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第 6 章 財務困窮企業の包括利益の特性と情報有用性

第 2 節 包括利益の情報内容と仮説の設定

2.1 包括利益に関する日本の先行研究

これまで国内外を通じて包括利益の価値関連性に関する実証的研究は多く蓄積されてい る。わが国の主な先行研究は、基準導入前の数値を使用し 2 期間の評価・換算差額等を逆 算した推定包括利益155と当期純利益の価値関連性を比較した研究である。このようなタイ プの先行研究は、主に本論文の第 4 章で詳述しているため、ここでは主要な研究に限定し 記述していきたい。久保田・須田・竹原[2006]、若林[2009]、若林[2010]がその代表例とし て挙げられる。

久保田・須田・竹原[2006]では、当期純利益と推定包括利益の価値関連性を比較している。

具体的には、その他有価証券評価差額金、為替換算調整勘定、土地再評価差額金の期中変 動額を取り上げ、それらを当期純利益に加えることにより推定包括利益を算出している。

分析期間として、1999年から2004年までの期間にわたって5,241社の企業年度から構成 されたサンプルを使用している。結果として、推定包括利益と当期純利益の価値関連性を 比較した場合、当期純利益の価値関連性が高いことを明らかにしている。

また若林[2009]では、2002年から2006年までの10,029社を対象に当期純利益と推定包 括利益の価値関連性を比較している。結果として、業績指標としてのボトムラインに着目 した場合、当期純利益が推定包括利益よりも価値関連性が高い点を示している。そして、

若林[2010]では、利益の持続性や将来の当期純利益の予測可能性、株主価値評価の観点から 分析したこれまでの包括利益に関する実証研究を振り返ると、おおむね推定包括利益より も当期純利益の価値関連性が高いとの見解を示している。

以上、主要先行研究の結果をふまえると、推定包括利益が当期純利益よりも価値関連性 を有するケースは少ない。しかし、若林[2010]は2007年と2009年の2期間では包括利益 と当期純利益の価値関連性の差が縮まっているという興味深い結果を報告している。また 井出[2004]では、サンプルを製造業に絞った場合に包括利益のほうが価値関連性は高い点を 報告している。この結果は、サンプルによっては包括利益が当期純利益と比較して価値関 連性を有することを示唆している。

それでは、どのような場合に包括利益は当期純利益と比較して価値関連性をもつだろう か。包括利益に関する直接的な先行研究から離れ、関連研究のレビューに焦点を当ててい きたい。

155本章でも第4章と同様、評価・換算差額等の2期間の差額を逆算して当期純利益と足し合わせたものを 推定包括利益と呼ぶ。

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2.2 通常企業と財務困窮156企業の財務情報の有用性

現行の概念フレームワークでは、財務報告の目的が日本基準、米国基準、IFRS に共通し て「経済的意思決定に有用な情報提供」にあるとしている。桜井[2010]は、日本の概念フレ ームワークの財務報告の目的として、「投資家による企業成果の予測と株主価値評価に資 する財務状況の開示にある」ことを取り上げ、議論の俎上にのせている。

企業の将来予測に資するとの理由で、当期純利益は研究者からも支持されてきたように 思われる。たとえば伊藤[2011a]は、「ボトムラインである当期純利益こそが会計の体系を 特徴づける鍵概念である」と述べ、企業評価にあたって当期純利益が一般的に用いられて いる点にふれている。

企業評価で主に用いられる指標が当期純利益であると主張する研究に対して、特定の企 業では貸借対照表の簿価情報が企業を評価する上で有用な情報であると述べている先行研 究としてBurgstahler and Dichev[1997]、Barth et al. [1998]があげられる。

Burgstahler and Dichev[1997]では、収益性の程度で企業の純資産と当期純利益が株主価値 に与える影響が変わるのか検証している。具体的には、純資産当期純利益率が高い企業の 場合には、当期純利益が株主価値の重要な決定因子であることを述べている。しかし、純 資産当期純利益率が低い企業では、純資産が株主価値に資する指標となることを報告して いる。そして、純資産の2 期間の差額を独立変数に設定し、株式時価総額の2期間の差額 を従属変数に設定した際には、純資産簿価の値を独立変数として設定した場合と比較し係 数が増加したことを報告している。

Barth et al. [1998]でも、Burgstahler and Dichev[1997]にならい類似する観点から実証的検証 を行っている157。Barth et al. [1998]では、貸借対照表と損益計算書の双方が価値関連性を有 する情報を提供し、貸借対照表特有の役割として「融資の意思決定」を容易にする点をあ げている。そして企業が赤字である場合、貸借対照表は債権者が「清算価値」を計算する 上での情報提供を有する点を指摘している。他方、損益計算書で計算される利益報告の第1 の役割は、株式の価値評価を行うことであると言及している。

