止観 L の止観規定に比べた場合︑たとえば︑ 止 観を実践 体 係の基底︵Ⅰ ‑
に 位置づけるところから︑それは︑ 理 ︐ 惑 ・ 智
・ 行
・ 位 ・教の一切を包摂する実践形式であると 規定されたり︑また ㈲﹁ 摩詞 止観 ロ との関係
これまでの考察の結果︑﹁次第禅門 L 所説の止観 規定は不完全ではあるが︑
原型であり︑ 禅 中心の実践体系の中にも後期 止 観 規定へと連なる止観への配慮 が ︑ここで更に後期止観規定の意味を集約的 蜂 小す ﹁ 摩詞 止観 L の止観規定と
﹁ 小 止観﹂で体系化される止観規定のがみられる事実が一応明らかとなった
の 対比を通して右の事実を確認しなけ
をそれぞれ明示する説明である︒ である点を︑また貫穿・ 傭 達の義は ︑ 観が智慧に よって煩悩を穿滅させ︑真如との契合をもたら す 実践形式である 点 との関係が予測される︒
OO ﹁意義者︑諸悪党 観 妄念思想寂然休息﹂
OO ︵ ミ リ︶ ﹁ 停 義者︑縁二心調理 ‑ 繋金現前停任 不レ動 ﹂
OOO ﹁貫穿義者︑智慧利用 穿 % 減煩悩 二
OOO ︵ ムり ︶ ﹁ 観達 義者︑観 智 通達美二会真如 ニ
といわれているよ う に︑ 息 ・停の義は ︑ 止が 妄 念 妄想を止 息 せしめ︑ 理 において不動の心の確立を可能にする実践 法 ︵ 4 サ ︶ されているが︑肘木上上・ 対不観 観の義はとも かくとして︑他の義として示される止観規定につ いては前期止観規定 観ヒ 七はじめて提示される規定である以上︑ こ の 規定は﹁次第禅門﹂の止観規定との関係を問う き面の課題
関係はない︒
続く相対止観の規定であるが︑この中には 司小 止観 ヒ 更には同次第禅門 ヒの 止観規定との関連を 予想させ
包含されている︒そこでは止は息の義︑停の義 ︑ 肘木上上の 義 ︑観は貫穿の義︑観 達 の 義 ︑対 不 ぬ 観の義と には直接 る 規定が
して提示 ‑ コ 3 ︶ ち 一切の相対的関係を超絶した法の究極態との 関係から定義される絶対止観は︑前期時代にはみ られない︑﹁ 摩 河上 る 説明の部分から検討をはじめた い ︒
智顎 はそこで︑﹁ 止即蒼摩他 ︵ 絆ヨゅ ︵ ゴひ ︶︑ 観即
述べつつ︑止観に は 絶対止観として体系化される側面と相対止観 として類型化される側面との二面が具わっている と 説明し︑絶対止観
として実践の究極 態を ︑他方︑相対止観として よ観 業に附随する実践姿勢の一般的特徴を明確に する︒この両者のう
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心 止の整序された形態である︑とみられ ろる ︒ ところで同小止観 ヒ 正修 章 所説の止の規定と﹁ 摩阿 止観﹂の先の規定との意味的連関が成り立ち ぅ るとすれば︑
﹁ 摩詞 止観しの規定の一部は﹁次第禅門しの上の 規定を発展的に継承して構想されていることに なる︒﹁ 小 止観 ヒの 止観規定についてみた際に ︑ コ次第禅門口の繋 縁 ・ 制心 ・ 休真 の三正と﹁ 小 止観﹂正修 章 所説の 三上との密接な意味 連関を明らかにしておいたが︑この両者の上の規 定の間に密接収関係がみられるだけに︑﹁ 摩詞 止観 L の止の説明の 胡 うち 息 ・停の義は﹁次第禅門 ヒの繋縁 の二 止を基礎に構想されてきている︑と推論で きるわけである︒
