第 2 章 複数世界論の転回――複雑性の解消から複雑性の全面受容へ
第 1 節 宇宙及び世界概念の多義性にまつわる問題
ジェイムズの〈多元的宇宙〉(pluralistic universe)を検討する際、何を置いても留意さ れなければならないのは、その多元性(複数性)の内実である。ジェイムズは天文学や物 理学が対象とするような物体や現象の一切を包摂する空間――あらゆる物質とエネルギー を含む、ひとつながりの時空連続体――が複数存在する様ではなく、そうした空間内部の 秩序の複数性を言おうとして、〈多元的〉の語を用いている。
宇宙全体を圏域とする秩序は存在しない。宇宙とは複数の異なる秩序がときに競合し、
ときに融和する、果てのない流転そのものである。仮に〈宇宙〉という言葉が、ひとつの 法則性、ひとつの因果関係に回収可能な物と出来事のまとまりを表しているとすれば、こ れまでそう呼ばれてきたものの中にこそ、複数の宇宙がある。我々は複数の宇宙が重層的
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にせめぎ合い、結び合う、ひとつの動態の渦中に生きているのである。これがジェイムズ の多元的宇宙論であった。
ジェイムズは多元的宇宙を一語で〈多宇宙〉(multiverse)とも呼ぶ(WB 43=1961b: 61)。 しかし、この語は非常に多義的であり、ジェイムズの宇宙論を議論するに当たっては、こ れが最初の躓きの石となり得る。まず上にも触れた通り、現代の科学的宇宙論においては 時空連続体の複数性を示す際に〈多宇宙〉との表現が用いられる。現代宇宙論の用法が読 者の念頭にあった場合、ジェイムズの多元的宇宙論は、専門諸科学が基礎を固める以前の 原始科学的な(天文学的知識や物理学的知識に形而上学や神学の観念が分かち難く絡み合 って構成されている)宇宙像と同列に扱われてしまう恐れが――その冠名に立ち止まらな い限り低いものであるにしても――ある。またこの用法から、西洋の思想史上に度々出現 する〈世界の複数性〉(plurality of worlds)の観念を連想する向きも多いはずである。多 元的宇宙論をこの観念をめぐる歴史の中で捉えることは、その特徴を浮き彫りにするため にも非常に有益であると思われるのであるが、その際には両者を単純に直結させることの ないよう、細心の注意を払わなければならない。これを怠れば、ジェイムズ自身の生い立 ちや交友関係にまつわる宗教的要素、あるいは心霊研究への注力といった点にも見られる いくつかの業績の方向性も相俟って、多元的宇宙論は前近代的な思惟の産物と解釈されか ねない。あるいはいっそう単純に、神秘主義の宇宙像と範疇づけされてしまうかもしれな い。そうなれば多元的宇宙は、歴史研究の外を出ては顧みる必要がなく、思想上の博物学 的興味の他には益するところのないものとして、生きた思弁の舞台から弾き出されること になろう。不幸なことに、ジェイムズの説明はときに曖昧で、いかようにも取れる文章を 綴ることがあり、こうした方向に解することをたやすく許してしまう。
よって、我々はここで二つの点をはっきりさせておかなければならない。第一に、多宇 宙という言葉が喚起するイメージは、今日においては一般に現代宇宙論が唱える種々の多 宇宙や並行宇宙(parallel world――ある時空から枝分かれし、もとの時空とは切り離され たままに並行して存在する時空。実在的に捉えられた〈別の歴史〉)であると思われるが、
先述の通り、これらに(原始科学的な教説を含めて)ジェイムズの多元的宇宙を並列させ ることはできないこと。第二に、それでいてジェイムズの宇宙論は、少なくとも近代に至 るまでの並行宇宙をめぐる議論に、ある仕方で密接に関わっているということである。端 的にいえば、ジェイムズの提示する宇宙は、それまで「あらゆる記述において完全な合理 性をうみだす概念をえる」(PU =1961a: 88)ために要請されていた外部的な複数性を、「む
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しろ合理性のもっとも大きなバランスをうみだす概念をえる」(PU =1961a: 88)ために宇 宙内部へ呼び戻す、いわば裏返しの並行宇宙説と見なすことができるのである。
本章はこのうち第二の観点を主題的に扱う(これにより自ずと第一の点も明らかになる)
が、本題に入る前に語の多義性に関わる若干の補足として、〈宇宙〉や〈世界〉という概念 自体がそもそも文脈依存的であることについて触れておきたい。その文脈依存性は現代宇 宙論における〈宇宙〉概念の激しい動揺が如実に物語っている。一証言者として物理学者 B. グリーンの語るところでは、端的に万事一切を指して〈宇宙〉と称する場合もあれば、
