第 2 章 先行研究
2.2 日本語の授与動詞に関する研究
2.2.1 語用論的観点からの日本語の授与動詞における用法に関する研究
日本語の授与動詞は補助動詞として用いられる際、恩恵用法は勿論、非恩恵用法も存在 するということに注目し考察した研究も少なくない。
豊田 (1974) は補助動詞「~てやる」と「~てくれる」を中心に、「~てくれる」「~て やる」「テモラウ」の用法を考察している。豊田 (1974) はこの3つの補助動詞は基本的に 利益・恩恵の受給関係を表すが、以下の例で示すように、「~てやる」と「~てくれる」に はマイナスの利益を表す場合も存在すると述べている。
(4) 腹が立つのでどなりつけてやった。
(5) よくもひとの顔に泥を塗ってくれたなあ。
(豊田1974: 79)
このプラス・マイナスの利益に関して、豊田 (1974: 81) は「~てやる」自体は利益か不 利益を意味せず、動詞の方向が対象語へ向かうことを表し、その行為による影響が対象語 に対してプラスの利益かマイナスの利益を与えることは話し手側の主観によるものだとし ている。また、「~てやる」は本動詞の場合と異なり、「『やる』相手に限定がなくなる」こ とから、「『AがBにxしてやる』という表現が、Aすなわち話し手の行為の全く話し手が わからの主観的な表現であることがわかる。Bがその行為を受け入れるか否か、またそれ が可能か否かにさえAは関心がないのである (同: 82) 」と指摘している。
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また、「~てやる」に関しては、豊田 (1974) はこの基本的な用法である受給を表すもの の他に、全く利益・不利益に関わらない用法を、意志を表す用法と方向を表す用法に大別 している。意志を表す「~てやる」に関しては、以下の例で見られるように、「登る」や「勉 強する」等のような働きかける対象がない動詞が用いられる場合、「もとになる動詞の強調、
すなわち、自己の意志の意味になる (同: 86) 」と説明している。これは動作主の感情が高 まった際に用いられるものであり、「やる」を除いても意味が変わらないとしている。ただ し、「『おまえが嫌がるなら』とか『おまえを嫌がらせるために』という条件が文脈によっ て示されるか、または、それがわかるものであれば受給関係を表す (豊田1974: 86) 」とい う意味になると指摘している。つまり、相手の利益・不利益に関わる場合、受給関係を表 す用法として見なされると考えられる。
(6) ぼくは、ボロージャよりも、もっと高く登ってやるぞ。
(7) 資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。
(豊田1974: 85-86)
また、「~てやる」を伴う動詞は他動詞の場合、受給関係か意志かは判断し難いが、自動 詞の場合は受給関係の意味にはならないと述べている。更に、この用法はただ動詞がどの 方向に向かうかを表すものであり、「~てもらう」で置き換えられないものであるとしてい る。方向を表す用法の例を以下に示す。
(8) けれどもあなた後から手紙で詳しく書いてやって下さいましたね。間違いでもして いると大変ですから。 (豊田1974: 89)
(9) 山の上から大きな石を落してやる。 (豊田1974: 92)
「~てくれる」に関しては、豊田 (1974) は、「~てやる」と同様に補助動詞自体は利益・
不利益を意味せず、主体の行為は話し手に向かい、その行為は話し手の側から利益か不利 益を評価する表現と示している。更に、以下の例のような行為の主体が無生物、つまり擬 人的表現や自然現象を表す表現に関しても「あたかも自己に向かって行われたように表現 することができる (同: 84) 」と主張している。
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(10) このおびただしい量の水は……土もいっしょに運んでくれました。(豊1974: 83)
(11) 人間は……「雨がふりますように。」と神様においのりしたりしました。しかし
天気は、そのとおりになってくれるものではありません。 (豊1974: 84)
以上のことから、豊田 (1974) では「~てやる」と「~てくれる」双方ともそれ自体は 利益か不利益かを意味せず、利益か不利益かは文脈状況によるものだと捉えている。この ように、豊田 (1974) では「~てやる」と「~てくれる」の用法について説明しているが、
「~てあげる」の場合はどのような用法を持つか、これらの補助動詞が表す用法はどのよ うに本動詞と関連しているか等には言及していない。更に、「~てやる」と「~てくれる」
は共に受給関係を表す用法を持つと指摘しているが、第1章で示した受給関係を表すもの としては考え難い実例 (便宜上 (12) として再掲する) のようなものに関しては説明して いない。