次の観の二義については止の場合ほどに 前 規
規定特に﹁次第禅門﹂の規定との
間 の 意味的連続性を示しえ 飴 ない︒煩悩の穿滅を意味する貫穿の義︑真如 に契 会する 観 智を意味する 観 達の義の両義は ︑ 小 止観所説の対治 観 ・ 正 止観の二組・すなわち ぬ 婬 欲を対治する不浄観 と 唄悪を呵棄 する慈心 観 として展開する対治観︑ 諸法の実相を観ずる智慧であることを推測させるが︑コ次第禅門口の中 にはその原型をいまだみ
即 けだしえない︒このことは︑先にみたように ﹁ 小 止観﹂の右の二 親が ﹁次第禅門﹂にみ いだ しえない事実から 当殊予
智 恕 されるところであろう︒
85@ C487)
さて右の説明と﹁ 小 止観ヒ時代までの止観規定
ないにせよ先の規定と﹁ 小 止観﹂正修 章 所説の繋 繋 ができる︒妄念妄想の生起を制御する目的で心の の 義として後期実践体系のもとに組込まれてきてい に 心を繋けて動じない停止を意味する停の義 ︑
示す説明であると考えられる以上︑同 摩詞 止観 @ 田 との意味的関係を考えてみよう︒止についてみ れば︑厳密な形では
縁守 墳丘︑制心止 0% 止 との間のある程度の対 応 関係を認めること 離散を防止するために設定された 繋縁守 滝上 心土 は ︑ 息 ・停の るとみられないであろうか︒妄念妄想の休息を立 思抹 する息の義︑理 の 両義は ︑ 止が心の馳散の制御を志向する実践的 姿勢であることを で 説示される 息 ・停の義は﹁ 小 止観 ヒ 正修 章 所説
ところでこれら三上三観
る︒両者は名称が合致して
空観の確立を︑方便随縁 止 の 規定を㍉ 小 止観 L 証果 重 のそれと対比した 場 合 ︑両者の密接不可分の関係が明らかとな
いるばかりでなく︑志向する実践的境地の面でも 異なっていない︒ 休 真上・ 従 坂入空観は
従空 田仮 親は仮 観の獲得を ︑ 続く 息 二週分別 止 ・中道第一義 親 は 空 ︑阪の二週に偏向し ﹁名相を釈す﹂という形で示される 司摩詞 止観﹂ の 止観の説明を﹁次第禅門 ヒ との関係からみれ ぱ ︑ 息 ・停の二 義
ほ ついてだけは同次第禅門﹂の 繋 緑土︑制心土 を 基礎に構想されてきている経緯が予想されるの である︒
次には具体的な止観形式として展開する止観の 法の説明が行われる﹁ 釈 止観体相﹂の項の検討 へ と 移ろう︒そこで は 止観の法は休真上︑方便随縁 止 ︑息ニ週分別 止 の三上︑従坂入空観︑従生人 仮 観︑中道第一義 観の三観として具体 化されるといわれ︑それは次のような実践姿勢 を 有していると説明されている︒
﹁ 睦 真上者︑諸法 従 ︒縁生︑因縁空無 レ主 ︑息 レ心 達 :本源一散骨 為ニ 沙門 ハ 知工因縁板台幻化性 虚 ハ教 名馬︒ 韓 ︑ 肇縁妄
体臭 止 ︶
﹁方便随縁 止 者︑⁝⁝菩薩 入 ︒ 仮 正応二行用り知
二 室井 ご空 故吾 ロ 二方便﹁ 分 二別 薬病 ‑ 放言 ロ臣 随縁 ハ心 宏 二俗諦 ‑ 故君 為レ
止 ﹂⁝⁝︵方便随縁 止 ︶
﹁ 息 二週分別 止 者︑・・・・・・令姉 ニ俗非で俗俗辺 寂然︑ 赤本 レ 博二 非俗 石工 辺 寂然︒名工具 二辺 正ニ ︵ 白め一 一週分別 止 ︶︵ 7 ︶
