第 4 章 包括利益の情報有用性
第 3 節 検証モデルとサンプルの抽出
3-1 検証モデル
本章の仮説を推定するため、その他有価証券評価差額金の売却によって経営者の目標利 益達成という利益調整を行っている企業(利益平準化を行っている企業)を特定する。若 林[2008]ではヒーリーモデルと修正ジョーンズモデルを用いた裁量的会計発生高を算出し、
経営者による利益調整が著しいサンプルを抽出している。しかし、こうしたモデルに基づ く分析は批判にさらされることも少なくない。したがって本章では、Mose[1987]で使用さ れている利益平準化指標を特定するモデルを改善した分析モデルを用いる142。Mose [1987]
では、その他有価証券評価差額金の売却損益計上による経営者の利益調整行動の指標を、
以下の(1)式に基づいて測定している。
141須田[2001]では増分情報内容が何か説明しており、「増分情報内容は、片方の会計情報を所与とした時に、
もう片方に追加的な情報内容があるかどうか評価するものである」と述べている。
142若林[2008]では、分析結果の頑健性を確保するため、Mose[1987]による利益平準化を特定するモデルを 用いている。
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it
it it it
it
it
SALE
EE RE EE
SB | PE | | |
・・・・・・・・・・・・・・・・・・(1)SBit = 利益平準化指標
PEit = その他有価証券の売却益を計上及び売却損を取り除いた税引前当期純利益
EEit = 目標利益(前期税引前利益)
REit = 税引前当期利益 SALEit = 売上高
(1)式に基づくと、SBit がプラスである場合、その他有価証券の売却益を売却損よりも多 く計上して当期の報告利益が目標値を達成したことを示しており、経営者の機会主義的な 利益調整が行われた点を意味している。業績予想を達成している会社には、「売却損のみを 計上しているものの事前予想を達成している企業」も含まれる。代替的に、売却益のみを 計上し利益調整を実施することで業績予想を達成している企業を抽出する方法も考えたが、
実際に有価証券報告書で記載される値は売却益と売却損の双方である。それ故、本章の分 析では「売却益が売却損を上回り、そうしたその他有価証券の売却行動で事前の会社業績 予想を達成している企業」を利益調整サンプルとして位置づける分析モデルを選択した。
こうすることで、売却益のみを計上しているサンプルに絞りこむことはできないが、売却 損のみを計上して事前会社予想を達成している企業は少なくとも利益調整サンプルから除 外できる。なぜなら、本章で用いる分析モデルは、売却損のみを計上して事前業績予想を 達成している企業のSBitは計算するとマイナスになるからである。
Mose[1987]の分析モデルでは、経営者の目標利益として前期の税引前利益が使用されて いるが、本章の分析では経営者の当期純利益予想の達成に焦点をあてている。したがって (1)式を(2)式に修正した上、実証的検証を試みる。具体的には、以下のように式を改善す る。
it
it it
it it
it
SALE
FNI RE
FNI
SB | PE / 0 . 6 | | / 0 . 6 |
・・・・・・・・・・・・(2)SBit = 利益平準化指標
PEit = その他有価証券の売却益を計上及び売却損を取り除いた税引前当期純利益
FN Iit = 目標利益(経営者予想:当期純利益)
108 RE it = 税引前当期純利益
SALE it = 売上高
(2)式では、税引前当期純利益と経営者の当期純利益予想の差の絶対値を使用している。
税金の影響額(1-t : 実効税率)を考慮し、経営者予想(当期純利益ベース)を0.6で除し、
税引前当期純利益(PEitとREit)との整合性をはかっている。改善した (2)式を用いて、そ の他有価証券売却益を操作し当期純利益予想を達成したサンプルは2,604個となった。上述 のモデルに立脚し、裁量的にその他有価証券売却益を計上したグループの当期純利益と包 括利益の相対的な利益情報の有用性を比較する。
本章では会計利益情報の有用性を検証する基本的な実証モデルとして、Chambers et al.
