第5章 性格特性の違いによる心理劇の効果
第2節 経過観察を通しての分析
表5・4,図5−3に見られるように,遊戯性の高群の者よりも遊戯性の低群 の者の方が,恥ずかしさ因子得点に関して,大きな低減が見られた。
心理劇自体,ある意味では自然の遊戯に近いものと考えられ,遊びの自由 と開放性を備えたものであると捉えられているため,ここでは性格特性の中 の遊戯性(遊戯性現実性)に着目して,分析を進めていくこととする。こ の特性の特徴は,辻(1998)によると, 感覚,感情,イメージ,思考,活動 などが日常的な現実経験の枠内におさまりきらず,あふれ出てくる「豊穣さ
(abundance)」にある。この豊穣さに身をまかせていると,人は多少とも非 日常的な経験へと「遁走(fugue)」あるいは「超越(transcendence)」するこ とになる。しかし,遊びの世界に遁走しても,人はまた現実の世界に舞い戻 ってこなければならない。それゆえ,この2つの世界を自由に行き来できる 柔軟性をもつ必要がある。遊戯性はこの柔軟性をも意味している。 とされ
ている。
も肯定的な場所に動いた理由を聞いてみると,大学時代の生活ぶりや,その ころ考えていたことなどを交えながら,長い時間にわたって詳しく説明して くれた.また,劇化表現では,主役である0に補助自我的役割を指名される と,舞台に素早く登場し,少し戸惑いながらも0に対して言葉をかけたり,
0の体を押して動かしたりした。
#2のウォーミングアップでは無気力そうに歩く女子高生に声をかける 先生役を演じた.語りかけはするものの,相手からはあまり反応がなかった が,終始,笑顔を絶やさずいろいろと話題を変えながら,相手の機嫌をとる ように会話を合わせようとしていた。シェアリングでは,女子生徒に話しか けるのは,現実場面でもかなり難しいと感じることがあると述べていた。ド ラマでは,主役であるPに生徒役を指名された。授業場面では雑談をした
り,先生をはやし立てたりする生徒役を積極的に演じていた。セッション後 の感想には,「0先生が演じる姿こそ,自分自身の姿であるように鏡を見る ように感じることができた」と,主役に自分を投影し,劇という非現実的な 世界に自然に入っていけていたことや,「0先生がどのような気持ちである かを考えることによって,自分自身がどういう心持ちでいるかを考えること ができた」といった,劇を通して自分自身を振り返るという体験をしていた ことが伺われた。
#3のドラマでも#2同様,主役であるQに生徒役を指名され,演じた。
朝のホームルームの場面ではアドリブをきかせ,級友と昨日のテレビドラマ の内容を楽しそうに会話していた。また,Qが生徒からクラス経営がうまく いってないというプレッシャーを感じると分かると,生徒役であるKはQ に対して不満の声をぶつけた。セッション後の感想には,心理劇に対する印 象として,「劇化をするために,その状況を言葉に出す,その子が訴えてい る言葉を外に出すということは,自分の考えをより具体的に表現することに なり,自分を見つめなおすことができた.頭の中だけで考えていたことを,
他の人の言葉を実際に出して表現することが,こんなにも自分に迫ってくる とは意外な思いがした」と,書かれていた。これは,劇を通して体験したこ とをもとに,現実生活と結びつけて考えるということを:K自身が行ってい たということが裏付けられている。
2.事例2(Q:中学校女性教諭,教職年数14年)
#1では,特に気になる行動や態度は見受けられなかった。どちらかと言 えば,与えられた内容を淡々とこなしていくといった感じに見えた。しかし,
他己紹介では,最近,スキューバーダイビングを始めたことが語られ,実生
活において,新しいものに意欲的に挑戦しようとする姿が伺えた。また,「教 師になる前,どれぐらい教師になりたかったか」という問いに対しては,小
さいときは教師になりたいと思っていたが,年齢が上がるにつれて,いろい ろな職業に興味をもつようになったと語った。劇化表現では主役の0に補助 自我的役割(クラスター)を指名されると躊躇なく舞台に上がり,役割を演 じた.Qは参加者の中で知っている人が一人しかいなかったこともあり,セ ッション後の感想には「自分の思いを知らない人の前で表現するのは,自分 にとってはとても難しいことであると感じた」と書かれていたように,戸惑 いがあったと思われる。
