第五章 曖昧
5.2. 盗み:連続性の保留
ズヴェーヴォにとって人間が知覚可能なのは現在のみである。過去と未来は現在が変容 したものであり、固有のひとつの完全な時間として立ち上がるものではない。またズヴェ ーヴォの語りは恣意的に選択された情報を用いて過去を再構成する過程を描くことをね らいとしているため、語りのプラットフォームはつねに現在となる。すべて現在の延長と して捉えられる人間の一生の時間を、「人生」として記述するとき、記述する者は人生の
「表面」を書き留めるに過ぎない。生物学的な人間の終焉は死であるが、記述され形を与 えられた「人生」はどのような形で閉じられるのだろうか。人間が認識し得る時間を現在 のみとすることで、どのように作品を終らせるかということが問題となる。その答えとし てまず「死」という現在の連続性の切断という方法があげられる。人生の終焉、現在を断 ち切る死についてズヴェーヴォは以下のように述べる。
死は生の素晴しい解消である。(中略)卑小な個人の運命は死を前にしても卑小 だ。死によって卑小な個人は一般的な生におけるあらゆる責任がない状態に戻 り消失する。どうして死が我々の弱さと過ちによる災難に対するすべての痛み を消すことを認めずにいられようか?弱さは記憶である。レーテーの川はまさ に死であった、最も甘美な。自分自身の模倣を途絶させ、日々は少々衰えいっ そう断念される別の日の複製であるとする。自分自身の模倣は怠惰の法によっ て申し渡された責務である。(中略)誰かがイメージを形作ってくれ、我々は我々 の手による筆さばきを少々加える術を知っていた。そして最初に形作ってくれ た人物が消え、その者のかわりに他の者たちがすでに汚れたキャンバスをさら に塗りたくったのだ。死を迎えるときようやく、長きに渡る仕事すべてが浄化 される。329
329 “La morte è l’ammirevole liquidazione della vita. [...] Il destino del piccolo singolo è piccolo anche dinanzi alla morte. Per la morte il piccolo singolo rientra privo di ogni responsabilità nella vita generale e vi si annulla. Come non riconoscere che la morte cancella ogni dolore per le nostre sventure per le nostre debolezze e per i nostri errori? La debolezza è la memoria. Il fiume Lete era già una morte, la più dolce. Interrompeva l’imitazione di se stesso che fa sì che ogni giorno è una copia dell’altro un po’ indebolita, sempre più rassegnata. L’imitazione di se stesso è l’ufficio cui si è condannati per la legge d’inerzia. [...] Qualcuno ci foggiò a sua immagine e noi seppimo metterci qualche
pennellata di nostro. Poi chi per primo ci foggiò scomparve e a suo posto vennero degli altri ad imbrattare ancora la già sucida tela. E quando viene la morte finalmente viene nettato tutto il lungo lavoro.” (R, p.1661.)
今日が最新であり昨日は複製で、現在の自分が真正であり昨日の自分は今日の模倣となる。
過ぎ去ったものが複製/模倣であり、二番目以降は最新が劣化したものに過ぎない。ライ トモチーフ「最後の煙草」は「最後」の反復的遅延を表すが、それは同時に、最新を保証 する。「最後の煙草」を重ねる毎に以前の一本が最新の煙草の複製となり、以前の喫煙は 最新の行為の模倣となることで、絶えず「最後の煙草」が更新され、最新の喫煙行為が真 正なものとして保証される。日々は最新の現在と自分自身の真正性の保証の繰り返しであ り、絶え間なく現在を往復する自己言及の運動となる。
「最後の煙草」が登場する『ゼーノの意識』は二つの序文に始まり、五章立てのエピソ ードを経て、日記形式で閉じられる。ゼーノは真実の把握が不可能であるゆえに日記を手 段に、日時とともに記録することで捉えきれない存在を思考の記述に留めようとする。そ の日の思考は日時が変わると共に更新される。新たな日が訂正を加える可能性があるのに 対して、日記に記録された直感は追求されたり間違っていたり拒否されたりはするが決し て前言撤回されることはない。思考の主観性を客観性に変える日記は、自己が世界に入り こむための知覚不能ではあるが断続的な入口となる。自己の連続性の記録である日記は、
日記の筆者の死以外に完結する術を持たない。そのためゼーノの日記は地球の爆発による 人類の消滅によって閉じられ、また『ある人生』のアルフォンソの物語は彼の自殺で閉じ られるとも結論づけられる。330
最後の反復的遅延と最新の更新による自己言及の運動は作品の結末にも作用し、起点と なる人物の消失と代替者となる第三者の登場によって物語は終焉へと向かう。運動に介入 し行為を代替する第三者は起点となる人物よりも劣等であり、同様の行為を遂行する能力 を備えていない。そのため第三者は自己言及の運動に終止符を打つ役割を持つ。『ゼーノ の意識』の場合、結末において地上から病を駆逐する手段として人類を消滅させる方法が 提示される。消滅させる手段となるのは爆発による地球の破壊で、爆発は爆発物の制作者 ではなく第三者によってもたらされる。
