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視覚的認識に対する不信

第二章 誠実と欲望

2.3. 視覚的認識に対する不信

「誠実」が「自身の欲望に忠実」であることで、仮面を必要としない、自らに隠し立て のない状態、「覆いのない」ことだとすると、覆われていないところには何があるのだろ うか。ゼーノによるとそれは「有機性」だという。「有機性すべてがそのまま反映されて いたがゆえに真実であり誠実であった115」と、ゼーノは恋の相手である女性の声から、相 手が信頼に値すると感じ取り、有機性が相手の発言に真であるという実質を与える。真実 を告げる声の背後に言葉を発する身体があるように、真偽や誠実という表層の下には有機 的身体という否定できない現実がある。ズヴェーヴォの主人公の有機的身体は誠実という 表皮に保護され、欲望という名の心臓で機能する。しかしゼーノの言葉によると、有機性 を知覚させるのは声という聴覚的認識であり、視覚的認識ではない。身体は「誠実」の実 践が消費される場で、皮膚は身体の内部と外部の境界にあたり存在の剥き出しの表面であ り、心臓は人間存在の最も本質的な表出の象徴で感覚と存在感の深奥である116にも関わら ず、視覚的認識に信頼が置かれていないのはなぜなのか。本章では視覚認識に対する不信 を欲望の運動と身体に対する作用から考察する。

2.3.1. 共生の神話:欠如と補綴

「誠実」は立体交差点的構造を持ち、欲望に端を発する行為の完了の反復的遅延により、

主体に内包される個人的自己と社会的自己の双方の欲望を保存する。「誠実」の保存的構 造のもと欲望はどのように身体に作用するのか。ズヴェーヴォの1926年の作品『よくで きた冗談』を通して欲望の運動について考察する。

「誠実」は個人的自己と社会的自己、自身と他者に対して忠実であることを求める。つ まり自身に対する自分自身と他者双方の視線に曝され、「見る/見られる」関係により規 定される。身体には文字通り肉体としての身体と存在の具体性としての身体があり暗さを 内包する。「真実を語ること」と「真実性」を表出する「真実」はこの暗さの中に存在し、

「誠実」を測る「真実」はつねに二重性を持つことになる。「口に出したこと」には「出 さなかったこと」があり、「表にでること」があれば「隠されたこと」もある。身体に影 があるように、言葉には意図がある117。こうした二重性を利用し、読者に真偽のゆらぎを

115 “rispecchiava esattamente tutto un organismo, ed era perciò vera e sincera.” (R, p.954.)

116 Tagliapietra:2012 pp.36-37.

117 Tagliapietra, op.cit., p.59. タッリャピエトラは「誠実」の持つジレンマとして「つねに

意識させて物語を展開するのが、『よくできた冗談』である118

『よくできた冗談』(Una burla riuscita)はマリオとジュリオのサミッリ老兄弟が経験 する冗談を主題とする。兄マリオはズヴェーヴォ作品にみられる典型的な主人公で、過去 に小説を執筆した経験を持つが、その一冊以降小説家として発表したものはなく、執筆の 情熱をその後も保持している。マリオは作品を執筆しない代わりに、日常的に自身に起き た出来事を寓話化することを習慣としている。弟ジュリオは痛風を患っており家の外には 出ないため、マリオから街の様子を聞き、就寝前に兄に小説を読んでもらうのが習慣とな っている。老兄弟の日常は兄の語る積極性と弟の聞く積極性のバランスで成立している。

しかしマリオの旧友ガイアが仕掛ける他愛ない冗談によってそのバランスが崩れる。

ガイアの冗談は偽の出版話である。最初は軽い冗談のつもりでマリオに彼が過去に執筆 した小説の出版話をもちかけるが、マリオがその話を信じてしまうことから、ガイアはし ばらくマリオを騙すことに決める。冗談の仕掛人ガイアにもかつて文学に情熱を傾けた時 期があり、一作品を執筆しただけで小説家としての虚栄心を持つマリオを懲らしめること を目的としている。冗談により具体性を持たせるためにガイアは偽のエージェントを用意 する。マリオの作品の出版に興味を示しているのはオーストリアの出版社ということで、

ガイアは知人に冗談の片棒をかついでもらい、マリオの前でドイツ語しか解さないエージ ェントを演じてもらう。マリオはドイツ語を話さないため、エージェントとの打ち合わせ では通訳として常にガイアが仲介し、結ばれる契約書はドイツ語で作成されているため、