#2のウォーミングアップでは無気力そうに登校する女子高生役を演じ た。大きな声で執拗に質問を繰り返す教師の質問に,初めは仕方なく答えて いた様子であったが,次第に打ち解けていき,自分の興味のある話題に話を 変えるなどQからの発言も見られた。教師役の人に話し掛けられた感想を聞
くと,「気にしてくれているのだと感じた」と語った.Pが主役を演じるドラ マでは,指名されダブル役をとることになった。Pの代役で授業を進めてい
く場面では,生徒一人一人にアドリブで声をかけるなどして,はつらつとし た感じで教師役を演じた。〔この役を演じるまでは,どこか控えめな感じで おとなしい雰囲気であったのに意外に思えた〕感想に「劇の場面が自分の生 活と重なり,他の人の事例であったが,自分はこのときどう考えるか,自分 ならどうするかなどを考えながら劇を見ることができた」と書かれていたよ うに,ドラマの内容を実生活と結びつけて考えていたことが明らかである。
#3では,促されてではあるが,ドラマの主役となった。初めは不登校傾 向の女子高生にどのようにかかわればよいのかを問題としてあげ,ドラマを 進めていった。しかし,自分が実際にとった態度は,その相手の女子高生に とっても納得のいく内容であったと確認できたにもかかわらず,本当に問題 なのは自分のクラス経営であると内省し,それを深く掘り下げていくという 形でドラマが展開していった。これは,#2で展開されたドラマが似たよう な内容であったため,影響を受けたとも思えるが,Q自身,深くドラマの世 界に入り込み,ドラマを通して浮き彫りにされてくる自分の問題について考
えを深めていこうとする姿勢が伺われた。鏡映法により,自分自身の姿を客 観的に見つめるときには,(あごを手で押さえながら)常に真剣な表情を浮 かべていた。感想にも,「何が自分の問題の本質なのかを考えることができ た」と書かれている。さらには,「それをどう解決していくのかがこれからの 課題であるが,もう少し劇を進めていくと,それが見えてくるのであろうか
と思った」と書いている。
第2項 遊戯性の低群にあたる者の事例分析 1.事例1 (R:高校男性教諭,教職年数20年)
Qは予定があり予定時刻に遅れるという連絡が事前にあり,オリエンテー ションには間に合わず,ウォーミングアップの他己紹介からの参加となった。
0になったつもりで,短い内容ではあったが,手のひらに名前を一字一字書 く動作も交えながら紹介をした。「心のものさし」の「教師になる前,どれ ぐらい教師になりたかったか」という問いに対しては,参加者の中で最も否 定的な場所に移動した。理由を間うと,「別にどうしてもなりたいとは思って いなかった」という短い答えであった。くなんとなく堅さが見られ,自分の内 面をさらけ出すことに抵抗があるように思えた〉劇化表現では,主役からの 指名がなかったため,ずっと観客のままで,シェアリングでも発言はなかっ た.途中からの参加であったため,最後までなかなか馴染めなかったのかと も思ったが,感想には「遅れて,少々戸惑いがあったので,すんなりとはい かないところがあるかと思ったが,案外,すんなりと場に入っていけたので よかった」と書かれていた。
#2のウォーミングアップでは生徒役となり,先生から質問される内容に 対して短い言葉で淡々と答えていた。しかし,テスト後の懇談の話になると,
「自分のことなのに親が呼び出されるのは嫌に決まっている」と,少し語気 を荒げた感じで語った。そして,懇談を止めてほしいという要求を先生に突 きつけ,その案を通した。感想を聞いてみると,「要求が通って得をした」感
じがするが,「実際にはそんなことは不可能だろう」と付け加えた.この発言 は,Rの中にドラマはドラマ,現実は現実という線引きがあるということを 示しているものと思われる。ドラマでは,主役であるPに生徒役を指名され,
演じた。授業場面では,問題の生徒であるMと雑談をしたり,Mが教室を抜 け出すのを挑発したりと,意欲的に生徒役を演じていた.感想で「生徒役を やって,主人公の先生は大変だなと思いつつも,雑談したり,はやし立てた りするのは,それなりに楽しいものだなとも実感した」と書いていたように,
生徒としての役割を取得することはできていたものと思われる。
#3のドラマでも#2と同様,主役に指名され生徒役となった。#2と比 べ発言数も多く,その内容も様々であったように感じられた。感想にも「2 回目になると,かなり慣れてきたような気がした.場面も教室の場面で似た 設定だったということもあるかもしれない」と書かれていた。演じることに 対する抵抗は,#1から比べると,ずいぶんとなくなってきていたと思われ
た。