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労働経済のダイナミックス

ドキュメント内 韓国の経済開発と労使関係 : 計画と政策 (ページ 140-149)

l労Iilillノル扉111.賃金の変、))と「llix換点」

(1)労働力人口の急増とその要因

韓|玉|の労|動力人「1は、lxl2-3-lのとお})、「経済iililIi)1人|」調査」が始まっ た1963年以降、30イ1三近くの'''1に830〃人ほどからl8007j人ほどまで2倍以上 に増大した。このlWjl1は、110t後あるいは途」二|玉|に共jⅢした」|(産イド船人uの箸 11Wによって支えられている。しかし、この'''1にノMiイliM6人|」に対する労|助力 の比率は55%ほどから58%を超えるように多少」ニナIしてきている。このよう な労働力率の11i力きには、プラスとマイナスのiil,i要|人|が作11]していたはずであ る。すでに第1章でもみた進学率の上外は大きくマイナスに作Illしたはずだ が、それをI」Ⅱ|るように戦後41{まれの杵い人々が労Ili1lノノ化した')、伝統的に 労働力率の低かった女性の労llil1ノノ化(W[1988])などがプラスの作111を及ぼ したのだろう。さらに、こうした供給サイドだけのlli)}きて、はなく、この間の 需要墹大による雁川機会の拡大も、労Uillノノ供給を誘導しているに逆いない。

こうした労|、11カ人11から失業を除くと就業人口のji))|イ,1がわかるが、これも ツナ勘ノJ人'二1とほぼパラレルに墹力Ⅱのトレンドを辿ってきている。だが、

83~84年にiil1方とも多少IiMt少したのは、すでに鋪1章でもみたように、第2 次石1111ショック後の11t界|両111;W《況の波及によって炎賛成催が低]化、就業需 要が一時i1<」に紺i小したためである。それに対し88イIi以降も爽質成長が低落し ているのに労働力や就業がhWノノ|lしつづけているのは、のちにもみるように、

[1本などと'771様、第3次産業化やサービス経済化が、近年杵し〈なってきて いるからであ')、それだけ絲済成艮に対する就業・雁111のリlli力性が噌力||して きていることを示している。

130第2締絲済成艮と産業・労MiI絲済の展llH

図2-3-1ツナlliIノノ・失業・lL1'尚業・WiI111の変動

万人 1,700

1,500

1,300

1,100

900

700 )111111労Ili川

500

300

100

636567(;971737577798183858781)イI2 lll所)綿済企l1Iil院「綿済iil刷り1人11イlH報」196`|~90イ|:。

図2-3-2就業''1の雁''1シェアと労llillノノ''1の失業率の変りiノノ

%刀

E=1111111比率

O ̄O-o-C

l1f lll50 1上率

句 ̄O-o-o-o-C

失業打

%8642

【】

o-o-o-o-o-o-o二○一c o-O-O二○

30

636567(;971737577798183858789イ'三 ''1所)締斤介|in院「絲済iilMi)1人lIilLiltll」|{岬I~90イli。

第3章労Ili1l絲済のダイナミックス131

(2)雇用拡大と失業の縮小

こうした就業人口から、家族従業打も含めた'二l営業の就業を除くと、雇用 労IiiI者数がえられる。この30イ|え近くの|H1に、lLl肯就業も5207J人ほどから720 万人近くにj1iil加したが、辰111労lill者・数は240ノノ人からl()00万人を_L|「'1|)、実 に41卉以_上にも哨人している。経済|)}1発計、のスタートとともに加速化した 工業化、とくに70年代以降強行された爪化学]:業化によって、就業榊造のい わゆる近代化がいかに著しく進んだかを示している。|叉|示したとおり、第1 次イニiilllショック''1から70イlA代木にかけて、扉)Ⅱの拡大が一段とDl1速したこと がよくわかる。しかし、節1職でもみたような過剰投資の訓幣によって、

79~80年には扉111は多少減少したが、その後はさらに一段と力Ⅱ逃しつつ増大 しており、近年は人手不足が深刻化してきている。

このような労働力などの変1li11のなかで、(1)なんといっても411キ以-12にも箸 1Wした雇111拡大がもっともh11ii杵なリリノlfilを示した。その結果、IXl2-3-2のよう に、就業のなかのjWK川シェアは30%を多少」」iTlる水準から60%近くまで拡大

してきている。(2)これに対し、雇)'1以タトのlLl尚就業を'''心としたインフォー マル・セクターなどと'1平ばれる低所得などの不完全就業分111]|;(表[1983])は、

