第 1 款 序論
本節では,証券取引と社会厚生175の関係を検討する。特に,証券市場の機能または目的 のうち重要なものとして,効率的な資源配分を確保することが挙げられている176。そこで,
本節では,証券法制,特に開示規制の検討でよく用いられる資源配分の効率性177を中心に,
証券取引と社会厚生との関係について検討する178。
175Louis Kaplow教授およびSteven Shavell教授による議論に基づけば,個々の個人の厚生
(individ-ual’s well being)は,広範な要素に基づいて決定される。この要素の中には,公平に扱われること
により得られる利得も含まれる。LouisKaplow& StevenShavell, FairnessVersusWelfare4, 18
n.6 (2002).公平の概念は,既にこの段階で考慮されており,その後の社会厚生の増加を検討する
段階では,考慮されない。
176黒沼・前掲注(147)1617頁,黒沼悦郎『証券市場の機能と不公正取引の規制』10頁(有斐閣,
2002),神田監修・前掲注(55)12頁(開示制度の理由として,効率的な資源配分を挙げる)
。SeeMerritt B. Fox,Securities Disclosure in a Globalizing Market: Who Should Regulate Whom, 95 Mich. L. Rev. 2498, 2533 (1997).
177「資本配分の効率性」という用語も同様の意味で用いられているように見受けられる。
178資源配分に言及する論文として,黒沼悦郎「証券取引と法」岩村正彦ほか編『岩波講座現代の法 7企業と法』285頁(岩波書店,1998)。神崎ほか・前掲注(16)20–21頁は,「金融商品市場は,
有価証券に関する取引を通じて資源の効率的な配分をもたらす。…市場の価格形成機能は,企業 の資金調達コストを決定する。…これらのことにより金融商品市場を通じて,限りある金融資源 の適正な配分がなされる」とする。野田耕志「証券開示規制における引受証券会社の責任」関俊 彦先生古稀記念『変革期の企業法』461頁(商事法務,2011)は,James D. Cox,The Fundamentals of an Electronic-Based Federal Securities Act, 75 Wash. U. L.Q. 857, 870 (1997)を引用して「配分的
効率性」(allocative efficiency)について,取引市場において確立した正確な証券価格が,競争関係
にある投資機会との間で資源を配分する役割であると述べる。上村達男「投資者保護概念の再検 討—自己責任原則の成立根拠」専法42巻3頁(1985)は,証券取引法は,証券市場の市場機能を
本節での議論の大前提として,資源配分が効率的であるとは,当該資源配分の結果,社 会厚生が最大化する場合を言うものとする179。
そこで,証券市場に関して資源配分の効率性および社会厚生への影響を検討すべき場面 を考えてみると,(1)発行会社による実体資産への投資,(2)流通市場での取引および(3)発 行市場での取引という3つの場面が考えられるように思われる。
本節では,これらの点について次の順序で検討する。第2款では,モディリアーニ=ミ ラー理論を概観し,資源配分の効率性との関係を考慮に入れつつ,発行会社による実体資 産への投資の影響を検討する。次に,第3款では,流通市場での取引の影響を,最後に,
第4款では,発行市場での取引の影響を,検討する。
第 2 款 発行会社による実体資産への投資
第1目 序論
本 款 で は ,資 源 配 分 の 効 率 性 を 議 論 す る 前 提 と し て ,モ デ ィ リ ア ー ニ = ミ ラ ー 理
論180(Modigliani-Miller theorem) を概観しつつ,発行会社による実体資産への投資の効
率性を検討する。
前述の通り,本節では,議論を,発行会社による実体資産への投資と投資家による発行 会社への投資に分類し,さらに,投資家による発行会社への投資を,発行市場で証券を取 得する場合と流通市場で証券を取得する場合に分類している。この点,発行会社による実 体資産への投資は,投資家がどのように証券を取得したかに拘らず問題になる事項である。
そのため,実体資産への投資に関する議論を概観する。
本款での議論は,次の通り進める。第2目では,(1a)資金調達と投資判断の関係を概観す る。次に,第3目において,(1b)実体資産への投資が効率的ではなくなる類型を検討する。
第2目 資金調達と投資判断の関係
序論 本目では,(1a)資金調達と投資判断の関係について検討する。最初に,(1a-1)モ ディリアーニ=ミラーの第一命題(MM Proposition I)(以下「MM第一命題」という)に基
確保することにより,物と金の流れを決定し,適正な資源配分に資することをその役割とする法 であると述べる。他に,上村達男「新体系・証券取引法(1)証券取引法の目的と体系」企業会計 53巻4号614頁(2001),河村賢治「金融商品取引法に関する一考察」上村達男=神田秀樹=犬 飼重仁『金融サービス市場法制のグランドデザイン』238–239頁(東洋経済新報社,2007),山 下=神田編・前掲注(10)8頁〔山下友信〕参照。逐条解説として,黒沼悦郎=太田洋編著『論 点体系金融商品取引法1』5–7頁(第一法規株式会社,2014)〔若林泰伸〕。
179田中亘「総論—会社法学における実証研究の意義」商事1874号13頁注20(2009)(「望ましい ルールを選択する規範的な分析をモデル化するとすれば,あるルールを採用した場合に実現する 社会厚生の期待値(期待社会厚生)を予測し,これを最大にするようなルールを選択するという 問題となろう。ここで,『期待社会厚生』とは,あるルールの下で実現する可能性のある社会状 態(複数あり得る)のそれぞれにおける社会厚生を,それぞれの社会状態が実現する主観的確率 で重みづけした加重平均として定義できる」と述べる)。渡辺智之「経済学者から見た法と経済 学」法教365号47頁(2011)参照。
180Franco Modigliani & Merton H. Miller,The Cost of Capital, Corporation Finance and the Theory of Investment, 48 Am. Econ. Rev. 261–97 (1958).
