――目次――
論文
1,
イスラエル王朝時代の宗教の研究, 大畠清, Das Religiöse Leben in der Zeit des israelitischen
Königtums, Kiyoshi
ŌHATA, pp.1-44.
2,
ナチケータス物語をめぐって, 今西順吉, On the Story of Naciketas, Junkichi IMANISHI, pp.45-67.
3,
智顗における止観構想の成立時期:禅から止観への展開理由究明のための予備的考察, 新田雅章, On
the Relations between Chih I’s Method of practising
Śamatha-vipaśyana in Tz`u-ti-ch`an-men and its
Method adopted during his Later Half Year, Masaaki NITTA, pp.69-89.
4,
ミトラ教の起源について, 小川英雄, Mithraic Religions in Roman Asia Minor and Syria, Hideo
OGAWA, pp.91-116.
書評
5,
雲井昭善著『仏教興起時代の思想研究』, 藤田宏達, pp.117-122.
イスラエル王朝時代の 宗教の研究 ィスラ ェル民族が王朝を形成したのは、史上二回 、前一一世紀 2 所六世紀 と 前一四一年 2 前 六二一 年 ︵所謂ハスモン 朝時代と称する。王朝︶である。前者は 々スラ ェル民族がその歴 更 において最も繁栄した時代である。一般にこの 時代を ィスラエ ル玉 ィスラエ ル王朝時代の宗教の史料としては、 一 、セーヴィスト史料︵ J 1節九世紀に成立︶ 及 び エロヒスト史料︵ E 1所八世紀に成立︶ 二 、申台記 法 ︵ D 1所六二二年、 コ シア王によっ て 制定︶ 三 、所謂 捕囚 前予言者 書 即ちアモス、ホセア 、イ ヱサヤ ︵第一 イヱサヤ ︶、ミカ 、ナ フム、ハバ クク、セ ファン ヤ、 イヱ レミア 、エ ゼキエル︵ 前 五八 セ任 以前の部 分 ︶の諸善 ㏄ ) 鮭 四 、列正紀 等 等を挙げることが出来るであろう。 主日 白田 ⅤⅠ
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は バアル信仰 と言はれて来たも残存して
ぬ たと考へられる。︵ l- こを以て、純一なヤハウェ信仰を主張してやま なかった予言者達は これらの町を徹底的に非難攻撃したのである。 ホセアは、サマリアの恒俊に対しても、﹁サマ リア よ 、なん ぢ の憤は忌みきら ふ べきものなり ﹂ 穴ノ 五︶と非難 し、 ﹁わが怒りかれらにむかひて燃ゆ︵ 八ノ 五︶ 。サマリアの憤はくだけて 粉 とならん︵ 八ノ 六︶ ﹂と 神 ヤハウェの 烈ホセアは﹁山々の頂にて犠牲を献 げ ﹂︵ 四ノ 一二一 ︶ることを難じてゐる。パレスティナにおける 出獄崇拝はいづれ アル,ペ オルもその一つである。ホセアは ヤ ハウ ヱ のみに対する信仰 を 求めた。当然一切の山 嶽 崇拝は拒否せらる べ きであった︵ 四ノ一 三以下︶。バアル・ ペオか も 無 論 のことである。 ﹁彼らは バァル ・ ペオの にゆきて身を恥辱にゆだ ね、憎むべき者とはなれ り ﹂ 克ノ一 イスラエルが栄えるままに祭壇をまし 二 0 ノ一 ︶ 、 多くの祭壇を造って罪を犯し︵ 八ノ 一一︶ 、 また、﹁イスラ ェ め が己が造り主を忘れてもろもろの 社 廟を建て﹂ た ︵ 八ノ 一四︶ことに対して、己が造り主たる ヤハウェを忘れて 他 神に赴くかくのごとき不信、ヤハウェ と バアル とに仕えるこの﹁ふた 心 ﹂︵ 一 0 ノ 二︶を 、神ヤ ハウ ヱ は決して許さ な い、 ﹁かれらは二心を ぃ だけり、今かれら罪せ らるべし﹂︵ 一 0 ノ 二︶ 、 神はその祭壇を打殿 ち 二 0 ノ 二︶、また、 火を送ってバアルの 社廟 、祭壇、 町 々を焼き 亡 す ︵ 八ノ 一 % 、かくてすべては荒廃に帰して﹁ いばらとあざるその 祭壇のうへにはえ茂らん﹂︵ 一 0 ノ 八︶と、ホア セは、 一つ心の信仰を求めてやまぬ 神 ヤハウェ の 決然たる裁きを 告 げ てゐる。 