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ドキュメント内 『宗教研究』199号(42巻4輯) (ページ 53-58)

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(4154)@ 52 

め| 

タス物語として解釈しょうとするが︑充分 説得的ではないようである︒しかし興味ある 問 題 なので︑別の機会にと 

掘り上げたい︒ 

    萌 )     四           以上でナチケータス物語の検討を終え︑以下に はそこに現われた 教説 伝授の問題を取上げたい︒  の後半と第二とが種々に解せられており︑例えば サーヤナは第一説としてナチケータス物語に従 って解し︑それと 並 

︵㏄ ‑   っ んで第二説として全く別の解釈を述べている ︒専門学者の説も一致せず︑近年発表されたせの 下コオド ︵の論文はナチ ケ    一の前半と策セにおいて ヤマ の座所︵のが | 宙ゆコ ︵ が︶ 2‑5 祝福された情景が描かれているが︑物語として の 骨格を述べる第一  ‑., 巳し ︶  この登場人物がナチケータス物語と酷似すること から︑両者の関係が論じられている︒これは セ 詩から成り︑その 男  刊 ヤマに会え ヒと 言ったのである︒賢者 よ ︑これ は 虚偽 仁は なしえない︒汝は 

の 父は悲しんでいる︒何ものでも好みのものを 与 えよう︒愛しき客人よ ︑ 汝の  二 セ ー 一八︶ここでナーチケータが求めること は ﹁戻ることのかなわぬ国に  する︵ つめ qwq ォめ ︶ならば︑善をなした人々の 栄 ‑ えある世界を見たいと思う﹂︵ 

願を容れて彼に ヤマ の世界を示し︑その描写が なされる︒その間にいかにして  がなされるが︑全体として他界訪問譚の性格が 極めて顕著になっている︒ここ  パ ニシャッ ド のナチケータス物語においては︑ 他 界 描写が欠如していることに  おいてもこの伝承は他の二伝承と著しく相異 す ると舌口わねばならないⅢ︒ 

なおり グ ・ヴェーダ 一 0 ︑一三五についても附 与 一口しておきたい︒ ここには ブ ヤ  既にわれに会った故に ︑ 帰られよ︒ 汝 

望み︵ 才 刮ヨさを選ばれよ︒﹂と言う︒ 

来 ました︒もしも自分が汝の恩典に仙 

一九︶ということである︒ヤマはその 

この世界に人は到りうるかという問答 

で改めてわれわれはブラーフマナ やウ ‑0‑ 気づく︒従って形式においても内容に 

で ︑父︑少年︵ 巨ヨ wnp ︶が登場し︑ 

恩典︵ 舐団 ︶という観念がブラーフマナ的 ギヴ ・アンド・テイクの祭祀 観と 密接に関係している であろうことは︑ 

右の物語︑特に顕著にブラーフマナの伝承にお い てうかがえるが︑恩典として哲学的 教 説を選び とることは︑予測さ  れるように︑比較的 新 らしい時代の文献に現 わ れてくる︒若干の例を検討しよう︒ ‑ 解 ︶ シャタ パタ ・ブラーフマナによると︑ 匙 一杯の バ タ ーを捧げた後に︑祭主は祭官に恩典を与える ︑祭主はソーマ 酒 ︵ めノ @ の 器を捧げ︑神々から恩典を求める︑などと舌口 わ れる︒また償いという観念が次の例には明白に みられる︒即ち ︑火 

が 神々のもとを去ったので︑ブラジャーパティを して探索せしめた︒彼は白馬となって探し求め た ︒そして火が蓮の  葉の上にいるのを見出したが︑焼かれた︒その ために白馬の口はいわば焦げている︒火は彼を傷 けたと考えて 司汝に ‑6 5 ︶ 恩典を与えよう L と云う︒ア イ タレーヤ・ブラ |フ マナの例を挙げると︑祭祀が神々のもとを 去ったために︑神々 

は 祭を行い得なかった︒そこでアディティに 向 って日没によりて祭祀を知らん三と舌口 っ仕 ︒ ア 二ノィ ティは 司 レふ スリ し 

い︑しかし 汝 らより恩典を選ばん ヒと 答える︒ そ の 恩典は︑祭祀がアディティと共に始まり︑ 土 ︵に終るということで @ 印 ‑ あった︒またアグニ・ソーマの犠牲獣は元来 イ ンドラのものであったが︑インドラがアグニ・ ソ 1%によって ダ リ ト 

ぅを 殺したので︑恩典として彼らに与えられた︑ と説力 Ⅰ れる ︵ 5 8‑ O  以上の諸 側 では哲学説は関係しないが︑ア イタ レーヤ・アーチニヤ カ では祭祀と関連ある恩典の 内容が ウパ ニシャ  ッド的 哲学説になっている︒即ち﹁これは食物な り ﹂と舌ロってヴィリア ユ ヴァーミトラが手ハ り 目い ヤ ゴ 麓 ︵Ⅱを三度 謂 したこ  とに対して︑インドラが恩典を与えた︒そこ で 彼は汝を知らしめよと願う︒インドラは﹁ わ れは生気︵ 笘ゅ偲 ︶ な  り ︑仙人よ ︑ 汝は生気なり︒一切の生類は生気 なり︒輝くものは生気なり︒わが食物は友なり︑ 支持者なり︒この形 ‑ ㏄︶ 態 によりてわれは一切の方処に入れり︒これは ヴィ シュ ヴァーミトラの食物なり︒われは輝くも のなり﹂と説く︒ 

