• 検索結果がありません。

連なるホロンと実在の四象限

ドキュメント内 「多元的宇宙」の再構成 (ページ 104-129)

第 4 章 多元的宇宙論のシステム論的解釈――その有効性と限界

第 3 節 四象限と累進的進化の構図――内面性の復権

1 連なるホロンと実在の四象限

システム論に依拠する論者からすれば、ケストラーの〈ホロン〉概念にまで遡ることは 議論の後退と思われるかもしれない。組織的まとまりの特性は、工学的範疇とも通じる〈シ ステム〉の概念によってこそ、一般性をもって語ることができるとの主張も予想される。

恐らく、それは的を射た意見であろう。しかしこの概念には、システムのそれよりもいっ そう、宇宙の階層性を明確に指示し、理解させてくれるという利点がある。このことは、

すぐ後に取り上げるウィルバーが、ホロンの概念に依拠している理由でもある。ホロンは 以下のように定義され、説明される。

それは自己規制機構とかなり程度の高い「自律性」(あるいは自治性)を備えた、安 定した統合構造である。たとえば細胞、筋肉、神経、器官などすべてがそれ自身に特 有の活動のリズムとパターンをもち、それらはしばしば外部からの刺激なしに自然発 生的に表にあらわれる。つまり細胞も筋肉も神経も、ヒエラルキーの上位のセンター に対し「部分」として従属しているが、同時に準自律的な「全体」としても機能する。

(Koestler 1979: 27=1983: 56)

これに続いて、ケストラーは有機的ヒエラルキー(階層構造)の模式図を提示する(図2)。 図中のどの水準のいずれの単位も、基本的でもなければ単純でもない。複雑なシステムを 持ち、「明らかにそれ自体に備わった『規律』に従いながら、れっきとした自治的全体とし て機能している」(Koestler 1979: 30=1983: 58)。たとえば、細胞内には複数の小器官があ り、それぞれが増殖、エネルギー供給、生殖、情報伝達といった別々の機能を分担して、

細胞を一個の自治組織たらしめている。自治組織ということは、上位水準の制御や外部環

104

境による影響を受けながらも、それ自身の規律にしたがって活動するということであり、

柔軟性と自由度とを有する、ひとつの個性を持った全体であるということである。全体の 一部として機能すると同時に、一個の全体として振る舞い、固有の自律性を維持しようと するこの両極性は、すべてのホロンが併せ持つ〈統合傾向〉(integrative tendency)と〈自 己主張傾向〉(self-assertive tendency)として説明される。「好ましい情況にあればこのふ たつの傾向、つまり〈自己主張〉と〈統合〉は、ほぼ等しくバランスし、ホロンはいわば 動的平衡状態のなかに存続する」(Koestler 1979: 57=1983: 98)。

こうしたホロンと同時に強調されるのが、図にも表された階層的秩序の存在である。ケ ストラーはこれを〈ホラーキー〉とも呼ぶ(holarchy、holonとhierarchyの合成語。ホロ ン階層とも訳せる)。ホラーキーは垂直方向に樹枝状の構造(図2のように樹形図で示し得 る構造)を形成(樹枝化)し、水平方向では同水準のホロン間に網状のネットワークを構 成する(網状化)。どちらの構造が欠けても、ホラーキーは成立しない。

思い切って語を置き換えれば、ケストラーの示す垂直構造は、ラズローやベイトソンで 言うところの自然の進化過程であり、水平方向のネットワークは、その水準のシステム(ホ ロン)が持つ〈社会〉である。原子の特定の社会形態が特定の分子を形成し、数種の分子 間に成立したとある社会が細胞内小器官を、細胞内小器官の社会が細胞を形成する。以下 同様に、社会の成立が、その上位水準の単位となるホロンを形成する過程が繰り返され、

有機的なホラーキーにおいては、現在のところその頂点となっている生物体(有機体)へ と行き着く。この過程の各段階におけるホロン社会の性質は、文字通り人間社会の比喩で 語ることができる。過度の自己主張傾向を押し出すホロンは、相互依存関係から逸脱し、

孤立する10。一方、自らの職分を弁えたホロンは社会の中に緊密に組み込まれ、不可欠の 部分となる。そうして制約を受け入れたホロンは一定の自律性を有しながら、社会の全体 と相補的な関係に入るのである。

ところで、ここで注意しておきたいのは、ひとつのホラーキーは、決して万物の見取り 図にはならないということである。ケストラーが示そうとしているのは第一義にはあらゆ るシステムに適用できる「不変の規則」(invariant rules)(Koestler 1979: 36=1983: 68)

であって、実在世界全体の構造ではない(宇宙全般については高次の統一へ向かう動きが 見出せるとしているが、これはケストラーの直観であり、理論的帰結ではない)。一口にホ ラーキーと言っても、先の有機体的ホラーキーの他、言語のホラーキー、認識のホラーキ ー、社会的ホラーキーといった様々な種類のものが、現に働く構造として見出されている。

