-1960年代木まで-
l朴政権研究の分析視jlI-IリW11と本章の祝/11の設定
19614115)]16[|の軍。|ドクーデターを契機として成立した朴jli煕政権に関す る研究はいわば|司時代のものであ')、その11)jlhlはそれぞれの時」01の問題意識 の変遷をlUIlLしlI1,しているともいえる。ここでは、アメリカの1i)|:究を'|]心とす る既存のWl:究を、体IIillを分析する祝jf1の特徴にもとづいて大まかに類型化し てみることにする。体Ili'1を分析する際に{iIを1K祝する祝ブイ1をとるかによって、(l)
①近代化論に影響を受けた政治発展論による祝ブイ1,②対外的な「従属」を11i 祝し'五|内体Ilillの「発展」には711;定的な祝プィl、③|正|家が政策を決定し遂行する 際の唾ⅡノWii造に焦点をあてるステイティスト・アプローチ、の三つに類型化 できるとA1Aわれる。
第1のものは、発展途」二|玉|も近代化によってi1qIMJ民Fii主義体Ilillが碓立し ていくとの認識が背後にあるものであった。それゆえ、そこでは「アメリカ 型民主主義」の方lf11性を示していた民ji党政椛をクーデターによって打Ifllし て成立したfl垣}1政椛であると朴政権を捉えて、「民主主義の桃折」「軍部の政 治介入」の要'五1を分析するという'1'1題意誠が示された(例えば、Han[1974]、
KimSe-jin[1971]、Oh[1968])。しかし一ノノで、民政に移櫛された朴政椎の 下で工業化が進展するにつれ、「fli〔部」と「近代化」のIjU連が注|]されるこ ととなった。同時に、軸|正1だけではなく、ラテンアメリカ諸|正|でも軍事政椛 下の二[業化が達成したことも含めて、「「|(部」と「近代化」のUM連が理論化 されるのである。そこでは、fil(隊の近代化の下で近代的思考を身につけた耶 事エリートが、政治的汎i1iしの''1で政椛を掌l屈し、物Illl的リiiIliIlノノをも有する存 イliさとして、リjリノに近代化をイ|(;地するというノハ(が強調され、11[事政椛も近代化 過程からの逸脱ではないとの認識が示された(Johnson[1964]、Pye[1966])。
第3承朴政樅の碓立と動揺63 ところが、上記のような分析祝ブイ1はIlMの体IIillを粉飾しかねないとして、
これに対する批判も現われる((ク|IえばBix[1973]、Cumings[1973]、Palais [1973])。その背景には、60イド代後半の「経済発展」を遂行した朴政椎が、
72年にiMii体IIillを強化してその「で爪化学=[業化を推進し、近代化が進めば 強権的な体IIil1から民主(1<」な体Ilillに発展していくとの希剥1<」な槻11('1を覆したと いうことが指摘できる。こうして第2の祝プ(1にもとづく研究では、朴政権の 強椛的な111mがIMUされ、「経済発展」は政椛のjIi統性の根拠と認識される のである。
この第2の分析視ブイ1の背景には、lmil内には杣裁政権のJIi統性に対する疑念 と、「外資依存」、「jliiiiill1,折向」などの「外lhliI<j」]:業化による矛)iZiに対する 不iililiが存在してお})、それらがhlHイli化するのを'''1圧するために、政治il9には 強椛的な体Ili'1をとっているとの認搬があった。その体Ilillが、冷''0〔柵造下のア メリカの|u界)|晩''1片や'五|際分業によって利潤を11|:ようとする先進|玉|の意|ヌ|に沿 うものとして外部からの文援を受けているとの認識には、新杣氏iMI1論や従 属論のインパクトも大きいものと,W、われる。とくに、jliltl玉|では、政権が「経 済'1}1発」の実績によるJIL統化を試みるのに対し、「民主化述汕」勢力は成長 の内実や分配を'''1題としたように、経済政策が政椛のTl:統性を左右する''1題 であった。それゆえ、Il1Iil々の{iⅡ:究では、とくに体Ilillの「意図」に((《点が当て られていたが、政治史的なものが多く、|玉|内の柵造はそれほど分析されてい なかった。
しかしながら、上記の二つの祝ノリがそれぞれの(i1l:究において、非常に明確 で、すべてがどちらかに分類できるというものではない。また、分析方法に UMしても、それぞれが政治llill度Tmの近代化や体IIillの「意図」に焦点を当てて いたが、それほど確立していなかったといえる。このような研究状BiUの「'1で、
