第 1 款 序論
本章での議論は,これまでのところ株価がどのように形成されるかという視点を欠いて いた。特に,株価を会社法および証券法の文脈で適用するために必要な,株価を構成する
要素について,検討を行なっていなかった。本節では,株価を構成する要素を分類して理 解することを試みる。具体的には,株価および企業価値の評価に際して言及される,様々 なディスカウントおよびプレミアムについて,議論を紹介する。
株式に代表される持分証券の価値は,その企業の将来収益とその収益をあげる可能性
(リスク)の予想に基づき決定され,当該将来収益およびリスクは,企業経営に関する情報 を基に判断される312。まず,ここでいう証券の「価値」には,様々な種類が存在すること を紹介したい。「価値」という用語は,主体が変われば違うものを意味する313。また,同じ 主体にとっても文脈が違えば,価値は変わり得る314。
本節の導入として,事業価値評価に標準的に適用される価値のうち(1)公正市場価値(fair market value),(2)投資価値(investment value)および(3)本源的価値(intrinsic value)に関す るPratt博士の議論を紹介する315。
公正市場価値 公正市場価値とは,米国鑑定士協会(ASA: American Society of Appraisers) において,「強制されずに,かつ,関連する事実について合理的な知識を有する自発的な売 主と買主の間で,財産が移転する価額」と定義される316。言い換えると,公正市場価格は,
特定の買主や売主を考慮せず,公開の市場で通常の動機(normally motivated)を有する投資 家の間で行われる独立当事者間取引において最も有り得そうな価格(most likely price)を意 味する317。例えば,譲渡制限が付された会社の少数株式が相対的に魅力的ではない点に鑑 みて,公正市場価値を算定する場合,事業価値からのディスカウントは,相当大きなもの となるとされる318。
投資価値 Pratt博士の概説書では,投資価値という用語は,不動産の評価に関する用語
であるようだが,「特定の投資家または特定の種類の投資家に対する個別の投資要件に基 づく投資の特定の価値であり,非個性的(impersonal and detached)な市場価値とは区別さ れる」と定義される319。また,Pratt博士らは,公正市場価値と投資価値の違いの一つとし て,「所有または支配する他の事業とのシナジー」が含まれることを挙げる320。本稿では,
議論しないが,組織再編の文脈では,買収者の投資価値と現在の株価との差異を検討する ことが必要になろう。この差異のうち,現在の株価,買収後に生じる狭義のシナジー,お
312黒沼悦郎「証券市場における情報開示に基づく民事責任(一)」法協105巻12号1616頁(1988) 参照。
313ShannonP. Pratt, RobertF. Reilly& RobertP. Schweihs, ValuingA Business28 (4th ed. 2000).
314Id.Pratt博士らは,様々な価値の例として,公正市場価値(fair market value),市場価値(market value),公正価値(fair value),真実の価値(true value),投資価値(investment value),本源的価値 (intrinsic value),基礎的価値(fundamental value),保険価値(insurance value),簿価(book value), 使用価値(use value),担保価値(collateral value),従価税に関する価値(ad valorem value)等が存 在することを挙げる。Id.
315わが国において,価値論に言及するものとして,例えば,関・前掲注(248)175–189頁があり,
価値評価が客観的ないし主観的に行われ得ることを指摘した上で,法律の解釈の問題として価値 評価を含む場合には,基本的に,主観的価値論の立場に立たなければならないと主張する。
316Pratt, Reilly& Schweihs,supranote 313, at 28; ShannonP. Pratt, BusinessValuationDiscounts and Premiums10 (2d ed. 2009).
317Pratt, Reilly& Schweihs,supranote 313 at 375.
318Id.
319Id.at 30.
320Id.