二 、一一 ノ 二︶ 、 憤の神像に接吻せしめ︵一二 フ二 ︶、ホセアは﹁ ェ プライムは偶像にむすび つ ら なれ り ﹂︵ 四ノ 一七︶ と 嘆く。ここにおいてか、ホセアは、﹁神は必 ずその堅石柱を砕き棄てる﹂︵ 一 0 ノ 二︶と、 神 の 怒りの烈しさと 神 の 裁きの厳しさとについて説き、 ィス シェルが 金 銀を以て己がために偶像を造ると雄も、それは ﹁ 致ち 捨てられんが ためにせしにことならず﹂︵ 八ノ 四︶と述べる。 く ' ㏄ ) 4
ホセアも 亦 、﹁妓女とともに道に 惇り 、 聖娼と土 ︵に献物を供ふる﹂ 西ノ 一四︶ことを責め、﹁ 悟 らざる民は亡ぶ だ ルテレの du ︵田の信仰と結びついてるた。 7 ニ ル ア モスは﹁父子共に一人の女に行きてわが聖君 を 汚す﹂︵ 一フ 七︶ と聖 娼の存在を非難してゐる 王朝時代の宗教の 研究
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出 来ると考へる。
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ルサレムにまでお
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貧者庇護二四
ノ ニセ、一四 ノ 二八・二九、一五 ノ 一|一 0 故駅の 年 、一 五ノ 一一、一五 ノ 一二 | 一八解放の年、一﹂ハ ツ 一一、一 六ノ 一 二| 一五、二四 ノ六 、二四 ノ一 01 一 三、二四 ノ 一四、二四 ノ 一七、 二四 ノ 一九、二四 ノ二 0. 三一、一二以下︶等
と言ふやう な社会改革的な条項も相当見受け う れるが、 列 正紀 下 、一
アモス及びホセアによって、われわれは、主とし て イスラエル王国内における、彼等の時代︵ 前 セ六 0 年 2 玉 0 午 頃 ︶の異教信仰について知るを得た。 ィヱ サヤ及び ミカ の舌口葉を通して、われわれは、 ただ単に ィスラエ ル王国のみならず、ユダ王国 においても、彼等 の時代︵ 前セ四 0 年頃1所 セ 0 一年︶に、異教 信 仰が許容されてゐたことを知るのである。この 期間に ア ハズ ト甘 az 王の時代︵ 前 七四二ー セ 二五︶が含まれてゐること は 極めて注目に価するものと考へられる。 多くの偶像が﹁国内に充ち﹂︵ ィ ,サヤ 一ブ 八︶ 、 異教信仰のための祭壇が 、ユ ダにおいても、 祖ら ね 、支配層の人々 をはじめ一般民衆に至るまで、祭司すらも、 っ まり ユ ダを挙げて、これらの異教信仰に参加した と 考へられる。 このやうな状態は 、神 ヤハウェの中心的神殿の所 在地イェルサレムにおいて、代表的、典型的に 見られたと思はれ る ︵ イヱ サヤ 一 0 ノ 一一参看︶。 (414) 12イスラ ニ ル王朝時代の 宗教
以下、列正紀
下
、二二、二三によって
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改革
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異教信仰弾圧、撲滅政策実施
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窺うこ
ととする。
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ルサレム神殿から
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キドロンの谷で焼き、これを
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砕いて
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ルサレム神殿の門に置いてあった、ユダの三等
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太陽神のために
