本研究では15分類で因子分析を行ったがそれぞれの寄与率は27.1%から35.4%と低い値 であった.寄与率が低かった理由は2つあると考えた.1つは,「しらけ」を実際起こして いる児童は学級内で1割程度であると予想していた.したがって,約9割の児童は「しらけ」
を経験しておらず,そういった児童に「しらけ」の場面を想定させたために回答の仕方が まちまちであったと考えた.もう1つは本研究の調査項目の多さであった.合計102問から なる調査項目を小学5,6年生が集中して回答するのは難しかった.そのために,回答に一 貫性がなかなか保てなかったのではないかと考えた.今後は2日間に分けて行うなど児童 への負担を軽減するような質問紙を作成すべきであると考えた.
次に因子分析で得られた結果について,授業の構成要素と「しらけ」の関連について考 察を加えた.5つの授業の構造要因は学習者,教師,教材,学習集団,環境であった.
まず,学習者と教師と教材の関連要因として「課題の難しさ」「学習内容の理解不足」
「未達成」があった.
「課題の難しさ」因子は,目標設定のしにくさや学習の見通しのたてにくさを表す項目 で構成していた.児童の立場からすれば,「自己の目的・目標とはかけ離れたところで体 育の学習が展開している」ことである.ド・シャーム4)は,「指し手」と「コマ」を引用
し,「コマ」を「自分はふりまされていると感じ,運命の糸は他者ににぎられていて自分 は操り人形にすぎない」と表現した.つまり,「課題の難しさ」は,「コマ」のように受 動的になり,「できそうもない課題に取り組まされている」「なんのためにやっているの かわからない」といった体育の学習に積極的に関与できない状況から生まれると考えた.
これは,児童に学習の仕方が身についていないために教師の提示した課題から自分の力に あった目標が設定できなかったり,学習に見通しがもてなかったりする事態が起こってい ると推察した.したがって,教師は単に児童が「できる」ことを目標とするのではなく,
児童に「何を学ばせるか」「どのように学ばせるか」を意図しなければならないと考えた.
次に「学習内容の理解不足」は,「何度練習しても失敗してしまう」「ゲームでなかな か勝つことができない」など,度重なる失敗を経験していることを表す項目が含まれてい た.学習性無力感(Learned helplessness)の研究で,ダイナーとドゥエック )は,成功群
と失敗群を設定し,児童にパズルをさせた.成功群のパズルは解決可能であったが,失敗
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群のパズルは解決不能であった。両三ともこのパズルを32題した後,もう一度パズルに挑 戦した.今度は両群とも解決可能なパズルであったにもかかわらず,失敗群の児童は成功 群の児童に比べて有意に低い成功率であったと報告した.つまり度重なる失敗から「やっ ても無駄」という無力感が形成されるというものであった.ここで体育科の学習でなぜ度 重なる失敗が児童に起きたのかを推察する必要があると考えた.1つは,児童の目標が高 すぎたことがあげられる.この高い目標を教師が要求したのであれば,教師の児童の実態 把握が十分でなかったのではないかと推察した.一方,児童が自ら高い目標をたてたので
あれば,児童の学習内容の理解が不十分であったのではないかと考えた.つまり,自己の 能力に応じた適切な目標が設定できず,「しらけ行動」を起こしたと推察した.もう1つ は,グループの問題にある.グループ編成が等質でなかったために勝つことができなかっ たのであるならば,教師の実態把握が十分ではなかったために不公平なグループ編成をし たのではないかと推察した.一方,等質なグループであっても,作戦がゲームで生かせな い,自分たちの特長を生かした作戦が立てられないために,ゲームで勝つことができず,
無力感が生まれ「しらけ行動」を起こしたと推察した.
「未達成」因子は,「先生のいうとおりにしてもうまくできない」「うまくなるコツが わからない」など上達できない児童のいらだちを表す項目が含まれていた.アトキンソン の知見3}によれば,課題の難易度が成功50%,失敗50%のときにもつとも達成動機づけが 高くなる.これを参考にナれば,「未達成」因子は児童の達成動機づけは高いにも関わら ず「できない」でいることから「しらけ行動」を起こしていると推察した.したがって,
教師が授業を展開していく中で児童を「できる」ようにするための方策を何通り用意でき るかが問題となると考えた.つまり,教師が児童にA案,B案, C案というように「練 習方法」を提示し,児童に適したものを選ばせるなどの工夫が必要であると考えた.三宅
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ヘ,児童の学習意欲を高める教師の働きかけの中に,学習方法の援助の必要性を報告 した.このような知見からも児童の学習意欲を高めるためには,児童にわかりやすく個々 の能力に応じた「練習方法」の提示が必要であると考えた.次に学習者と学習集団の関連要因として「まとまらない集団」と「自分勝手」があった.
「まとまらない集団」因子は,学習集団のまとまりのなさを表す項目で構成していた.集 団が望ましい結果を達成するための機能を集団機能といい,「集団目標の達成」と「集団 の維持と強化」2つの機能に分かれている40).「集団目標の達成」の機能とは,人々の注 意をそこでの目標に向けようとしたり,その目標のための手続きを示したり,実際に必要 一28一
な作業を遂行するなどの行為としてとらえられるもので,「集団の維持と強化」の機能と は,集団内の対人関係を快適なものに保ち,集団としての団結を強めるような働きとして とらえられ,2っの機能ともどのような集団にも必要とされるものである.したがって,
この因子を構成する項目の内容から,「集団の維持と強化」の機能の低さから,集団がま とまらないために構成員の学習意欲が著しく減退し,「しらけ行動」を起こしたと推察し
た.