こうしたBarth et al.[1998]の見解は、貸借対照表の情報を活用する傾向にあるのが債権者

であり、通常時には株式投資家が貸借対照表の簿価情報よりも損益計算書の利益情報に反 応する点を示唆している。この前提を述べた上でBarth et al.[1998]では、財務的に健全な大 企業と倒産企業1,501サンプルを比較した検証を行っている。結果として、倒産企業1,501 サンプルを用いた場合には、自己資本簿価が当期純利益よりも株主価値に対する説明力が

156Burgstahler and Dichev.[1997]では、純資産に対する税引後利益が低い企業を取り上げ、純資産に対する

税引後利益が高い企業と比較している。Barth et al.[1998]では倒産企業396社を取り上げ、通常企業と比 較した検証を行っている。両研究ともに企業を財務状況で分けた場合、純資産と当期純利益のどちらが 株主価値に影響を与えるか検証を行っている。

157Burgstahler and Dichev.[1997]以外には、Collins et al.[1997]が類似する先行研究としてあげられる。

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高くなったことを報告している158。Keener[2011]でも類似する観点から検証を行っており、

当期純利益に一時的な損失が含まれている場合、自己資本簿価が企業の将来利益予想に資 するものと記述している。

こうした海外での先行研究を振り返ると、財務的健全性が低下している企業の場合、貸 借対照表の簿価情報の有用性が高まり当期純利益の有用性が低下するものと解釈できる。

2.3 財務困窮企業の包括利益の価値関連性と仮説の設定

前節を振り返ると、株価に大きな影響を与えうる財務指標は企業の財務状況によって異 なる可能性が高い。先行研究の結果に踏襲すると企業の財務状況が悪化している場合、自 己資本簿価に投資家の注目が集まる可能性が高い。

自己資本簿価と当期純利益を比較した先行研究の結果は、企業の財務的状況によって分 類し当期純利益と推定包括利益を比較した検証でも当てはまる可能性がある。Barth et al.

[1998]では、自己資本簿価の差額に注目することを記述していないが、倒産企業では当期純 利益よりも自己資本簿価に市場が反応する点を示唆している。しかも、Burgstahler et

al.[1997]では、純資産の2期間の差額を独立変数に入れたほうがその期の純資産の値そのも

のを入れたときよりも係数が高まる点を報告している。

推定包括利益は、ストック情報である評価・換算差額等の2期間の差額としてのその他 の包括利益の変動額を当期純利益に足し合わせたものである。先行研究の結果に基づくと、

財務的に悪化している企業の評価を行う場合には、ストック特性を有するフロー情報であ る推定包括利益159に市場が反応するだろう。それ故、本章では以下の仮説1を導く。

仮説1 財務困窮企業の包括利益は当期純利益よりも価値関連性が高く、それ以外の企業群 と比較した場合に包括利益と当期純利益の価値関連性に差が生ずる。

日本の包括利益に関する先行研究では、企業の財務状況によって分類した検証はない。

こうしたサンプル群に分類することで、推定包括利益が企業の利益情報として捉えられて いるか、それとも財務リスク情報として市場から解釈されているかその一端を明らかにす

158Barth et al.[1998]の結果ではYear t-5年のみ当期純利益の係数が高く、残りの期間はt-4年を除いて自己 資本簿価の係数が高い結果となっている。

159当期純利益も期中の資本変動や配当を考慮しなければ、2期間の比較から計算できるストック特性を持 っており、推定包括利益のみがストック特性を有するとはいえない。計算過程を考慮しても、評価・換 算差額等の2期間の変動額はストック情報ではなく厳密にはフロー情報であり、その変動額を当期純利 益に足し合わせた推定包括利益は貸借対照表上の評価・換算差額等の金額と一致しない。しかし、推定 包括利益は、推定包括利益と当期純利益の差額としての評価・換算差額等の2期間の変動額を当期純利 益に足した値である。それ故、当期純利益よりもストックの評価差額が多く反映されている。また、

Burgstahler and Dichev. [1997]の研究結果は、株式投資家が純資産そのものの金額よりも純資産の2期間

の差額を独立変数に加えた時に市場が反応することを明らかにしている。そのため、本章ではBurgstahler

and Dichev.[1997]結果に立脚し、1時点のストック情報である評価・換算差額等ではなく、その2期間の

変動額を当期純利益に足し合わせた推定包括利益に焦点を当てている。