献
げた馬を他に移し二三ノ
一一︶、また、太陽
神に
献
げた﹁日の車﹂を皆人
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焚き︵二三
ノ
一一
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下、
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コ シア王の改革の発端に関して、 列 正紀 は、王 が 女子舌口者ホルダの許に人を遣してヤハウェに 聞 かしめた時、﹁ 彼 等 はわれを棄てて他の神に香を焚き、その手に作れる もろもろの物をもてわれを怒らするなり。この故にわ れこのところにむか ひ て 怒りの火を発す。これは消えざるべし。・・・⋮汝はこ ころ 柔 かにして、ヤハウェの前に遜り、衣を裂きて、 わ が 前に泣きたれば、 わ れもまた聞くことをなすなり﹂と 言ふ 言葉があった 、と伝 へてゐる︵ 下 、二一 ブ 一一以下︶。 ここに 伝 へられてゐる前段の異教信仰に対する 神 ヤハウェの憤りの言葉は 、コ シア 王 以前の予舌口 者達 。 アモス 、ホ セア、イヱサヤ 、ミカ等の言葉において見るとこ ろと軌を一にしてゐる。予言者達の指摘した 悪 | 異教信仰 |を 取り
二
二、二三の
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シ
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の改革記事は殆ど
コ
シ
ア
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里 ﹁ 教
信仰弾圧、撲滅政策の報告である。
申
台詞
法
0 条項が、内容的に
0 条項全般に対応し
さらに、イェルサレム神殿内においてバアル と 日 と月と星宿と天の衆 群 に香を焚いて仕へた祭司 二三 フ 興一三, , 五︶をはじめとして、イェルサレムのまはりや ユ ダ のまちまちの 崇邱に 仕へた祭司等を悉く廃し た C 三フ 五︶。 が り の の た を ち ィ ま べ か ア そ ヱ た エ く シ の / レ ル し ュ は
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ノ ン ェ シ ム を バ イ テ ィ神 祖
に ェ と ヱ ( サ 。 城 城 サ ラ殿
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神 を 態 た 上述の如く、イェルサレム神殿には神ヤハウェ が 依然として 祖 られてゐたが、ヤハウェと並べて 他の神々も 亦 拝ま 6
われわれは、中台記 法 と利正紀 下 、二二、二三 によってーと舌口 ふ よりも寧ろ甲金 記法 によって 裏 附けせられた 列王 1 ラ 像を火に焼くべきことは、一二 ノニ 、三及び 一 六ノ三 一、二二に見られる。 また、小児を焼いて ノンク に供へることを禁じ た 条項は一八 ノ一 0 ︵ 尚 、一二 ノ 二王参看︶に見ら れる。 三一二 ノ一セ 、一八においては 聖娼 ︵神殿娼婦 並に 神殿男娼︶が禁じられてゐる。 他の神々に仕へ、口や月や天の衆群などを拝む ものは石をもって撃ち殺すべきことが定められ てゐる︵ 一 ゼノ ニ| セ ︶。 さらに、 他神へ 誘ふ者に対しては、甲金 記法は 厳罰を以て臨んでみ る 。 奇跡を行って、 地 神 へ 誘ふ予言者や夢みる者の壬 - 口に聞きしたが ふ べきではなく、これらの者は殺 してしまはなけれ ばならない二三 ノ一| 五︶。 同母兄弟、息子、娘、妻、友人が、ひそかに 他 神に誘ふことがあった時、かならずこれを殺さね ばならない。決し てこれを 憐 み、庇ひ匿してはならない︵一一一 ブ六 | 一一︶。 また、地神を受け容れた町については、町の住 民は無論のこと、家畜もすべて殺さねばならない 、 町に属する品物 宛所はすべて町の広場に集めて、町と共に焼かぬ ばならない、と定められてゐる︵一一一 ブ 一二 |一 姥 このほか、その神々に対する信仰を ィス - フエルに 伝 へるおそれがある へテ人、アモり 人、 カナン 人 、ペリ ジ人、ヒ ゆビ人、ィュ ブス八等はこれを滅し尽さなけれ ばならない、とも、甲金 記 法は定めてゐる︵ 二 0 ノ 一六 | 一八︶。
