第 1 款 序論
効率的市場(efficient market)12の定義は様々である13。本節では,最初に,効率性の定義 に様々な種類が存在することを示す。最初に,反映される情報に基づく効率性の分類を検 討し,次にモデルに基づく分類を検討する。この議論は,後の議論で各法域がどのような 態度をとっているかを検討する前提として,どのような理論的な議論が為されているかを 予め検討するものである。
第 2 款 反映される情報に基づく効率性の分類
ここでは,効率性に関して反映される情報に基づく分類を検討する。Fama教授による 1970年の論文における程度による効率性の分類が著名であり,そこでは,反映される情報 の違いに基づき,弱度(weak form),準強度(semi-strong form)および強度(strong form) といった差異が認識されている14。この3つの差異により,それぞれの効率性が持つ含意 が異なる。
第1目 弱度の効率的市場
弱度の効率的市場では,市場価格は,過去の市場価格に関する情報を含んでいるとされ る15。つまり,過去の価格は将来の価格に対して影響を与えないということであり,また,
長期的な株価の傾向を無視すれば16,価格は一定の法則に従って変化するものではなくラ ンダム・ウォーク(random walk)するということでもある。
12効率的市場(efficient market)に代わり効率的資本市場(efficient capital market)という用語が用い られることもあるが,本稿では,効率的市場で統一する。効率的資本市場の用語を用いる例とし て,例えば,スティーブン・A・ロス=ランドルフ・W・ウェスターフィールド=ジェフリー・
ジャフィ(大野薫訳)『コーポレート・ファイナンスの原理〔第9版〕』670–680頁(金融財政事 情研究会,2012)。
13例えば1976年の論文では「情報処理において効率的な市場のことである。効率的市場において はいかなる時点においても観察される証券の価格は,その時点で利用可能なあらゆる情報の『正 しい』評価にもとづいている。すなわち,価格は利用可能な情報を『十分に反映している』」と 定義されている。倉澤・前掲注(6)3頁(EugeneF. Fama, Foundations ofFinance133 (1976)を 引用する)。これは情報が価格に織り込まれる費用や取引費用がゼロであることを前提としてい
る。Fama,supranote 9, at 1575.より現実的な定義として「情報に基づいて行動することにより
得る限界収益が限界費用を超えない程度に情報が価格に反映する」がある。Id.; GeorgeRutledge Gibson, TheStockExchanges ofLondon, Paris,andNewYork: A Comparison11 (1889).
14この三分類はFama,supranote 6, at 388による。訳語は倉澤・前掲注(6)8頁による。
15AndrewW. Lo& A. CraigMacKinlay, A Non-RandomWalkDownWallStreet13 (1999); FrankJ.
Fabozzi, FrancoModigliani& FrankJ. Jones, Foundations ofFinancialMarkets andInstitutions357 (4th ed. 2010).
16証券価格は,長期的に一定の傾向を示すことがある。このような一定の傾向は,証券価格がラン ダムに変動するという概念とは相容れないものであるように見える。しかし,このような長期的 傾向は,短期的に見た場合の株価のランダムウォークを否定するものではない。なぜなら,この ような長期的な傾向を日次の株価変動として認識しようとしても限りなくゼロに近い数値となっ てしまうからである。
弱度の効率的市場が成立する場合,いわゆるテクニカル分析17では超過収益を得ること ができない18。ある証券について弱度の効率的市場が成立する場合,テクニカル分析はす べて無意味であるということになるし,テクニカル分析で超過収益を得ることができると いうような広告は虚偽ということになる。また,株価は過去10年間で見た場合,底であり 今後上がる等というような表現もできないということになる。このように,証券の勧誘の 文脈で,弱度の効率的市場が成立しているか否かが意味を持つ場面がありそうである。し かし,強制開示制度にとって,弱度の効率的市場が特段の意味を持つということはないと 思われる。
第2目 準強度の効率的市場
準強度の効率的市場では,一般に利用可能な情報が市場価格に完全に反映されている19と される20。ここで「一般に利用可能な情報」とは,日本企業で言えば有価証券報告書に記載 されるような正式な情報や監査済み財務諸表の情報だけでなく,企業が発信するプレス・
リリースや製品に関する情報も含まれ,発行者に関する情報だけでなく経済一般,製品市 場全般に関する情報も含まれる。また,理想的な準強度の効率的市場では,情報は一瞬で 市場価格に反映される。
一般に利用可能な情報が市場価格に完全に反映されている場合,企業について特別な情 報を有していない一般の投資者は,超過収益を得ることはできず,また,価格はランダム に変動する21。
理想的な準強度の効率的市場仮説が成立する場合,情報は一瞬で資本市場に反映される ために,類似の情報を何度も開示しても株価に影響を与えない。例えば,プレス・リリー スで業績を開示した後,同じ情報を有価証券報告書で開示することに意味はない。超過収 益を得ることができる場合があるとすれば,有価証券報告書が民事責任を課される法定開 示であるという点や監査人により監査を受けており,より信用できるといった点のみであ る。同様に,業績発表がされ,その情報が株価に反映された後で,証券会社のアナリスト が業績に関するアナリスト・レポートを発行したとしても,当該アナリスト・レポートに
17例えば,弱度の効率性が成立する場合,3日連続で株価が下落したからといって,4日目に下落 する可能性が50パーセントより高いということはなく,上昇するか下落するかはランダム(50 パーセントずつ)となる。テクニカル分析に関する懐疑的な態度について,例えば,Malkiel, supranote 3, at 138–62.
