l農家労伽ノノの大量流,111,とその影響
すでに前章において、1970イli代半ばから「lliZ《換点」を通過する過程で、農 林1K(業就業肴数そのものが急激に減少してきている三'1災をみた。また)雅楽別 シェアでみても、60イド代初めに企就業人「Iの60%以上に達していた農林水産 業就業者は20%を1Ⅲるまでに縮小してきている。この'111に、jli11鮮戦イ,、後の ベビーブームで生まれた子供たちが、多数、農業従三|噺などとして成及して きたり、「セマウルjlMノノ」によって高''16荷や女性が農業従事肴などとして動 員されたため、70flミ代半ばには550〃人までjW1llした就業人|」は、80年代末 には350〃人を1<回るほど減少してきている。
この十数イ|:Ⅲのル''111,kは200ノノ人をはるかに」主|、lるが、農林i《(家で生まれ 育った労IliI力が、全員、農林i((業の就業者になった場合を基準として考えた ら、農林i)l((家からの労Ili11力流''1,はもっと大規模だったに違いない。このよう な推計方法は、|]本イリ|:究にも血)'1されているが(小野[1975])、それを榔匡|
で試みてみると表2-4-1がえられる。
それによると、(1)農家などの労IH1lノノの流111,のkM模は、経済|#1発5が'1計画 が進むにつれて1W大し、節1次計画l1i↑には50万人を下|Ⅱ1つたのが、第4.5 次には100万人を超えるように拡大してきていた。(2)こうした農村などから の労Iilill力移1Iil1がiiii章でみた第2.3次)薙業の'二|を兄張るような就業の箸jiウを 支えたに迷いない。そこで、節2.3次雌業の就業増力Ⅱに対する寄与率を算 出してみると、今過私{平均で50%を上|Ⅱ|っている。(3)しかも、72~76イ|i以外 は60%を上|Ⅱ|っている。72~76イIiのみ40%を下lIlっているのは、前章までに lリIらかになったとおり第1次石illIショックを含みながらも、承化学工業化の 強行によって製造業などの就業1W〃|lがとくに顕著にな')、第3次産業からも
第4章農家ツナIlill力の流{'1,と農業経済の低迷 161
表2-4-1農家ツナIlil力の流llllと第2.3次)雅業のⅡノリUlX
(T・人、%)
Ⅱ及収 第2.3次
産業のjNDll
奇』ノ・率 (流llI÷lW1ll)
農家から の流出 lOlllll
(計lllji)
1963~66
(1次)
1967~71
(Ⅱ次)
1972~76
(111次)
1977~81
(Ⅳ次)
1982~86
(V次)
計
第3次 第2次
721
1,009
2,047
1,767
2,042
63.7%
64.8 185
181
1,025
70
615 273
472
△267
1,015
692
2,185 459
654
758
1,085
1,037
3,993
37.0
61.4
64.0
52.6 7,586
2,076
注)(1)厳癖には、農家のほか、M((林家も含む。(2)I~Vは総済|)卜1 発5カ年計画の什次を示す。,11件5人による杵「のイ《整什がある。
111所))'''二1[1990]。
表2-4-2農業就業打の年齢・性》11榊成の 変化(%)
両
1975 26.4 24.4 1985 13.2 18.0 14.9 1.8岬一MWⅢ加川川一川畑
13.0 17.4 21.7 21.7 17.8 8.5
5.1 15.4 19.3 28.1 21.0 11.0 15.4
25.5 21.8 19.1 13.4 4.9
14.4 18.2 25.7 21.6 13.9 6.3 58.4 41.6
}11所)農林ノME部「腱林ノM:統計イlKfll」19()6~90年。
労働ノノをⅡノリUIXしたほどだったからである。(4)それまでは節2次産業よりも第 3次産業の力の吸収趾が大きく、とくに60年代は農村などの挙家離村によっ て都TlJ就業麻などによるスラムの形成が進められた(倉持[1987])。それが 72~76年の第2次産業の急膨張によって、都Tl丁雑業がかなり縮小するなどの 変化がもたらされた。もっとも77年~81年の不況局而では、処設業も含む第 2次産業の|リ11(収が急激に紺i小し、逆に第3次廠業が急膨張したので、11)ぴ都 TIT雑業が増大せざるをえなかっただろう。だが、それと同時にこの段岬Iiから
