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(上杉聡『部落を襲った一揆』解放出版社、 1993年、p308から引用した。)

第3章  「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計

資料⑱ A君の発表内容

 ぼくは、解放令が出された原因の学説の中で、海外体面説に関心をもちました。

なぜかというと、長い間鎖国を続けていた日本が開国して、新しい国づくりを始め るとき、それまでの国の仕組みを改めて、近代国家にふさわしい社会を海外に知ら せようと「解放令」やその他の法令を短い期間のうちに次々発令したのではないで

しょうか。 以下に示す事件は「解放令」発布後に起こった事件ですが、当時の明 治新政府の、海外を意識した国づくりの一端がうかがえる有名な事件がありました

ので紹介したいと思います。

 1872年(明治5年)7月、ペルーの帆船マリア=ルーズ号の船主リカード=ヘル

       ク リ ローがマカオにおいて中国入230人を苦力として買い求め、ペルーに向う途上、船

の故障で横浜に寄港しました。このとき虐待されていた苦力が船から脱出して、イ ギリス船に助けを求めました。そのためことが表面化したのです。

       そえじまたねおみ

 英国代理公使アル=ジー=ワットソンはこれを外務卿副島種臣に通じ、その糾明 を申請しました。当時、日本は中国・ペルーと条約を結んでいなかったので、日本に 法権があるとし、副島は神奈川県参:事大江卓(W君グループの発表にも出てきた「解 放令」発令に尽力した人物)に事情を調べさせました。臨時法廷が神奈川県庁で数 回開かれ、審問の結果、中国人は本人の意志によるものではなく、強制的に奴隷と

して売買されたことが判明しました。そこで、この船の中国人はすべて中国に返し、

船は抑留、船長は一応無罪となりました。これに対し、マリア=ルーズ号の船長は、

日本の公娼制度を指摘し、事実上の人身売買であると反論して政府をあわてさせま した。ペルー政府も条約未締結国の裁判は成立しないと主張し、イギリス領事をの ぞいた各国領事からも異議がでました。

 ペルー政府は翌年2月ガルシアを遣わし、損害賠償とペルー国旗侮辱に対する謝

罪を要求し、国際問題になりました。uシア皇帝アレキサンドル2世の仲裁審判を 受けることとなり、1875年(明治8年)6A、日本の処置は適切で、ペルーに対し

賠償を支払う義務はないとの勝訴となりました。

 政府は1870年(明治3年)8,月と1872年(明治5年)2,月の両度にわたり、各

港に在留する中国人中、ひそかに日本の男女児童を買い取って海外に売り渡そうと

したものを逮捕したとし、人身売買を取り締まると公布していたのです。

 このような国際関係を考えるとき、ぼくは明治新政府が「解放令」を出した理由 のひとつに海外体面説があるのではないかと考えます。確かに政府は地租を改正し、

財源を確保するために「解放令」を発布したという財源確保説もわかりますが、国 際的な近代国家をつくるうえで、「解放令」も大切な役割を果したと思います。(小 林茂編『人権のあゆみ』山川出版社、1990年、pp244・245を参考にして、筆者が作成した。)

第3章  「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計

資料⑲ B君グループの発表

∬屠κ郡7「朔M、H娯へ塗居撲助の瓦書を腰の雌る。

「解放令」発布からまもない時、部落民Mたちは兵庫県に対して、以下のような 嘆願書を提出した。

       だ さ れ       おおせ い

 「死牛馬の売買については持ち主が自由に行えるように仰せ出だされ、以来「差 別された人々」も一般庶民になったということは、本当にありがたいことです。し かしながら、わたしどもの村は、石高の少ない貧村であるうえ、さらに死牛馬売買 の仕事が廃止になりますと、たとえ差別はなくなっても、生活は困り、苦しむもの があらわれ、なんともなげかわしいことでございます。なにとぞ、極貧のものの生 活がなりたつよう、扶助をお願いいたします。」

 彼らの願いは、県に届くのだろうか。

(稲垣・寺木・中尾著『部落史をどう教えるか』解放出版社、1989年、p62を参考にして、筆者 が新聞記事風に作成した。)

浅章 の弾直樹の苦労空し

 1871年(明治4年)にいち早く、アメリカ人チャールズ=ヘニンゲルを技術指導 に招くなどして西洋靴の製造に着手していた浅草の弾直樹であったが、士族や華族 が、その莫大な資本をバックに、皮革工場経営に乗り出すや、弾の工場はたちまち 暗礁に乗り上げ、倒産を余儀なくされてしまった。

