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証券市場における情報開示と市場の失敗

ドキュメント内 目次 (ページ 176-200)

第 1 款 序論

第1目 序論

強制開示制度の必要性に関する理論的な論点として,市場の失敗が生じているかという 問題が挙げられる。すなわち,市場が競争的であれば274,投資家は,情報収集から利益を 得ることができる場合に限り,また,情報収集の結果利益を得ることができる範囲でのみ,

情報収集費用を費やすようになるであろう275。同様に,発行者も,情報開示の結果,利益

272黒沼・前掲注(17612頁。SeeLangevoort & Thompson,supranote 148, at 340.

273上村・前掲注(178615頁は,「公正な価格形成が達成されるためには,情報開示と公正取引が 確保されれば足りるものでばなく,業者規制を含むあらゆる規制が有機的に目的達成のために貢 献する」と述べる。公正な価格形成というよりは,効率的な価格形成とすべきであると思われる が,情報開示と公正取引だけでなく,業者規制も影響を与え得るという指摘は,有用であろう。

三井秀範=池田唯一監修『一問一答金融商品取引法改訂版』78–79頁(商事法務,2008)(金商 法の立案担当官は,目的規定(金商法1条)の改正に関して,国民経済の適切な運営および投資 者の保護を最終的な目的としつつ,市場法としての性格も有することを明確化したと述べる)。

また,金融取引における公正の概念も更なる検討の余地があるように思われる。金融取引におけ

る公正(fairness)の概念に関する法律問題研究会「金融取引における公正(fairness)の概念」金融

研究1855頁(1999「経済学においては,『公正』という語は,所得分配の問題を表現す るものとして用いられることが多い(『所得分配の公正』)。すなわち,これは,通常『パイをど のように切るか』という問題を指す概念であり,『何をどれだけ』『どのように』生産するかとい う,資源配分の『効率性』『所与の資源でいかにしてパイを大きくするか』という問題)としば しば切り離しうる概念として用いられる」と述べる)。

274市場が競争的であるための条件は,一般的に,(A)個々の会社や個人は,市場に比べれば極めて 小さいため,市場価格に影響を与えることができない,(B)個々の会社および個人は,財の品質 および価格に関する完全な情報を有している,(C)個々の会社および個人がとる行動は,価格以 外に他の会社や個人に対して影響を与えない,および(D)財は,買主のみによって消費される という条件を含むとされる。SeeStiglitz& Walsh,supranote 143, at 240.金融取引における公正

(fairness)の概念に関する法律問題研究会・前掲注(2737頁は,経済学における完全競争市場

では,(X)各財・サービスの市場において成立する価格に関する情報は,すべての経済主体に瞬 間的にかつ無費用で伝達されるため,すべての経済主体はどのような取引機会が存在しているか を知っていること,(Y)各経済主体が市場のサイズに比較して十分に小さく,したがって各経済 主体の需要・供給行動が,市場に対してそれと認められるほどの影響力を持ち得ないこと,そし (Z)利潤機会を実現する可能性は誰に対しても平等に開かれていることという3つの条件を仮 定している。

275コースの定理(Coase theorem)によれば,〔取引費用が存在しないと仮定した場合,〕発行者と投資 家の間で互恵的な交渉がなされることが予想される。SeeEasterbrook & Fischel,supranote 129, at 682–83 (citing Ronald Coase,The Problem of Social Cost, 3 J.L. & Econ. 1, 6, 8, 10 (1960) (取引費用 が存在しない場合,権利の当初の割当てに拘らず,当事者間の交渉により社会厚生が最大化する ような取引が行われるというコースの定理を示す)); RonaldH. Coase, TheFirm,theMarket,and

が得られる範囲で費用を負担して情報開示を行うだろう276。厚生経済学では,市場の失敗 は,政府による介入の必要条件であるとされる277。強制開示に賛成する者は,強制開示が 存在しない状態では,市場の失敗が生じ,パレート最適278な均衡が妨げられると考える279。 そのため,市場の失敗が生じているか否かの検討が必要となる280

一単位281の開示を行うことで得られる限界利益が逓減すると仮定する場合282,強制開 示が正当化されうるか否かは,強制開示が存在しない場合に,参加者の自発的な取引が社 会厚生を効率的な水準に導くか否かという観点から判断できる283。すなわち,この仮定を 置いた上で,強制開示が正当化されるか否かは,強制開示が存在しない場合に,証券市場 において情報開示が市場原理によって効率的な水準で均衡に至るか否か,さらに換言すれ ば,強制開示が存在しない場合に,自発的な開示の限界費用と限界効用が一致する点で,