毒ガスでは満足しきれなくなったら、他人となんら変わらない人間がこの世の どこかの秘かな部屋で、かつてない爆発物を作るだろう。(中略)そしてまたも 他人となんら変わらない別の人間が、とはいえ比べると少しばかり病んでいる が、その爆発物を盗み出し、地球の中心部にどうにか向かい、効果が最大限に なる地点に設置する。きっと誰も耳にすることのない大規模な爆発が起こり、
330 本段落はGraziano, op.cit., pp.138-140より。
星雲の状態に戻った地球は寄生も病気もない宇宙をさまようのだろう。331
爆発物の制作者は毒ガスを手段とした病の根源的な駆逐に満足せず、爆発物の制作に至る。
起点となる者は病の根源的な駆逐を欲望として継続的に保持するが、同時に行為を継続す る役割が課せられているため駆逐を達成する力を持たない。そこで第三者が介入し、盗み という正当ではない方法で爆発物を手にし、爆発を引き起こす。第三者に爆発物を発明す る能力はないが、遅延と更新の繰り返しを中断する役割を負っている。このようにズヴェ ーヴォ作品の結末に登場する「盗み」の主題は、遅延と更新による現在の連続性を中止す る手段として機能する。『老境』のエミリオのアヴァンチュールによる「最後の逢瀬」の 場合も同様に、アンジョリーナと銀行の出納係の駆け落ちによって遅延と更新が中止され る。
ある日ソルニアーニが語ったところによると、アンジョリーナはある銀行の不 実な出納係と消えたということだった。
彼にとってはそれは衝撃的な苦痛だった。「人生が消えてしまった」とつぶやい た。と言ったものの、少しの間は、アンジョリーナの駆け落ちで彼はこの上な く活動的になり、苦しみや恨みの中でもっとも生き生きとしていた。復讐と愛 を夢想する中で初めて彼女を捨てたのだ。332
「不実な」とある通り出納係は駆け落ちの際、横領したことが推測される。出納係という 第三者はエミリオの「最後の逢瀬」に、「横領」と「恋人を奪う」という二つの盗みと共 に介入し、遅延と更新を中止する。また『つかのまセンチメンタル・ジャーニー』では、
主人公アギオスは、ポケットに入れていた紙幣を同乗者に盗まれることで、鉄道での移動 中味わっていた旅の自由の陶酔から目をさます。人類が一個人の生の一回性を繰り返すこ
331 “Quando i gas velenosi non basteranno più, un uomo fatto come tutti gli altri, nel segreto di una stanza di questo mondo, inventerà un esplosivo incomparabile [...]. Ed un altro uomo fatto anche lui come tutti gli altri, ma degli altri un po’ più ammalato, ruberà tale esplosivo e s’arrampicherà al centro della terra per porlo nel punto ove il suo effetto potrà essere il massimo. Ci sarà un’esplosione enorme che nessuno udrà e la terra
ritornata alla forma di nebulosa errerà nei cieli priva di parassiti e malattie.” (R, p.1085.)
332 “Un giorno il Sorniani gli raccontò che Angiolina era fuggita col cassiere infedele di una Banca. Il fatto aveva destato scandalo in città.
Fu una sorpresa dolorosissima per lui. Si disse: «M’è fuggita la vita». Invece, per qualche tempo, la fuga d’Angiolina lo ripose in piena vita, nel più vivace dei dolori e dei
risentimenti. Sognò vendette e amore, come la prima volta in cui l’aveva abbandonata.”
(R, p.621.)
とで紡ぐ時間の感覚をアギオスは鉄道の往復運動の中に見出していたが、陶酔的感覚は盗 みにより中断される。『よくできた冗談』では、からかわれていたことに気付く主人公の 手に、戦時中のレートによって想定よりも減額された契約金が渡ることで、仕掛人ガイア によって延長される冗談の終了は中断され、主人公に小説の出版契約が嘘であったことを 理解させ、自身の小説を出版するという保持されてきた欲望を断念させる。
完全な切断ではない方法で作品を完結させる手段となるのが「盗み」という主題である。
「盗み」は連続性を維持することの回避によって連続性を中断し、連続性を維持するもの を奪うことで、決定的な連続性との断絶という現在の喪失ではなく、どこかに現在が存続 する可能性を残す。それは『老境』のアンジョリーナの失踪のように、アヴァンチュール の可能性を完全には断ち切らない形で連続性の続行を保留し、作品からの退場を促す。「死」
による連続性の切断は決定的な結末だが、「盗み」による「保留」という曖昧な完結の導 引は、真実の特定を追求しないズヴェーヴォの語りにかなった結末である。