第 8 章 本論文の結論と今後の展望
第 2 節 本論文の検証結果
第4章 包括利益の情報有用性-会計基準適用前後を中心として-
第4章では、検証内容①と②をとりあげた。具体的には、基準第25号適用前後の当期純 利益と包括利益の情報有用性を比較し、その他の包括利益が追加的な情報内容を有するか 確認した。また、包括利益の構成要素であるその他の包括利益に市場が反応する理由が何 かを分析の射程に含めた検証を行った。
第 4 章で得られた主な推定結果は、以下のとおりであった。主分析では、基準適用前後 で比較した場合、基準適用前の包括利益の情報有用性が高い結果が得られた。しかし、基 準適用前後で当期純利益と包括利益の相対的な情報内容を比較した場合、当期純利益に対 する相対的位置づけは包括利益のほうが高まりつつあったと解される。
頑健性テストでは、なぜ基準適用後に当期純利益と包括利益の情報内容に差が生じてい るかその原因を特定する検証を行った。推定の結果、基準適用前と比較して基準第25号が 企業に対して適用された後では、当期純利益が黒字の企業でもその他の包括利益の追加的 情報内容が観察された。対して、包括利益が利益概念として表示される前である基準適用 前には当期純利益が赤の企業が開示する推定包括利益に市場が強く反応し、黒字企業に対
172 する反応とは経済的に大きな差が生じていた。
第 5 章 利益調整後の包括利益に対する市場反応-会社予想達成とアナリストカバレ ッジの有無で分けた検証-
第5章では、検証内容③をとりあげた。具体的には日本企業の経営者が自社の業績予想 を達成するためにその他有価証券の売却損益を通じた利益平準化行動をとる場合、当期純 利益と包括利益のどちらが利益情報として有用なのか実証的に分析した。主分析では、若 林[2008]と比較して分析期間を近年にまで拡張した場合、どのような検証結果が得られるか に注目した。得られた主な推定結果は、2001 年度から2006 年度を分析対象期間として設 定した若林[2008]と若干異なり、Vuong検定でモデル間の有意差を比較した場合、包括利益 モデルと当期純利益モデルで差が確認できなかった。
頑健性テストでは、主分析で得られた結果がなぜ生じたのか観察するため、アナリスト カバレッジの有無にも注目して、同じ利益調整がなされた企業でも当該カバレッジの有無 によって市場反応が異なるか検証した。得られた分析結果は、アナリストカバレッジを有 する企業ではカバレッジをもたない企業と比較して、市場がその他有価証券を売却した場 合でも包括利益の有用性が高い点を示唆していた。その一方で、アナリストカバレッジの 有無にかかわらず、市場はその他有価証券売却を通じた企業が開示する当期純利益に対し て、強く反応している点が観察された。両サンプルの主な違いは、アナリストにカバレッ ジされている企業の包括利益に対して市場は「強く」反応しているが、カバレッジをもた ない企業の包括利益に対しては「それなりに」反応し、その有用性が落ちている点にある。
以上の検証結果から、カバレッジがついている企業を投資家やアナリストが分析する際 には、当期純利益だけでなく補完的に包括利益も参考にしている可能性があろう。第 5 章 の推定結果をふまえると、NI と CI の情報有用性に経済的差異は観察できなかった。この 結果をふまえると、利益調整後の当期純利益と包括利益の情報内容に優劣をつけるのは時 期尚早とも言える。しかし、特にアナリストにカバレッジされていない企業と比較した場 合、「相対的には」カバレッジされている企業の包括利益情報に市場が反応している傾向に あるだろう。「アナリストにカバレッジされている」という特定の条件下で、市場は補完的 に包括利益を有用な利益情報として捉えている可能性があろう。
第6章 財務困窮企業の包括利益の特性と情報有用性-リスク情報としての包括利益-
第5章ではどのような状況またはいかなる企業において包括利益の価値関連性が相対的 に高まるか、とりわけ企業の財務的特徴と包括利益の有用性との関係に着目した検証を行
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った。本論文の第 3 章で取り上げた論点整理から直接導出されない検証課題であるが、こ れまでの国内外で蓄積されてきた包括利益に関する実証研究とはリサーチの特徴を変え、
包括利益の情報特性について「新たな概念」を実証結果から提唱している点で意味をもつ。
得られた分析結果は以下の通りであった。第5章では、Altman[2000]で提示された修正倒 産スコアモデルを用いて、分析対象サンプルを財務安全サンプル、グレーサンプル、財務 困窮サンプルの 3 つに分類した。各サンプル群の当期純利益と包括利益の相対的な情報内 容を比較した場合、財務安全サンプルからグレーサンプル、財務困窮サンプルへと移行す るについて、当期純利益と包括利益の価値関連性に差が生じていた。この分析結果は、財 務安全サンプル、グレーサンプル、財務困窮サンプルに移行するにつれて、包括利益の意 味内容が「利益情報」から「リスク情報」へと変化する可能性を示していた。