を行 ふ 者、まじないする者、魔法使、呪文を 唱ふる者、くち と せする ︵ 二リ ︶ ぬ 者、かんなぎの業をなす者、死人に問ふこと をする者等は存在を許さない︵一八 ノ一 01 一四 ︶。 (419)
異教信仰の受容は、しかし、ヤハウェを廃除し て 行はれたものではない。一方にお 他方において他の神々を拝して ぬ たのである。 そ の 最も典型的な例をわれわれは 々ヱ が 出来る。 このやうな宗教事情はアモス、ホセア 、イヱサヤ 、ミカの時代にも存してを っ たの 改革時に至る全時代を通して、同様な宗教事情 が 存してめたと考へられるのである。 このやうな宗教事情に対して、ヤハウェの純一な 信仰を主張し、受容せられてゐる なかったのが予言者達である。 けれども、予言者とこれに 徒 ふ人々は余りに数 少く 、 力 弱く、この一握りの勢力を 教 信仰を阻止すべくもなかった。予言者達の殉 教の死を賭しての警告も 、 人々をして に 対する純一な信仰に立ち帰らしむるに至らな かった。 ここに、しかし、予言者の警告に耳傾けるものが 現れた。 王コ シ ア である。彼は 、 国内に振り溢れる異教信仰を絶滅し、かくする ことによって 神 ヤハウェの怒りを鎮め に 、 申 台記法を制定発布し、改革を断行したので ある。 いてヤハウェを 祖り 、同時に 、 ルサレム神殿において見ること である。アモスから コ シア王の 異教信仰の廃除を主張してやま 以てしては、国内の浴々たる 異 異教信仰を捨てて、 神 ヤハウェ 予言者の指摘する悪を除去し、 、亡国の神罰を免がれ ん ため 組下、二二、二三の記述によってー コ シア正当 時の | 正確には、 コ シア 王 改革当時の | ユダ国内 事情、特に ユ ダ国内 8 の 宗教事情を推定することが出来る。それは、 ュ ダ の国土全面に異教信仰が 行 渡って ぬ たこと、 その異教信仰に奉仕 して ぬ たものは支配層の者から一般民衆に至る 全国民に及んで ぬ たこと、である。
イスラ ヱル 王朝時代の宗教の 研究
彼の死後、ユダ国内の状態が改革前に戻ったこ
と
は
々ヱ
レミア
記
等によって推察出来る。
コ
シア王の死後極めて速かに国内事情が旧態に復
したについては、第一に、上述の如く、改革を
徹底せしむるため
には|
異教信仰を根絶するためには、改革以後
王
の
死にいたるまでの期間が短か過ぎたことが
考
へられる。
次に
、
王の改革に対抗する勢力が強く
、
王はこ
の
言はば
旧
勢力を絶滅することが出来ず
、
従って
、この温存せられ
た旧
勢力が王の戦死と共に直ちに復活したのでは
ないか、
と言ふ
極めて悲観的な推察が可能であ
ることである。
のみで、これを
殺戟
絶滅することはせず、僅に
、
彼等にイ
ェ
ルサレム神殿においてヤハウェの
祭
壇
にのぼることを
禁
止したにとどまる︵
列
三下、二ニ
ブ
九︶。しかも、
イ
ェ
ルサレム神殿内に於て﹁バアル
とアシヱラ
と
天の衆
群
﹂とに
奉
位
した筈の﹁祭司﹂が処分せられたと
言ふ
報告
はない︵
列
三下、二二
ブ五
﹁またバアルと日、月、星
宿
と天の衆
群
とに香を
焚く者等を廃せり﹂は、同二三
ノ四
との関連において
、イェルサレム神殿に関係ある記述と思はれるが、
こ
こでは、﹁バアル
と
日、
月
、星宿と天の衆
群
とに香を焚く者﹂が﹁祭司﹂であ
っ
たかどうかは明かにせられてみない。また、
列
三下
ルサレムの神殿からバアル
とアシヱラ
と天の衆
群
との
ために作ったもろもろの器を取り出すことを、王は
、
祭司
辰
ヒルキヤとその
下
にたっところの﹁祭司
達
﹂および門守等に命じたと
述べられてゐるが、異教信仰に奉仕した
々ヱ
ルサレム