105

これらのすべてを俯瞰する視点は、ケストラーではなく、ウィルバーに求めねばならない。

一般にニューエイジ思想の代表的論客として知られるウィルバーであるが、1990年代半 ば頃から少なくとも2006年前後までの彼の思索は、自らの実践的関心(瞑想を通じた各人 の自己内省の理論)を離れ、万人が立場によらず応用可能な、領域横断的・統合的視座の 確立を志向していた11。中期ウィルバーと呼ばれるこの期間の理論的考究の最大の成果が、

古今の世界観や思想的見地を四つに区分する、四象限の図式である(図3)。

四象限は、縦軸に個人的(図中上方)-集団的(下方)、横軸に内面的(左方)-外面的

(右方)の傾向の度合いをとり、第一~第四象限をそれぞれ、「それ」(右上)、「私」(左上)、

「私たち」、(左下)、「それら」(右下)を対象とする見地に割り当てている。ウィルバーは 具体例として、右上にスキナー(行動主義生物学)、右下にマルクス(唯物史観)、左上に ユング(心理学)、左下にはハーバーマス(社会学)というように、様々な理論家や立場を 配置しているが、大枠としては右側が上下ともに客観世界を対象とする立場、左上が主観 的世界に関わる立場、左下が文化的世界の構成を扱う立場と言うことができる。これらの 立場は、徹底化された場合には、往々にして実在論的見地においても当の象限が指示する ところを主張することになる。つまり、右側は上下ともに唯物論への傾きを持ち、左上に は独我論または唯心論的傾向が、左下には社会構成主義への傾きがある。

さて、我々にとって重要なのは、このような思想的立場の仕分けではなく、ウィルバー においてこの四象限はそのまま、実在世界の構成にも対応しているということである(図4)。 まず、ウィルバーはケストラーのホロン及びホラーキーの概念を援用して、四つの象限に それぞれ外面的・個的進化=行動のホラーキー(右上)、外面的・集合的進化=社会のホラ ーキー(右下)、内面的・個的進化=意志のホラーキー、内面的・集合的進化=文化のホラ ーキーを配置――これらは認識のための構図であり、それぞれの象限に立脚する立場が地 図としているものである――し、その上で、「これらヒエラルキーの四タイプが実際、 、存在、 、 する、 、としたらどうだろうか?〔傍点引用者〕」(Wilber 1998: 66=2000:85)と問い掛ける。

これら四つのヒエラルキーのヴァリエーションが文化や時代――前近代、近代、脱 近代――を越えて広範に見られるということは、それらが一定のそれ以上簡単にでき ないリアリティを実際に指摘していることを示しているのではないだろうか? この 四象限が〈コスモス〉そのものの本質的な側面であるとしたらどうか? 内面的およ び外面的領域双方、 、 を含んでいるゆえ、四象限は宗教と科学の関係に決定的なつながり

106

を提供しうるのではないだろうか? それらは実際、諸々の価値領域を統合する秘密 の鍵をもっているのではないか?(Wilber 1998: 66=2000:85)

つまり、それぞれの象限に定位する立場は、各々宇宙の本当、 、存在、 、する、 、 側面について語 っているのではないかと、ウィルバーは問うのである。それぞれの認識の構図が何らかの 行き詰まりに直面するとき、そこにある事実は、構図が間違っているということではなく、

一面的に過ぎるということなのではないか。

四象限を実在の構造と見なすということは、本論がこれまで見てきたシステム論的な進 化の構図を、二段階で拡張することを意味する。まず、ケストラーの図(図2)に示される ように、基本的に一個のピラミッドとして考えられていた組織化と創発の過程が、個と社 会それぞれの視点で分けられる。システム間の社会が、個的進化の土壌という処遇を越え て、それ自体進化するもうひとつのシステムと見なされるのである。次いで、人間科学と 一部生物学の知見を基礎に、このそれぞれの過程に内面的次元が付加される。最後に、現 在のところ一般には生物と人間とに関わる領域(図中の目盛りでおおよそ5から13の間に 相当)にのみ認められている内面を上下方向に仮想的に伸長することで、四象限全体の構 図が得られる。

ウィルバーは自らこう結論する。この四象限とそれぞれの段階的な発達過程こそ、宇宙 の実相を漏れなく捉えた、累進的進化の構図である。我々は個体的、集合的な発達の観点 を持つことはもちろん、外面的リアリティ(右方)と内面的リアリティ(左方)の双方を、

事実存在しているものと考え、またそれ固有の発達の過程を持つものと考えなければなら ない。これに対する反論や拒絶には、「四象限全部の存在に対する動かしがたい証拠……そ れぞれの存在を支持する厖大なデータ――経験的、現象学的、文化横断的、黙想的なデー タ」(Wilber 1998: 144=2000: 186)を持って答えることができる。そもそも、仮にある立 場が内面的次元の妥当性を拒絶するのであれば、それは自らの活動が依存している内面的 理解の妥当性をも拒絶することになるのだから、むしろ事物の内面性を否定する根拠の方 が我々には見出し難い。いずれかの象限を真としてすべてをそこに還元するより、現実は 四つの異なった、それでいて密に絡み合った次元によって構成されているという存在論の 方が、我々の経験にはよく適っているのである。

ドキュメント内 「多元的宇宙」の再構成 (ページ 104-129)