かくて恩典が哲学説の教示を求めること︑即ち 質問の権利という意味を持つに至る︒シャタ パタ ・フラーフマナに 

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恩典として哲学説が授けられる場合を右に検討  したが︑  教  説の伝授一般という観点からは︑恩典  はその特殊な場合  である︒カタ・  ウパニシセッド  でも︑第三の恩  典  として直ちに  教説  が授けられるのでは低くて︑  ナチケータスが試さ  れていることを前に述べた︒そこで次に哲学的  教  説の伝授はいかにしてなされていたかを考察し  *@ 十八  Ⅱ・︒  @ Ⅴ  シ  ヤタ  パタ  ・フラーフマナは祭に関する諸学匠  の  見解を紹介しているが︑対論その他の具体的な  情況を説明しない 

しかし第一  0  巻  ︑一一巻になると  論  者の師弟関係が明確に示される︒例えば資産家  ア  ヤストゥ  l  ナ  は  シ        ャウ  リ  ヴァーヤナを一年間アドゥヴ  プリュ  祭官  と  していたが︑後者の二つの匙の用法は正しくな  かった︒そこで後者     めは弟子となって教を受けたいと望むが︑  既  に一年間仕えている故に資格があるとして教授す 

  

  

アールニに  レ  ぬ宮  ゴ  ︒ 甘笘  について問い︑全ての  質問に対して回答を得た 

         

   びかけながら︑祭祀に関するシャウナ  カ  ・  スヴ  ︐  イダーヤナの問題に答え得ず  ︑  薪の礼をもって  弟子入りし︑回答を 

55  (*57) 

五 

よると︑ジャブ カ 王は シュ ヴェー タ ケートゥ・ ア | ル木ー ヤ Ⅱ ソ ーメーシュ ヴブ ラ・サーティ ヤ ヤジュユ ︑ヤージュ  ニ ャヴァルキヤから臣の ロヨ 0 ︵︵ ゆめ 意義の説明を つけ︑サージュニャヴァルキャの答を最上とし て 百頭の牛を与え  た ︒しかしその説も未だ完全ではないと言って 去った︒そこで彼は独りジャナカ玉のあとを追い ︑ 答えを得た︒それ  に 対してジャナカ王は恩典として﹁随意の質問    ラ ニヤ カ ・ ウパニシ  ャッド四 ︑三︑一以下の対話はこの恩典にもとづ    

カタ ・ウパニシャッドにおける誘惑は ︑ 他の ウ パ ニシャッ ド にも現われている︒ ブラ ヴァーハ チ ・ジャイヴァリ 王  求めたナーラ ダ は次のように告白した |神呪 ︵ 日日トリコ こぺひ ︶ 

以上の教を求めた︒従って弟子として入門して も 直ちに 

ジャーパティのもとで学んだが︑一時期毎に 順   ︵ 6‑ 7 一年要したという︒  ︵ 5 ︶ 知者なるも︑アートマン知者にはあらず︑と︒ そして名称 

は 教授されないのである︒インドラとヴィロ | チャナは ブ ラ 

教を授けられた︒インドラが最終的な教 説 に至 るまでに 一  一年間仕えるこ 市上的な知 はそ  ‑7‑ とを求められた︒もっとも期間は種 の性格から言っても容易に説き明か  々の場合があるこ し理解せしめうる  とは以下 ものでは  ‑ れ ︶ ない︒サ ブト クマー  に 引用する語例から も 知られるが︑ 形 

う に近づいて教を  ︵㏄︶ 得たと三口 う ︒またマハー㍉イヤーラ・ジャーバー ‑ フは ディラ・シャー タパ ルネー ヤ を問いつめるが ︑下ぬ 田は舌口業︑ ‑ ㏄︶ 眼 ︑意︑耳︑一切であるとの答を得てへり下り︑ その火についての教を乞い︑生気であると教示 される︒ここでは 弟 

子 となったという明言はないが︑いずれにして 自分よりすぐれた者に対しては直ちに弟子として の 礼をとるべきであ 

ると考えられていた︒従ってみずからは学識があ 場合でも︑教を受ける意図のあるときにはは じめから弟子の立場 

  

知が 師から弟子に伝えられるものである以上︑知 を 得るためにかかる師の存在は不可欠である︒ 師 につくことは︑ ‑8‑ 6 目隠しされて連れ去られたものが︑人にたずね て 再びもとの地に戻ることに 揃 えられる︒従って 知 あるものに対して 

は ﹁誰が汝に教示したのか﹂と問われる︒かく 問われてサティヤカーマは答える1人間以外のも のから︒けれど尊師 

よ ︑わたしに説いて下さい︒尊師のような人々 か ら 伺いました︑師より学びたる知が最も有効 に 目的に達せしむ︑ @ 閥 ‑ @ ㏄︶ と ︒このような師は当然有能で低ければならな   ︵ 2‑ 7 ︵ れ ‑ 通常はかかる師のもとに弟子入りしてヴェーダ 学生となる︒正しい出生のものであることを要求 されたが︑弟子は 

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ナチ ケ 

     

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