(12) 私は弟をほめてやった。
利益・不利益の解釈に関して豊田 (1974) と同様に捉えているものとしては山橋 (1999) が挙げられる。山橋 (1999) は、受益表現である「~てくれる」の用法に関して考察をし、
「~てくれる」は本来出来事に対して話者が利益・恩恵を感じることを表すと説明してお り、話者の語用論的知識によって「話し手が被害・迷惑を受けることにより感じる怒りを 皮肉の意を込めて『 (~て) くれる』を転用している (同: 88) 」とし、利益・不利益は全 く異なる用法ではなく、同一の用法として扱っている。山橋 (1999) は、以下の例文のよ うな動作の主役が無生物の場合は、動作主が有情名詞である時と同様に「ありがたいこと に」や「嬉しいことに」の表現と共起可能であるといった点で話者の感じる「利益・恩恵」
と関連付けられると主張している。(13) (14) は、豊田 (1974) で指摘されている (10) (11) と同様であり、擬人的表現や自然現象を表す場合も利益・不利益のような恩恵の情意を表 す。この場合、「~てくれる」を用いることにより、話者である受け手の情意を表すものだ と考えられる。
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(13) ありがたいことに、車が直ってくれた。
(14) 嬉しいことに、きれいな花が咲いてくれた。
(豊田1974: 87)
「~てやる」の用法に関して論じた高見・加藤 (2003a) は、「~てやる」は様々な意味 と共起し、受益表現ではないと主張している。高見・加藤 (2003a: 95) は以下の例を取り 上げ、自分の論文を批判することは当事者にとって好ましい事柄か不愉快で迷惑な事柄と も解釈可能であると説明している。
(15) 僕は、鈴木君の論文を批判してやった。[不利益/利益]
(高見・加藤 2003a: 95)
このように、高見・加藤 (2003a: 97) は、「『~てやる』自体は、利益や不利益の意味と は独立しており、このような意味は、文脈や私たちの語用論的知識から生じるものである」
と主張している。つまり、利益・不利益は「~てやる」自体で表されるものではなく、語 用論的な問題であると考えられる。また、高見・加藤 (2003a: 97) は、以下のような例文 を取り上げ、利益・不利益とは無関係である「強い意志」(16a) と「条件」(16b) としても 用いられることを示している。
(16) a 来年こそはきっと東大に合格してやるぞ!
b 文脈を与えてやっても、この文は適格性が上がりませんか。
(高見・加藤 2003a: 97)
高見・加藤 (2003a, b) は、「ニ」格名詞句を伴うか否かを基準にし、以下の「~てやる」
の2つの基本スキーマを提案しており、「~てやる」は利益・不利益の意味、或いは不利益 や条件、話し手の意志等とは無関係であり、これらの意味は文脈から生じるものだと主張 している。
25 (17) a [Si が X に [ PROi…V] 与える] 7
b [Si が X に対して [PROi…V] 行う]
(高見・加藤2003a: 99; 2003b: 104)
(17a) のスキーマは、「ニ」格名詞句を伴い、話し手 (または話し手にとって身近な人) が
ある行為を行い、それを「ニ」格名詞句指示物に「与える」という意味を表す一方、(17b) のスキーマは、「ニ」格名詞句を伴わず、話し手 (または話し手にとって身近な人) がある 行為をある対象に対して「行なう」という意味を表すとしている。
「~てやる」のみならず、高見・加藤 (2003c) は「~てあげる」を中心に用法を考察し、
「~てあげる」の基本的意味は「SがXに対して利益となる意図的事象を与える」と主張 している。高見・加藤 (2003c) は「~てあげる」は「~てやる」と異なり、本動詞「あげ る」は「与える」という意味のみ持っており、その意味が補助動詞「~てあげる」に継承 されることにより、「~てあげる」は基本的に利益・恩恵を受けることのみ表すと指摘して いる。また、「~てやる」と「~てあげる」の違いに関して以下の例を示し、「~てやる」
の実例を「~てあげる」に代えると、利益との無関係性が失われ、聞き手に対する利益の 意味が生じることを明らかにする。
(18) a 来年こそは東大に合格してやる (ぞ)。[話し手の意志]
b 来年こそは東大に合格してあげる。[聞き手への利益]
(高見・加藤 2003d: 102)
上述のように、高見・加藤 (2003a, 2003b, 2003c) は、豊田 (1974) と山橋 (1999) と同様 に、利益・不利益は補助動詞自体が意味するのではなく、文脈状況によって解釈されるも のであると主張している。また、「~てあげる」と「~てやる」の意味の違いに関しては 両者の本動詞の意味が異なるため、補助動詞で表す意味も異なると指摘している。しかし、
