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第三章 中国の身辺小説における私小説的要素

第五節 郁達夫の身辺小説

二 郁達夫の小説と私小説に関する先行研究

今までの郁達夫の小説と私小説に関する先行研究、例えば、序章で挙げた趙敏・卞立強・

桑島道夫・大東和重などの研究では、郁達夫における私小説の受容という指摘がしばしば 見られる。

また、胡志毅は「前期創造社創作的原型与象徴」において、以下のように述べ、郁達夫 の小説の主人公は郁達夫自身であると主張する。

銭杏村は『「達夫代表作」後序』において、婚姻の挫折・経済の圧迫・社会の苦 悶・故国の哀愁、それに目の前にあるプロレタリアの悲惨な生活実態が、「彼〔郁 達夫〕の憂い性格を次第に無限に拡大させ、文学を以て吐露せざるを得なかった」

と述べる。郁達夫の作品の中にある「私」・「彼」・「于質夫」・「文樸」は、

すべて彼自身の描写であり、この「私」は社会の「余計者」である。……郁達夫 の作品の中で、「孤独と冷淡」・「憐れみ」・「悲しみと恨み」・「悲惨」が彼 の内心感情の体験である335

上記の内容によると、郁達夫の小説と私小説との関連性は直接言及されてないが、主人 公=作者という特徴において、郁達夫の小説と私小説には同じ傾向が見られるという。

このように、これまでの先行研究では、郁達夫の小説における私小説の影響が強く主張 されるが、その相違点についてはあまり論じられていなかった。一方で、郁達夫の小説と 私小説の差異に関する先行研究として、蔡暁軍の「創造社文学の形成と日本―同人と日本

335 胡志毅「前期創造社創作的原型与象徴」、饒鴻競ほか編『創造社資料』に収録(福建人民出版社、1985)

158頁。原文:「銭杏村在『「達夫代表作」後序』中説、婚姻的挫折・経済的圧迫・社会的苦悶・故国的 哀愁、還有呈現在眼前的労働階級悲惨生活的実際、「使他的憂郁性漸漸的拡張到無窮大、而不得不在文学 上吐露出来。」郁達夫作品中的「我」・「他」・「于質夫」・「文樸」都是他自我的写照、這個「我」是 一個社会的「零余者」。……在郁達夫的作品中、「孤冷」・「可憐」・「哀怨」・「悲惨」是他內心情緒 的体験。」

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との関わりを中心に」が挙げられる。蔡暁軍は郁達夫などの創造社メンバーの身辺小説と 私小説との差異を以下のように述べる。

田山花袋の『蒲団』以来の小説は、もっぱら作者自身の身辺のことだけに局限さ れ、……このもっぱら自己に執着し、社会の在り方を切断した意識は日本文壇の 特殊性としか考えられないが、「生物的人間の肯定」と「人間的真実」の尊重と いう文学における時代反映の積極性は、多分この風土に染み込んだ創造社の同人 に共鳴を起こしただろう。しかし、当時の彼など〔郁達夫などの創造社同人〕を 苦しめたのは、生の苦悩よりも「弱国」を蔑視した日本人の種族差別であったよ うだ。彼などの初期小説のほとんどが「身辺の事情」に取材した。にもかかわら ずその底流には民族の不振と停滞を悲しみ、迷いながらも未来に執着しつつある 主観的な情緒が潜んでいる336

上記の蔡暁軍の論述では、郁達夫などの創造社同人の初期小説〔身辺小説〕は、私小説 と同じように、取材が身近なことに限定されているが、私小説にない一種の主観的情緒が あるということが指摘された。このように、身辺小説と私小説の区別の一つは、国・民族 に対する作家の主観的情緒であることが提示された。

また、前述のように、小説作法において、郁達夫の小説と私小説との間に差異があるた め、以下から、筆者は小説作法における郁達夫の小説と私小説の関わりを検討してみたい。

筆者はこれまで考察した郭沫若および張資平の身辺小説が、ほとんど家庭をモチーフと していることを判明した。筆者の調査によると、郁達夫の場合、その身辺小説はほとんど 個人をモチーフとしているが、家庭関連の小説も存在する。それらの小説は小説集『蔦蘿 集』に収録されている。本研究では、まず『蔦蘿集』に収録される小説『血涙』・『蔦蘿 行』・『還郷記』を研究対象としたい。

