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現象と絶対者のパズル――〈充満の原理〉と〈存在の連鎖〉に基づく複数世

ドキュメント内 「多元的宇宙」の再構成 (ページ 50-53)

第 2 章 複数世界論の転回――複雑性の解消から複雑性の全面受容へ

第 3 節 現象と絶対者のパズル――〈充満の原理〉と〈存在の連鎖〉に基づく複数世

――〈充満の原理〉と〈存在の連鎖〉に基づく複数世界の要請

A. N. ホワイトヘッドはかつて「ヨーロッパの哲学伝統の最も安全な一般的性格づけは、

それがプラトンについての一連の脚注からなっているということである」(Whitehead

1978: 39=1984: 上66)と述べたが、複数世界論の伝統もまたプラトンに強く拘束されてい

る。プラトンこそが、完全な一者と不完全な現実とを、およそ可能なものはすべて現実に 存在するという考えの下で調停した最初の人であったからである。

プラトンは『ティマイオス』において、〈完全なるもの〉の定義に〈他なるものの産出能 力〉を付け加えている(Timaeus 29E-30B=1975: 31-34)。すなわち「自己充足している完 全さという観念が大胆な論理転換によって――はじめの意味を全然失わずに――自己を超 越する豊穣さの観念に換えられたのであった」(Lovejoy 1936: 50=2013: 76)。永遠不滅の イデア界と至高の善のイデアが存在するとして、一体どういう理由でそれと相反する時間 的性質の世界が生成されたのか、それも死と腐敗にまみれた不完全なこの現実世界が存在 するに至ったのかという問いに対して、プラトンは大要次のように回答する。

あらゆる種類の不死のものが産み出された後にデミウルゴスは、死すべきものがま だ創造されていないことに気づく。これではいけない。もし宇宙にこういうものが欠 けていると、宇宙は欠陥があることになる。「なぜなら完全になるためにはあらゆる種 類の生物を含まねばならないのに、含まないことになるからだ」。ゆえに「全体が真実 に完全になる」ために創造者は、すでに創造されている神々に、死すべき存在を神々 に似せて産み出す仕事を委託した。(Lovejoy 1936: 51=2013: 78-9)

こうしてプラトンはイデア界と現実世界の橋渡しをするのみならず、現実の世界のあり 様もまた完全性の表れとして、必然的にもたらされたものと考えることを正当化したので あった。上の要約を提供している A. O. ラヴジョイは、その道行きの全体についても非常

50 に簡潔にまとめている。

彼自身の哲学はあの世的方向で頂点に達するやいなやその進路を逆転した……普通 の思考の範疇のすべてに無縁であり外部のものを一切必要としないような純粋な完全 なものであるイデアのイデアという観念に到達すると、彼はただちにこの超越的で絶 対的な存在の中にこの宇宙の存在を必要とする論理的な根拠を見出し、およそ考えら れるあらゆる種類の有限な不完全な物質的なものの存在の必要性と価値を主張すると ころまで行ってしまう。(Lovejoy 1936: 45=2013: 70-1)

プラトンを先達とするこの種の世界説明の様式を、ラヴジョイは〈充満の原理〉と呼ぶ。

充満の原理は後にアリストテレスの〈連続の原理〉と〈漸次移行の原理〉を取り込み、プ ロティノスに至って、以後「自分の住む宇宙を自分の知性に合理的に見えるようにしよう とする西洋人の長い努力の一部」(Lovejoy 1936: 47=2013: 73)を成すところの長命な世界 像=〈存在の大いなる連鎖〉にまで成長した10。以降、自己充足する絶対者(新プラトン 学派による善のイデアの解釈)から、高位の理性的存在、人間、動植物を経て、まったく 他律の状態にある無機物まで一直線につながっていく諧調的な連続体のイメージは、非合 理をも必然に取り込む「万能解決剤」(Lovejoy 1936: 273=2013: 430)として、長く西洋の 思想家に愛用されることになる。

