え,り れ
説 総
このように見ると︑まず北はグルジアから南は ナ バテ フ までのこの地帯に ︑ 遅くとも前一世紀後 平 までに︑原始的 マズダ教の一分派としてのミトラス神祭祀が根づ いた︒但し︑それが之の日 目宙 しの 幅ゴ 型の国教 的 ミトラス 神 崇拝 と いかなる関係にあったのかは︑更に多くの研究を 必要とする︒その後で︑恐らくは内陸部シリア において︑神殿︑ ィ コン︑入信儀式︑普遍的 神 観念︑祭祀用語などが 形成されて一つの密儀宗教となった︒そして︑ フェニキアやキリ キ
アで ローマ軍や商人に継承され︑イラン語・ア
‑ フ ム語からギリシア語・ラテン語に翻訳され︑ 洗 練 されて︑ローマ 世
弄 へ広まった︑とするのが最もよい説明であろ
︐ つ
︒
キュ モ ノ は︑結局シリアにも原始的マズダ教の: ︑トラス 神 信仰が存在したことを 認 みる一方︑ ︑︑︑ トラ 教 そのものに
は アナトリア 東 辺から南下して︑︵ローマ人の手 を 経ることなく︶シリアに入った一系統がある ︑と認めたが︑アナ トリアに原型を求める考えは最後まで捨てなかっ
フス 神 信仰の新発展
刊を支えていた︑強靭な土着の宗教文化の存在 を 考慮に入れるならば︑もはや史料の少 いア ナ トリアにとらわれる必要 ミトラス 神 史料が少いが︑そのようなものがいく ら 多数でも︑密儀宗教への信仰の質的転換を説 明 出来るかどうか︑
疑わしい︒
もし︑一人の教祖なしにはローマ帝国のミトラ 教の起源を説明出来ないとすれば︑又︑もし︑ 上 込め ミトラ教︑非 ミトラ教両方の史料に共通に現われて︑しかも シ リアやアルメニアの地にのみ知られる宗教者が 教祖とされるべきで あるならば︑教祖は依然として マ ゴス神官たち の間に求めるべきであろう︒そして︑もし︑シリ ア 内陸部のセム人の 世界でミトラ教が形成されたとすれば︑教祖は ︑ キュ モ ノ の云うヘレニズム的マコス神官たちで なく︑ヴィデングレ の一ム う︐ ‑8 8 ︑ ︶ アラム系文化の影響下にある マ ︐コス 神 官 たちであろう︒更に︑もし︑ミトラ教史料に 唯一人のマコス神官
の個人名が出るのは︑ @9 8 ︶ それが或る宗教的天才を記 食 するためであったとするならば︑ドゥーラ・ エ タロポス の 目ゅパョ に 残さなかったものがあることに注意しなくては な ︐うない︒ ては︑後者を王の密儀入信を以って天下泰平の保 託 とする信仰であった︑とすることによって︑ むしろ両者は近縁関
係 にあり︑シリアの信仰やユダヤ教にもそれが 曇逸 ィ
・︵
した︑ 5 s ︶ と主張した︒ここでも小アジアは重要 な 役割を演じない︒さて︑内陸部シリアでミトラ教が形成されたと しても︑以上の如くしてそこにその存在を推定さ れる︑原始的 マズ ダ 教に由来する思想︑図像︑信者の組織︑祭祀 用語が一つの宗教にまとまり︑密儀へと質的に転 換 したことが確認さ れなくては︑かかる新宗教が成立したとは云え ず ︑スローマ帝国内ミトラ教の均一な性格も説明 出来ない 0 キュ モ ノ 説 にはこの点でも重大な欠点があった︒彼は ︑︑︑ トラ 教 思想はアルメニア周辺の " ヨ儂 8 ゴ山本コ 田 のかの " が 発明したと する一方︑イコンは小アジアの ぺ ルガモン派の 彫刻家の作成に帰する︑と表 ぅ ような地理的に多 元 的な形成を認め︑
その各部門が統一された密儀になったのは如何 にしてか︑と云う点には触れなかった︒これに 対 して︑このような 宗 ‑ ㏄︶ 数 は一人の教祖によって編み出された︑と主張 する人々が現われたのは当然である︒現在までの ところ︑かかる人物 の 存在は史料上確認出来ない︒しかし︑当時の シ リアには︑クムラン宗国 や パルミラの﹁知られ ざる 神 ﹂崇拝︑更に は ヴィデングレンの云う片田 申 すの コ ののユダヤ・ イラン的示教などの如く︑重要な宗教活動の創 始 者で︑名前を後世 ︵Ⅰ c0 7 ︶
(512) HO
ミトラ教の起源について
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オ巴 @ ご コ田宮ざすふい いり の・Ⅰ ‑ ︵ トの臼ウ ︶ 之 0 の・いの 1 の い一ド ︵︶ ののっ︶︑ NQ. い の・碑文については︑Ⅰ 目 生り 汀 二 % オ ・ ニ oE 日の Ⅰ年の @H 二の︒Ⅰ ‑ つ 圧 @ ゥコ ののⅠ e り目こ ののの田田文 コ のの曲 e ナ いの せ Ⅰ ピの ‑ Ⅰ︵ ト 0 曲 つ ︶ " ト乙っ ダト 1 のの・日像 群 についてはや 0 三 ﹁ 組ヨドコ ・㌧の﹁︵ ア のの 0 づ㏄ り ののの 目 ‑ 隼のの ‑