[2007]を参考にする。Chambers et al. [2007] における実証分析モデルに立脚する理由は、利
益調整された当期純利益と包括利益との価値関連性を比較した若林[2008]でもこのモデル が使用されているためである143。若林[2008]では、以下の(3)式と(4)式を比較した検 証を行っている。
i,t =
0
+
1 NIi,t+
2(
DNEGi,t × NIi,t)+3DYEARt +
ε
i,t ・・・・・・・・・・(3)i,t =
0
+ 1 CIi,t + 2(
DNEGi,t × CIi,t)+
3DYEAR t +ε
i,t ・・・・・・・・・・・(4)
(
DNEGi,t × CIi,t)+3DYEAR t +
ε
i,t ・・・・・・・・・・・(4)i,t = 年次リターン(決算月ベース)
NIi,t = 当期純利益(3月末値)
CIi,t = 包括利益(3月末値)
DNEGi,t = 利益がマイナスであることを示すダミー変数 DYEARt = 年度ダミー変数
(3)式と(4)式の特徴は、Hayn [1995]にならい会計利益及び年次ダミー変数以外に会 計利益がマイナスである場合のダミー変数が追加されている点にある。上の 1と 1の期待
143Chambers et al. [2007]では、従属変数に異常リターンを用いずに各企業のリターンをそのまま使用してい
る。こうしたモデルを使用した包括利益に関する実証研究では、価値関連性という言葉が使われている。
また、会計利益情報の価値関連性を検証するモデルの多くは、会計利益と会計利益がマイナスのダミー 変数、年次ダミーしか変数として取り入れられていない。しかし、本章の検証では、Chambers et al. [2007]
のモデルを改善し3つのコントロール変数を入れている。
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符号はプラスである。本章では、Chambers et al. [2007]で設定されている(3)式と(4)の 説明変数を改善する。
従属変数には各企業の株式リターンを入れる。交差項をモデル式に組み込む際には、利 益がマイナスのダミー変数と利益の交差項(DNEG×NI及びDNEG×CI)以外に、利益(NI とCI)、利益がマイナスのダミー変数(DNEG)をそれぞれ説明変数に入れるのが厳密なモ デル式である。若林[2008]では交差項のみ設定し、海外のトップジャーナルでも交差項のみ しか入れていない研究をいくつか確認できるが、本章の検証では厳密に分析するため交差 項以外に利益がマイナスのみのダミー変数も設定する。
= 0 + 1NIi,t + + +
ε
・・・・・・・(5)= 0 + 1CIi,t + +
+ ε
・・・・・・・(6)= 各企業の年次リターンから同日の日経総合平均のリターンを控除した異常リター
ン(前年の4月1日から当年の3月31日まで)
=当期純利益(3月末値)
CI =包括利益(3月末値)
DNEG =当期純利益及び包括利益がマイナスであることを示すダミー変数
DYEAR t=該当年度では1、そうでない場合には0をとる年度ダミー変数
上のモデルはChambers et al. [2007]や若林[2008]、若林[2009]の会計利益情報の価値関連 性を検証する基本モデルに立脚している。従って、(5)式と(6)式における 1と 1の係 数がプラスになると各企業のリターンがあがるという効率的市場仮説をふまえた分析モデ ルである。言い換えれば、会計利益情報を株式市場が織り込むという前提に基づくと、 1
と 1の予想符号はプラスである。(5)式と(6)式では、 1と 1が統計的に有意なプラス の値となるかを確認し、両モデルをVuong検定で比較することによって、当期純利益と包 括利益のどちらが株式リターンに影響するか観察する。
他方、当期純利益の価値関連性が包括利益よりも高いという結果が得られても、その他 の包括利益に追加的な情報内容が観察されるか定かではない(若林[2008])。そこで本章で は、若林[2008]で挙げられている下記の(7)式を(8)式に改善し、その他の包括利益の 追加的な情報内容がその他有価証券を調整した利益平準化を図るか否かで変わるか直接的 に検証する。下記、若林[2008]の(7)式を改善した(8)式と(5)式の当期純利益とコン トロール変数だけを設定したモデルとを比較する。
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i,t = 0
+
1 NIi,t+
2(
DNEGi,t NIi,t)+ 3OCI i,t + 4DYEARt +ε
・・・・・・(7)i,t = 年次リターン(決算月ベース)
NIi,t = 当期純利益(3月末値)
OCIi,t = その他の包括利益(3月末値)
DNEGi,t = 利益がマイナスであることを示すダミー変数 DYEARt = 年度ダミー変数
= 0
+
1+
4+
5+ ε
・・・・・・・・(8)= 各企業の年次リターン(前年の4月1日から当年の3月31日まで)
=当期純利益(3月末値)
OCI =その他の包括利益(3月末値)