両者の違いは単なる内在する恩恵に関わるか否かといった点のみならず、視点の制約や受 け手の性質も「~てあげる」と「~てやる」の用法に反映されているのではないかと考え
7「S」は話し手か話し手にとって身近な人、「i」は同一指標、「PRO」は補文の主語を示す。 (高見・加 藤 2003: 98-99) 。
26 られる。
上述の豊田 (1974)、山橋 (1999)、高見・加藤 (2003a, 2003b, 2003c) は、いずれも利益・
不利益は授与動詞によるものではないとしているために、用法には含めていないと考えら れる。一方、利益から不利益を区別し、恩恵用法・非恩恵用法として扱っているものとし ては山田 (2004) が挙げられる。山田 (2004: 1) は、日本語の授受表現「~てくれる」「~
てやる」「~てもらう」とその待遇的バリエーションを含めて用法を包括的に考察している。
山田 (2004) は、出来事の参与者にとっての利益の行為を恩恵的行為として扱っており、
恩恵を表す授与動詞の補助動詞形式をベネファクティブと呼んでいる。一方、被害や迷惑 を受けたことを表す用法や強い意志を表す用法など、利益の意味が感じられないものを非 恩恵型ベネファクティブと呼んでいる。更に、山田 (2004: 202) は、豊田 (1984) の利益・
不利益に関わらない用法を再検討し、以下の表2-1で示すように、非恩恵型テヤルの分類 を受影者 (影響を受ける者) の存在によって「受影者存在型」「受影者希薄型」「受影者不 在型」に分けている。
表2- 1 受影のタイプによる非恩恵型テヤルの分類 (山田2004: 202)
型 例文 聞き手 被動作者 受影者
受影者 存在型
(1) 婆ア、殺してやる。
存在
Ⅱ Ⅱ (2) お前の最愛の娘を殺してやる。
(3) 孫ができても居座ってやる。
Ⅲ Ⅱ
受影者 希薄型
(4) (親父や兄貴を) 見返してやるんだッ Ⅲ Ⅲ
(5) (二人をさがすために) 電話をかけまくって
やるんだ!
不在 Ⅲ
受影者
不在型 (6) これを学資にして勉強してやろう。 不問 不在 不在 (Ⅱ=聞き手、Ⅲ=第三者)
「~てやる」の他に、山田 (2004) は非恩恵型「~てくれる」について、「行為の方向性 が話し手 (側) から他者に向かう遠心的な方向性を持ったものとして表される場合と、他 者から話し手 (側) へと向かう求心的な方向性を持ったもの (同: 208) 」のように2つに分 類している。遠心的非恩恵型「~てくれる」に関しては、山田 (2004: 210) は、非恩恵型
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「~てやる」と異なり、(19) - (20) のように受影者存在型では用いられているが、(21) - (22) のように受影者不在型は用いられていないと指摘している。
(19) 女の助けをかりるとは卑怯者め 返り討ちにしてくれるわ。
(20) さしおさえられし道場と家屋敷 必ずやとり戻してくれる!
(21) * どうせ減るなら全部使ってくれるわい。貯金なんかどうでもいいんだ。
(22) * これを学資にして勉強してくれよう。
(山田2004: 210) また、山田 (2004) は、受影者存在型の非恩恵型「~てくれる」は意志表示が弱く、「表 出系の意志表出、希望などの形式であるが、意志のØ、ヨウとはともに用いられるが、そ の他は許容度が落ちる (同: 212)」としている。
山田 (2004) は、遠心的非恩恵型「~てくれる」を、(23) のような「文中に非恩恵であ ることを表す語句が含まれており、それによってテクレルが恩恵を表さないことが分かる
(同: 214-215)」非恩恵明示型テクレル文、(24) のような「文中には非恩恵であることが分
かる語句が含まれておらず、文脈から非恩恵的であると判断される (同: 215)」非恩恵暗示 型テクレル文、(25) のような「恩恵を表さないという意味で非恩恵であるが、(略) 積極的 に悪影響が及んだことを示すものではない (同: 215)」受影表示型テクレル文のように更に 3つに分けている。
(23) やい、くそおやじ、よくもあんなフザケた所に連れて行ってくれたな。
(24) (五択に失敗した安田に向かって、今まで弟子になりたいと言っていた)ラフーが
わが耳を疑うようなことを言ってくれた。
(25) 佐竹「天才の名を恣にした M.ブルーノも完璧な人間ではなかったってことです
か」
ブルーノ「若僧…言ってくれるじゃないか。」
(山田2004: 215)
山田 (2004) は、上記のような恩恵を表さない「~てやる」と「~てくれる」の非恩恵 型ベネファクティブに関してまとめており、以下のいずれかの場合に非恩恵的な意味を表 すとしている。