162節2篇経済成健と産業・労Iilll経済の腱I)H
の第3次雄業の拡大には、よ')大規模な金融・保険・不動産業などの墹大が 始まっていた事実にも川='しなければならないだろう。
このような農家などからの労llillノノ流I'1,は若青年を'''心とし、70イ|亘代以降は その111身流''1,が1illm箸になったから、その結果、農業などの労|釛力柵成は否応 なく''1高齢化・女性化せざるをえなかった。それを示した表2-4-2によると、
6511ミに20%以下だった50歳以」ユルiは89イliには50%以上に拡大し、その反1「Ii、
40歳未満kイは60%以」主から25%ほどに$iii小している。こうした変化は労Ilill力 構成の質(I<」劣化をほぼ反'1災している、とみてよい。とはいっても、このIHIに 農業の機械化や,Iii',極改」iLや」:地JiL盤の曠備などが進み、農産物の柵成も」|X入 のほぼ半分は米によって,!iめられているとはいえ、麦の減退に代わって畜産 や野菜などのシェアが拡大するといった高座化がみられる(農村経済研究院 [1989])。しかし、州放農政〃の外圧などが一段と強まる環境の悪化に対抗 していくうえで、農業従zl1料は今体としてあまりに高齢化し過ぎている二|『実 も否定できないだろう。
2労IHIl力流H1,のポリティカル・エコノミー
このような農家労働ノ」の人BJ模な流111,は、政治・経済・社会などの多様な 要|X|から解lリIされねばならない。図2-4-1は、iiirliliまでにみてきた産業》||の 生産所得シェアを就業稀シェアで除し、第1次産業における就業粉1人当た り平均のイlI対所得の推移を示した。それがlであれば、金産業の平均所1MLと
|司じ水準だということになるわけだが、第1次産業のイⅡ対所得は、1960イli代 半ばまで0.7前後だったのが、60イli代後半に(155まで、急落したあと、70年代 初めに多少待ちilIしたものの、70イド代木には0.5を少し'二|Ⅱ|る水準に低落し ている。さらに80イIミ代に入ると冷害の影響もあり、-時は0.4にまで近づい たが、近年やっと05を_LlIlる稗皮に|Ⅱ|復してきている。
このように、60イ|ミ代半ばまで比)|攻(1<ji薇かつたのは、朴政椎成立当初のJii農 主義(19政策のほか、=|:業化がまだ低位だったからである。節2次計lIljlに入っ て工業化がl'Ui調に展|サト'し始めるにつれて急落したが、70イド代に入って前述の ような「セマウル述動」などによる農業就業料の哨加にもかかわらず多少侍
節4章農家労I1liIノ」の流ll11と農業経済の低迷163 図2-4-’第1次廠業の就業fir当たI)41倣所iMLのjlll対比
% 0.8
0.7
0.6
0.5
636567(;971737577798]83858789flH lll,)リi)農林ノk産部「農林水産統計年#'1」19()4~90('皇。
表2-4-3農二l:業間のl1lli格と4Mi性の上昇率比1校(%)
製造業労 働生産性
(3)
12.6 10.5 11.3 14.7
年次 (3)-(4)
6.2 2.7 4.2 4.0
6.4 7.8 7.1 10.7 1960-70
70-80 80-85 85-89
16.9 21.2 6.7 4.9
12.2 22.6 7.9 4.4
7425
●●●0 41-0
'11所)経済企画院「輔'五|統計年鑑」1964~9()年。
ちiii:したのは、高米Illli政策と多収極,lii111Wiや>|リト運機などの艸及のプラス効果を 反映している。だが、80年代に入ると米{llli政策の後退などの要因も加わって、
0.5さえ-F'171るほど低迷したが、辺イ|き、多少|Ⅱ|復しつつあるのは、のちにも 触れるように耕地規模lha未iil1Iiの低'MWl:の零細農家の縮小が進んできた 効采を示しているのだろう。
こうした政策や経済などの要因について、より立ち入って確かめておこう。