DNEG =当期純利益あるいは包括利益がマイナスであることを示すダミー変数
DYEAR t=該当年度では1、そうでない場合には0をとる年度ダミー変数
仮説を検証するため、(5)式と(6)式及び(8)式とをモデル間比較する。パラメータ ー数をモデル間の当てはまりの良さを判定する上で考慮していない Vuong 検定144の問題点 をふまえ、Vuong 検定だけでなく奈良・野間[2012]と根建[2013b]に倣い赤池の情報量規準
(AIC : Akaike’s Information Criterion)を用いたモデル間比較を行う145。なお、若林[2008]
では不均一分散の影響を取り除くため、独立変数は期首の総資産でデフレートされている。
それ故、本章の検証もこれにならう。
144Vuong検定は、競合する2つのモデルが存在する際のモデル選択の統計的手法として、経済学や心理学
領域でも用いられているが、とりわけ会計学における研究で頻繁に使用されている。その理由として、
会計情報には当期純利益と包括利益、退職給付債務における累積給付債務(Accumulated Benefit Obligation: ABO)と予測給付債務(Projected Benefit Obligation : PBO)(中野[2000])、経営者予想とアナ リスト予想というように代替的情報が数多く存在する点があげられる(太田・松尾[2004])。Vuong検定 は、モデル選択基準にKLIC(Kullback-Leibler 情報量規準)を使用した上でそれをLR検定(尤度比検 定)に応用し、従来のモデル選択基準では不可能であった統計的有意性の検定を行うことを可能にした。
しかし、当該検定は、検定統計量の計算が非常に複雑であり、現在の段階ではその有用性が完全に発揮 されていない点も問題の1つとしてあげられている(太田・松尾[2004])。
145赤池の情報量規準は値が小さいほど、モデルの当てはまり具合が良い。赤池の情報量規準はモデル間の 当てはまり具合を調査する上で、様々な分野で活用されている手法であることから、本章の検証で取り 入れることにした。
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3-2 サンプルの抽出と記述統計量
本章で使用する企業財務・株価データ・経営者の業績予想および実績値は、日本経済新 聞デジタルメディア社が提供しているNEEDS Financial QUESTを用いて収集した。株価デ ータはNEEDS Financial QUEST株式欄における日次データから取得した。NEEDS Financial
QUESTから当該データが入手できない企業に関しては、Yahoo Financeの株価検索欄に「企
業名」を打ち込み株価データを手収集した。
サンプルを選定する基準は、①上場全社(連結決算かつ銀行・証券・保険・その他金融 を除く)に該当し、②決算月数が12か月かつ3月期決算である、③NEEDS Financial QUEST
あるいはYahoo Financeの「株価検索欄」から会計年度の12か月間にわたって月次リター
ンデータが入手できる点である。①を考慮する理由は、銀行・証券・保険業は他業種に属 する企業と比較してビジネスモデルと財務構造が大きく異なるためである。
業績予想を抽出する際には、NEEDS Financial QUEST上の業績予想(会社発表)+決算実 績履歴より、アナリスト予想ではなく会社予想(経営者予想)を選択した。経営者予想値 は、実績値と比較して前年 6 月時点に公表された予想値を使用した。経営者予想値は営業 利益、経常利益、当期純利益、EPS を収集することが可能であるが、本章の分析では当期 純利益と包括利益の情報有用性を比較することが目的であり、当期純利益の予想値を選択 した。その他の包括利益を代理する各変数としては、その他有価証券評価差額金、為替換 算調整勘定、繰延ヘッジ損益の 3 項目を設定する。数理計算上の差異が計上されている企 業数が少なく、当該項目の 1 社当たりの計上額が大きく分析結果に極端なバイアスがかか るため、数理計算上の差異は含めていない。
分析対象企業は、その他の包括利益に関する3項目が入手できるようになった2008年3 月期から2013年3月期までとする。この結果、1万93個のサンプルを抽出した。そこか ら、説明変数・従属変数・コントロール変数の各上下 0.5%を異常値として処理し、9,485 個のサンプルを最終的に抽出した。以下に全サンプル及び利益調整サンプルの記述統計量 と相関係数表を示す。また、全サンプルと利益調整サンプルの年別分布(企業数)の状況 を載せる。
図表5-1 全体サンプルの記述統計量(9,485サンプル)
平均値 標準偏差 第1四分位 中央値 第3四分位
Ri,t -0.0051 0.3838 -0.2421 -0.0448 0.1555
NIi,t 0.0182 0.0456 0.0057 0.0201 0.1584
CIi,t 0.0148 0.0497 -0.0014 0.0177 0.0400
OCIi,t -0.0034 0.0183 -0.0094 -0.0006 0.0034
※コントロール変数以外の説明変数はt-1期の総資産でデフレートしている。