第 1 款 序論
本節では,市場の効率性に対するわが国,米国連邦裁判所および米国デラウェア州の裁 判所の態度並びに米国連邦証券取引委員会の態度を比較,検討する。
第2款において,強度の効率的市場仮説を否定する姿勢を概観する。第3款において,準 強度の効率性に関する姿勢を概観する。これには,「情報が価格に反映される」といういわ ゆる情報効率性(informational efficiency)を認めるかという議論と「市場価格が発行者の価 値を表している」といういわゆる基礎的価値に関する効率性(fundamental value efficiency) を認めるかという議論が存在する62。
「基礎的価値に関する効率性」という用語は,ある情報について証券価格が正しく値付け されているという意味で用いられている63。ここで,基礎的価値とは,将来のキャッシュ・
フローをリスクの性格に応じて正味現在価値に割り引いたものをいう64。基礎的価値に関 する効率性が達成される場合65とは,すべての情報が即時に全て反映されるという完全な
59キャンベルほか・前掲注(19)31頁。
60倉澤・前掲注(6)10頁。
61倉澤・前掲注(6)10頁。
62情報効率性と基礎的価値に関する効率性の違いについて梅津昭彦「『市場に対する詐欺理論』に おける効率的市場要件—In rePolyMedica Corp. Sec. Litig., 432 F.3d 1 (1st Cir. 2005)」商事1780 号47頁(2006)を参照。
63In rePolyMedica Corp. Sec. Litig., 432 F.3d 1, 15 (1st Cir. 2005). Daniel R. Fischel教授は,こ れを価値効率性(value efficiency)と呼ぶ。Daniel R. Fischel,Efficient Capital Markets, the Crash and the Fraud on the Market Theory, 74 CornellL. Rev. 907, 909 (1989); Ian Ayres,Back to Basics:
Regulating How Corporations Speak to the Market, 77 Va. L. Rev. 945, 969 & n.97 (1991).
64Shleifer,supranote 11, at 2.
65Id.
情報効率性を達成する場合と類似している66。しかし,基礎的価値に関する効率性と情報 効率性では,考え方に相違点も存在する。情報効率性の程度は,情報が反映される速度67と 量で測られる。他方,基礎的価値に関する効率性は,前述の通り,証券価格が正しいか否か によって測られる68。基礎的価値に関する効率性の概念の延長線上には,個々の情報が正 しく値付けされる結果,証券価格が会社の基礎的価値を表しているという考え方がある69。 情報効率性と基礎的価値に関する効率性の差異について,本章第3節第3款(40頁)でさ らに検討する。
本稿では,この概念をもう少し敷衍して,「証券の価格が証券により表彰される事業の本
源的価値(intrinsic value)を表すという」意味で「本源的価値」という用語を用いる70。こ
の用語は市場価格が会社の本源的価値と合致しているか否かという点を問うものである。
会社の真実の本源的価値が幾らであるかは,推測することしかできない71。なぜなら,会 社の将来キャッシュ・フローを完全に予測することができないし,正しい割引率を知るこ とができないからである。しかし,会社の本源的価値を措定することは有用であるし,裁 判所には「真実の価値」に言及するものもあるので,この用語の定義が必要になる72。本稿 では,「真実の価値」(true value)と本源的価値を同義で用いる73。
なお,本稿では,次章以降で,価格を確率変数と捉えて,価格の正確性を議論すること がある。この場合,価格が不偏(unbiased)であれば,確率変数の期待値と本源的価値が等 しく,また,確率変数の分散は,価格の期待される正確性を図る指標となりうる74。例え ば,ある市場価格が利用可能なすべての情報を正確に反映しており,反映されていない情
66Jonathan R. Macey & Geoffrey P. Miller,The Fraud-on-the-Market Theory Revisited, 77 Va. L. Rev.
1001, 1012–15 (1991) (市場が情報効率的でなければ,基礎的価値に関する効率性は達成できない
と述べる); Donald C. Langevoort,Theories, Assumptions, and Securities Regulation: Market Efficiency Revisited, 140 U. Pa. L. Rev. 851, 857 n.15 (1992).
67Lynn A. Stout,The Mechanisms of Market Inefficiency: An Introduction to the New Finance, 28 J. Corp. L. 635, 640 (2003).
68Id.
69Id.
70伊藤邦雄『ゼミナール企業価値評価』13頁(日本経済新聞出版社,2007)は,本源的価値を,「企 業が将来にわたり生み出す利益やキャッシュ・フローをベースに理論的かつ分析的に導き出され た価値」と定義する。また,“intrinsic value”という用語に「本源的価値」だけでなく「内在価値」
との訳語を付する。
71SeeMerritt B. Fox, Randall Morck, Bernard Yeung & Artyom Durnev,Law, Share Price Accuracy, and Economic Performance: The New Evidence, 102 Mich. L. Rev. 331, 345 (2003).
