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第四章 遠さ

4.5. 境界としての自己

ズヴェーヴォの主人公は社会的に周縁化された不適応者となることで、中心的な健康を 相対化し自身の病が正当であることを示すことで、医者を周縁化し健康の脱中心化を測る。

それにより社会的に周縁化されていた不適応者=異郷者を正当化し、病が中心化され、同 質性と異質性の並存が提示される。遠方志向は主体の異質性と同質性、帰属意識の遠心性 と求心性、現在地と故郷に対する帰属意識といった二重性を保存し、自己が境界であるこ とを意識させる。遠さは主体に異質性と同質性の間での自己措定を促し、帰属意識の二重 性を解消せずに、どちらでもなくどちらでもあるという自己言及のパラドックスを可能に する。

作品の主人公だけではなくズヴェーヴォ自身、国や言語だけを枠組みとした捉え方では 座りの悪い作家となる。ズヴェーヴォはイタリア語を執筆言語に選んだが、彼の作品のイ タリア語はトリエステ方言の影響が強いため「イタリア語らしくない」として出版当時は 酷評された。またトリエステはイタリアにとっていわばドイツ思想の入口になっていたた め、作品の内容にはショーペンハウアーやフロイトといったドイツ語圏の思想や学術が色 濃く反映され、イタリアの文学潮流において亜流は見出されなかった。現代ではドイツ語 圏の思想や知識を吸収した作品の創作は、トリエステの作家の特徴のひとつとされ、ズヴ ェーヴォの場合も同様に、ゲーテやショーペンハウアー、ニーチェ、ダーウィン、フロイ トを始めとする作家や知識人、科学者たちの知識が織り込まれている。

[...] Trieste is defined as the “gateway” of German thought into Italian.

Many Triestines were readers of German thinkers and integrated these ideas into their work. Slataper’s Il mio Carso is greatly indebted to a first-hand reading of Nietzsche, reviving the literary genre of a German romantic fable that was a mixtures of allegorical, artistic and popular fables[...]. The Stuparich brothers contributed their knowledge of Schiller, Nietzsche, Novalis, Tieck, Kleist and Heine. Umberto Saba introduced themes from Heine that were unusual in Italian lyric poetry during the first decades of the twentieth century, and is also indebted to Nietzsche for an emphasis on pain as an unshakable moral force (Magris 1976:110).283

283 原典では確認できていないがサイモンが引くところによる。(Simon, op.cit.,p.73.)

そのためズヴェーヴォの作品が評価された当初、ズヴェーヴォはまた誰かを対置しなけ れば説明しにくい作家として捉えられていた。その時よく対置されたのがプルーストとジ ョイスである。文学界においてできるだけ注目を集める戦略として名前が引き合いに出さ れた、という状況を除けば、ズヴェーヴォは「イタリアのプルースト」ではないしジョイ スの兄弟でもない。確かに1920年頃から登場する新たな小説という枠で大きく一緒に括 ることはできる。しかしズヴェーヴォとジョイスとプルーストでは根本的に時間の捉え方 が異なっている。後者ふたりに対してズヴェーヴォは時間を自由に選択して想起できるも のだとは考えず、現在のみが人間が知覚できる時間だとする。また文体についても、ズヴ ェーヴォの場合は音楽性や美しさ、連想の豊かさを楽しむようなものではなく、不快さを 特徴とする。それはズヴェーヴォの作品が必ずしも人間性の美点を認識するためのもので はなく、単に存在を認識するだけで称賛を目的としてはいないと考えられるためである284。 それゆえズヴェーヴォを 20 世紀モダニズムの作家の枠の中に並べるのも安定的ではない。

もうひとつの可能性として、アメリカの作家であり詩人、翻訳家のエドゥアール・ロデ

ィティ(1910-1992)の視点をあげると、彼は 1944 年にズヴェーヴォを中欧の作家と位

置づけている。

Rather than placing Svevo in the tradition of late Italian regional realism, or in the general category of postwar European literature (Proust, Joyce), Roditi augued that “It might prove more profitable and conclusive to place Svevo in a context of Austrian literature and compare him to those Austrian novelist whose culture was not strictly German and who often wrote in one or the other of the many languages spoken within the polygrot empire”

(Roditi1944:345). Roditi mentioned Schnitzler, Robert Musil and Franz Kafka, in paticular. “It seems as if the empire, though not always strong enough to impose one language on all its subjects, yet diffused a common Austrian culture among the various peoples within its boundaries”(345).285

ズヴェーヴォの作品に描かれるブルジョワ世界は、例えば「よりよい仕事にありつくため にはドイツ語を習得しなければならない」といった状況に示されるように、イタリアでは なくオーストリアのものに近い。ズヴェーヴォはシェイクスピアをドイツ語訳で読み、ゲ

284 Debenedetti:1992,pp.537-594参照。

285 Simon, op.cit, p.73.

ーテやシラー、ショーペンハウアー、ヴァイニンガーを原書で読み、イタリア語に訳され るよりも早くカフカの作品に触れ、トリエステで最初にワグナーについて寄稿した。トリ エステはワグナーのカルト的人気が深く根付いた街のひとつであり、ロシアの作家やイプ センがイタリアで読めるようになる前にドイツ語訳で読まれた街でもある286