『蔦蘿集』について、郁達夫は以下のように述べる。

昨日『還郷記』の最後の一頁を書き終わり、もう一度『蔦蘿集』の原稿を読むと、

涙が秋雨のように私の襟を濡らした。友よ、この本の中に書いたことが事実かど

336 蔡暁軍「創造社文学の形成と日本―同人と日本との関わりを中心に」(『実践国文学』49、1996)65 頁。

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うかを聞かないでくれ、この本を読んだとしても本の主人公に同情を示す必要は ない。なぜなら、この本の主人公はあなたたちの同情に値しない。たとえこの本 の一言一句が、正確な記録であっても、我々はこの主人公を窮地から救い出す何 かの方法があるのか。とにかく我々の今の社会と今の人類は主人公にとって圧搾 機であり、もし我々が主人公のために復讐したいなら、ただ我々各自の家庭の復 讐を成し遂げるだけでいい。……『血淚』……『蔦蘿行』……『還郷記』……三 篇の創作時期が違い、執筆時の心境もそれぞれだが、悲痛の情調は、前後一貫し ていると思う337

下線部を見ると、『蔦蘿集』に収録された三篇の小説では、作者の感情が明らかに主人 公と共鳴している。また、桑島道夫は「郁達夫の「蔦蘿行」は、ノンフイクションにもま して虚構性に乏しいとさえいえよう」338と述べ、『蔦蘿行』は作者の経験に即して書かれ ていると主張し、郁達夫の小説おける現実性を指摘する。しかし、これまでの筆者の論述 では、内容的には、郁達夫の小説は私小説と類似する一方、小説作法において、差異が存 在していると述べてきた。そのため、以下から、小説『血涙』・『蔦蘿行』・『還郷記』

の内容と形式の両方を分析し、郁達夫の小説と私小説との関連性を明らかにしたい。

三 『血涙』における私小説的要素とその独自性

郁達夫の『血涙』の創作背景に関して、郭沫若は以下のように述べる。

僕たちは何といってもまだ若かったので、上海に帰って来るや、もうどうしても 隠忍してはおられない所に追いつめられた。そうした状態の下で達夫の『血と涙』

という小説は書かれたのである。あれは雁冰〔沈雁冰〕と振鐸〔鄭振鐸〕らの人々

337 郁達夫「写完了『蔦蘿集』的最後一篇」〔初出:『中華新報・創造日』第86期、1923〕、原文:「昨 天写完了『還郷記』的最後一頁、重新把『蔦蘿集』的稿子看了一遍、我的眼淚竟同秋雨似的湿了我的衣襟。

朋友、你們不要問我這書中写的是事実不是事実、你們看了這書也不必向這書的主人公表同情、因為這書的 主人公並不值得你們同情的。即使這書的一言一句、都是正確的記録、你我有什麼法子、可以救出這主人公 於窮境?総之我們現代的社会、現代的人類、是我們的主人公的榨圧機、我們若想替他複一復仇、只須我們 能夠各把自家的仇怨報復了就対了。……『血淚』……『蔦蘿行』……『還郷記』……三篇雖産生的年月不 同、落筆時的心境各異、然而我想一味悲痛的情調、是前後一貫的。」引用は『郁達夫全集』第578頁よ り。

338 同注23、A109頁。

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が当時さかんに中味のない空論をやらかしていた「血涙文学」を嘲弄したもので ある339

上記の郭沫若の論述に従えば、本小説は当時文壇の風潮を批判するために書かれたもの である。このように、本小説は明確した目的性を持っており、それは個人ではなく、社会 を描くためであると言えよう。しかし、このような目的があるにもかかわらず、本小説の 中で、作者自身の経歴が多く存在している。以下から、まず本小説の事実情報である内容 的「現実依拠性」を示すテキスト信号について、簡単に述べたい。

① 事実情報

本小説の中で、作者はしばしば自分自身の経験というメッセージを作品の中に書き込み、

読者に作者と主人公の一致性を暗示する。以下から、該当部分を挙げ、本小説における事 実情報を示したい。

資料①

異境に十年も漂泊しているうちに私の性格が変わってしまったのだろう340

本節の第一部分で述べたように、郁達夫は1913年に兄と一緒に日本に行き、そして1922 年に大学を卒業し帰国したため、ちょうど資料①の下線部に書いてある通り、「異境に十 年も漂泊している」。次に、資料②の分析に入りたい。

資料②

①ある年の秋、夏気が去ったばかりの、澄み切った空に時々薄い白雲が漂浮いて、

339 同注147。原文:「但是我們畢竟還年軽、一回到上海、便逼到了不能忍受的地步。就在這樣的情形之下、

達夫的『血涙』那篇小説写出、那是嘲笑雁冰和振鐸諸人在當時吹噓的「血涙文学」的。」引用は『郭沫若 全集』第12卷 133頁より、訳文は「郭沫若篇」176頁より。

340 郁達夫『血涙』〔初出:『時事新報・学灯』88日-13日号、1922〕、原文:「在異郷漂泊了十年、

差不多我的性格都変了。」。引用は『郁達夫全集』第1183、184頁より、訳文は『世界名作翻訳全集』

165巻小田獄夫訳『過去 外六篇』(ゆまに書房、2008。以下『過去 外六篇』と省略)69、70頁より。