 そしてその経営権は政商三井に奪われてしまうことになった。このため弾の皮革 生産は多くが挫折し、大資本の経営する皮革工場の下請けや労働者として、かろう

じて生き残ることになってしまったということだ。

(稲垣・寺木・中尾著『部落史をどう教えるか』解放出版社、1989年、p64を参考にして、筆者 が新聞記事風に作成した。)

禁クの縁β、から締め左1される嵯i錫4さノτた入々ノ

 1876(明治9)年、浅草:寺などの大きな寺社の境内では、芝居小屋の興業や出店 は、鑑札(許可証)制度にされて場所も制限され、門付け芸・大道芸は禁止される ことになりました。それまでは出店が並び、芝居小屋や大道芸が繰り広げられ、人々 を楽しませていましたが、この「にぎわい」は、「近代的な首都づくり」を進める東 京府から、「美観を損ねる」として弾圧されたのです。

第3章  「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計  多くの芸人・行商が都を追われて、地方回りの旅をしながら暮らさなければなら ない、芸能の冬の時代が始まりました。

 (久保井規夫編『近代の差別と日本民衆の歴史』明石書店、1998年、p31より引用し、筆者 が新聞記事風に作成した。)

H廓r溶.の:生房爾窮「i冤契丑∫!!

 H県H部落を例にとり、一般地域との比較から、部落の困窮化を見ていこう。

 下のグラフで部落の借地は、1874年(明治7年)と1884年(明治17年)では2 割近く増加している。戸数では19軒から25軒である。反対に、自分の屋敷をもっ ていたものは、1874年には5軒あったものが、1884年には1軒に減っている。

 これは困窮のため、自らの土地を手離さざるをえなくなった人びとが、部落では 増加していることを表している。一般地域の数字と比較すれば、その困窮の度合い

は、ある程度類推しうるであろう。

 やはり明治時代に入って、部落の人々の貧困化が進んだのは確かなようである。

(稲垣・寺木・中尾著『部落史をどう教えるか』解放出版社、1989年、p64を参考にして、筆者 が新聞記事風に作成した。)

(グラフについては、安達五男『資料と教育』清水書院、1991年、p319から数値を引用した。)

自分の屋敷 借  地

聞 5(・・8) 19(79.2)

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(3.8)

自分の屋敷 借  地

16(57.1) 12(42.9)

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ユ5(50.0) ユ5(50.0)

Nα1 部落史学習事例1(医聖 研究) 下種 小学校 出典名 大阪府同和教育研究協議会編『まち ひと くらし〜人権学習の新しい

W開をめざして〜』高学年編、1994年 実践校 貝塚市立葛城小学校

授業名

w導計画

「被差別部落の形成」(第3次:秀吉の民衆支配5時間の4時問目)「

P元名:中世から近世へ(全17時間)

裾、京1」三二二二を、身癖〆ご句ノブてどう拶二二たの,か。6認識二二

本時の目標 秀吉が川田村をつくり、民衆を∠断させ、自∠の権力を保っていたことをわか

らせる。

主発問(型)

What型匡憂璽到Why型Which型Who型

セれがどのようにして部落を作ったのか。

教授活動

Rメント

資料を提示する→発問する。

@1585年と1604年の検地帳を比べ、この間に村が一つ増えたことを示すことにより、

G吉によって被差別部落が作られたことを理解させようとするが、秀吉が作ったかとい

、とそうではないことが歴史学の研究成果からも指摘されている。いわゆる「秀吉が部 チたユという犯人説はあてはまらない。

祖点2一.4 ヂどらな膠どのようκ乙で、β癖〆ご鍵{し;をのか。で潔四方瑳ノ 学習活動 発表する

わかり方

@(型)

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 匝響町 共感型 問題追求型 科学的認識型 科学的説明型

@資料を読みとり、豊臣秀吉の行為を因果的に理解する。本学の学習に見られるように、

P時聞の授業の中で「被差別部落の形成」を扱うことには無理があるのではないか。

視,京2一β 歴史のわかク方と乙で、教授」工料はどう二二されたのか。

教授資料

?p方法

i型)

@コメント

貝塚市の検地帳

@ 匡璽 事象調査型 仮説検証型

@小学校においても、中世から様々な人々に視点をあて「差別された人々」の存在にも

?レさせており、本時のような部落形成の主役を秀吉犯人説の:方法には無理があるので ヘないか。しかし実際にはこうした授業が数多く実践されており、教科書の記述も民衆 ェ断政策によって部落が形成されたかのような記述となっている。

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