複数世界の要請はこの存在の連鎖という観念にしたがって、絶対者を頂点とする単一の 階梯上に経験的諸事物を配列していく中で現れてくるものと考えられる。それこそ必然の 成り行きとして、可能なもののすべてを含む存在の連鎖には人間にとって未知の事物が組 み込まれることになるが、既知の領域が拡大するにつれ、単にそれらを未発見のものとし ておくのは困難になってくる(たとえば決して不可能とは思われないような生物の形態上 のバリエーション――もっともたるところでは類似の種の中間段階――などが、なぜ発見 されないのかが疑問に思われてくる)。そうなると、鎖の欠落を埋めるものが〈今ここでは ないどこか〉に存在するのでなければおかしいというふうに考えられてくるのである。

プラトンはイデア界と現象世界との二世界説を立てたが、創造はただ一度きりであると して複数世界論を唱えなかった。これはプラトン自身が『ティマイオス』の含蓄――善の 豊饒性と拡張性の射程――を、プロティノスをはじめとする後世の体系的思想家が考えた ほどには充分に引き出さず、可能なものの範囲をそれほど広くとらなかったことに加え、

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当時の世界観そのものが果ての知れない漠としたものであったことに起因していると思わ れる。逆に言えば、想定しうる可能なものと、人間の住む世界(ここでは地球のこと)に 関する知見の増大とに比例して、完全なものによる創造はますます広大で遠大な射程を備 えたものになっていく。そこで世界を複数化させるか、完全性からの流出説を捨てるかは、

いわゆる一者をプラトンの定義する完全性の下で保持しようとする限り、ほとんど二者択 一の選択となる。

このような隘路を、字義通りの並行世界を持ち込まずに通過しようという試みもあった。

G. W. ライプニッツの〈共可能性〉の概念はその一例である。「現実に存在するどのような

宇宙も、単に自己と矛盾しないだけではなく他と互いに共存できるものから成立しなけれ ばならない」(1936: 170=2013: 264)、つまり可能なもののすべての組み合わせが可能なわ けではないとライプニッツは考え、全能の創造主といえども論理的な必然性を破ることは できないと主張した。その上で、現宇宙はすべての可能なものの組み合わせのうち、存在 者を最も豊富に含んだ系列であると判じたのである。

この世が可能的なものの最大の顕現であることを何としてでも保証する必要があったの は、ライプニッツにとって「偶然の出来事がたとえ足がかりでも持つような宇宙は安定性 も信頼性もない」(1936: 168=2013: 261)からであった。プラトンにしても、完全性をめ ぐる議論をはじめたには、この世界の存在根拠を確実なものにしたかったからに他ならな い(より正確には、人や国家の規範となるべく設定されたイデア界を、現実への余計な付 け加えという非難から守り抜き、イデア界と現実との関係をゆるぎない密なものと論証す ることがプラトンの主目的であり、その支持構造として完全性の概念が組み立てられた)。

こうして論立ての動機を追究していくと、複数世界論の歴史のかなりの部分もまた、ジェ イムズが次のように論じた絶対者の哲学に起源を持ち、またそれに並行して紡がれてきて いることがはっきりする。

第一に、世界は理性的なものでかつ自己整合的でなくてはならない、とする健全 な信念がある。……次に我々は、この哲学が理性主義的な信仰を奉じ、次のように 考えているのをみる。《感覚所与とその結合とは、つじつまのあわないものである。

それらの秩序のかわりに、概念の秩序をみちびきいれることによってのみ、真理は 発見することができる》。第三に、みちびきいれられた諸概念は、主知主義的に、つ まり互いに排除しあい連続を欠くものとして、とりあつかわれる。そこで、感覚経

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験の流れがもっていたあの罪のない連続性は、より高い概念的な連続性が与えられ るまでは、我々にとっては破壊されたものとなる。最後に、このような破壊的な状 態は、たえられないものであるから、デウス・エクス・マキーナとしての絶対者が、

それ独自のやり方でこの状態を改善するために、よびだされる。何故なら、我々自 身のやり方ではこの状態は改善できないからである。(PU 37-8=1961a: 58-9)

ドキュメント内 「多元的宇宙」の再構成 (ページ 50-53)