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漆室跡

ドキュメント内 陽明文庫本 宮城図 カラー図版1 (ページ 137-162)

第 4 章 考 察

4 漆室跡

 調査 2 (768 文 259-1) 漆室跡南部中央該当箇所で実施した発掘調査である。この調査では 平安時代の遺構は認められず、江戸時代の墓や土取穴を検出したのみである。

 調査 3 (764 文 251) 漆室跡南部中央該当箇所で実施した立会調査である。この調査では平 安時代の土壙を1基検出したのみである。

 (2) 正親司跡 正親司跡想定地域では発掘調査 1 件、立会調査 6 件、計 7 件の調査を実施し ている。

 調査 4 (31 付章 5 図版 88-1) 正親司北西該当箇所で実施した発掘調査である。この調査 で検出した平安時代の南北溝 SD3・4 は宮西面築地外溝と考えている。

 調査 5 (1107 文 269) 正親司北西該当箇所で実施した立会調査である。この調査では平安 時代の南北溝を 1 条検出した。

 正親司・漆室跡の想定域は寺院、小学校が占めているためか、調査件数は少ない。

 (3) 兵庫寮跡 兵庫寮想定地域では試掘調査 1 件、立会調査 10 件を実施している。兵庫寮の 調査でこれまでに検出した遺構は、すべてが江戸時代以降に属するものであり、平安時代の遺構 は未検出である。

 (4) 大蔵庁・大蔵省跡 大蔵庁・大蔵省想定地域では発掘調査 4 件、試掘調査 17 件、立会調 査 158 件、計 180 件の調査を実施している。面積では、北部官衙群の半分以上を占める官衙であ るが、民家密集地であることから調査方法に制限があり、立会調査が中心となっている。

 調査 6 (117 付章 13) 東側の大蔵省西部該当箇所で実施した発掘調査である。長殿にあた

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る。この調査では現地表下約 3 mまで撹乱を受け ており、遺構はまったく検出できなかった。

 調査 7 (84 文 183-3) 西側の大蔵省中央南 端該当箇所で実施した発掘調査である。この調査 では江戸時代の池、土壙、溝などを検出した。

 調査 8 (415 文 235-3) 東側の大蔵省東部の 該当箇所で実施した発掘調査である。率分蔵にあ たる。この調査では時期は明確にできなかったが 2 間× 4 間分の南北棟の掘立柱建物を検出した。

また江戸時代の土壙・井戸・土取穴が多数みつ かっている。

 調査 9 (644 文 244-4) 東側の大蔵省中央該当箇所で実 施した発掘調査である。長殿にあたる。この調査では平安時 代の土壙を 1 基 ( 土壙 35) 検出した。また室町時代の遺構若 干と江戸時代の遺構を多数検出した。

 調査 10 (1143 文 269) 西側の大蔵省中央南部該当箇所 で実施した試掘調査である。この調査では平安時代の小穴を 若干検出した。

 調査 11 (602 文 243) 東側の大蔵省北西部該当箇所で 実施した立会調査である。この調査では時期不明の一条大路 路面、奈良時代後期から平安時代中期の瓦当を含む落込を検 出した。

 調査 12 (1112 文 269) 東側の大蔵省東部該当箇所で実 施した立会調査である。この調査では平安時代の落込を検出した。

 以上のように、調査件数にかかわらず平安時代の遺構は、発掘調査 1 件、試掘調査 1 件、立会 調査 2 件で検出したのみである。

 (5) 主殿寮跡 主殿寮想定地域では発掘調査 1 件、試掘調査 2 件、立会調査 27 件、計 30 件 の調査を実施している。現時点では平安時代の遺構は検出していない。認められた遺構は、すべ て江戸時代である。

 調査 13 (35 付章 6) 主殿寮南部中央該当箇所で実施した発掘調査である。この調査ではほ ぼ全面で近世の土取穴を検出した。

 (6) 大宿直跡 大宿直想定地域では試掘調査 6 件、立会調査 10 件を実施している。現時点で は平安時代の遺構は検出していない。認められた遺構は、すべてが江戸時代である。

 (7) 茶園跡 茶園想定地域では発掘調査 1 件、試掘調査 1 件、立会調査 9 件を実施している。

現時点では平安時代の遺構は検出していない。認められた遺構は、すべてが江戸時代である。

掘立柱建物

5m

図125 調査8 調査区平面図(1:200)

土壙35 Y=-23,100

X=-108,490

X=-108,500

5m

図126 調査9 調査区平面図(1:200)

 調査 14 (53 付章 8) 茶園南西部該当箇所で実施した発掘調査である。この調査では江戸時 代後期の遺構を検出したのみである。

 (8) 内教坊跡 内教坊想定地域では試掘調査 3 件、立会調査 24 件を実施している。

 調査 15 (274 文 206) 内教坊北部中央該当箇所で実施した試掘調査である。この調査では 平安時代前期の土壙と室町時代の遺構を若干検出した。

 主殿寮から内教坊にかけての地域は、聚楽第の推定域とも重なっており、その影響も大きいと 思われる。

 3 遺物

 北方官衙群跡では平安時代に属する遺構の検出例が少なく、またそれらの遺構から出土する遺 物もきわめて少ない。平安時代の遺物は近世の土取穴などから近世の陶磁器に混じって出土する ものがほとんどであるため、ここでは触れず、今後の成果を待ちたい。

