同注77、74頁。原文:「補完的先説法とは、将来発生するはずの欠落を予め満たすもの。」
128 島尾敏雄『家の中』、『私小説名作選』下38、39頁。