づく資金調達と投資判断の関係を概観する181。その後,(1a-2) MM第一命題の前提を少し 緩やかにして,税金と倒産の可能性を考慮し加重平均資本コスト(WACC: weighted-average
cost of capital)(以下「WACC」という),ひいては,投資判断へどのような影響を与えるの
かについて検討する。
モディリアーニ=ミラーの第一命題 発行会社による実体資産への投資は,発行市場に よる調達を直接利用するものが考えられるが,銀行借入によって得た資金を投資すること や,会社の内部留保を再投資することも考えられる。様々な資金調達手段が,会社の価値 に影響を与えるかという点について,MM第一命題は,税金,取引費用,その他の市場の 不完全性が存在しない場合に,会社は,証券の価値の合計をキャッシュ・フローを分割す ることで変えることはできないと述べる182。MM第一命題には,税金,取引費用,その他 の市場の不完全性が存在しないという前提が存在するが,この前提の下で,資本構成の割 合を変えることで,発行済証券の総価値を変えることはできない183ということになる。
さらに,MM第一命題が適用される場合,資本構成に拘らず加重平均資本コストは一定 となる184。そうであれば,会社が投資判断をする際に,市場の不完全性が存在しない限 り,正の正味現在価値を有するプロジェクト(positive net present value projects)であるか否 か185は,資金調達によって変えることはできず,会社の実体資産への投資は,資金調達に
181MM第一命題を扱うものとして,例えば,藤田友敬「基礎講座Law & Economics会社法(2)会 社法と関係する経済学の諸領域(2)」法教260号63–72頁,(2002)。神田秀樹「自己株式取得と 企業金融(上)」商事1291号5頁(1992)は,自己株式取得の文脈で,簡単ではあるが,MM第 一命題に言及する。
182SeeRichardA. Brealey, StewartC. Myers& FranklinAllen, Principles ofCorporateFinance427
(11th ed. 2013).これは,証券の価値の合計に関して,資本構成は,無関係であるということであ
る。See id.また,レバレッジがある会社の価値は,レバレッジが無い会社の価値と同じであると
言い換えることができる。スティーブン・A・ロス=ランドルフ・W・ウェスターフィールド=
ジェフリー・ジャフィ(大野薫訳)『コーポレート・ファイナンスの原理〔第9版〕』766頁(金 融財政事情研究会,2012)。
183ロスほか・前掲注(182)767頁。
184ロスほか・前掲注(182)769頁(「MM命題Iのもつ意味は,資本構成にかかわらず所与の企業 に対して加重平均資本コストが一定であるということである」)。これは,モディリアーニ=ミ ラーの第二命題(MM Proposition II)「株主へのリスクはレバレッジとともに上昇するので,株主 資本に要求されるリターンは,レバレッジと正の関係にある」という主張とも整合的である。ロ スほか・前掲注(182)768–771頁。なお,加重平均資本コストは,RBを負債コスト,RS を株主 資本コストまたは株主資本に対して要求されるリターン,RW を加重平均資本コスト,Bを負債 または社債の価値,Sを企業の株式または株主資本の価値とした場合,式3.1で表される。ロス ほか・前掲注(182)769頁。
RW = S
B+S ×RS+ B
B+S ×RB (3.1)
185会社は,正の正味現在価値を有するすべてのプロジェクトに投資し,負の正味現在価値を有す る投資を行わないことで,価値を最大化することができる。SeeBrealey, Myers& Allen,supra note 182, at 105, 295; Marcel Kahan,Securities Laws and the Social Costs of Inaccurate Stock Prices, 41 DukeL.J. 977, 1006 (1992); Myers & Majluf,supranote 154, at 187 (市場が効率的であるため証 券の売却に因る正味現在価値が0であるという前提において,投資判断は,内部資金か外部資金 かに拘らず,すべての正の正味現在価値を有するプロジェクトに対して投資をするというものに なることに言及する).ロスほか・前掲注(182)212頁。
よっては,変わらないということになる186。ひいては,実体資産への投資に基づく資源配 分の効率性にも影響を与えないだろう。
静的トレード・オフ理論 (1a-2) MM第一命題の前提を緩やかにして,税金と倒産の可 能性を導入する187。例えば,すべて株式で資金調達をしていた会社が,株式の資本コスト 以下で負債を調達できる場合,ある程度までの負債の調達であれば,負債の調達に基づく 節税により加重平均資本コストは,低下する。負債による調達の割合が増え続けると,倒 産の可能性が節税の利益を上回り,加重平均資本コストは,上昇する188。この前提の場合,