 4 小結

 北方官衙群跡地域では平成6年(1994)4 月までに総計 297 件の調査を実施している。しかし、

全体として遺構の遺存状況は良好でなく、明確な平安時代の遺構は検出することができなかった。

これは、この官衙群跡の東半部が聚楽第跡に該当し、西半部についても聚楽第の造営に伴い新た に再開発が行われた地域であるため、少なくとも桃山時代以降に大規模な開発がおよび、平安時 代の遺構が削平を受けたものと考えられる。

7 東方官衙群跡

 1 経過

 東方官衙群跡は東は平安宮東限、西は壬生大路、北は土御門大路の各延長路、南は宮南限に囲 まれた地域を示す。該当する官衙は、北から梨本・職御曹司・左近衛府・外記・南所・御書所・

釜所・侍従所・左兵衛府・東雅院・西雅院・西院・主水司・醤司・大膳職・大炊寮・宮内省・廩 院・神祇官・侍従厨・雅楽寮がある。これらの官衙のうち、廩院以南の官衙は現二条城に該当し ており、調査は進展していない。

2 遺構

東方官衙群跡では立会調査が主であり、発掘調査はあまり行われていない。調査では官衙の区 画を示すと考えられる溝などの遺構を複数検出している。主要な遺構には、左兵衛府 - 侍従所間 で検出した南北方向を示す溝、大膳職 - 大炊寮間を区画する築地の南溝、主水司の東面築地内溝 の三箇所がある。

 (1) 梨本・職御曹司・左近衛府跡 想定地域では試掘調査 8 件、立会調査 82 件を実施した。

 調査 1 (169 文 192) 職御曹司北東部該当箇所で実施した試掘調査である。この調査では現 地表下 1.3 ~ 2.6m で平安時代前期の遺物包含層を検出した。

 調査 2 (1046 文 265) 職御曹司南東部築地外該当箇所で実施した試掘調査である。この調 査では現地表下 0.94m で平安時代の整地層を検出した。

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 調査 3 (1538 文 310-1) 職御曹司南東部該当箇所で 実施した立会調査である。この調査では現地表下 0.9m で、

平安時代前期の土壙群と溝 1 条を検出した。この土壙群は 重複状況が複雑である。その中で、南西部で検出した東西 幅 3.8m、深さ 0.4m 以上の土壙からは、平安時代前期の土 器類が多量に出土した。溝は現存幅 0.5m で、東西 4.5m に わたって確認した。溝内埋土から瓦片が出土している。

 (2) 外記・南所・御書所・釜所・侍従所・左兵衛府跡  想定地域では発掘調査 1 件、試掘調査 4 件、立会調査 29 件を実施した。

 調査 4 (17 文 167-1 図版 85-1) 左兵衛府 - 侍従所 間該当箇所で実施した発掘調査である。この調査では南北 方向を示す 4 条の溝・溝状遺構、盛土された整地層 SA6 を 検出した。溝 SD4 は西肩が調査区外にある。検出面での規 模は現存幅 2.3m、深さ 0.65m ある。調査区北部では東肩 部の崩落が激しく溝の方向が大きく東偏しているようにみ える。溝内の堆積は北と南とでは異なり、北半では多量の 遺物と木炭片などが混入した堆積がみられる。上層は南北 ともにほぼ一様な堆積をしており、礫を多く含んだ茶褐色

の砂泥で埋められている。埋土には 8 世紀末から 9 世紀初頭の遺物を包含している。溝状遺構 SX5 は東肩が調査区外にある。検出面での規模は現存幅 1.2m、深さ 0.2m ある。埋土は上下 2 層 に分かれ、いずれも細砂層である。

 整地層 SA6 は溝 SD5 側の黄灰色粘質土とそれにもたれ合うように積まれた砂礫層の二つの部分 からなる。溝 SD4・溝状遺構 SX5 はこの整地面上に形成されている。

 SD4-SX5 間の幅は 2.3m ある。これらの溝が 10 世紀中頃に埋め戻された後に整地され、新たに 溝が掘られている。溝 SD1 は下層の溝 SD4 の東肩から 0.9m 西にあり、断面形はなだらかな U 字 形を呈し、深さ 0.7m ある。埋土は基本的に同質の暗茶灰色の砂泥であるが、炭化物・土器の混 入状態から 4 層に分けることができきる。溝状遺構 SX2 は溝 SD1 の東肩より 2.6m 東で検出した。

検出面での規模は幅 0.6m、深さ 0.15m ある。他に平安時代の落込 SX3 がある。

 溝 SD4・溝状遺構 SX5 は、当初左兵衛府の西面築地に伴う溝と考えていたが、溝間の中心線は ほぼ左兵衛府 - 侍従所間の道路心 ( この付近での座標は Y=-22,793.15) に位置している。

 調査 5 (590 文 243) 左兵衛府南東部該当箇所で実施した試掘調査である。この調査では現 地表下 1.70m で平安時代初期の整地層を検出した。

 調査 6 (490 文 237) 左兵衛府南東部該当箇所で実施した立会調査である。この調査では現 地表下 0.6 ~ 1.0m で平安時代前期の遺物包含層を検出した。

SA6 SD4

SX5

5 3 6 2

1 4

SX3 SX2 SD1

1 SD1 2 SX2 3 SX3

4 SD4 5 SX5

6 SA6

Y=-23,795 Y=-23,790

X=-109,020 X=-109,025 X=-109,020

X=-109,025

H:45.00m 第1面

第2面

南壁 5m

図127 調査4 調査区平面図(1:200)

ドキュメント内 陽明文庫本 宮城図 カラー図版1 (ページ 137-162)

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