肺l正|の「経済|)卜1発」の成功によって、蝉国の政治体ilill1i)|:究は比較政治の分野 からllilI激を受けていくことになる。ラテンアメリカNICSの挫折と束アジア NICS(とくに輪|玉|・台湾)の良好な経済パフォーマンスの持続という事態の 進展に伴って、後者の経済発展要|犬|に注'三|が集まったのである。に11正|の要素 IIjjli存状況に適合する4Mi力法を促進して比1校優位を確保することを主張する
|#1発経済学は、後者が輸入代替二[:業化政策からliiilll,指|(11工業化へ転換したこ
64第1筋稗'五|の]:業化と政治体IliIの展開
とに経済発股の要因を求めた。そして、その後の経済政策も発展を持続させ るのに爪要であったとして、絲済政莱の|ノWiSに注|=|する力IfT1に研究が進展し ていく。このように経済政策がtlil=|されるのに伴い、政ifWbの分野において も政策を決定し遂行する際のlEll人1榊造に((《点を当てる力lhlにiJl:究が進展する 一方、その際の力法として同家(|玉|家エリート)をアクターとして設定する ステイテイスト・アプローチがji流となってくる(Katzenstein[1978]、Deyo [1987]、Skocpol[1984])。
この節3の分析においては、政策を設定して実現を'二llI了すアクターとして
「|玉|家」を捉え、その「|:|律I!'!」と「能ノノ」に注|」する.lJil家の「自律性」
とは、lIil家のエリートが社会集1J|の1]ミノノを受けない政策'二l標を設定すること であり、国家の「能ノノ」とは、設定した公('《」[|標を、イ|:全集'11からの反対や 困難な社会経済環境がある場合でも、遂行する能ノノのことである。こうして、
政策の決定ないし遂行する際における、|nil家エリートと社会集'11ないし岬|i級 のijLl係がlll1llIjとなるのであるが、そこでは一'1(WI<」を関係でなく公(1<)をIlill度(1<ノ メカニズムをイIするもの(=柵造)が分析の対象として設定された。こうし て「|Tl家が主iij)した経済発展」を可能にした要因を分析するというlIi題意織 から、|jjil家エリートのな'叉|とそれを実りilするためのIlill度に雌点を当てて体Ilill を分析する机/(]が採られるようになったのである。
このような方法によるイリ「究は、当初、】〔アジアNIES、とくにjiiltl叶台滴 における経済発展の特徴に無点を当てて、その政WL1経済il<」条件を指摘すると いう形でその体Ili'|を分析しようとしたのだが、そこでは以下のような点が指 摘された(Deyo[1987])。
まず第1に、①強ノjな政策決定権を持つ官恢の存在、②|玉||ノリの支配パイに対 する|正|家の|÷I律I!'§、③lXi衆の政沿的排除、④タト資↑側!などに兄られる対外(l<ノ lL1律性、の点で'五|家の'二|神性の強さがあったことが重視される。第2に、|玉|
家の「能力」を保証する機榊IIi'|度が確立しているとして、経済政策を決定し 遂行する経済官僚機榊や|正1家政策を民lll11Iilll11に効率的に浸透させうる民'''1部 '''1の頂点に立つilill織の存イliなどが指摘される。こうして、ITI内の諦集団から ''1祥し、それらを統率する能ノ」を持った|正|家のイWIiがlff摘されるのである。
そして、第3に、このようなリiU」なl1il家のイW1ミに寄与したものとして、外部
節3JVt朴政樅の碓立と動冊65 とのリンケージが分析される。節2次lML大)'0(後の冷11UblWi造下のアメリカの バックアップでlilil家が成立したこと、そして50イ11代にはアメリカの戦,,1件的意 脚から輸入代替二[業化が許容され、外資が流入してくる以前に外資に対する 答Ⅲ'1能力を持つ'五|家がIWliしていたこと、これらの条イノ|:が対|ノ1.対外「I<」に,÷1 律性を持つ上で11t要だった、とされるのである。
こうして|玉|家をアクターとして想定し「IZIflt性」、「能ノ」」に注Ⅱすること で、’五1家がlIillノリ柵造をTII編成したり、l玉|際環境の変化に》ijじて柔j1次に対応す るという視点をとることができた。すなわち、経済政策の決定と遂行の過稗 の研究を通じて、朴体Ilillの|正|内柵造や'五|際環境への変化の対応のダイナミッ クスを分析することがTil能になったのである。これは、林国の「経済発展」
がZ)I実として進行する''1で、それに来たした政椛の役ilillを分析するに際して、