72C.f., Ronald J. Gilson & Reinier H. Kraakman,The Mechanisms of Market Efficiency Twenty Years Later: The Hindsight Bias, 28 J. Corp. L. 715, 716 n.4 (2003) (基礎的価値に関する効率性が情報効 率性と異なる,すなわち,情報効率性とは別個の概念として基礎的価値に関する効率性が観念で きる,と主張する場合,それは(1)市場が情報を不正確に評価していること,ひいては鞘取りに よって利益を得る機会を有する,または(2)誰かが現在の株価が不正確となるような価格決定モ デルを含め非公開の情報を有していることのどちらかを意味するということではないかと指摘す る).同論文における市場の効率性と情報に関する費用の関係について,野田耕志「証券開示規制 における引受証券会社の責任」関俊彦先生古稀記念『変革期の企業法』450–456頁(商事法務,
2011)参照。
73文脈は違うが,真実の価値と本源的価値を同義と扱うものとして,Stewart C. Myers & Nicholas S.
Majluf,Corporate Financing and Investment Decisions When Firms Have Information That Investors Do Not Have, 13 J. Fin. Econ. 187, 191 (1984).
74Fox et al.,supranote 71, at 345 n.42.
報のうち価格を上昇させるものと下落させるものが平等に存在している場合,当該証券か ら得られる利得の期待値は,本源的価値と等しくなるため問題にならず,証券の価格の正 確性に関して残る問題は,証券の分散(ボラティリティ)に鑑みて,どの程度の不正確性 が存在しているかとなる。すなわち,本源的価値との正確性が問題になる場合の論点は,
(1)本源的価値の推定を行うに当たり,価格が不偏であるか否か,(2)不偏ではない場合,
分散に鑑みて,どの程度の確率で正確であると言えるかということになろう。すべての情 報が価格に反映されている場合,知られていない情報は,定義上,予測不能ということで あり,すなわちランダムに価値に影響を与える75。それゆえ,すべての情報を反映した価 格は,完全に正確ではないものの,不偏であり,また,その時点での最も正確な価格であ るといえよう76。
第 2 款 強度の効率的市場の否定
第1目 序論
本款では強度の効率的市場を否定する議論を概観する。まずは,デラウエア州の判例理 論を概観し,次に,米国連邦証券法制から示唆を得る。最後に,わが国における議論を検 討する。
第2目 デラウェア州
1985年にデラウェア州最高裁は,組織再編の文脈で,以下の通り判示した。
「我々は社外の〔専門家による〕価値評価が情報に基づく経営判断(informed business
judgment)に必須であるということを意味せず,また,独立の投資銀行によるフェア
ネス・オピニオンが法律上必要と言うわけでもない。時に,継続企業の事業に精通 した内部者は,関連する情報を集めるという点で外部者に比べて有利な地位にあり,
また,適切な状況では,そのような〔内部者である〕取締役は経営陣からの価値評 価の報告に誠実に依拠することについて完全に保護(fully protected)される。」77 デラウェア州最高裁判所の判示は,会社内部の情報が市場に反映されていないことを前 提としており,市場が強度の効率性を有していないと解していることを明らかにしたもの と言える78。
75Id.at 350.
76Id.
77Smith v. Van Gorkom, 488 A.2d 858, 876 (Del. 1985).Van Gorkom判決の評釈として,神崎克郎「判 批」商事1164号36頁,38頁(1988)。SeeParamount Communications, Inc. v. Time Inc., 571 A.2d 1140, 1150 n.12 (Del. 1989); Air Products and Chemicals, Inc. v. Airgas, Inc., 16 A.3d 48, 112 (Del.