ト のの 2, ワミ 1 % がすぐれている︒最近の再調査につい ては︑ 円 ・ G っキ・もさⅠ〜 っ こ白さ 助 〜 窯 簿記 タ目︐ ︶の臼の・ づで トいヰ @ くりコつ り 日巳日ゅ ㏄由の︵ マ ゴス神官マクシム ス ︶が教祖で あったろう︒
︵ め ︶ め ・ミ目 @0 ロ ・ 住 ︵・・ ロ ・︶のト一 つ ・ P の︶ ︵ 巧 ︶ 呂 ・Ⅰ七の﹁ づ目 りのの﹁の コ ・ミ @ ︵ す ﹁ い の︒︵ プ ののののⅡの︵の 0&.P ののの︒つつ・トド つ片 一 つ ・ トべ の ︵ c., ︶の 目ョ 0 コ ︵ ︐ 0 ロ ・ 臼ダ H.Q.2 の の @ そ ミ 5% ま目 ‑ 呂
︵ め ︶の 年づ目 ︒ コ ︵ ︑ 0 つ ・ ム ︵・・ 目 ︐ ロ ・ ト ㏄ つ一 せのⅡ口目りの 0 Ⅰ㏄ コ ・の︒ ﹁ っ Ⅰ ダ Ⅰ ︐ア 0. ぃ Ⅱ一目・やⅠの・ 已 ・ ミヨ は︑この浮彫の く トラス神がフリュ ︵ 毬 ︶ Cf. め ・ミ目 @00. 口 ︵・︒ ロ ・︶のの一口・︶のめ @ ︵ す Ⅰ 曲辞 ︵ す のの㊥ り ﹁の︵の 0 焦 ㌧づりの︵
ギア帽子の代りに冠を戴くことを指摘し︑ミトラ教の 直接的な証拠ではない︑と云う︒
︵㏄︶の 仁ヨ 0 コ ︵︒ 0 ロ ・ ユ ︵・ ︑ Ⅰ ︑ やの 印 ・の︵・ 申宅 ぺぎ・ 0Q.n 岸 ・ ︑ ㌧・ トト の︒ コ ・ ト
︵ れ ︶ % ヨ 呂 &0%0Q. ユ ︵: ワ ㌫︵・一戸ミヨ・ ニ ouvepu Ⅹ 日 0 コ由ヨのづ あの ac ふの巨の団の * Ⅰ 宙 r0 ヨ ぃぎ辞 ㏄ セえ Ⅰ ポ リハ Ⅰ りハ ︵円のの N ︶ ︐布こべけ|
どぎ乙 : ドの Ⅰの 由ゑぃ 三口﹁の ‑, や ︶ 60 以下︒
︵㏄︶の 廷ヨっ且︑ぎ 立臼母のコキ組の目ぎの 由お ︑ 毛 ・ ミ ︵・ ム ﹁日では︑調査不十分は理由にならない︒小アジア 西 声 のギリシア系都市 は 広範な発掘にもかかわらず︑ミトラ教遺跡を欠いて いるし︑アナトリア高原の中央部から西部にかけても ︑イラン イ玄 小の士 小 教 遺物がほとんど見つかっていない︒ ︵ お ︶ 前 註の論文及び︑ ま ・のの 0 ︵ 捧り乱ま @ 口・目の のり 痒 下 @ 圧音 ︐・Ⅰ︒ ま ⅠさえもⅠ んっま Ⅰさ いヰ悪ミぬめ︑ポポ せコ ︵ ト つい つ ︶
︵ 舛 ︶︶庄ロ・ ︐ のの D. づ ・のの ︵ m ︶の 仁ヨ ︒ 巨 ・ ミ @ 巨 ﹁ののコ % ム 0 審ぎの 仁 ︵ e. やさ一せ 窯 ヨド ののお コ ・の 0q で 仁ダ Ⅰ・ ト 40. りの
︵ あ ︶例えば︑拙稿﹁ミトラとクロノス﹂オリ ェソト づ 0 ㌃ 目 , 之 ︒ 囲とどや のの
︵㌶︶ め ・ 韻ヨ︐目 Ⅱの由久 ぃ 日日 臼 ・ つ ・しか @ ロ・ふい一ま @@F ドコ宙 er ︒ o つ ・ い @ ︵・・ ロ ・ い Ⅱ ︵ 00 ︶ ou ヨ ︒ 耳 ・ ミ @ ま屋 0 ロ臣の @0 目ぎの二品︐ や Ⅱ つ 一せ 目 ヨぃ ㏄︒Ⅱの コ ・の︒Ⅰ つ 仁の " Ⅰ " り 40. い申
︵ 四 ︶ ミ ・ 之 ぎの 0 二ののの c 三 ︒ オ 宮口 の ﹁の ま の り 日の c ゴのコオ住ゐ @0 コ・ ロ ・の・ ウト の 一 ㌧ プト の ︐ @ 一内・ 甘 昌け・Ⅰ めぺ臼は 叶い 目拝仁 Ⅰ 由 ︒ 田ソ卍ま @ ミ @Fp コ & の ﹁・
0 つ ・ c@ ︵: づ ・ ま ・これはへ ンミ ズム時代の通俗的モチーフ ﹁牛を屠る女神 ニ ケ﹂である︒最近でほ 汀オ ︒ セ 9 ヨ つすニ ‑ ︵ づせつ 0‑0 破せ
音呂 @ ︵ プ Ⅱ ゑ ︒円 い口 ﹁ 0 痒 0 コ のの・㏄ 氏 ﹁㎏〜 窯 9 目︵ トっ印ミト の︶ ︑づ 三︶のみこれをミトラ教のものとするが︑斤目 ま
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ミトラ教の起源について
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