コ シア王の改革がどの程度厳重に行はれたかにつ いては些か疑問がある。 コ シア王が持続的に彼の改革的政策を実施する には、彼は短命に過ぎたと思はれる。彼は ェ ジプトの 不コ一 20c は o ︵ 六 0 九| 五九三︶ と メギドに戦って戦死 した。時に前六 0 九年。改革後十三年である。世
ず れ
並
に革
王 殿 又 と 至 の ョ ん よ に イ 戦 こ の ま は る 手 シ で る 先 ェ 死 の 祭 た ( で ア 、 イ 立 レ 後 や 岡 ユ 速 う 達 イ タか な の ェ 国
二
た仕 方
サ年
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20イヱ レミアは べン ・ヒン ノム の谷における、 バア ルに献 げる小児犠牲を激しく攻撃し、 神ヤ ハウ ェの 恐るべき罰を 2 シェル 下の如くである。 (423) 王朝時代の宗教の 研究
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つ 様ロニアのネブカドネザルに臣事した結果である。 -E@ イェ レミアのこの言葉は、この時期に属するもの と 考へられる。 また、イェレミアは﹁ 日 と月と天の衆評﹂︵ 八ノ 二︶を拝む 星晟 崇拝を非難し、 ﹁ヤハウェ 言 ひた まふ 。その時、人、 ユ ダの三等の 骨 とその 牧伯等 の 骨と 祭司の骨と予言者の骨 とイヱルサ 0 基よりほ り けだし・彼等の愛し 奉へ 従ひ求め 且 祭れ るところの 日 と月と天の衆群の前にこれを曝すべし。 者 なく、葬る者なくして、糞土の如くに地の面にあら ん ﹂︵ 八ノ 一、二︶ と、 厳しい神罰について述べてゐる。 屋島崇拝は、アッシリアの影響を受けて、アハ 。 ス ︵ 列 三下、一山ハノ 一 0 以下︶とマナセ完工 下 、 一 代に イェルサレム神殿の祭儀の中に取り入れ る れたものである。 ョ シア王はこれを廃した︵ 列 正丁、三一フ五︶。 しかし、 イヱ ホヤ キム の治世 下 において、これ が 再び行はれるに至った︵ 列 三下、二四 ノ 三︶。 イ レムの民の骨をそ その骨をあっ が る 一ノ三 、五︶の時 ホヤ キム が バビ コ シア王は小児犠牲を禁じ、ベン・ヒン ノム の 谷 の播 祭壇を破壊した︵ 列 五丁、三二 ノ一 0 ︶。 し かし、 コ シア三戦 ︵ 7 ︶ 死後の ユ ダ王国破滅の危機感の中で、再びこの 残酷な宗教儀式が行はれるに至ったものであらう 列 正紀の記すところによれば、アハズ︵ 列 正丁、 一六 ノ 三︶とマナ セ ︵ 列 三下、二一 ノ 六︶が、小児 犠牲の故に非難せ ね ? られてゐる。 官 主日してゐる︵ セノ 三一以下、一九 ノ 四以下︶。
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九) このアッシリア・ バ ビコ ニア から伝来した 星最出 ホ 拝について、 イュ レミアは、それが、﹁すべて の いへのやねの上 にて天の衆 群 に香をたき、他の神々に酒をそそい で ﹂︵一九 ノ一 三︶行はれたとも 伝 へてゐる。 さらに、イェレミアは、﹁大后﹂即ちアッシ リ ア ・バビロニアのイシュタルが拝まれてゐたこと について述べて ゐ る 。 ﹁こどもらは薪をあっ め、 父は火をたき、婦はこなを , ﹂ね、パンを づ くりて、之を天 后 にそな ふ ﹂︵ セノ 一八 この﹁太后しのシンボルは新月と金星であった。 神前に供へるパンは、﹁大后にかたどりて製 ら れた﹂︵四四 ノ一 九︶ものであるから、 月 或は星の形をしたもので あったと思はれる。 イシュタルには酒もまた供へられた︵四四 ノ 一八 、一九︶。 従って 、セノ 一八﹁またかれら他の神々の前に 酒 をそそぐしは、その前段のイシュタル祭儀 と結 びつくものであら