原理上、内部の存在者が行き来できる広がりとそのうちにある一切をそのように表現する 場合もあり、後者の場合には「部分的か全面的か、一時的か恒久的か、いずれにしろ私た ちには近づけない別の領域」も〈宇宙〉と呼ばれることになるため、もって〈宇宙〉とい う概念は「大きな――おそらく無限に大きな――集団の一構成員に格下げ」されるという
(Greene 2011: 4=2013: 上 21)。
〈世界〉はこれにも増して曖昧な概念である。〈world〉について、特定の〈住まわれて いる領域〉(精神的帰属を含む)を指すとの定義は有効であろうか。これを一単位とした複 数性を〈plurality of worlds〉と表現し、その全集合または基底的次元を〈universe〉とす れば、それぞれの外延ははっきりと定まり、ある枠組みを指して〈世界〉とする用法も、
宇宙の〈uni-〉の接頭辞の含意も活かされる。しかし前述の通り、現代宇宙論では〈universe〉
がただ一つの基底を意味するものではなくなっている上、観察者の存在しない世界、つま り何ものにも住まわれてはいない領域を一世界とカウントする例もある。後述の多世界解 釈(many-worlds interpretation)や可能世界(possible world)が該当例であるが、上の 定義ではこれらを取り込むことができない。当然、ドイツ語の〈Welt〉やフランス語の
〈monde〉など、他言語も同事情を抱えている。18世紀スイスの数学者、L.オイラーは『ド イツ王女への書簡』にフランス語で、「地球はすべての居住者とともに、ひとつの世界と呼 ばれることがある」(Euler 1975)と書き、〈世界〉の指示するところが何であるかは、そ れとはまた別の言葉で補われなければ明確にされなかったことを暗に示している。
この困難は日本語によっては無論、古代ギリシアやラテン世界を訪ねても解消されない。
ギリシアで〈世界〉に相当する語はピュタゴラスが最初に使用したと伝えられる〈kosmos〉
で、ラテン語の〈mundus〉はほぼこれに同義である。コスモスは、混沌〈chaos〉に対す る秩序一般を意味し、ほぼそのままの意味で英語にも移入されている(宇宙論〈cosmology〉
とはすなわち、全存在が服するひとつの秩序の探究である)。ヘラクレイトスの断片に次の
43 言葉がある。
この秩序立った世界(コスモス)、万人に同一のものとしてあるこの世界は、神々の どなたが造ったものでもないし、人間の誰かが造ったものでもない。それは、いつも 生きている火として、いつでもあったし、現にあり、またありつづけるであろう――
定量だけ燃え、定量だけ消えながら。(DK 30B=1996: 317)2
ここで措定されている世界=秩序は、もはや一定の外延を持つものとも、固有の法則的 性質を具えたものとも考えられない。ヘラクレイトスが火に仮託して説明するのは、ただ
「万人に同一のもの」として捉えられる、茫漠たるひとつの〈流れ〉に過ぎない。これが 西洋における〈世界〉の原義を示すものとすれば、結局のところ、より具体的な定義は、
いつどこにおいても、まったく文脈に依存する他ないのである。そもそも、何らかの〈全 体〉を示す〈世界〉や〈宇宙〉の概念を、明らかに何らかの部分であるところの人間存在 が明晰にしようとすること自体、無理がある。人間が一体どのような全体の、どのような 位置に存在するのかが分からない限り、これらの概念を一意的に定めることはできないで あろう。「宇宙と世界の曖昧な使い分けは、たぶんこの解らなさの現れ」(田辺1997: 176)
なのである。
そこで本章では、以下の考察の便宜を図り、〈世界〉及び〈宇宙〉を、〈独立的かつ自足 的な秩序と、その内に構造化された事物の一切〉と定義しておきたい。ゆえに、本章が複 数世界論と呼ぶものの範囲はまず、我々が住まう秩序とは切り離されて存在する別の秩序 が、複数実在しているものと説く理論に限定される(多文化世界、 、のような、社会学的観点 からの論究や、文化相対主義、生物学の環世界論などは除外される)3。先に挙げたグリー ンの記述から一部を借用し、〈内部の存在者が原理的に移動可能である空間的広がりと、そ のうちにあるものの一切〉であると定義するか、単に〈ひとつながりの時空連続体〉と定 義した方が、その外延をはっきりと境界づけることができ、いっそう適切ではないかと思 われるかもしれないが、この場合には制限が強すぎて、時代・地域によって千差万別な〈世 界〉解釈を暗に振るい分けることになってしまう。たとえば、現在であれば〈地球外生命 論〉などと呼ぶのが相応しく思われるような、他の天体居住者の存在証明も、論の立脚点 によってはまぎれもない別世界の肯定となり得るのである。このことは特に、アリストテ レスの体系(天上界と月下界、〈本来の場所〉の概念)やキリスト教神学(実質的に〈地球〉