では、本当に財務困窮企業の包括利益情報を市場はリスクとして捉えているのか。この 疑問に対する新たな証拠を得るため、筆者はさらなる検証を行った。具体的にはその他の 包括利益の構成要素を分解し、主分析で用いた財務困窮サンプルをその他有価証券の保有 金額で 2 分位に分けた検証を試みた。得られた分析結果は、保有金額上位サンプルのほう が下位サンプルと比較して、その他有価証券評価差額金の変動額に強く反応していた。
確かに、従前の当期純利益に資産の評価損益を合計した推定包括利益であることをふま えると、現時点での保有資産を有効に活用しようとする通常企業と比較して財務困窮企業 に対して投資家が「評価益をうまく活用する」ことを要求している可能性もあろう。
しかし、追加分析で使用したその他有価証券の保有金額上位サンプルのPBRを確認した 所、その平均値は1.5であった。また市場評価を決定する際に頻繁に使用されているROE と株式時価総額も保有金額上位サンプルが下位サンプルより高かった。会社のファンダメ ンタル数値はたしかに財務的に困窮している傾向にあるが、市場指標としては決して悪く ない企業に対して、市場はこうした企業の評価益が将来的に売却されるという将来キャッ シュフローとして織り込むよりも、むしろ多分に保有している有価証券の下落リスクとし て捉えると解釈できるのではなかろうか。わが国では、持ち合いの慣行が根強く残ってお り、安易にその他有価証券を売却した場合、グループとしてではなく個別企業のみ(スタ ンドアローン)で市場から評価されてしまうという懸念もある。その他有価証券の買い手 先を見つけるばかりか自社が市場からの評価を下げてしまうという点も危惧される。こう した現実的な慣行を考慮しても、筆者は市場が財務困窮企業の包括利益情報を評価する際 に、将来キャッシュフローの予測に資する「利益情報」としてというよりも「リスク情報」
として解釈しているのではないかと考える。
第 6 章の分析では、包括利益と当期純利益の相対的な有用性を検証するだけでなく、ど のような状況で包括利益がより高い有用性を示すかにまで立ち入り、そうした検証結果か ら筆者なりに包括利益の情報特性について「新たな概念」を提唱している点に少なからず 意義があろう。
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第 7 章 包括利益表示後の企業の配当政策-政策株式保有元のガバナンスが配当政策 に与える影響-
第 7 章の目的は、政策保有株式を所有している企業のガバナンスが、政策保有株式を所 有されている企業のその他の包括利益と配当との関係にどのような影響を与えているか検 証することにあった。第4 章から第6章で取り上げた実証研究では、利益情報の公表に対 して市場がいかに反応するか検証した。主な財務諸表利用者として株式投資家を意識し包 括利益と当期純利益のどちらが有用か検証した。しかし、包括利益の表示を経営者がどう 捉えているか着目した検証を行っていない。
そこで第 7 章では、包括利益と配当との関連にガバナンスがいかに影響しているか検証 した。具体的には政策保有株式の生データを使用し、政策保有株式を所有している機関投 資家の属性の違い(一般事業会社か金融機関か。金融機関の中でも銀行以外を含む場合と 銀行だけの場合)が企業の包括利益と配当との関連にどのような影響を与えているか実証 的に検証した。
得られた分析結果は以下のとおりであった。まず、一般事業会社に政策保有株式を所有 されている企業群では、包括利益と配当との関係が「正」であった。ただし、NI は 1%水 準で有意な正の関係にあるが、OCIは統計的に有意な値を示していなかった。その一方で、
金融機関に政策保有株式を所有されている企業群では、包括利益と配当との関係が「負」
であり、NIだけでなくOCIも1%水準で有意な負の値を示していた。特に、金融機関の中 でも銀行だけが政策保有株式を保有しているサンプルだけに限定した検証では、より強い 証拠が得られた。同サンプルの分析結果は、包括利益と配当との関連を検証した際、OCI
が 1%水準で有意な負の値を示し、両者の関係に間接的な影響を与える変数である OCI×
RELATION(その他の包括利益と政策保有株式の割合)も 5%水準で有意な負の値を示し
ていた。以上の分析結果から、銀行に政策保有株式を保有されている企業群では、その他 の包括利益が「負」でも配当を「増配」する傾向にあると言えるだろう。
第 3 節 本論文の結論と今後の展望
本論文では、最近制度化された包括利益に焦点を当て、その実証研究を行った。本論文 では今まで明らかにされてこなかった現象の存在を明らかにし、その現象がどのようなも のであるか描き出すことに努めた。まず序章では、全体をデザインする際に筆者がどのよ うな現象(たとえば、包括利益が経営者行動に影響を与えているという事実)を追い求め ているか概説し、なぜその角度から調査し検証を行うかこれまで埋もれている現象との関 係で記述してきた。手当たり次第に検証を行うだけでは、得られた発見事項に充分な説得