この 滑 々たる異教信仰の中に在って 、イヱ 言葉に耳を傾け、彼に従ふものも在ったが、 参照︶。 イェルサレム陥落︵ 前 五八 セ年 ︶後、彼は レミアは 、 独り 、 せ いコ ミの 1 目 0 コ 0 目の田の日拐を説き 続けたのである。彼の その数は極めて 少く 、その 力 は極めて弱かった と 思はれる︵二六 ノ 八等 エジプトに逃れ、そこで殉教の死を遂げたとも 伝 へられてゐる。 コ シア三戦死後の ユ ダ国内の宗教事情は 、 再び 申 分詞改革以前の状態に戻ったのである。 無論、かくの如き異教信仰は、王公 干 ハノ三三 | 一一四、ハノ一等︶、 牧 佑二 % ハノ 一 Ⅰ三六 ノ 二四、 ︵一四 ノ 一八、ハノ一、二 0 ノ 一以下等︶ 、予 ミロ者︵ 一四 ノ 一四、一五、ハノ一等︶、一般民衆︵一エハ ツ八 るところであった。つまり、国全体の奉ずると ころであったのである。 八ノ 一等︶、祭司 八ノ 一等︶の 奉ず 青木の下や高岡の上の祭壇が再び建てられ、 ア シェラ像も立てられた︵ 一セノ 二︶。 バアルのために 崇邱が 再建せられ︵一九 ノ 五︶ 、 バアルに香が焚かれ︵ セノ九 、一一 ノ一 三︶ 、 くて、イェルサレ ム にはその衝の数だけバアルのために祭壇が築か ね 、 ユ ダ国内心は町の数ほど多くの神々が 祖, り れた二一 ノ一 三︶ と、イヱ レミアは憤る。 れを汚せり﹂︵ 七ノ三 0 ︶ と、ィェ レミアはこの事実を伝へ、神の憤りを 述べて ぬ るのである。 (426)@ 94
イスラエル王朝時代の 宗教 彼の言葉として 伝 へられてゐるもののうち、 ィ エ ル ザ レム滅亡以前のものと考へられてゐるもの に 、異教信仰がど のやうに 伝 へられてゐるか、を見ることとする。 ﹁もろもろの偶像﹂︵ 六ノ一 三、二 0 ノ三 Ⅰその 地士 ノ二 0 、 六ノ四 、三 フ凹ま をはじめとし て、 山の頂︵ 六ノの 一一一︶ 、 高い 岡 つハ ツ一 三︶、実郎︵ ょ ハ ツ三 Ⅰ青樹の 下 ︵ 六ノ 一ミ等に、供物を捧げ、 馨 しき 匂ひを 奉ってヱハ ツ一 三︶ 、 異教信仰に奉仕することに対する、 神 ヤハウェの 憤りと 割 とを、彼に先行した予言者達と同じく ェゼキエ ルも 亦 、 伝 2 究
囚 第五年、前五九三年である。 イェ ホヤ キム はバビロ ネザルは直ちにバビロニ 彼は親しく大軍を率 ゐ て 々ヱ ホヤ キム は イヱル 降服と共にバビロニア 王 工人等もバビロニアに 移 ネブカドネザルは 々, ビロニア王に叛くに及ん 後、遂に滅亡した。時に
ア 車立
にユ
ダ周辺の国々の軍隊を遣して、ユダを
攻めた︵前人
0 一 /
六 00
︶。
前 五九
セ年、
ユダに
侵 冠した。
イェ
ルサレムは囲まれ、
ニ ケ 月
の後、降服した。
サレム包囲の前に死に、その子、イェホヤ
キン
︵ イェコニア
︶が十八才で王位を継いだが、
に 捕へられ、その家族や高官と共に
バ ビコ
々 ア に
連 去られた。同時に、国民の上層の者及び
された。
ホヤ
キン
の叔父
セデキア
︵五九セ
ー 五八
セ ︶を王位
に 即けた。しかるに、のち、
セデキア
が バ
前 五八
セ年
八月である。
@ は - また、エゼキエルは、神殿内において、 ェ ジ ブ ト の神々が密かに 紀 られてゐたことも 伝 へてゐる ︵ 八ノセー 一一 % 。 - Ⅱ︶ 三ブ 六︶ 、コ シア王の死後その後継者によって 再び建てられたものであらう。 ア ェ エ シ ゼ は にわ 「 ゼ ェ キ ん て れ こ キ ラ エ 」 滅 か の エ
(び
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は は ィ マ エ一ま
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は穀 総 た て れ に奉仕
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れ わ る る れ (428) 26この滑々たる異教信仰の渦中にあって 、 僅に一握 りの予言者達が 、神 ヤハウェはイスラエルの神 、イスラエルは神 ス シェル王朝 時 0 @C で お し あ い か る
O て
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Ⅹ イ こ ス れ ぅ は エ イ プレ ス の う 金 エ ネ主 ノ ン 会 の に 特お 宝