就業'''70%近くにも達していたのが、しだいに縮小し、80年代に入ると50%

を切り、40%ほどに低下してきている。(3)しかも、近年の'二|営業などの零ポil

企業の就業は、大企業などの技術料がスピンアウトして脱サラした部分や、

ソフトハウスなどの新しいサービス業や、人郁TI丁のI1i宅不足などによって不 動産屋なども増えつつあり、liI的にも変化しつつある。

こうした)雇川増大とそれによる就業榊造の近代化などのなかで、失業率は 著しく低]北てきている。|ヌl7kしたように、60年代の初めには8%以」二にも 達していたが、80イli代末には2.5%慨嘆に低下している。すてにみてきたよ うに、60年代後半は経済開発iilmがやっとI|りし道に采I)、輪11」,などが箸噸する 状i兄のなかで、扉川比率がllUiiilHIにヒゲIしたとlTT1時に失業率が4%近くまで低 下した。ただし、60イlミ末にはilf款経済のもとで不採ii1:企業'''1題が多発し、失 業率の低~ドにブレーキがかかるとともに扉)'1比率の_上昇も逆llilLた。それ以 上に注目しなければならないのは、70イド代木の経済洲整期における反仙であ る。3.2%にまで低~ドした失業率は5.2%に急_ヒゲ'し、失業者数6757j人近く

132節2篇経済成長とi鼈業・労Ilill総済の展'1N

にも急噸し、新記録をマークした。しかし、その後は凧111拡大の|Ⅱ|復ととも に失業率はiiii述のように2%台に低下し、失業者数も40刀人を切るほど減少

してきている。

こうしてみると、iiii述のように雁111比率が40%iiii後にも高まり、また後述 のような「lliX換点」を通過した段階から、失業鋤lfilの総済成災や鏑気変動に 対する感応性が商まってきている事実も見逃せない。

(3)実質賃金の変動と「転換点」通過

これまで考察してきた雁川拡大を'''心とした労Ilill緑済のダイナミックスは、

実はパラメーターである賃金などのリリl1fT1を媒介として実りiIしたはずである。

第4篇でみるとお')、87年の「113三ii化宣言」までは労使関係などが強く呪Ilill されていたとはいえ、ノ11本(l<)には117場経済である|Ⅱ)、lL1然のことである。

つまり、iii述の)il{111.失業のiIi))|(11は賃金などの変11リ)に反'1〕(!;される反1iiiで、そ の変動が雁川・失業の11iノノ向にフィードバックされていたはずである。

このようなプロセスを推察するために、全iiR業の実質賃金の動|(ilをみてお こう。ということは、lliに労働ilj場のパラメーターである名|=|賃金だけをみ るのではなく、労I11i11TIj場とiI11賛助TIj場のイⅡ対lHi1係をjUhして、労働打のLIi計視 点も加えて、労IliITlj場の変りi)jをみよう、というわけである。

まず図2-3-3では、継済|)||苑5カイド計IIUlがスタートを切る以前から示した が、1957~59年は、jlリl鮴戦後の比11皮「19安定した復興101であI)、実質賃金も2 年'''1に20%近くも」工詞していた。しかし、60~61年の雁史的な政変によって 今産業MZTliしし、爽質賃金は低~|Lなければならなかった。その後も60年代 が低迷したのは、まだ失業率ソ川(iが6%をLlmjlるほど高く、しかも第1章で もみたような財政インフレが実質賃金を切り「げたのである。しかし、60年 代後半に入って総済開発計lujlが|'【(調に実施され、実質成長率も平均10%の高 水準に達し、前述のような)llIIU拡大が!'リLiuに来るに応じて、リミ質賃金は年平 均10%を優に超えるほどの急_ヒゲIを示した。65~71イ1ミに顕在化した不採算企 業の多発は、こうした突質lf金の急」ニゲトによってもBl定されていたに迷いな

い。

70年代iiii半に入っても雁)'1拡大のf1U化がつづき、しかも第1次石illlショッ

第3章労働維済のダイナミックス 図2-3-3余産業の実質賃金指数(1957年基準)

133

160

150

140

130

120

110

100

19575859606162636`I6566676869年 注)1957年を100とする。名|]蘭金.il1I費肴物IlUi,iIU指数から算出。

出所)統済企画院「主要経済指標」1970年。

図2-3-4余朧業の実質賃金指数(1985年基準)

140

120

100

75

50

25

1970

iji)

出所)

72747678808284868890年 1985年を100とする。名11賃金・il1j費者物(111i,iiIIj指数から算IIlo 経済企画院『主要経済指標」1990年。

134第2繍絲済成長と旅業・労Ⅲ継済の雁lll1

クも発生したので、爽厩賃金は|叉'2-3-4のとおり71~75イドにイIijlz均5%も上 昇しないくらい低迷した。しかし、70イli代後半に入ると、重化学二[業化が加 速化するにつれて、脈)'1拡大はこの30イ|川でももっとも大'11mに腰llllし、実質 賃金は76~79イliに年平均15%を」」Ⅱ|るほど_けIした。この過程で失業率はつ いに4%を~ト1Ⅱ'1)、さらに77~80年に初めて迎続して求人11#率がl伯をI二 回った(金秀1111[1989])。80イli化にはjllウ勢をみせるが、蝉国の認71された私 設を含む公共jIillI業紹介もまた、そのl,L模は限られているうえに、とくに不熟 練労1111稀や女性のサービスlIMiを''1心としているので(季イⅡ帯[1989])、その 求人倍率が求人超過にlliZ<じるということは、これまで注'三Iしてきた扉111拡大 が不熟練の過剰労働ノ」までhM階な貸金1ケIなくしては'リU(収できなくなった労 働TIT場の榊迭変化を示唆している。二爪経済論の通)'1ではあるが(Lewis [1954])、このプロセスで鰊IF|経済は「転換点」をj、過した(表[1983])と みてよいだろう。