表2-4-3は農兀業Ⅱ'1のIllli格関係と労'1Mミi韮I!'iの変化について対比した結采で ある。それによると、(1)農)曜物IlIli格の11昇率は、60,70年代のそれぞれ10年 間に17%から20%を超えるほどの上昇を示していた。というのは、前述の高 米I111i政策の効采だけでなく、この過概がiiii章までにも繰り返しlリ1らかにされ
164第2儲経済成長と産業・労IIi1l経済の腰|}#
たとおり、しばしば大lIFiなインフレを伴ったj0llliだったことも示している。
それが80年代に入ると、10イド'''1に換’11:してやっと2桁に達する程度に安定し たのは、南米I11li政策の後退とともに経済をi零体としても物Iilli安定jl9lに移行した ことを反映している。(2)これに対し農家などがllIIi入する兀業製!'h1,の{111i格もま た、農廠物{illi格の変1lijとほぼ|両|醜1の1liIきをみせていた。そのなかで、60年代 こそ農産物{llli格の力が大きな_け:Iを示したが、70年代と80年代前半は交易条 件が逆jlixし、いわゆるシェーレ(鋏状Illli格差)リil象に'1mっていた。しかし、
それは意外に小さなシェーレだったが、80イ|皇代後半になると、叫び農産物I1lli 格の-時|が多少大きくな')、前述のような相対所得のlIl復にプラスの効果を 発抑している。
このようなイll対所得の経済要|Alとして、前述のようなIllli格関係のほかに労 ''11生産性のjlll対関係にも注['しなければならない。表示したとおり、労働生 産`WIiの_け1.率の農二l:差は、維済発展が進むにつれてますます拡大する傾向に ある。このうち、70~80年は、80年が前述のように冷詳の年だったことを瀞||
リ|すると、ますますそうしたトレンドがIリ|雌になる。したがって、(1)60年代 のホ11対所得が後半の急落を含みつつも比較的高かったのは、)'11対'111i格が有利 であっただけでなく、労働4Mi性の」ェ外装もまだ大きくなかったからである。
(2)70年代に入ると、高米イilIi政策がとられたにもかかわらず、前述のシェーレ によってその効果のあらましは打ち1111されたが、jI11対所・得の低落にある稗度 歯」こめがかかったのは、表2-4-3では証Iリ|できなかったものの、前述のよう
な多収穫品椰や機械化の普及によるLME性-M.効果が発抑されたに違いない。
(3)80イ|弍代には0.5以下から0.5を」±|Ⅱ|るような|Ⅱ|復トレンドが多少ともみられ るのは、4M:性_ヒゲト兼は-)#拡大したが、交易条件が多少有利になった状況 で零細な低4M:性農家の減少が進んだからであろう。
3農家経済の柵造と教育費の増大
これまでの考察をネiliうために、マクロの実質農業所得の動lhlもみておこう。
それを示した図2-4-2をみて、(1)まず'三|につくのは、1960年代前半は実質農 業所得が顕著に増大していたのが、6()イ|え代後半には人'11mに低落したことであ
第4章農家労働ソ」の流ル,と農業経済の低迷165 る。このような状i),lのもとで、イ'1対所得も急落し、労働力流lIl,も大朏L模に なったのである。(2)それに比べて、70年代、とくにその半ばまでは、Tiii述の ような「セマウル迎勅」などの彩糾で、比較「Iり|'【i洲に実質所1+トの墹大がみら れ、それまで横ばいだった就業料もjW1l1していた。(3)しかし、その後、胸iぴ 低落に転じ、801|ミの凶作を迎え、その後、すでにみた状況のもとで、ややlllH 調な拡大トレンドを辿ってきている。
それにしてMIl対所得は05前後に低迷し、5年'''1に100万人以上も労働力 の流出がつづいている現実はi峰祝できない。しかしながら、農家としてはこ のような机対的に縮小してきている農業所得だけに依存していたわけでは決 してない。それどころか、|ヌ'2-4-2で見逃せないのは、とくに農業所得が再 び低落した70年半ば以降、と')わけ農家所得とのギャップが拡大した二11笑で ある。そのことはI)Xl2-4-3にIリ|雌に示されている。前述のような70イli代半ば までは農家所得'''80%以上を,!iめていた農業所得の比率は、その後80年に向 けて急落し、81年以降、多少低蒋トレンドは鈍ったとはいえ、80年代末には 60%にまで低下してきている。