い の て 地れ 々 て ス ゐ う た ェ の ル で 社
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と を 吉挙
ふ げ ら て の黒
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信仰を受
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れ ェ て ルゐ 全
た 土 (429)や
拝まれ、ヤハウェ信仰と共に異教信仰が行は
れてゐたことを知るのである。
究の改革によって禁止せられ、また破壊せられ た 異教信仰が再び行はれるに至ったのである。 以上によって、
少くともアモス、ホセア か ら 、つまり、前八世紀の半から、ユ
ダ滅亡︵ 前 ま 八七年︶に至るまでの ぬ 期間において、われわれは、この時代を通し て 、異教信仰が行はれてゐたことを知る。 サハ
ウェ神と共に他の神々が コ シア王の戦死後ュ ダ 国内の宗教事情が旧に復し たことが、 イヱ レミア 、 エゼキエルによって 知 られる。 コ シア 王 神 ヤハウェにのみ 仕 うべきイスラエルが地神に も 仕へるかくの如き異教信仰を 、ェ ぬ る︵二八 ノ 一七、その他二八 ノ二 0. 二 二等参看︶ この異教信仰 | 宗教的姦淫 |に 対して、 せ笘ォ毛 el ヨ 0 コ 0 臼の戸の日拐を主張する 神ヤハ の 烈しい怒りを告げ、神の怖るべき 罰 1死 と 亡び 1 。を 予言して ぬ るのである。 ゼキ ェルも 亦 ﹁姦淫﹂と呼んで ウヱ の予言者エゼキエルは 、神 その他、神殿内において、バビロニアのタン ムズ 神 が拝まれ、夏枯れにタン ムズ が死者の世界に 下ったのを嘆く 祭 儀 が行はれてゐたこと︵ 八ノ 一四、一五︶、さら嘆
神殿内において太陽神が拝まれてゐたこと ︵ 八ノ 一六 | 一八︶ 竺寸 を、ェゼキエ ルは 伝 へてゐる。ア ろ
称
法 事
@C る 一上に述べ 乗 った如く、われわれは、 予 舌口者の書 を 主とし、これに、 申 台記法及びそれと対応する 列 三組下、二二、 三を併用して、イスラエル王朝時代の、前八世紀 半 頃から前五八 セ 年に至る時期の、宗教事情を 推知した。 しかし、この時期より前の部分 | 統一王朝が ユ ダ 、ィスラエ ルの、南北両王朝に分裂した時から 前 八世紀 半 頃に 至 時期 | については、結局 列 正紀の記述に拠るほ かはないのであるが、その場合一つの方法を採る ことを試みること した。 それは、既にわれわれが一応推知することが 出 来た時期1所八世紀 半 頃からイェルサレム滅亡 ま での時期1 0% 本数 情 に基いて、それより以前の時期 | 南北両王朝 分立から前八世紀 半 頃までの時期1 0 宗教事情を 推定すると 言ふ方 である。 この場合、諸王に対する 列 正紀編纂者 |申 台記 的 歴史家︵しの 由汀 ro コミ臣の︵またはⅠの 目 ︵の∼ 0 コミ 巳 ゑが の ゴ ののの ゴ目 すと されるもの︶1 0 批評1例 へば、 ﹁ヤハウェの 目 に 悪しとするところを為せり﹂、﹁ヤハウェの 目 に 善しとするとこ を 為せり﹂、﹁ 心 ヤハウェに全からざりき﹂、﹁ 心 ヤ ハウエに全かりき﹂︵イスラエル王国諸王の場 合は 、 ﹁ イヱロベ ム の道を歩みき﹂、﹁ イヱロ ベア ム の罪に歩みき﹂ 、 ﹁ ィヱロ ベア ム の罪を離れざりき﹂等が加はる ︶等の定型的な 短
五
あ 神 ヤ
る ヤ ハ ハ ウ ウ ヱ ェ のO
み、
氏 る れ仰
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池亭
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ま 々 黛 すの円の 仕 にエル
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で へ
(430) 28ひ のと考へるものである。