「自分勝手」因子は,「気のあう友だちがグループにいない」「自分のしたくないやく わりをするとき」など,自己の不満を表す項目が含まれていた.この不満は,「わがまま」
に起因すると考えた.前述の「まとまらない集団」因子は「自分勝手」因子の伏線として とらえることができると考えた.すなわち,「わがまま」を表出する児童がいるために集 団がまとまらないことがおこると推察した.「誰とでも仲よくできること」は学校生活の 基本的なことである.辰野69)は「他の欲求を抑えて我慢する忍耐力」を学習意欲に挙げ,
網野1)は「誰とでも仲よく協力すること」を体育科の学力の一部として位置づけた.これ らの知見から忍耐力や仲良くできる力のない児童は自分の気に入らないことがあるとすぐ に学習意欲を減退させやすく,容易に「しらけ行動」を起こすと推察した.
次に,学習者と教師と学習集団の関連要因として「人問関係の不成立」「存在感のなさ」
があった.「人間関係の不成立」因子は,教師や友だちとの意志の疎通のなさを表す項目 で構成していた.桜井謝は,学習意欲の源の1つに他者受容感を挙げ,「友だちや教師に 支えられているという実感こそ,『やる気』には最も重要な要素である」と論じた.つま
り,教師や友だちの支えがないと認識したとき,他者受容感の低さから児童は学習意欲を 減退させ「しらけ行動」をとると推察した.
「存在感のなさ」は,「自分のかつやくする場がない」「先生がほめたりはげましの言 葉をかけてくれない」など自己の有能さを示すことができていないことを表す項目が含ま れていた.前田27>は,教師や友だちの賞賛や激励の言葉がけが有能感を高めることにつ ながると述べた.これは先に述べた桜井の他者受容感と同様のことを表現していると考え た.つまり,「活躍できる」ことは,友だちや教師に認めてもらうことであり,自己の存 在感を示す場で有能感は高まると考えた.逆にこうした場がないとき,有能感は低くなり,
児童は学習意欲を減退させ「しらけ行動」をとると推察した.
次に,学習者と教材と環境の関連要因として「あきらめ」があった.「あきらめ」因子 は,「できないかもしれないと思うとき」「運動をうまくなろうと思わないとき」など自 .29.
己の力に対して否定的な「あきらめ」を表した内容の項目が含まれていた.セリグマン51)
は,「人間の学習や行動において,失敗が統制不可能な状況で度重ねて起こるとき,人間 は無気力となる」と報告し,「学習性無力感の獲得(Leamed helplessness)」という概念を 構築した.無気力な状態になることを広義に「しらけ」ととらえるならば,「あきらめ」
因子は「無気力」としてとらえることができると考えた.学習性無力感の理論では自己評 価の低さなどが生まれることが報告されてきた.「あきらめ」因子の「できないかもしれ ない」や「うまくなろうと思わない」といった思いは自己の能力についての自己評価の低 さを表しているととらえることができる.このことから児童に無力感が形成されたとき,
「あきらめ」から「しらけ行動」が起こると推測した.
最後に,全ての要素が関わった要因として「楽しさの未体験」があった.「楽しさの 未体験」因子は,体育の学習に対しての消極的な態度や過去の失敗経験などから,達成の 喜びが味わえていない内容で構成していた.「楽しさの未体験」を「しらけ」を表現した 三無主義になぞらえれば「無感動」がふさわしい.波多野・稲垣10)の「子どもにとって,
今までわからなかったことがわかった時の感動がいかに大きいものであるか」や北尾26)
の「『わかった』という体験は快感を伴うもので,意欲喚起の前提である」といった知見 は,学習における感動体験の必要性を論じているものである.「しらけ」が「やる気」の 対極にあり,「感動体験」を得ることが学習意欲の喚起につながるのならば,「楽しさの 未体験」は「しらけ」の中核的な因子として位置づけられるのではないかという仮説が成 り立つと推察した.つまり,体育科の学習における児童の「しらけ」は「楽しさの未体験」
がゆえの現象であるといえるのではないかと考えた.
筆者は,当初「しらけ行動」と「やる気のある行動」は対極をなすものではないだろう かという予想をもっていた.つまり,千駄53)の研究で明らかにされた体育の授業におけ
る小学校高学年の「やる気」は,「達成」「見通し」「賞賛」「充実」「失敗」「優越」であ ったが,これらの因子とは反対の意味内容を表す因子が抽出できるのではないかという期 待があった.実際,本研究では「未達成」や「見通しのなさ」を表す項目が「課題の難し さ」「楽しさの未体験」の下位項目でみられ,「充実のなさ」や「失敗」を表す項目が「学 習内容の理解不足」「あきらめ」の下位項目でみられ,「賞賛のなさ」を表す項目が「存 在感のなさ」の下位項目でみられたことは,「しらけ行動」が「やる気のある行動」と対 極にあるものとしてとらえることができると考えた.
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