それでは、いかなる自家農業以外の兼業所イ1卜がh脚力Ⅱしてきているのか。図 2-4-4がそれを示している。それによると、(1)一貫して30%~40%の高位を 保っているのが賃金・給与である。柿|玉|の地力農村などには〃11111機会が乏し いが、前述のような労ImijlノJ流,111,プロセスで、とくに」|幾繁期には労働ノJ不足が 激化することにな')、臨時の農業賃金が高|勝し、大XM模経営の成長をⅢ害す る要liklになっている(郡ほか[1984])。だが、とくに零細農家には亜要な兼 業所得になっているに違いない。(2)60年代には30~40%に達していた【1営業 所得は、轍lIlのこ[業化が進むにつれて縮小してきたが、80年代は20%前後の 水準を維持している。(3)70年代半ば以降、第2段階'三|の低落をみせた|生1営業 所得に代わって、20%を少し上|Ⅱ|る水準から40%近くに急上昇し、80年代の 賃金・給与の低迷の代わ')に40%以上上昇し、首座を占めることになったの が、補助・IW1与であった。
このプロセスは農業補助金などがカットされる|l制01に当たるから、ここで 決定的な役割を来たしたのはⅡi1与である。それにもいろいろな11竹与があるだ ろうが、ここで注|='しなければならないのは、農家などから流'1」,した子弟か
第2篇絲済成長と藤業・労働維済の展開 図2-4-2実質農家・農業所得の釛向 目ノノウォン
166
6
5
`I
3
2
62M666870727`I76788082848688ili
ili)1980イ|:農家Illi人Illli格でデフレートしたもの。
図2-4-3腱業所得の農家所得|ノリシエアのlli:移
%郷050505 377605
62(脚6()68707274767880H2H18688fr
図2-4-4)|〔業)リ↑得のI怖成変化
%、
40
30
20
10
0
62M66687()727《17()788082818688flと
出所)lXl2-4-2~4ともに農林7Mi部「農林ソ川:統計年#|(」1963~90年。
節4iWi農家労IiIillノjの流'''1と股業絲済の低迷167 図2-4-5腱家・Wlliliツナlliル片家計における教fiilIiのIili成変化
%皿nm9876543
6264(;(;(j870727`1767880828`18()88イ'2 出)i)「)経済企[皿院「iミ要維済折標」1963~90イIミ。
らの仕送りである。とくにこうした仕送りは、iii述のように、製造業などの 雇川機会が人刈A模に拡大し、賃金水準が「Dli云換点」を通過するほど上昇した 70イF代後半に馴著なhW大をみせたにH1述ない。しかも、このように地大した 子弟からの仕送')は、多分に儒教(I<jな親やIjiMiliなどへの恩返しでもあったの である。
図2-4-5は、農家とfillTIj労Iilil者|ルIIlの家計''1に,!iめる教育11iの比率の動き を示している。それによると、(1)農家の教育費シェアは60年代半ばまで3%
台に過ぎず、都市労IiMl料.|Mはり人ll1Wiに低かったが、(2)60イ|昊代半ばで追いつ き、70年代半ばまでは5%をⅡnll)7%を超える水i((4で、淵|ITIT労働稀|止帯と ほぼ同じ動きを示すように川した。(3)さらにそれが70イli代半ば以降、都市 労働者11帯の力はiiii章までにみた選択的111賛の多様化などによって低迷する のを尻|=|に、農家の教f川シェアは10%を超え、12%に連するほど急上昇し、
都Tlj労1,1者|止帯の2伯近くにも達するほど拡大した。(4)ただし、80イIi代半ば にはそれもピークに達し、選択的iMiの多様化などによって紺i小し始めた、
とみることができる。
したがって、70年代半ば以降、農家経済全体としてはiiii述のような贈与が ふえると同様に教育文,IlIもふえることになったわけである。もっとも教育費 の支出は贈与だけでは到底不充分だったろう。そのため、耕地IIMi入査余を流