トリエステを中欧の空間の中に捉えるとき、ズヴェーヴォと並んで思い起こされる様々 な作家や芸術家、知識人たちの名前の多くを結びつけるもののひとつにユダヤ系の家系が ある。ズヴェーヴォの家系はもともとユダヤ系で、両親と両祖父母ともにユダヤ系である。

祖父アブラモ・アドルフォ・シュミッツ(Abramo Adolfo Schmitz)はライン川周辺に居住 していたが後にトランシルヴァニアに移る。エットレ・シュミッツの父、フランチェスコ の結婚相手であるアッレグラ・モラヴィアの両親アブラモ・モラヴィアとサラ・レーヴィ はヴェネツィア共和国によってフリウリから追放されたユダヤ系である。エットレ・シュ ミッツの結婚相手であるリヴィア・ヴェネツィアーニはカトリックだが、その父ジョアキ ノ・ヴェネツィアーニはもともとフェッラーラ、さらに遡るとキプロス出身のユダヤ系で ある287

ズヴェーヴォの家系はトリエステからヨーロッパ中に編み目の様に広がっている。

他の民族と同様、商機や寛容を求めてトリエステに辿り着いたユダヤ人たちが街に同化 するには、ドイツ語は官僚の言語でユダヤ人にとっては交わり得ない領域であり、スラヴ 語は人口の一部が使用していた言語で文化的にマジョリティの言語ではなかったことか ら、必然的にイタリア寄りになる外なかった288

ズヴェーヴォに対してブルジョワの街が予言するのは出口のない道と終わりだ。

終わりの見えない道、地域を管理運営する階級の、トリエステというよりトリ エステ・ユダヤの終焉(中略)が、旧きヨーロッパの支配階級全体の象徴とな るのだ。289 

ズヴェーヴォの作品に遠方との親密さを読む際のひとつの可能性として、ユダヤ主義やユ

286 Simon, op.cit., pp.74-75.

287 Anzellotti:2011参照。

288反ユダヤ主義に対する宗教的な抵抗としてコミュニティがイタリア寄りになったという経 緯もあるが、トリエステでは反ユダヤ主義はほとんど一般的ではなかった。(Anzellotti:2011, p.140.)

289 “A Svevo la città borghese fornisce il presagio di un vicolo cieco e d’una fine: il vicolo cieco, la fine di una classe dirigente locale, quella triestina o meglio triestino-ebraica [...], che diviene il simbolo di tutta la classe dominante della vecchia Europa.” (Ara/Magris, op.cit.,p.88.)

ダヤ系の家系で育った影響は無視できない290。家系がたどった物理的な移動距離に加え、

ドイツ系ユダヤ知識人の特徴である歴史や伝統、時間そのものの持つ意味に対する鋭い感 性が作家に影響しているだろう291。それぞれの家庭で語り継がれる歴史と伝統が生み出す 奥行きとの親しさが、例えば人間精神の理論化であればフロイト、時空の理論ならアイン シュタインの思考を培うひとつの要素となっていると捉えられる。ズヴェーヴォも同様、

父から子へと慣習の中で受け継がれるユダヤの教えが、語り聞かれることで次世代へと記 録され、時空の移動の奥行きを深くする。移動を運命づけられたユダヤの歴史の中で、ユ ダヤ全体にとっての故郷に加え、それぞれ毎回の移動前の出発地を故郷とすると、網の目 のように遠方との結びつきが広がる。ユダヤ系の家系がつねに経験せざるを得ない故郷と の距離感覚が、ズヴェーヴォの作品にも遠方との親しさとして表れているのではないだろ うか。

トリエステは、今でも言われるが、根がない。そうではないのだ。トリエステ の根は遠い。中東の市場に、中央ヨーロッパのゲットーに、ダルマチアの島々 にあるのだから。292 

290 老人と少女の関係にまつわるソロモン王のモチーフ等、ユダヤ主義に視点をおいたズヴェ ーヴォ作品の分析についてはSavelli:2014(in Italo Svevo and his Legacy for the Third Millennium), Antonini:2014(in Italo Svevo and his Legacy for the Third Millennium), Antonini:2013, De Angelis:2007等を参照のこと。

291 “It was their curse and their gift simultaneously to possess a keen awareness of the significance of history, tradition, and time itself, and to observe the dissolution of whatever historical order they themselves sought to inhabit. ” (Moss, Translator’s Preface, Straus:

1982, p.vii)ハンナ・アーレントがベンヤミンの著作に寄せた序文を受けたもので、アーレント はベンヤミンをドイツ・ユダヤ系知識人におけるコンプレックス等を取り上げて概観している。

(Benjamin: 1999, Arendt, Walter Benjamin: 1892-1940 in Introduction, pp.7-55.)

292 “Trieste, si dice ancora, non ha radici. Non è proprio così. Le radici di Trieste sono lontane: nei mercati del Medio Oriente, nei ghetti dell’Europa Centrale, nelle isole delle Dalmazia.” (Anzellotti, op.cit., p.11.)