自発的な開示が行われるようになるかの問題であると言えよう284。経済学では,不完全市 場(imperfect markets)285の原因として,市場の失敗(market failure)が議論されている。そ theLaw158–59 (1988) [hereinafter Coase, TheFirm,theMarket and theLaw]. Robert Cooter,The Cost of Coase, 11 J. LegalStud. 1, 17–18, 28 (1982) (コースの定理に存在する問題として,仮に取 引費用が存在しないとしても,交渉ゲームであれば,戦略的に行動する誘因の存在により,効率 的な結果が達成されない可能性があることを示す).また,取引費用が存在する場合,当事者間の 交渉により社会厚生が最大化するような取引が必ずしも行われるわけではない); Coase, TheFirm, theMarket and theLaw,supra, at 178.コースの定理について,例えば,Polinsky,supranote 266, at 13–16; Cooter& Ulen,supranote 139, 81–88; StevenShavell, Foundations ofEconomicAnalysis ofLaw83–84 & n.8 (2004); Francesco Parisi,Coase Theorem,in1 TheNewPalgraveDictionary of Economics855–61 (Steven N. Durlauf & Lawrence E. Blume eds., 2d ed. 2008).

276ラムザイヤー・前掲注(116154–155頁。SeeDonald C. Langevoort,The SEC, Retail Investors, and the Institutionalization of the Securities Markets, 95 Va. L. Rev. 1025, 1065 (2009).

277SeeBainbridge,supranote 211, at 121; Fabozzi, Modigliani& Jones,supranote 169, at 12. Joseph A. Franco,Why Antifraud Prohibitions Are Not Enough: The Significance of Opportunism, Candor and Signaling in the Economic Case for Mandatory Securities Disclosure, 2002 Colum. Bus. L. Rev. 223, 246は,強制開示が経済的に正当化されるためには,(1)発行者が規制なくして社会的に最適な水 準で情報を開示しない,および(2)強制開示が最適な状態ではない開示を生じさせている市場の 失敗を矯正するという2つの証明が必要であると述べる。

278パレート効率であるとは,誰かの効用を減じずに他の誰かの効用を増加させることができない状 態を言う。Cooter& Ulen,supranote 139, at 14; E.N. Barron, GameTheory: AnIntroduction159 (2008).

279SeeBainbridge,supranote 211, at 121.

280類似の考え方を会社法に適用するものとして,例えば,落合誠一「企業法の目的株主利益最大 化原則の検討」岩村正彦ほか編『岩波講座現代の法7企業と法』21頁(岩波書店,1998)。

281本稿において,「一単位」という場合,経済学で限界効用や限界費用が議論される際に使用され る場合の意味を有するものとする。すなわち,限界費用について,一単位が追加されるという 場合,実際の単位がなんであれ,既存の費用に一定の追加の費用を加えることを意味する。See Bainbridge,supranote 211, at 121.

282本節では,この仮定について,厳密な検討は,行わない。しかし,この仮定は,十分妥当するよ うに思われる。SeeStiglitz& Walsh,supranote 143, at 345.

283SeeBainbridge,supranote 211, at 121.

284See id. at 121は,厚生経済学において政府の介入の必要条件(十分条件ではない)が,市場

の失敗であると述べる。市場の効率性をこの観点から捉えるものとして,Michael C. Jensen, Some Anomalous Evidence Regarding Market Eciency, 6 J. Fin. Econ. 95, 96 (1978); Eugene F. Fama, Efficient Capital Markets: II, 46 J. Fin. 1575, 1575 (1991).強制開示の文脈における類似の指摘とし Coffee& Sale,supranote 126, at 5–6.

285岸田雅雄『法と経済学』152–155頁(新世社,1996)は,完全市場の条件として,(1)取引される 財の同質性,(2)多数の需要者と供給者,(3)情報の完全性および(4)参入と退出の自由の要請を

こで,本節では,情報提供市場において市場の失敗が生じうるか否かという点について,

既存の議論を概観する。市場の失敗が生じうるか否かについて,様々な議論が存在するこ とを示し,市場の失敗が必ず生じるとも言い切れないが,市場の失敗が生じないと言い切 ることは,難しいことを示す。

経済学では,市場原理が働かない市場の失敗(market failure)として,(1)不完全競争,

(2)公共財,(3)外部性および(4)不完全情報(情報の非対称性)の4種類が挙げられてい る286。本款では,次款以降で証券市場における情報開示について市場の失敗が生じている かどうかの検討を行う前提作業として,簡単にこれら市場の失敗の類型を概観する。