資金調達の種類により,加重平均資本コストが変動するため,正の正味現在価値を有して いたプロジェクトが負の正味現在価値を有することになることや,その逆が起こりうるた め,発行者の投資判断に影響を与える可能性がある。
節税の利益を相殺する他の要素として,他に,社債権者が経営者との関係に関して生じ るエージェンシー費用189が挙げられる190。会社の経営者は,株主価値と負債価値の合計よ りも株主価値の最大化を優先する誘因がある191。例えば,負債を有する会社の経営者は,
フリーキャッシュフローがある場合に,リスクを転嫁する戦略をとる傾向にある192。具体 的には,第一に,成功すれば株主を利するが,失敗する際の損失を債権者が負うようなリ スクの高いプロジェクトを実行することが考えられる193。また,第二に,負債比率の高い
186なお,株式の市場価格が会社の本源価値と比較して高騰し,株式による資金調達をすることが株 価が高すぎることのシグナルとなり,株価の下落を導くとき,既存株主の利益を優先する経営 者は,株式による資金調達に基づくプロジェクトの実行を行わないという指摘がある。Myers &
Majluf,supranote 154, at 192–93. 情報の非対称性については,本章第5節第4款第5目(本稿 215頁)にて検討する。なお,株式による資金調達を行って投資する場合かつ経営者が旧株主の 利益に配慮する場合で一定の条件を満たすとき,正の正味現在価値を有するかという点の他に,
新旧株主間での投資後の価値の配分が問題となりプロジェクトが正の正味現在価値を有するとし ても投資が行われないという議論がある。Myers & Majluf,supranote 154, at 199 fig.1, 200.本節 では,発行者の意図した結果が投資によって得られるかという議論に焦点を当てるため,この点 を無視する。
187この理論は,静的トレード・オフ理論(static trade-offtheory)と呼ばれる。SeeWolfgang Bessler, Wolfgang Drobetz & Robin Kazemieh,Factors Affecting Capital Structure Decisions,inCapitalStruc -ture andCorporateFinancingDecisions: Theory, Evidence,andPractice18 (H. Kent Baker & Gerald
S. Martin eds., 2011).静的トレード・オフ理論に言及するものとして,藤田・前掲注(181)66–68
頁。会社の資本構成の議論で,静的トレード・オフ理論だけではなく,エージェンシー理論に言 及するものとして,藤田・前掲注(181)68–72頁。
188ロスほか・前掲注(182)822頁図17.1。
189SeeBessler et al.,supranote 187, at 18 (citing Jensen & Meckling,surpanote 116, at 338).
190ただし,負債には,エージェンシー費用を低減する効果も存在することが指摘されている。See id.(citing Michael C. Jensen,Agency Costs of Free Cash Flow, Corporate Finance, and Takeovers, 76 Am. Econ. Rev. 323, 324 (1986)).
191SeeJensen & Meckling,supranote 116, at 337–39 (経営者のエージェンシーコストに対する社債権 者の対応について論じる).このエージェンシー費用は,社債を取得する際に社債のプレミアムに 含まれ,発行者に転嫁される。Id.at 338.
192SeeBessler et al.,supranote 187, at 18.
193See In reCentral Ice Cream Co., 836 F.2d 1068 (7th Cir. 1987); Credit Lyonnais Bank Nederland, N.V.
v. Pathe Communications Corp., 1991 WL 277613, at *34 n.55 (Del. Ch. Dec. 30, 1991) (Allen, C.).関 連する論点として,(1)取締役が株主や会社ではなく債権者にも信認義務を負うべき場合がある か,(2)デラウェア州の判例法理において取締役が債権者に対して信認義務を負う場合はどのよ うな状況か,(3)直接損害か間接損害か等の議論があるが,本稿では,省略する。E.g., Stephen M.