よび買収後に生じる買収者の私的利益については,本稿でも若干の検討を行うが,企業買 収の文脈では,株価に反映されていない基礎的価値(この基礎的価値は,一般に利用可能 な情報と買収者が有する情報に基づき計算される)が重要な要素となる。
本源的価値 Pratt博士らは,本源的価値とは,株式の評価において,会社の資産,収益 力およびその他の要素について基礎的分析(fundamental analysis)を完了した証券アナリス トが適切であると考える証券の価格であり321,基礎的分析において,期待収益の分析が最 も重要であるが,配当,資本構成,経営の質等も分析されると述べる322。また,ファイナ ンスの論文において本源的価値を決定するための様々な手法は,予想と割引キャッシュ・
フローに基づいていると述べる323。
以上,簡単ではあるが,公正市場価値,投資価値および本源的価値の定義についてPratt 博士らの議論を紹介した。思うに,公正市場価値は,市場価格が存在しない場合(または 存在する市場価格を利用できないまたは補正しなければならない場合)に,ありうる市場 価格を算定する場合やナカリセバ価格の算定に用いられる概念であると言えそうである。
投資価値は,組織再編等においてシナジーを含めた価値を算定する場合に観念される概念 であり,シナジー分配価格において用いられる概念と言えそうである。公正市場価値では,
売買主体が「強制されずに,かつ,関連する事実について合理的な知識を有する自発的な 売主と買主」と一般的に定められているところ,投資価値は,「特定の投資家または特定の 種類の投資家に対する個別の投資要件に基づく投資の特定の価値」と定められており,こ の特定性が公正市場価値と投資価値の違いといえよう。本源的価値は,企業のキャッシュ フローに基づいて決定される価値が一番近いように思われる。本源的価値は,「公開の市場 で通常の動機(normally motivated)を有する投資家の間で行われる独立当事者間取引におい て最も有り得そうな価格」というような,市場でどのような価値となりうるかという要素 を欠いている点で,公正市場価値と違うと言えよう。
ディスカウントやプレミアムとの関係でいうと,どの「価値」を選択するかにより,適 用となるディスカウントやプレミアムが変わってくると言えよう。この意味で,ディスカ ウントやプレミアムを個別に取り出して議論する場合,プレミアムやディスカウントは,
相対的な概念であるといえる。他方,実際の法制度において適用される場合,どの価値概 念を用いているのか,また,当該制度において選択される価値概念において,どのディス カウントやシナジーが適用されるかを明らかにしていく作業が必要となろう。
例えば,狭義のシナジーは,特定の組織再編手続きを前提とした投資価値であり,公正 市場価値を求める場合には,考慮されるべきではないはずである。他方,ディスカウンテ ド・キャッシュ・フロー法を用いる場合,狭義のシナジーを考慮した(含めた)事業計画を 割り引けば,狭義のシナジーを含めた価値が計算されてしまう。法制度が狭義のシナジー を含めた価値を求めるものなのか,それとも狭義のシナジーを含めない価値を求めている のかで,対応が変わってこよう。
本稿では,プレミアムとは,株式の価値を増加させる何らかの原因に基づいて生じる株 式の価値の増加または増加額のことを言うものとする。本稿では,「プレミアムを反映す
321Id.at 31.
322Id.
323Id.
る」または「プレミアムが生じる」という用語を用いる場合,価値を増加させる要因を反 映させることまたは価値が増加することを意味する。典型的なプレミアムは,支配株式を 保有することにより生じるコントロール・プレミアムである。しかし,株式の価値を増加 させる原因は,支配権に限らないため,様々なプレミアムが観念できる。
逆に,株式の価値評価の文脈でディスカウントとは,株式の価値を減少させる何らかの 原因に基づいて生じる株式の価値の減少または減少額の事をいうものとする。本稿では,
「ディスカウントを反映する」または「ディスカウントが生じる」という用語を用いる場 合,価値を減少させる要因を反映させることまたは価値が減少することを意味する。支配 株式と比較を例に挙げると,支配権を有しない一単位の株式は,価値が低く,この差額が ディスカウントとなる324。
以下では,本章の議論の補足として,上場会社の株式を中心に,ディスカウントおよび プレミアムの分類を試みた上で,効率的な市場における株価との関係について既存の議論 を紹介する325。株価の構成要素を理解することにより,会社法事案や証券法事案の文脈で 価値評価を行う際に,どの株価の構成要素が問題となるかを把握することができるように なるからであり,また,どのプレミアムおよびディスカウントが開示制度と関連している かを理解する上で有用であると思われるからである。ただし,本節での議論は,本稿に関 連する範囲のごく基本的な事項のみを対象としている326。
ディスカウントには,(1)会社レベルでのディスカウント(entity-level discount)327および (2)株主のレベルでのディスカウント(shareholder-level discount)がある。第2款において,
会社レベルでのディスカウントを,第3款において,株主のレベルでのディスカウントを 概観する。第4款は,小括である。
324この例は,江頭憲治郎「支配権プレミアムとマイノリティ・ディスカウント」関俊彦先生古稀記 念『変革期の企業法』117頁(2011)による。
325本節では,株価が継続企業としての価値を表す状況を前提としている。Laro& Pratt,supranote 306, at 17; Tri-Continental Corp. v. Battye, 74 A.2d 71, 72 (Del. 1950).しかし,実質債務超過の会社 や破産手続き,民事再生手続き等が予見される会社の株価が,清算価値を指標として値付けされ ることはありえよう。デラウェア州において継続企業を前提として株式買取請求権の価格算定を 行った最近の例として,In reAppraisal of the Orchard Enter., Inc., 2012 WL 2923305, at *6–7 (Del.
Ch. July 18, 2012) (Strine, C.) (優先株式が有する残余財産優先分配権(liquidation preference)につ いて,当該優先株式の定めによると非公開会社化の取引において発動せず,残余財産優先分配 権を優先株式の価値算定に含めてはならないと判示した例。理由としてCavalier Oil判決では,
投機的な価値(speculative value)は,価値から除外されることになっており,優先株式の価値は,
清算価値ではなく,優先株を転換したとしたら得られる価値(as-converted basis)であると判示し た)。Cavalier Oil Corp. v. Harnett, 564 A.2d 1137 (Del. 1989).
326例えば,具体的なディスカウントの額やその価値算定手法の詳細については,ほとんど触れてい ない。
327会社レベルでのディスカウントについて,“company level”という用語が用いられている例と
“firm level”という用語が用いられている例がある。Cavalier Oil, 564 A.2d at 1144 (“company level”を用いる例); John C. Coates, IV,Fair Value as an Avoidable Rule of Corporate Law: Minority Discounts in Conflict Transactions, 147 U. Pa. L. Rev. 1251, 1273 (1999).