第2目 不完全競争

不完全競争(imperfect competition)の例は,一つの会社がとある財をすべて供給している という独占(monopoly),少数の会社がとある財の供給を行なっているという寡占(oligopoly) および寡占以上に会社は存在するが完全競争ではないという独占的競争 (monopolistic

competition)である287。市場が競争的であれば,限界利益と限界費用が一致する288。しか

し,独占者が存在する場合の当該独占者が利潤を最大化する際のアウトプットと価格の組 み合わせは,単位あたりの価格が生産の限界費用を超える点で生じうる289。図3.4に従っ て示すと,競争的な市場では,価格と数量は需要曲線と限界費用(MC)が交差する点とな る290。すなわち,数量がQcであり,価格がPcとなる点である。しかし,独占の場合,独 占的の利益を有する会社は,限界費用(MC)と限界利益(MR)が交差する数量の商品を販 売する291。この場合の数量は,Qcよりも少ないQmとなり,価格は,Pcよりも高いPmと なる。

効率性の観点からは,この価格は高すぎるし,供給される数量が少なすぎることにな る292。対処方法としては,不完全競争を競争で置き換えることと,価格を統制することが 考えられる293。前者は,独占禁止法による対処法であり,後者は,電気事業者等の規制方 法である294

第3目 公共財

通常の競争モデルでは,ある者が財を消費すると,他の者は,当該財を消費することはで きない295。他方,公共財は,一人による財の消費が他のいかなる消費者の消費を減少させ ず,また,代価を払わずに財を消費する受益者を排除する費用が非常に高いため私的利益最

挙げる。

286SeeStiglitz& Walsh,supranote 143, at 240–42.

287See id.at 242–43.

288SeeCooter& Ulen,supranote 139, at 38; Stiglitz& Walsh,supranote 143, at 244.

289SeeCooter& Ulen,supranote 139, at 38; Stiglitz& Walsh,supranote 143, at 263.

290Cooter& Ulen,supranote 139, at 29.

291Id.at 31.

292SeeCooter& Ulen, supra note 139, at 38; Stiglitz& Walsh, supra note 143, at 245, 261–62 &

fig.12.2B.

293SeeCooter& Ulen,supranote 139, at 38; Stiglitz& Walsh,supranote 143, at 295–98.

294SeeCooter& Ulen,supranote 139, at 38; Stiglitz& Walsh,supranote 143, at 245–246.

295SeeStiglitz& Walsh,supranote 143, at 241.

数量

価格

需要曲線

Qc Pm

Pc

Qm MR

MC

出所:この図は,Cooter& Ulen,supranote 139, at 31 fig.2.11に基づく。

3.4 不完全競争

大化企業が誰もその財を供給しようとしない296。前者の特徴を非競合的消費(non-rivalrous consumption)といい,後者の特徴を排除不可能性(nonexcludability)という。

私的に提供される公共財の消費者には,ただ乗り(free ride)をする強い誘因が生じる297。 つまり,自分では費用を払うことなく,他者の費用において利益を得ようと期待する298。 そのため,公共財の供給は,過少となってしまう299。是正の方法として,政府が直接また は間接的に租税制度を通じて公共財の私人による提供を補助する方法および政府自身が公 共財を提供する方法が考えられる300

第4目 外部性

市場における取引(exchange)は,自発的に行われるものでかつ相互利益に合致するもの である301。取引の当事者は,取引から生じるすべての利益と費用を負担するため,取引が 望ましいか否かを判断するために最も良い情報を有している302。しかし,取引の影響は,

取引の当事者以外にも及ぶ場合があり,また,その影響は,利益および不利益の双方が考え られる303。当事者が第三者に利益を与えるにも拘らず,それについて支払いをされない場 合,正の外部性(posigive externality)または外部利益(external benefit)と呼ばれ,当事者が第

296SeeCooter& Ulen,supranote 139, at 40; Stiglitz& Walsh, supranote 143, at 241–42; Mankiw, supranote 1, at 218.

297ただ乗りとは,財の利益を受けながら,それに対して支払いをしないことをいう。SeeMankiw, supranote 1, at 220; Stiglitz& Walsh,supranote 143, at 255.

298SeeCooter& Ulen,supranote 139, at 41.

299SeeStiglitz& Walsh,supranote 143, at 255.

300SeeCooter& Ulen,supranote 139, at 41.

301See id.at 39.

302See id.

303SeeShavell,supranote 275, at 78.

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