前述のような二つの方法では不充分な点を、二つを統合する形で#,|iおうとす る'''1題意識にもとづき、|正|家エリートの懲図がいかに柵造化されているかを Ilill度を通じて分析しようとしたものである。と同時に、『iiiの二つの方法では 各々に-iml<」であった先進資本主義|];|とのM3係を、よ')ト11対化して捉えよう
としたものであると言うことができる。それゆえ、このアプローチによる分 析は、社会経済変動と政wL1体IIi'1の関迎を分析する際にJR要な方法の一つとし て;忍定されるようになったのである。(2)
このように、ステイティスト゛アプローチによって、体IIillを分析する方法 が整備され、より多lrlii1<)な11)|:究がTII能になった。筆者もこの方法の」二記のよ
うな点を評Iilliするものの、既存のIUl:先を批21《,Ⅱ,<」に発展させるためにも、この 方法における翻意点を指摘した-12で、それをド'Ii充すべく本章の課題を設定し たい。
まず、このアプローチが、|玉|家エリートが11M:の政治体Ili,1,ノ,でその能力を イ]「効に活11)するという祝ブイ]をとっていることに翻意しなければならないだろ う。また、その際、lUli存の体Ililllノ'で|正|家エリートが椎ノノを洲lli侍しようとする
、iのコストには、さほど注意が払われていないことも指摘しうるであろう。
これは、IlAI々の研究が、とくに70イ|ユ代の朴政樅における政策決定ないし遂行 過秘の分析を'''心にしていることに''1来するのであろうが、既存の体Ilil1内で のり【l実的な避択というものを無iiii礎に認定して、議論を進めているように兄
66第1端赫国の]:業化と政if1体Ilillの展|Ⅲ|
受けられる。
しかし、そこでiiii提とされているlrl家自体が、その成立の過程から大きな 矛)iriを抱えている存在なのであ')、それをも|;'1対化した」工で議論を進めなけ ればならないのである。すなわち、鯏正|という国家の)(i'|立があまりに強椛(Iリ であったことに111米するオノiziが、その後の政椛下にも持ち越されてゆき、体 ルリが弱体化した際に表irli化するということは、|玉|家の正統性の'''1題とも関係 するものとして{W意しなければならないことである。とlTillIifに、|正|家成立に 際して、lML政in経済柵造における位置がルl定され、国家の政治(l<j構造ない しイデオロギー的liiMi造が形成されたのであるが、これらがその後の|工1家政策 の選択のllWiiを大きく〃llli'IしていることもJ1;Ⅱ対化せねばならない。|ダ'lえば、朴 政樅1,.の|玉|家エ')-トの政策決定ないし遂行jlllI稗を分析するに際しても、こ れらのBA定要|入|を検討せずしては、’1|家エリートの選択をよ')Iリ11iliiに分析す ることはできないであろう。
それゆえ、このようなステイティスト・アプローチの火lliriを補うために、
本章では、以下のような祝ブイ1を設定する。60イ'1代初蚊の体Ilillが1lijj揺した局ini で椎ノjを掌蝿した朴政椎が、いかに体lIillを砿ゴノ:して権力を行使していったか を分析の対象とするに際して、①雁史11<」・柵jMjな文脈の''1でこの時期の政 ih過程を分析し、②lEl家エリートと他の社会勢力とのリリ)(1<」なMM連に注|='し、
③政椛が][統性を雌得しlJilLIjを統合していくjlIlI程を、主として経済開発政策 をjlillIに実証(l<)に検討していくことをJii祝する。このような祝ブリは、緯'五|の特 殊性にlイリ泥しすぎたものだとの兄解もあろうが、よ')一般(I<jな理論を柵築す るためにも必要なものと`1Aわれる。また、朴政椎を分析する際には72年の
「十)二liII新」をメルクマールにして前後に分けて考えることが可能であるが、
本歳ではその前半、すなわち60イド代を'''心に扱う。詳しくは後述するが、こ(3)
の'1柳lは、李承llju政権川|壊後の「「からのIリノき」が|玉|家体Ilillの枠iIillそのもの をも揺るがしかねない力|イリに進んでいく''1で、クーデターによって権力を掌 握した朴政樅が、既存の枠|ノリで「下からの要求」を実現しようとする力向性 を示すと同Ⅲiに、|正|家の11界政if)経済秩序における位祇を穣極的に活川して その体IlillをIilIii立した|I訓lであったといえる。そして、ilii述のように、この時 期を検討するためにも、|玉|家の成立|IJi:に形成された政治的ないしイデオロ