理解できないマリオにとって本物らしく映る。言葉が通じないことが冗談の潤滑油となり、

出版話の真実味を増す設定となっている。

『よくできた冗談』は単に老いた小説家崩れが卑屈な旧友に騙される話ではない。仕掛 人自身が自ら仕組んだ冗談に結果的に裏切られ、冗談の被害者となる設定になっている。

ガイアは冗談にさらに現実味を与えようと、本物の契約金を用意しマリオに小切手を渡す。

もちろん現金化されると困るため、ガイアはマリオに指示があるまで小切手を替えないよ う約束させる。どんでん返しが起こるきっかけとなるのはマリオの同僚ブラウエルの好意

真実のみを告げるべきか」という問いを取り上げている。嘘をつくというのは、嘘だとわかっ ている上で第一の目的が騙すことにある場合のことである。必要に迫られて嘘をつく場合、つ まり騙すことが第一の目的ではなく、他者の生命を助けるためにつく嘘はまた性質の異なるも のである。この場合、自身の「誠実」さを守るために嘘を言わないという選択をする際、沈黙 という戦略をとることがあり得る。また真実を口にしないという選択によって真実とその意味 を尊重するという場合もある。嘘を評価する際に問題となるのは言葉ではなく意図だとしてい る。

118 1928年に雑誌『ソラリア』(Solaria)に発表された。『ソラリア』はアルベルト・カロッ

チAlberto Carocci (1904-1972)によって1926年に創刊された雑誌。ジョイスやプルースト

等、ヨーロッパ文学の旗手をイタリアに紹介。

である。ブラウエルは自分の用事のついでにマリオの小切手を銀行に預けようと申し出る。

マリオはガイアの指示を守り、ブラウエルには小切手を預けるだけで換金しないよう頼む。

指示を守るつもりのブラウエルだったが、銀行員の友人が戦争下の不安定なレートを案じ て、すぐにでも小切手を換金するのが賢明だと助言する。事業家であるブラウエルは納得 しマリオの小切手を現金化する。ブラウエルの親切により、マリオは存在しない出版話の 契約金を手にし、一方ガイアは経済的損失を得る。

『よくできた冗談』から個人に表れる欲望の作用を考察するにあたり、人間が持つ欠如 と補綴の欲望の誕生を描く「共生の神話」をとりあげる。「共生の神話」では人間を不完 全とし、その理由を未完了に留めた進化に求める。動物が環境に適応することで完璧な進 化を遂げた一方で、人間は様々な環境で生存するために進化を未完了のまま留め、不完全 な進化による脆弱さを動物との共生によって補い、欠如を補綴する欲望を持つに至った、

とする神話である。人間は常に未完了であるために脆弱であり、動物との共生に始まり、

自身に欠けている能力を補う術を発展させ生存してきた。ガイアは「欠如と補綴」の関係 が培った人間の「欠如を補う志向」を利用してマリオを騙し続けるのに成功する。「欠如 を補う志向」をズヴェーヴォは「未完了の人間」(uomo in abbozzo119)と呼び、人間と他 の動物を区別する人間の基本的特性としている。「共生の神話」を起点にズヴェーヴォが 人間の特性とする「欠如を補う志向」を明らかにする。

ズヴェーヴォによると人間と動物の違いは人間の不完全さにある。不完全なゆえに、つ まり進化を完了しなかったために、人間はつねに自らに変化の余地を残し完全を求める性 質をもつに至る。そうした性質を持つ人間を彼は「未完了の人間120」と呼ぶ。「生命の堕

落(La corruzione dell’anima)」の冒頭に「未完了の人間」の起源を辿ることができる。

主なる神が天地創造の仕事を終えられた。途轍もない業に疲労し休まれて曰 く、「私は休むが創造は自らを求め続けるだろう。私は生命を与えられたもの に生命力を与えそれが私の仕事を引き継ぐのだ。」121 

119 “Nella mia mancanza assoluta di uno sviluppo marcato in qualsivoglia senso io sono quell’uomo. Lo sento tanto bene che nella mia solitudine me ne glorio altamente e sto aspettando sapendo di non essere altro che un abbozzo.” (TS, L’uomo e la teoria darwiniana, p.849.)

120 “Svevo rivendica la dignità - se non la superiorità - dell'uomo «in abbozzo», un essere ancora disponibile, plasmabile, indeterminato, certo più debole dell'uomo «sviluppato»ma capace di racchiudere in sé una promessa del futuro, un germe di cambiamento, quello stato di potenzialità che lo rende, a differenza della «bestia», ancora «perfettibile»” (TS, op.cit., p.1624.)

121 "Il signor Iddio aveva conchiusa la sua opera di creazione. Stancatosi dell’immane lavoro riposò dopo di aver detto: Io riposerò ma la creazione continuerà a ricercare se