このように、前述の)剛]拡大に対応して、70イド代後半の実質賃金もまた30 年''11にもっとも大きく'2鼎した。70〈Iえ代iiii半は1311キに'1界したに1kまった のに対し、後半は181肝近くも」1外したのである。しかも70年代後半は、第 1章でもみたとお')人'l1iiiなインフレが苑21Lていたもとで、それをtlD1るほ どの賃金上昇が実現したのである。しかし、8()イ|ユ前後の投資調整によって、

その実質賃金も図示したように低落したが、先行した賃金の急」ユゲトによって 投資調整lL1体が誘発されたIliも強い。だが、その低落によって雇川の縮小を '1垂微に,こめ、その後の1'1拡大を誘導したはずである。こうして、81年以降、

再び実質賃金は||【柵な」乳トレンドを辿った。とくに87イ12の「民主化宣言」

後は一段と爽質賃金の」二芥が加辿されたのである。

2産業・職業榊造の高度化と女性の就業

(1)産業別就業構造の高度化

これまでマクロ.レベルでツナllil経済の変化をみてきた。そのなかで、70年 代後半と8Mえ代後半のIli要な柵造変化が検lIl1されたが、つづいてよ')立ち 入って就業・)瓜川llMiの変化を考察していこう。

第3章労lIill経済のダイナミツクス135 図2-3-511砿業yll就業肴数と榊成比の変化

(%)

100 (千人)

20,000

90

一就業了什数

---構成比 /irlMb業者数

80

15,000

70

←農林i1i((巣

1--

60

10,000 50

40

30

5,000

20

10

89年 19636570758085

}'1,所)経済企l11il院「経済iiMi)1人「1イIRill」1964~90イ12にもとづく横H1[1991]。

136節2篇経済成長と産業・労働経済の展開 図2-3-6就業」川位別就業澗数

(千人)

15,000

10,000

家族従事肴 5,000

IL1憐業主

1,000

8589年 19636570

11}所)図2-3-5とlrilじ。

80 75

節3滝労働絲済のダイナミックスl37 まず産業別就業人11の変化をみると、図2-3-5のとおり、)iリヒ業人|」全体が、

1963イIiから89イliまでに約23倍にjWlⅡ1するなかで、63年には63.1%と圧倒的 比率を占めた農林漁業のシェアは30年近くの''11に20%を下liJlるほど、大ll1Fiに 縮小した。とくに重化学二[業化が本格化した70イ|ミ代後半以降は絶対数も減少 トレンドに転じ、1989イ|ミには19.5%にまで縮小してしまった。逆に鉱Ⅱ業、

主に製造業と処設業も含む社会'''1被資本などのサービス業は、構成比、絶対 数ともに終始拡大しつづけている。70イド代iiii半まではl剛!進の著しかった鉱工 業が、70年代後半以降その1''1ぴにおいてむしろ皿打ちを示すのに対し、社会 '''1接査本などのサービス業が50%以Lにも達し、その膨脹ぶI)が'二|をひく。

さらに注[|される製造業''1のI1i化学I業比率の変化にも触れておこう。金 属・化学・機械Ⅱ業従業員のシェアは、すでに6Oイト代木に40%近くに達して いた。しかし、不採算企業の発生などで一時縮小したあと、第1次石illl ショックの発化にもかかわらず40%を超え、80イ|ミ代前後のイ《況で-'1《IiH後退し たのち、84年にはついに50%以上に達し、近イ'1は55%以北に拡大してきてい る。このような菰化学こ[業化と|對述しながら進みつつあるハイテク)砿業化が また、第3次雄業の拡大にも影響を与えているのだろう。

しかし、このような就業柵造の変化が、必ずしも先進|玉|型の産業榊造の高 度化と同一視できないことは、従業-1との地位》'|就業者数の推移を示した図 2-3-6からもl化察できる。まず、なによりも常111扉111の11ウ人が馴著である。

63年には全体の12.3%を,!iめるに過ぎなかった常111雁)'1はイ|ミ平均8.8%の高 率でjlViIえつづけ、85年には63イliの実に5.4イパ、IWi成比にして34.0%にもふく れあがった。しかし、’二'尚業三ii663年37.2%から89イド30.2%まで構成比を漸 減させながらも、絶対数は2倍近くにも噸大している。さらに、不安定就業 稀の)|;'1当部分を柵成するlljlMlMF雁と’1)l「(の労Ili1l者.は、63年から85年までの約20 年|H1、コンスタントに16~19%を,!iめつづけている。つまり、|]本の高度成 災期でもその初期はそうだったように、工業化の過程で大」,1の浦川労1111打を LlミみlIl1しながら、|可時にイ《安定就業1i#や都TITの零細な第3次産業就業者屑を

も分117〔く堆積させていたことが想像されるのである。

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