18Fama教授は1991年の論文において,弱度の効率性の検証を「収益予測の検証」(tests for return predictability)を含んでいると述べる。Fama,supranote 9, at 1576. NasserArshadi& ThomasH.
Eyssell, TheLaw andFinance ofCorporateInsiderTrading: Theory andEvidence13 (1993).
19なお,「完全に反映されている」という用語のより詳細な定義として,「市場がある情報集合に対 して効率的であるということは,その情報をすべての市場参加者に明らかにしても,証券価格 が影響を受けないことを言う。さらに情報集合に関する効率性とは(その情報集合に基づいて)
経済的な利益を得るることができないということである」が挙げられる。ジョン・Y・キャンベ ル=アンドリュー・W・ロー=A・クレイグ・マッキンレイ(祝迫得夫=大橋和彦=中村信弘=
本多俊毅=和田賢治訳)『ファイナンスのための計量分析』21頁(共立出版,2003)。Burton G.
Malkiel,Efficient Market Hypothesis,in1 NewPalgraveDictionary ofMoney andFinance739 (Steven N. Durlauf & Lawrence E. Blume eds., 1992).
20Fama,supranote 6, at 383; Fabozzi, Modigliani& Jones,supranote 15, at 357.
21キャンベルほか・前掲注(19)24頁。準強度の効率的市場が成立している場合に,企業の基礎 的価値の分析(fundamental analysis)によって超過収益が得られないという点について,Malkiel, supranote 3, at 186–88; Arshadi& Eyssellsupranote 18, at 13.
新たな情報がない限り,投資者は,超過収益を得ることができない22。
証券募集における開示との関係で言えば,上場会社が証券募集をする際に,既に開示さ れ株価に織り込まれている情報を再度開示させることに意味ないということになる。つま り,継続開示から変更がなければ,同じ情報を開示させることに意味はない。ただし,継続 開示で開示された情報が証券募集の時点でも変わっていないことを確認する効果はある。
本稿では,開示に関する問題を取り扱うため,準強度の効率的市場が中心的なテーマと なり23,これが成立するか否か,どの程度で成立するか否か等を問題とする。
第3目 強度の効率的市場
強度の効率的市場では,株式価値に関する情報で,少なくとも一人の投資家に知られて いるものなら,当該情報は株価に完全に織り込まれているとする24。また,強度の効率的 市場については,発行者以外の者が保有する開示されていない情報についても市場価格に 反映される25。強度の効率的市場仮説を熱心に唱える者は,インサイダー情報を利用して 取引しようとした瞬間に,市場がそれを察知して株価が変動し,または,秘密などという ものは存在せず,株価に影響を与える情報はすぐに漏れてしまうと考えているのかもしれ ない26。
強度の効率性に基づき,市場があまりに効率的であるから,真に価値のある内部情報を 持つ者でさえ,当該情報を用いて利益を得ることができないと考えるのは難しい27。本稿 は,強度の効率的市場が成立していないという前提を置いている28。強度の効率的市場仮 説の否定に関しては,本章第3節第2款(37頁)を参照。
第 3 款 効率性のモデルに基づく分類
次に市場の効率性をファイナンスのモデルという観点から分類する。ファイナンスの代 表的なモデル基づくと29,効率的市場仮説は,(1)期待利得/公正ゲームモデル(expected return/fair game models),(2)劣マルチンゲール・モデル(submartingale model)および(3)ラ ンダム・ウォーク・モデル(random walk model),として捉えることができる。
開示の研究という本稿の目的に関連して期待利得/公正ゲーム・モデルとランダム・
ウォークが重要であるが,証券法制の目的という観点からはマルチンゲール・モデルも重 要であるので,ここでこれらを順に概観する。
22あるとすれば,当該アナリスト・レポート自体が市場価格に影響を与える場合である。例えば,
市場に影響力がある投資銀行の著名なアナリストが業績発表を受けて,投資推奨を「買い」から
「売り」に変更する場合やアナリストが独自に行なった市場調査や製品の販売数量の予測調査を 新たに発表する場合等が考えられよう。
23StephenJ. Choi& A. C. Pritchard, SecuritiesRegulation: Cases andAnalysis34 (3d ed. 2011) (市場 の効率性の種類の中で,準強度の効率的市場仮説が,証券規制に対して最大の影響を及ぼしたと 述べる).
24ロスほか・前掲注(12)678頁。Fabozzi, Modigliani& Jones,supranote 15, at 357
25Fama,supranote 6, at 383; StephenA. Ross, RandolphW. Westerfield& JeffreyJaffe, Corporate Finance355–57 (7th ed. 2005).
26ロスほか・前掲注(12)678頁。Arshadi& Eyssellsupranote 18, at 13.
27ロスほか・前掲注(12)678頁。
28実証研究は,強度の効率的市場を否定している。Fama,supranote 6, at 410; Arshadi& Eyssell supranote 18, at 13; Shleifer,supranote 11, at 7.
29これらの分類はFama,supranote 6, at 384–88による。