﹁中道第一義観者︑前 観ニ仮空 ‑ 足空手生死 り後観 ﹁ 従 坂入空名工二諦観 ハ ⁝⁝ 所レ 青二諦者︑観︒ 仮 為 二人臣 之詮 石エ 由レ詮会
﹂︵
従 坂入空観︶二空空 ‑ 是ぬ肝 淫薬﹁ 雙 通三一辺ぺ暑老丁二空観 為
‑ 方便
道 ‑ 福士 会二中 ﹁往生人仮名三平等観 ‑ 者︑⁝⁝ 止 観 為レ化 ‑@ 生 ハ ぬ ニ頁 非 ︒ 真 ︑方便 出レ阪 放言 ロ二従空 八分 ‑@ 薬病 ‑ 面無二妻 謬 ‑ 放言 呈 大阪づ平等者︑・・・⁝政二空病 ‑ 還 月三仮法 ニ ︵ 従 聖人 仮観 ︶
︵ 00 ︶ 道 ‑ ﹂・・・・・・︵中道基が一義 観 ︶
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卸凱 における止観構想の 成立時期 った 側面をもちあわせている止観規定といわなけ ればならないが︑しかし三上三観の構想の成立 を 思索の展開過程の 中でみれば︑﹁ 摩詞 止観 b ﹁ 釈 止観体相﹂の 項 で 示される三上三観の規定は︑﹁ 小 止観し証果 章 の 規定なしに構想さ
ね えなかったとみられうるであろう︒
さて︑このような形で円 摩河 止観 L の体臭 止以 下 の三上三観が﹁ 小 止観 b の証果 章 の三上三観を 基礎に構想されて きている関係を知りうるわけであるが︑このこ とは 目摩詞 止観 L と﹁次第禅門口との止観規定を めぐる思索の不可分 の 関係を予想させる︒先に示したとうに目次第 禅 門ヒ三巻下で提示される 体 真上︑縁俗体臭 止 ︑ 息 二週分別 止 の三正 及び六秒門の項で示される 従 坂入空観︑従臣 入 仮 観︑空板一心観の三観の存在は︑たとえその 説 明 が名称の列挙にの みとどまり︑実践姿勢に関する具体的意味が示 されていないとはいえ︑後期実践体系のもとで 確 立 される三上三観の
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構想が提示されてきている︒ ︐
/ @0l ︶ ﹁ 摩詞 止観﹂﹁ 小 止観 ロの 三上三観の規定の中にみられるこのよう な 質的相違は︑﹁ 円
融 ﹂思想の有無によっ て 生じたわけであり︑︵ー︶ 1 し たがって両者が同一の名称を附与されていようと も ︑意味的には異な
ない中道観の確立を目指すといわれている右の説 明は ︑ 司摩詞 止観 L 所説のとが何ら変わらないことを示唆するものであろ ︐ っ ︒しかも説明のある箇所で いられている︒これらの点は︑﹁ 摩詞 止観 ヒ 所説 の 三上三観の規定が﹁小土
ている経緯を物語るものであろう︒
勿論︑両規定が全く同一の実践的境地を志向 す る 規定であるというのでは る 間に︑周知のごとく止観規定の上に重大な意 味的 変様が加えられている︒
られるような 息 二週分別 止 ・中道第一義観 る︑他 の 三上・三観を基礎として
正 三観は斥けられ︑それぞれの止観が自らの う ちに他の止観の実践的姿勢を 三上三観の実践姿勢と向 か 止観 ヒ のそれ
は同小止観﹂の表現と全く同じ語句が用
観 しのそれを発展的に継承して構成され
ない︒﹁ 小 止観﹂から 門摩詞 止観﹂へと 至
後期実践 観 のもとでは︑﹁ 小 止観 ヒにみ
成り立っ止観とみなすいわゆる次第の三
包摂しているという不次第の三上三観の