Ch. 2011) (Chandler, C.).日本語での評釈として,例えば,白井正和「判批」樋口範雄=柿嶋美
子=浅香吉幹=岩田太『アメリカ法判例百選』別冊ジュリ213号238–239頁(有斐閣,2012),德 本穰「判批」野村修也=中東正文編『M&A判例の分析と展開』経済法令研究会255頁(2007)。
Airgas事件について,田中亘『企業買収と防衛策』200–201頁(商事法務,2012)参照。
78ただし,会社の内部者が必ず優れた判断を行うことを意味するものではない。例えば,デラウェ ア州衡平法裁判所のChandler首席裁判官は2011年に会社の取締役会が企業価値の予測を(企 業価値が高まるという自信過剰な方向に)誤る可能性があることを指摘している。Air Products v. Airgas, 16 A.3d at 112 n.430. Black教授およびKraakman教授による,株式市場からは認識で きない会社の隠れた価値の存在を前提とする隠れた価値モデル(hidden value model)は,デラ
第3目 米国連邦法
証券取引委員会および司法省は,会社内部者(インサイダー)による重要な内部情報(イ ンサイダー情報)に基づく取引を取り締まっている79。例えば,2011年に証券取引委員会 は,57件の訴訟を提起した80。
米国においてインサイダー取引は,取引所法10条(b)項および14条(e)項等を用いて規 制がなされている。主に用いられる取引所法10条(b)項の理論的根拠には少なからぬ変遷 がある81が,そのいずれの理論82も情報の非対称性を前提としており,強度の効率的市場仮 説を否定していると言えよう83。
このほか,強度の効率性の否定と整合的な規制として,公開買付けにおける対象会社の
ウェア州におけるレブロン基準の発動要件を説明するにあたり肯定的に紹介されているようであ る。白井正和「友好的買収の場面における取締役に対する規律(四)」法協128巻6号1616頁 注995(2011)(Bernard Black & Reinier Kraakman,Delaware’s Takeover Law: The Uncertain Search for Hidden Value, 96 Nw. U. L. Rev. 521 (2002)について議論する)。In reDollar Thrifty S’holder Litig., 14 A.3d 573, 612 n.213 (Del. Ch. 2010) (Strine, V.C.) (Black教授およびKraakman教授のう ち,経営者による会社の価値が市場価格よりも低くないという主張は,低いという主張よりも信 用しやすいと述べる).C.f. Air Products v. Airgas, 16 A.3d at 112 n.430 (Black教授およびKraakman 教授の論文を引用し,隠れた価値が存在しうる可能性を肯定しつつも,同事案における隠れた価 値の存在を否定する).
79Roger Lowenstein,The War on Insider Trading: Market-Beaters Beware, N.Y. Times, Sept. 25, 2011, at
MM36 (証券取引委員会の法執行局のRobert Khuzami局長がインサイダー取引に関する議会での
証言で市場平均を3パーセント一貫して超過する収益を得た者はインサイダー取引の候補に上が ると述べたことを引用する。これは強度の効率的市場を否定する見解を取っているものと考えら れる).
80Sec. & Exch. Comm’n, Press Release, SEC Enforcement Division Produces Record Results in Safeguarding Investors and Markets (Nov. 9, 2011), http://sec.gov/news/press/2011/2011-234.htm (last visited Feb. 12, 2012); Sec. & Exch. Comm’n, Spotlight on Insider Training (June 14, 2011), http://www.sec.gov/spotlight/insidertrading.shtml (last visited Feb. 12, 2012); Sec. & Exch.
Comm’n, SEC Enforcement Actions—Insider Trading Cases (Oct. 6, 2011), http://www.sec.gov/ spotlight/insidertrading/cases.shtml (last visited Feb. 12, 2012).
81SeeStephenM. Bainbridge, CorporationLaw andEconomics518–609 (2002); Stephen M. Bainbridge, Insider Trading,in3 Encyclopedia ofLaw andEconomics772–812 (Boudewijn Bouckaert & Gerrit De Geest eds., 2000); JohnC. Coffee, Jr. & HillaryA. Sale, SecuritiesRegulationCases andMaterials 1182–1213 (12th ed. 2012); JamesD. Cox, RobertW. Hillman& DonaldC. Langevoort, Securities Regulation: Cases andMaterials879–906 (6th ed. 2009); Choi& Pritchard,supranote 23, at 336–85;
ThomasLeeHazen, SecuritiesRegulation: Cases andMaterials719–88 (8th ed. 2009);米国のイン サイダー取引の理論の変遷を概観するものとして,梅津昭彦「アメリカ法におけるインサイダー 取引規制の基礎理論の展開」関俊彦先生古稀記念『変革期の企業法』530–538頁(商事法務,
2011)。わが国における最近の論文について同論文529頁注5参照。他に,萬澤陽子『アメリカ のインサイダー取引と法』223–267頁(弘文堂,2011)。米国の議論の要約として,黒沼悦郎「判 批」樋口範雄=柿嶋美子=浅香吉幹=岩田太編『アメリカ法判例百選』別冊ジュリ213号246 頁,247頁(有斐閣,2012)。
82情報の平等理論,信認義務理論および不正流用理論の解説について,黒沼悦郎『アメリカ証券取
引法〔第2版〕』160–167頁(弘文堂,2004),近藤光男=吉原和志=黒沼悦郎『金融商品取引法
入門〔第3版〕』310頁(商事法務,2013)を参照。
83Bainbridge,supranote 81, at 785 (インサイダーと一般投資家との間の情報の非対称性は,連邦証 券法制における強制開示の規則が,発行者に対して投資者の投資判断に重要な情報であるにも拘 らず,当該情報を開示せずとも良い(confidential)とすることによって生じるとする).